42話:なんでもない、ある朝のこと
日が昇り始めて、空はすっかり朝を迎えていた。
夜の気配はもうどこにもなく、森も霧を払って眠気を飛ばしていた。
「ふあぁぁぁぁ……」
リラが小さなかわいらしい口をめいっぱい広げて、朝の新鮮な空気を取り込んだ。夢の名残りを落とすように目を擦って、まだ眠たそうなその目をゆっくりと開ける。わたしと目があって、幸せそうに咲うんだ。
「おはよう、リラ」
「ん……おはよ、サフィ」
わたしたちはおはようのキスをした。もちろん、頬に。
抱き寄せた勢いで、リラのいい匂いがふわっと広がって、わたしの鼻腔をくすぐる。そして、わたしはどさくさに紛れてリラの首筋に顔を寄せて、その匂いを堪能していたんだ。
「サフィのえっち……」
「……えっちじゃないもん」
「じゃあわたしもそうする」
リラにそんなことを言われて、首筋にリラの温かい息がかかる。それがなんだかむず痒くって、くすぐったい。それを我慢するために、リラを抱きしめる力が少し強くなる。
そうすると、リラもわたしを抱きしめる力を少し強めるんだ。真似っ子をしているみたいで、かわいいと思った。
「やっぱりえっちかも……」
「わたしはえっちじゃないもの」
「サフィが悪いんだから」
そうやってしばらくの間、朝冷えした身体をお互いの温もりで温め合うようにしていた。
腿をすり合わせて、背中を撫でる。
リラの細い身体のラインは少しだけ心配になってしまう。あまりにも無駄がなくて、美しい。それなのに、女の子らしい肉付きと柔らかさがある――。
「……さて、そろそろ顔を洗いに行こっか」
思考の海に浸かっているとやましいことを考えてしまいそうだったから、現実へと帰って来る。
だというのに、リラはわたしのことを離してくれなかった。
「サフィ……連れてって……」
リラはわたしの首にぶら下がるようにして、体重を掛けてくる。
「まったく……あまえたさんだね……」
「そんなことないもーん」
わたしはため息を吐きつつも、リラを抱き上げて泉へと足を運んだ。
……どうしてくれようか。
このまま泉に投げてしまおうか。
そんなことを考えて、やめた。
リラにヒドイことはしたくない。わたしのかわいいお姫さまなんだから、めいっぱいかわいがってあげようと考え直した。
泉の上でリラを降ろして、ふたりして顔を洗う。夢の名残りを念入りに落とすように、冷たく澄んだ水を顔に掛けんだ。擦らずに、ただ濡らすように。
そして、ふわふわのスカートの裾で濡れた顔にぽんぽんと触れさせる。
ついでに魔力がたっぷりと含まれているその泉の水を両手で掬って飲む。
身体の裡にスッと冷たくて美味しい水が入ってきて、なんとも言えない快感が身体に広がる。水は冷たいのに、それに含まれている魔力はとても温かくて、変な気分だ。
けれど、それがこの身体にとってはとても心地良いものとして感じられる。
リラも同じようにして、泉の水を飲んでいた。
「サフィ、今日も髪をオシャレにしてくれる?」
「うん」
「でも、その前にエフェリアを起こしてあげよ」
朝起きて、おはようのキスをして、顔を洗って、髪を梳く。これがわたしたちの朝の習慣になっていた。なんでもないただの日常だけれど、それが一番、幸せであるようにも感じていた。
さっきまで眠っていた畔に戻ってきて、まだ丸くなって眠っているエフェリアを起こしてあげる。
指先で優しく、頬をつつく。もちもちとしていて、クセになりそうだと思った。
「エフェリア、起きて。朝だよ」
「ん……」
「ん~……っ!」
エフェリアは伸びをして、背中に生えたキレイな翅をバタつかせる。
女の子座りになって、眠たそうな顔でわたしたちを見上げる。そして、わたしたちの顔を見て、はにかんだ。
「おはよっ♪」
「うん、おはよう」
「おはよ、エフェリア」
それぞれにおはようの挨拶をして、手を差し出すと、エフェリアは飛んでその手に乗る。顔の近くに持ってきて、おはようのキスをする。
それをリラとわたしに毎日している。ささやかな愛情表現ではあるけれど、それだけで、なんとなく心が温かくなるような気がしているんだ。
エフェリアも顔を洗って、両手いっぱいの水を飲む。
そうしたら、いよいよ髪を梳く時間だ。
「エフェリアの髪はわたしが梳いてあげるね」
リラは小さい櫛を取り出して、膝の上に乗ったエフェリアの髪を優しく梳いていく。こうして見ていると、お人形で遊んでいる女の子にしか見えなかった。
わたしはそうしているリラの髪を梳いていた。リラの髪は、相変わらずたおやかだった。手に乗せると少し光が反射して、淡く光る。周りの光を吸収して、色とりどりの髪色に染まって、キレイなんだ。
髪が傷つかないように、軽く手に掴めるだけの髪を持って、櫛を添えながらゆっくりと降ろしていく。
