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熊と人の「生存競争」

作者: 暇庭宅男
掲載日:2025/10/17

もうここ5年くらいの間、熊はもう山で出くわすだけの獣ではなくなった。


人口5万人程度の町なら年1で中心街まで遠征してくるし、いわんや農村地域などは「ちょっとお出かけ」程度の気軽さで熊がりんごや柿を当然のように食べに来る。人の住まなくなった廃屋の物置にニホンミツバチが巣食い、それを狙って熊が壁を腕力でブチ抜いたということさえも今年起こった。


熊と出くわせば例えどんな場所にいようが命の危機であることに間違いはないのだが、

そも、熊と人間の問題とはなんなのか?

それをちゃんと書いてみようと思う。

日本だと北海道にはヒグマがいるが、本州ではもっぱらツキノワグマが人と接触し事故につながるので今回はツキノワグマのみに焦点を絞る。季節は冬以外ならいつでも起きうるので、少なくとも雪がない季節はいつ起きてもおかしくはない。


だがなぜ、数いる野生動物の中でも熊が最も人との事故を起こすのだろうか?体格の大きさ?攻撃性の強さだろうか?


私は違うと思う。もちろん体格は脅威ではあるし子連れの母グマの攻撃性は日本にいる哺乳類の中では他を隔絶して強いのだが。

一番肝心なのは、熊と人の食べるものはほぼ同じであり、同じ食性を持つ者同士の生存競争が起きていること。これに尽きると思うのだ。


季節を絞り熊との遭遇の多い秋だけで例を挙げてみよう。野生の熊はブナの実を主食とし、また甘味のあるキイチゴやヤマブドウ、柿の野生種であるマメガキ、安全に手に入ればシカやイノシシなど大型動物を食べることもある。釣り人に言わせればニジマスなどいる沢ではニジマスを狙うこともあるとか。ヒグマが鮭を狙うのは有名だが似た行動がツキノワグマにも見られるらしい。


さあ上に挙げたものを人間にスライドしてみよう。

秋になるとヒトは秋の味覚として栗をしばしば愛好し、また秋の果物として柿やブドウ、リンゴをよく食べる。畜肉は年中食卓にのぼるが、動物性たんぱくとしては特に秋、サンマや鮭を好んで食す。


どうだろう。人間の食べるものはクマも例外なくおいしく食べられるのではないだろうか?雑食性の獣は数あれど、人間とここまで食べるものが似通う獣は少ないと思う。


タヌキなら食べ物の選択肢に昆虫やネズミなどの小動物が入ってくるし、ハクビシンは、ほぼ果実食と言っていいほど植物食に偏っている。イノシシなら地面を掘り返してミミズを食べるし、デンプン質を蓄えた草の根を食べたりもするらしい。こう考えると熊とヒトは最も、共通の食性を持つことがおわかりいただけると思う。


食べるものが同じ種どうしでは、種間競争といって資源の奪い合いが激しくなる。サバンナで大型動物の肉を巡り、ライオンとハイエナとハゲタカが争い合うシーンなどはテレビでもおなじみだ。ヒトと熊はこの競争をそのまま日本で行っているのではないかと、私はよく考えている。


野生動物保護、などと美しいお題目を目にすることも多いが、あいにく熊とヒトはそんな優しい綺麗な世界には生きてなどいない。いち百姓として、それは声を大にして言いたい。

熊とヒトは、本質的には食べるものを奪い合って相争う関係なのだ。人間が育てた栗など、売るために、あるいは自分がおいしく食べるために手をかけ山中の柴栗やブナの実などよりはるかに大きく美味である。当然栄養価も高い。熊の立場に立てば人里に足を伸ばし、人間の育てた立派な栗を食べるというのは当たり前のことだ。なにせこのあとには厳しい冬が待っている。冬になればたっぷり4カ月もの間、食糧を口に出来なくなってしまうのだ。生きるか死ぬかの土壇場で「ヒトが育ててるものだから……」などと遠慮するほうがおかしい。柿だろうがリンゴだろうがブドウだろうがそれは同じことだ。


一方人間とて熊の都合など呑んでいられない。

自分が食べるために作っていたり、もしかしたら栗を育てて売ることが生業の人間もいるかもしれない。もし熊に生産物を食われて生計が立てられなくなれば、それはもうほとんど死に等しい。人間側のほうが余裕があるなどと思うのは、企業勤めの報酬で困らず食べていける人だけだ。しかも熊を放置することでもって、いくら金があっても栗が買えぬ、柿が買えぬ……などということになるかもしれない。


だから、熊を上から目線で、「自然の中の尊い命」などとのたまうのはただヒトの傲慢ゆえなのだ。熊は立派な、「ヒトと対等な」敵である。明日の命をかけ互いに譲れぬ生存競争を戦う敵なのだ。皮肉なものだ、野生の動物を愛でるという視点で熊を見ることそのものが、むしろ熊を、食糧生産に携わる人々さえも冒涜することに他ならないとは。


有害鳥獣駆除の名目で銃を所有するハンターは年々少なくなりつつあるが、我々はその意味を本当に理解していると言えるだろうか。それとも熊の胃袋に我々が食べるはずだった食糧がすっかり入ってしまったあとに、熊に気兼ねしなければ外を出歩けない屈辱に打ち据えられたあとに、ようやく熊との関わりについてメルヘンチックなおとぎ話を長らく信じていた事実に気がつくのだろうか。

近年熊に対しての様々なニュースを聞くが、なんかそもそも熊に対する意識が間違っていないか?とずっと考えていた。

人をけがさせたら……とか、作物の味を覚えると人里に頻繁に下りるようになり……のもっともっと前に、生き物どうしの生存競争が起きているという厳しい現実を見据える必要があるのではないか?と思うのだ。

この世に生まれ落ちた瞬間から、熊と人は互いに、同じ世界に平和に暮らすことなどできない生物なのではないか、と。

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