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36話:異常な学園生活

 ミッドガル帝国は複数の事件によって、壊滅的な打撃を受けていた筈だった。だが現実は異常だった。

 何かの統一された意思のもと圧倒的な速度で復興した。資源は豊かで、貴族と市民の争いはなく、外の脅威に脅かされることもない平和な世界。


(こんなに平和なのは異常だ。しかしその原因が分からない)


 異民族、先史文明の遺物、ダンジョンの落下、ロイヤルダークソサエティ、世界封鎖機構からの干渉を受けて、国の統治体制は崩壊したのだ。


(だからこそ新しい統治を始める良い機会だったが、先を越されたな)


 何かしらの存在が『平和な世界』を構築している。これが幻術か、意識への干渉か、あるいは現実改変による結果なのかはわからないが、少なくとも『斜陽国家を安定した国家に設定した』という事実は確かだ。


 それを探るため、ラスティとエクシアはミッドガル帝国へ潜入することになった。この学園の教師をしているカナタ・ストンケインがロイヤルダークソサエティに所属しているからだ。


(問題を解決できなくても、何かしらの手掛かりがあることを祈るしかないな)


 ミッドガル総合学園の春は、いつもより少しだけ騒がしかった。古びた校舎の窓から舞い込む桜の花びらが、教室の床に淡い影を描いている。朝のホームルームが始まる直前、扉が静かに開いた。


「今日から転校してくる生徒を紹介する」


 現れたのは、息を呑むほど美しいエルフの少女だった。長い髪はまばゆい金色。陽光を浴びるたびに溶けた蜜のように輝き、肩を越えて腰まで流れる髪は、見る者の目を奪うほど完璧な曲線を描いていた。


 瞳は深い青、極北の氷海を閉じ込めたような、どこまでも澄んだ蒼。


「エクシアよ、よろしく」


 その声は鈴のように澄み、教室の空気を一瞬で変えた。彼女は迷いなく、ラスティ・ヴェスパーの隣の空いた席へと歩み寄り、優雅に腰を下ろした。

 瞬間、教室が沸いた。


「金髪に青い瞳……マジでエルフの王族じゃねえか?」

「美人すぎて目が痛い……呼吸が止まりそう」

「あれが転校生って……もう死んでもいい」


 囁きが嵐のように広がる中、ラスティだけが窓の外の桜を眺めたまま、興味なさそうに欠伸を噛み殺していた。


 昼休み。

 屋上へ続く階段の踊り場。エクシアはラスティの前に立ち、長い睫毛を伏せて微笑んだ。金色の髪が風に揺れ、陽光を反射して小さな虹を作っている。


「改めて、転校生のエクシアよ。人間社会の常識には詳しくないから教えられたことは全部メモに纒めて……あら、メモがないわ。メモとペンを貸してもらえないかしら?」


 完璧な演技だった。彼女は人間社会の常識など、とっくに把握し尽くしている。それでもわざと首を傾げ、青い瞳を潤ませてみせる。


 金色の髪がさらりと肩から滑り落ちる仕草までが計算され尽くしていた。ラスティは笑みを浮かべて内ポケットから小さな黒いノートと、使い古されたペンを取り出し、無造作に差し出した。

 その瞬間、踊り場に居合わせた男子生徒たちが凍りついた。


「……マジかよ」

「あのラスティが……金髪青瞳のエルフに貸すって……」

「殺す。絶対に殺す」


 ざわめきが爆発寸前まで膨れ上がる。ラスティは片手をひらひらさせてつぶやいた。


「散れ散れ」


 一瞬で、男子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。

 放課後、夕陽が差し込む図書室。エクシアはラスティの隣に腰を下ろし、声をひそめた。金色の髪が肩からこぼれ落ち、テーブルの上に光の帯を描いている。


「ねえ、エアリス第二王女について、もう少し詳しく教えてくれる?」


 ラスティは本を閉じることなく、淡々と語り始めた。


「銀髪紅い瞳の美人。成績は常に上位、性格は優等生だが負けず嫌い。第二王女だから周囲の期待も大きくて、本人もそれを背負ってるタイプだ。剣士の腕は基本に忠実な汎用型、派手さはないけど隙が少ない。特異な能力は確認されてない。家の決まりでカナタ・ストンケインっていう剣術師範代と婚約してるけど、本人は明らかに嫌がってる。──以上かな」