何度も、何度も。糸が解けるように整っていく髪を見ていると、なぜだか口が綻んでしまう。
きっと、これが愛というものなのだろう。今までも当たり前に感じていたような感情の名前を知って、胸の奥が温かくなる。
リラとエフェリアが鼻歌を歌っている。歌になっているのかさえ怪しい、めちゃくちゃなリズムだけれど、とても楽しそうに歌っているんだ。
「~♪」
わたしはその歌に耳を澄まして、この穏やかな時の流れの感傷に浸る。
幸せだ。
ただ、ただその単純で愛しい気持ちが胸に広がっていく――。
けれど、その幸せな時間も、すぐに終わりが来てしまう。名残惜しいと思って、ワザと髪を梳く量を減らしてみたり、もっと、もっとゆっくりにしてみたりする。
やり残しがあるかもしれないと思って、同じ場所を梳いてもみた。それだと云うのに、リラの絹のように艶やかな髪は無情にも指の間を抜けていって、解けてしまう。
少し踊っている毛先を指に巻いて弄る。少しひんやりとした感触が妙に心地よく感じた。
どうせだから、と。わたしは指で髪を分けて、髪型を変えることにした。
今日は何にしようかな、と考えて、シニヨンヘアにすることにした。
シニヨンヘアは少し複雑だし、三つ編みをする時間もある。少しでも長くリラの髪に触れている言い訳がほしくて、そんな選択をした。
リラの長い髪をみっつに分けて、少しだけとった両端の束を三つ編みにしていく。キツくしたほうがキレイかもしれないけれど、跡がついてしまうから優しく結んだ。
毛先は魔力で編んだ糸を使って留める。中央の髪も緩くまとめて、ボリュームが出るようにする。髪を留めるのはこの前作ってもらった青色のリボンにした。そうしたら、尻尾の部分を捻れさせて、丸め込む。
それをこの前作った簪で留めて、さっき結った三つ編みを巻き付ければだいたい完成だ。
仕上げとして耳先に触角を作ったり、トップの髪を少し引き出してふんわりとした仕上がりにする。
普段は長い髪に隠れているうなじが露わになって、少し跳ねた、短い髪が。その細い首が。ヤケに艶めかしく映った。
「――リラ、終わったよ」
まだ触れていたかったけれど、どうしようもなくなってしまったからリラに声を掛けた。そうしたら、リラはとびっきりの笑顔でわたしに言うんだ。
「ありがと♪」
「どう……? かわいい……?」
「うん。とっても」
「じゃあ、次はサフィの番ね♪」
わたしはリラの隣に座って、エフェリアを預かった。
掌にエフェリアを座らせて、リラに整えられた髪に触れて、頬を指で撫でた。
「むぅ――」
エフェリアは頬を膨らませつつも、わたしの指に頬擦りしていた。
イヤではないらしい。
エフェリアの髪型はリラに手によってハーフアップにアレンジされていた。
よく見ると、エフェリアの髪にはわたしの作った小さな簪が着けられていた。腕にもシュシュが着けられている。これまで意識して見ることがあまりなかったけれど、エフェリアもこの前の贈り物を大切に使ってくれていることを知ることができて、なんだか嬉しかったんだ。
――女の子にとって命よりも大事だとさえ言われる髪を、他の誰かに梳いてもらう。
これはある一種の愛なのではないだろうか。
そんなことを考えている。
わたしは目を閉じて、リラの鼻歌に耳を傾ける。わたしの髪を梳く音も聞こえてくるような気がする。
髪が梳かれる度に、スゥッと心の中の乱れが整っていくような音。
もうそろそろで終わっちゃうなぁ。なんて思っていたら、リラもわたしの髪をオシャレにしてくれようとしているのか、何やらイジっているようだった。
「うーん……?」
「ねぇ、サフィ、わたしの髪、どうやって作ってくれたの?」
「あぁそれはね……どう説明すればいいんだろ……」
リラもわたしの髪をシニヨンヘアにしてくれようとしていたみたいだった。けれど、わたしもどのように説明すればいいのかよくわからない。実演を見せてあげられればいいんだけど、あいにくカツラとかはない。
――どうにかして四苦八苦しながらも結び方を伝えて、リラとわたしは同じようなシニヨンヘアになった。
泉で髪型を確認し合って、顔を合わせて微笑んだ。
……もしかしたら、分体を作ってカツラ代わりにすればよかったかもしれない。と、気がついたときには遅かった。けれど、手間取っていた時間も決して無駄ではなかったように思う。とても楽しい時間だったんだ。
「ふふっ、サフィとお揃い♪」
「そうだね」
「いいなっいいなっ」
「アタシも髪が伸びたら、一緒にしてくれる?」
「もちろん、するよ」
そんな、なんでもない朝を。
わたしたちは過ごしていたんだ――。
えっちだと口にしてしまうのはいささかロマンが足りないのではないか?筆者は訝しんだ。




