47-2話:ちっぽけな仔たち
あなたにはエフェリアの気持ちがわかりますか?
一緒にいるのに、一緒になれない悲しさが。悔しさが。
あなたにはわかりますか。
◆
眠りが浅い。
わたしは常に、なにかしら意味のないことが頭の中を巡っている。今もそうだ。この先起こるかもしれない不幸に、身を強張らせている。
安眠の秘訣は、何も考えないこと。もしくは考えられないほどに疲れること。これに限る。
思考の海に耽っていると、眠っていても常に意識があることを自覚できるくらいには眠りが浅くなる。ヤな習性だ。わたしはもう、ずっと前からその状態に慣れてしまった。
今でこそ、睡眠すら不要になったらしいこの身体ではもうどうでもいいことなのかもしれない。
それこそまさに、明日、空が落ちてくることを心配するくらいバカげたことだ。
でも、そのせいだろうか。いつまでも思考を巡らせることのできるこの身体では、休まる時間がない。
魔力感知とやらで周囲の様子を三人称視点で俯瞰している。まるで幽体離脱をしているみたいだ。今はあのときと違って、花の中で太陽に見守られていて、温かい。
それだと云うのに、答えのない「どうしよう」が延々と頭の中を歩いている。
今日はどこで寝よう。明日はどこまで歩こう。山の上から街は見えるのか。わたしたちは歩いて辿り着けるのか。
そもそも、食事をしなくて大丈夫なのだろうか。森の外に魔力はあるのか。
魔物に遭ったら? 襲われたら? わたしは血を流す覚悟はあるのだろうか。喩え、その相手が人間であっても、わたしは動けるのだろうか――。
実にくだらない。どうでもいい悩みだった。
どうしようもない、贅沢な悩みだった。
そんなことを考えていたら、苦しそうな声が聞こえてきたんだ。
「うぅぅ……っ」
鈴が転がって、拉げてしまったような声――エフェリアの声だった。
わたしは身を起こして、リラの胸の上で眠っていたはずのエフェリアを見た。いつものように丸まって眠っていたけれど、エフェリアの顔はいつものそれとは違っていた。
苦しそうに顔を歪めて、涙を流していたんだ。
悪夢に魘されているのだろうか。どこかが痛いのだろうか。
とても、とても苦しそうな声だった。
わたしはエフェリアと同じくらいの大きさになって、彼女の元に歩み寄った。
「エフェリア……?」
涙を拭って、背中を摩すった。エフェリアの身体は震えていて、尋常ではないとわかったんだ。
……どうして?
判らなかった。今まで、エフェリアに異常なところは見られなかった。さっきだって楽しそうにしていた。そうだというのに、エフェリアは何に苦しんでいるんだろう。
わたしには判らなかった。
そこでようやく、わたしはエフェリアのことを全然見ていなかったことに気が付いたんだ。
だから、わたしには何も判らない。そう思ったんだ。
「エフェリア……大丈夫……?」
エフェリアの身体は金縛りに遭ったように動かない。唸り声ばかり上げて、身体を震わせている。
……むりやりにでも起こした方がいいのだろうか。悪夢を見ているというなら、醒まさせてあげた方がいいのだろうか。
それとも、悪夢が消えていなくなるまで、側にいるだけの方がいいのだろうか。判らない。もし、わたしだったらどうしてほしい? どうすればその苦しみから解放される?
……判らない。
判らないんだ。
今すぐにでも起こさないと、このまま苦しむだけかもしれない。夢の中で、夢を解くようにしないとまた、悪夢を見てしまうかもしれない。エフェリアにとって、どちらが正解なのか、わたしには判別できない。
でも、それなら。
わたしはどうしたい?