 エクシアは静かに頷いた。青い瞳が、どこか遠くを見据えるように細められる。金色の髪が夕陽に染まり、まるで炎のように揺れた。


「……ありがとう。助かるわ」


 その声は、演技ではなく、本物の感謝が滲んでいた。翌日、剣術実技の授業。

 剣術実技の授業──午後の陽射しが最も強くなる時間帯。

 実技場は熱気と歓声に包まれていた。今日の授業は対人形式の実戦演習。

 生徒たちは二人一組で木剣を交え、技量を競う。教官の視線が鋭く行き交う中、ペア決めのくじ引きが終わった。


「ラスティ・ヴェスパーと……エクシア、か」


 教官の声に、場内がどよめいた。



「あのラスティと金髪エルフ……これは見ものだな」

「エクシアさん、圧勝だろ。ラスティなんて一撃で終わりそう」

「でもなんか……ラスティ、妙に落ち着いてるな」


 ラスティはいつものように木剣を片手にゆっくりと立ち上がった。対するエクシアは、金色の長い髪を高く結い上げ、青い瞳を静かに細めて微笑んでいる。


 実技場の中央。桜の木が影を落とす円形のフィールド。二人は向き合い、軽く木剣を構えた。


「よろしくね、ラスティ」


 エクシアの声は穏やかで、どこか楽しげだった。ラスティは小さく頷いただけ。

 教官の笛が鳴る。瞬間、エクシアの姿が消えた。風を切る金色の残光。

 次の瞬間、彼女はラスティの懐に滑り込み、木剣を鋭く振り上げる。あまりの速さに、周囲の生徒たちが息を呑む。だが、ラスティは動いた。一歩だけ横に滑り、木剣を斜めに払う。

 完璧なタイミング。まるで相手の動きをすべて読んでいるかのような、静かで無駄のない動作。


「え……?」

「ラスティが……避けた!?」


 観客席から驚きの声が漏れる。エクシアの青い瞳が一瞬、鋭く光った。次の瞬間、彼女の剣が嵐のように加速する。


 上段からの中段払い、返す刃で横薙ぎ、足払いを織り交ぜた連続攻撃。金色の髪が翻り、青い瞳が炎のように燃える。


 一撃一撃が正確で、美しく、そして容赦ない。ラスティは、踊るようにそれをすべて受け流し、逸らし、避けていく。


 木剣がぶつかる音が連続して鳴り響く。だが、誰も気づいていない。ラスティの足が、ほんの少しずつ後退していること。彼の防御が、ほんの少しずつ甘くなっていること。そして、エクシアの青い瞳が、静かに、確かに、主の意図を読み取っていること。


「……っ!」


 最後に放たれたエクシアの一閃。木剣がラスティの脇腹を正確に捉え、彼の体が大きく仰け反る。ラスティは木剣を落とし、その場に膝をついた。そして、ゆっくりと、まるで糸が切れた人形のように、地面に倒れ込む。気絶した。

 静寂が、実技場を包んだ。


「……勝者、エクシア!」


 教官の声が遅れて響く。観客席がどっと沸いた。


「やっぱりエクシアさん強すぎ!!」

「ラスティ、一瞬だけすげえ動きしてたけどな……」

「でも最後は完敗か……まあ当然か」


 生徒たちが騒ぐ中、エクシアは静かに木剣を下ろした。金色の髪が風に揺れ、青い瞳が倒れているラスティを見下ろしている。その瞳には、誰にも見せない、ほんのわずかな笑みと、そして深い理解が宿っていた。


(ラスティ……本当に学園に馴染む設定を徹底して守っているわね)


 彼女は誰にも聞こえない声で呟き、ゆっくりとラスティに近づいた。倒れたラスティの頬に、桜の花びらが一枚、静かに落ちた。

 演技は、まだ終わっていない。


 実技場の端、古い桜の木の下のベンチ。

 ラスティは木剣も持たず、背もたれに凭れて眠っていた。風に揺れる黒髪が額にかかり、寝息が静かに響く。小さな手がそっと肩を揺らした。


「……ラスティ」


 薄く目を開けると、すぐ近くにエクシアの顔があった。金色の髪が夕陽を受けて燃えるように輝き、青い瞳が真っ直ぐに見つめている。


「なんか悪夢を見た気がするな」


 ラスティは寝ぼけた声で呟いた。エクシアが静かに尋ねる。


「どんな夢?」


 ラスティは空を見上げ、ぼそりと、他人事のように言った。


「世界を牛耳る悪の組織によって世界が滅びる五秒前」

「それは現実ね」


 風が止んだ。木の葉が一瞬、音を失う。エクシアはゆっくりと微笑んだ。その笑みは、どこか哀しげで、どこか決意に満ちていた。

 青い瞳が、確かに、未来を、影を、そして滅びのカウントダウンを映していた。桜の花びらが、二人の間に舞い落ちた。


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