43-3話:母を尋ねて
――エフェリアはいつの間にか、ママの膝の上で眠ってしまっていた。きっと、安心して心地よくなったんだろう。
リラが消えてしまう心配がなくなったのなら、色々なことができる。リラをもっと、もっと広い世界へ連れて行ってあげられる。
わたしの頭の中には、これからリラやエフェリアと一緒にやりたいことが山のように思い浮かんで、湧き水のように溢れ出て来ていた。
わたしは、お母さんが嘘を言っているとは微塵も疑っていなかった。
だって、彼女はわたしに、あんなに誠実にいてくれたから。
わたしのくだらない不安を、真正面から受け止めてくれた。嗤うこともなく、誤魔化すこともなく、すべてを包んでくれたヒトだから――。
優しい嘘すらも吐けず、話を逸らすことすら下手な彼女が、そんな嘘を吐くはずがないから。
「……わたし、お外に出られるの?」
リラはまだ、実感が湧かないようだった。
それもそうだろう。まだ前までだったから消えてしまうくらいの時間を過ごしていない。
そうなっていたとしても、何日も外にいるわけでもない。
その身で覚えてしまった常識を覆すことは、そう簡単なことじゃないんだ。
「えぇ、もうあなたは消えてしまうことはないわ」
「サフィと離れ離れになることもない……安心していいのよ」
リラはそう言われて、身体を反らせて、背中側からママの反対側にいるわたしの顔を覗き込むようにした。
気の抜けたわたしと顔が合って、微笑む。
「ふふっ……サフィ……!」
リラはわたしに手を伸ばして、繋いだ。わたしも嬉しくなって、思わず口を綻ばせる。
「ねぇ……わたしたち、外に出られるなら、人間の街に行きたいの」
「その……お母さんは、どっちに行けば街があるか知ってる……?」
「えぇ、もちろん」
「このお花畑を抜けて、山を越えた先に、人間の作った道があるわ」
「それに沿って行けば、街に着くはずよ」
「それって……どれくらい?」
「どれくらい……ごめんなさい。あまり分からないのだけれど、そう遠くないとは思うわ」
「その山の上から、その道と、遠くに街が見えるはずだから」
「迷うことはないと思うわ」
山の頂上から遠くに街が見える……それってかなり遠いのではないだろうか……。
なんとなく予想はしていたけれど、かなりの長旅になりそうだった。
だって、ごくごく稀にしか人がやってこない泉だ。しかも、遭難したような人。そんな泉が、森の入口にあるわけがなかったんだ。
とりあえず、知りたいことは知ることができた。後は帰りたくなるまで、ゆっくりと過ごすだけだ。
「ねぇ、マ……お母さん」
「あらあら、うふふ……ママって呼んでいいのよ?」
「もう、いいの!」
「……それで、お母さんってなんの精霊なの?」
わたしは顔を赤くして、口を尖らせていたと思う。自分でも、素直じゃないなと思う。でも、今はまだ、なんとなく恥ずかしいんだ。
その気持ちを誤魔化すように、わたしは他にも気になっていることを訊いてみることにした。
お母さんは森のママだと言うけれど、結局のところどんな存在なのかがいまいちよくわかっていなかった。
「わたくしは……この森の神聖樹の精霊よ」
「くえる……すく?」
「そう、この森の魔力の源……他にも、世界樹だとか、生命樹とも呼ばれていたかしら」
「あぁ、そうなんだ」
そう言われて、ようやくわかった。
北欧神話とかで言う、世界樹『ユグドラシル』が精霊になったようなものか。と。
森のママだと言われているのも、なんとなく自分のママであると錯覚してしまうのも納得がいった。
不意にお母さんはわたしを抱き寄せて頭を撫で始めた。
温かくて、むず痒い。それに少し恥ずかしい。
でも、それをやめてほしいとは思わなかったんだ。お母さんに頭をなでられていると、無意識に感じている不安や責任に黒く塗り潰された心が洗われていくような気がする。
「その……もう少し、こうしていてもいい……?」
わたしはお母さんに寄りかかって、その温もりに身を預けていた。リラとはまた違った温かさがあって、とっても落ち着く。