視界に苦しむ姿を捉えて見ているだけなら、それは見ていないのと同じだ。何もしていないのと変わりない。だったら、わたしはエフェリアを抱き上げて、抱きしめるべきだと思う。
それが正しいだとか、正しくないだとか。もう、どうでもいいんだ。
考えたってわからないなら、考えない方がいいことなんて巨万とある。
わたしはエフェリアの向かいに横になって、その小さな身体を抱き寄せた。母親が子をあやすように、背中を摩すって、頭を撫でた。
力になれるかなんてわからない。きっと、ただの自己満足なのだろうと思う。
でも、それでも。
誰かのためを思ってしたことは、無駄にならないと信じていたいんだ――。
しばらくそうしていたら、だんだんとエフェリアの魘される声と、涙は引いていった。
昼下がりの花畑で、涙なんて似合わない。無垢なエフェリアには、笑顔が一番似合っている。そう思うんだ。
「う……ん………………サフィ……?」
エフェリアが潤んだ目を開けて、わたしの名前を呼んだ。
「うん。その……大丈夫だった?」
「ん……」
エフェリアは身体を起こして、目を擦る。その細い陶器のような腕に、涙の跡が着いた。
わたしも起き上がって、乱れた髪を耳に掛けてあげた。長く、尖った耳。熱っぽいのか、エフェリアの顔は淡く桃色になっていた。
「サフィ……」
「うん」
わたしは単調に相槌を打った。悪い癖だ。もう少し、気が利いたことくらい言えばいいのに。わたしにはそれができなかった。エフェリアは潤んだ目に大粒の涙を湛えていた。
「サフィィィ………………!」
エフェリアの声は涙に溺れてしまったようにくぐもっていた。
わたしはどうすればいいかわからなくなって、エフェリアを抱き寄せることにした。膝の上に乗せて、抱っこをするようにする。
背中を摩すって、頭を撫でる。細い身体で、簡単に折れてしまいそうだと思った。
「うぅぅ……あぁぁぁぁぁん――っ!」
エフェリアは安心して緊張が緩んだのか、声をあげて泣いた。とても、哀しい声をしていた。寂しい声をしていた。エフェリアはわたしの背に腕を回して、絶対に離れないように、離れてしまわないように。
強く、強く抱きしめていた。
わたしはまた、なにか失敗したのだろうか。
エフェリアを哀しませるようなことをしたのだろうか。
わたしの自己中心的な頭では、答えを出せそうになかった。こんなに哀しい声をあげるほどまで、わたしはエフェリアのことを追い詰めてしまっていたのだろうか。
空は澄み渡り、太陽が明るく照らしてくれている。花が風に揺れ、優雅に踊っている。
だというのに。
こんなにも哀しいのは、どうしてなのだろう。
判らない。判らないけれど、わたしも涙を――静かに流していた。
お互いの無垢な服に、熱い想いが伝わってくる。
「サフィ……!」
「サフィ……ッ!」
「大丈夫、いるよ――」
わたしには喉から込み上げる熱も、溢れるような想いもなかった。ただ、ただとめどなく涙が頬を伝っていく。
エフェリアに泣いていることが気づかれてしまわないように、冷静を装って彼女の気持ちを落ち着かせようと努めた――。
◆
――しばらくして、エフェリアの気持ちの落ちつてきたのか、次第に涙も、体の震えも引いていった。
いつまでもわたしたちを見守っている太陽が、今は忌々しく思う。
「サフィ……」
「………………うん」
わたしはまた、素っ気ない返事をしてしまった。どうしても、暗い気持ちが拭えない。涙でさえ、この気持ちを洗い流すことはできなかった。
……もしかしたら涙が、隠されていたこの気持ちを暴いたのかもしれないと思った。
エフェリアの慎ましい胸が押し当てられて、細くて今にも消えてしまいそうな小さな心音が伝わってくる。
「サフィ、アタシね」
「アタシ、寂しかったの」
エフェリアはわたしの頭にその重みを預けた。髪が鼻にかかって、あの花の香りが広がった。どの花とも似ない、エフェリアだけの花の香りだと思った。
「サフィとリラがね。アタシを置いて、どこかへ行ってしまう夢をみたの」
「アタシは翅を落としたら同じ大きさになれると思ってね、落としちゃったの」
「……でもね、大きくなんてなれなくって、置いていかれちゃったの」
エフェリアのわたしを抱きしめる力が、また強くなった。
「怖かった……怖かったよぁ……っ!」
せっかく引いていた涙が、また、わたしの肩に染み込んでいった。
「アタシを、アタシを置いて行かないで……」
「ずっと一緒にいて……」
「………………うん」
わたしにはただ、優しく背中を摩することしかできなかった。
リラはまだ、気持ちよさそうに眠っている。
エフェリアが怖がっていたのは、単純なことだった。わたしたちは家族であるとしても、妖精と精霊で種族が違う。なにより、身体の大きさが違う。
リラとわたしは瓜二つで、同じ大きさをしている。いつも仲が良さそうにしていて、一緒にいる。
でも、エフェリアは?
わたしたちの掌より少し大きいくらいの背丈しかなくて、顔も違う。手だって繋いで歩くことが難しい。水の中には入れないし、魔力の痕跡も違う。翅だって生えていて、似ているところがなにもない。
そういう風に思っていたのだろう。
だから、エフェリアは置いていかれてしまうと思った。家族じゃなくなってしまうと思ってしまったんだ。
もっと、もっとわたしが、エフェリアのことを気にかけてあげていたら? 愛を同じように分け与えることができていたら?
エフェリアはこんなに苦しまなくて済んでいたかもしれない。
……最低だ。
わたしはなにも見えていなかった。見ようとしていなかった。大切な家族だと口では言いながら、全然同じ目線に立とうとなんてしていなかったじゃないか。
「――エフェリア」
「大丈夫、わたしはずっと一緒にいるよ」
「どこにも置いていかない」
「大切な……大切な、家族だもの――」
エフェリアの中でなにかが決壊したのだろう。大きな声をあげて泣く声が花畑に響いた。
安心したのだろう。たくさんの涙が零れ落ちていった。
今まで心の裡に溜めてきた不安をすべて吐き出すように、今まで甘えられなかった時間を取り戻そうとするように。
エフェリアはわたしのことを、強く、強く抱きしめた――。