「えぇ、もちろん……わたくしはあなたたちのママだもの」
「好きなだけ、甘えていいのよ」
その言葉のおかげで、いくらか楽になれる。
リラも、今まで感じたことのなかった母の温もりを感じていたいようだった。身体を預けて、うつらうつらと舟を漕いでいた。
それを見ていたら、わたしもだんだんと眠くなって来て、ママの温もりに抱かれながら眠りについたんだ――。
◆
眠りが浅くなって、ママの優しい歌声が耳に入ってきた。透き通るような、真珠のような声で、ゆったりとした音色の歌だった。
――キレイな歌……誰の声だっけ……。
――そうだ、ママのところに来て……どうしたんだっけ……。
あぁ、そうだ。
そろそろ家に帰らないと……。
わたしはゆっくりと目を開けて、また少し、考えていた。
家って……なんだろう。と。
泉はたしかに帰るべき場所だ。けれど、そこにママはいない。ママが待ってくれている場所が家なんじゃないか。そう思ったんだ。
「あら……? 起こしちゃったかしら」
体重のかかり方が変わったことに気が付いたママが声を掛けて、頭を撫でてくれた。
「ん……そんなことないよ」
わたしは目を擦って、夢でボヤけた視界を元に戻した。ママの匂いを嗅ごうと、肩に擦り寄ったんだ。
ママは黙って、わたしのことを撫でてくれた。
できることなら、ずっとこうしていたい。そう思ってしまった。けれど、それじゃダメなんだ。
「リラ、エフェリア、起きて。そろそろ帰るよ」
わたしはまだ気持ちよさそうに眠っていたふたりを起こすことにした。ふたりには悪いけれど、もう既に日が傾いて来ている。
今のうちに帰らないと、光が一切ない森では帰ることはできなくなってしまう。
「ん……おはよ……?」
「ん……もう帰っちゃうのン……?」
エフェリアは目を擦って、かわいらしいあくびをした。
「ここはエフェリアのお家だろうし……残っていく?」
「ううん……サフィとリラと一緒がいいわ……」
「ふわぁ……ママも来てくれる……?」
「ごめんなさい、エフェリア」
「わたくしはもうしばらく、ここに残っているわ」
「そう……? 残念……」
わたしはもう、ここでみんなで眠って、朝まで過ごしてしまえばいいんじゃないかな。なんてことを考えてしまった。
暮らしてしまえばいいんじゃないかな。なんてことを考えてしまった。
でも、それじゃダメなんだ。そうしてしまったら、わたしはもう、抜け出せなくなってしまう予感があった。
その心地良さに溺れて、前に進めなくなってしまう予感がしたんだ。
……だから。
だから、わたしたちはあの泉に帰らなくちゃいけない。
わたしたちは身なりを整えて、ママに向き合った。
「ママ、またね……っ!」
リラがママに抱きついて、頬擦りした。
ママもそれを拒むことはなく、受け入れてリラの頭を撫でる。
一瞬、驚いたようにしたけれど、微笑んで抱き返した。
「あっ! リラったらズルいわ! アタシも!」
エフェリアもリラに続いて、ママに抱きついた。微笑ましい。できることなら、ママだってずっと一緒にいてほしいと思う。
わたしもお礼を言わないと……と思って、ぎこちなく口にした。
「その……ありがとう、ママ……」
「もう……サフィは素直じゃないのね」
「ほら、おいで……」
わたしは躊躇いつつも、ママの腕に抱かれた。
……やっぱり、温かい。いい匂いがして、心の底から安心してしまう。
リラと一緒に、ママの胸に顔を埋めた。その優しい匂いを忘れまいと、大きく息を吸って、吐き出した。
「……もう大丈夫、ありがとう」
「わたくしは、いつでもあなたたちの味方よ」
「うん――」
――わたしたちはママに手を振って、泉へと帰っていった。
ママはわたしたちの姿が見えなくなるまで、小さく手を振ってくれていた。
リラとエフェリアも、ちらちらとママの方に振り返っては、咲って手を振り返していたんだ。
わたしも、もう少し……見ていればよかった。もう会えないワケじゃないだろうけれど、その姿が目に焼きつけられるまで、見ていればよかった。
そんなことを思ったんだ――。




