バーチャル世界
深く暗い闇の底で、少女は微笑む。
「やっと、この時が来た。」
重い腰をあげて、フラフラと幽鬼のように、
歩み出す。
「待っていてね。愛しい人。」
俺の名前は、矢巾 素空。
大学生活2年目。
これまで我慢して貯めてきた、預貯金ぜんぶはたいて買った、このゲーム。
未知のバーチャル世界へと飛び立てる、夢のゲーム。
「ついに手に入れた……手に入れたぞ!!!」
《バーチャル無双》
1LDKのボロアパートの一室に、不似合いなほど大きな機械の塊。まるでヒーローが身につけるような、アーマードスーツ、それに、武士の甲冑のようだ。
「うっ、やっぱそこそこ重いな。」
手、足、頭と順に、それを身につけていく。
30万円……あまりにゲームにしては破格の金額となっているが、実はこれも知り合いから譲ってもらったお得な値段で、実際のところは、50万。
軽く、中古の軽自動車が買えてしまうくらいの値段である。
身につけた後、アイマスク横の起動スイッチを押す。
途端、視界が眩しく光り、目を瞑る。
そして、気がつけば、夕陽に照らされた荘厳な野原が広がっていた。
動物たちが、悠々とその景色の中を歩いている。
まるでテレビの中で見るような、優雅な景色。
体をペタペタと触る。
現実と変わらない感覚。
柔らかな風を感じる。
気持ちのいい風に思わず、目を閉じて、
深呼吸をする。空気が美味しい。
ほっぺたをつねる。
……夢じゃない。
俺はついにきたんだ。
このバーチャル世界に!!!
しばらく歩いてみる。
そこには、現実と変わらないニオイと、草を踏み締めた感触。そして、一匹の馬の前に来る。
そーろっと、その体躯に手を当ててみた。
すると、馬は自分から顔を擦り寄せて、ブルルルとかわいい鳴き声をあげる。
「わぁ〜!」
俺は思わず顔が綻び、つい時間を忘れてしばらくの間体を撫でてしまっていた。すると、不意に後ろの方から声がする。
「あの、」
僕は、驚いてビクンと、体を震わせた。
おそるおそる後ろを振り返ってみると、そこには少し耳の長い民族衣装?のような格好をした女の人がいた。とても綺麗な人だ。
「それ、私の馬。」
「あっ!?すいません!つい!」
女の人は俺に目もくれず、馬の方に歩み寄る。
「よしよし。」
夕陽に照らされて、馬を慈しむように撫で、微笑んだその顔はまるで女神のようで、俺は思わず見惚れてしまっていた。
しばらくすると彼女は馬に跨り、俺の方を見て、言った。
「乗せてあげる。」
「え、いいんですか?」
「この辺り、夜になると魔物が出るの。危険だから、早く乗って。」
俺は言われるがまま、馬に跨る。
彼女が、馬を軽く撫でると、
馬はそれまでの緩やかな動きが嘘であったかのように、野原を風のように駆けた。
「着いたよ。」
気づくと、そこは暗い洞窟の前。
馬がフルフルといななく。
「どうどう。よし、それじゃあ中に入ろう。」
「は、はい。」
火を焚べた薪が辺りを照らしている。
「それで、あなたはどこから?」
「えーっと、その、ゲームのチュートリアルとかって………」
「……ゲーム?チュート、リアル?なにそれ?」
「えっと、まずどうしたらいいのか、わからなくて……」
「……………」
女性は訝しむようにこちらを見る。
「あー、いや、ははっ。」
俺は、先ほど魔物が出るとこの女性が言っていたのを思い出して、あることを思いつく。
「あのー、武器とかって……」
(スッ………)
彼女の手が見えない暗がりの中で伸び、次の瞬間、目の前には短刀が突き出されていた。
「ひっ!?」
「あなた、迷い人かと思ったけれど、やはり怪しいわね。」
「いや!ちょっと待って!!!怪しくなんてありません!!!」
俺はアタフタとして、後ろずさりする。
彼女は訝しむようにこちらを眺めたあと、ゆっくりと呟いた。
「もう一度聞く、あなたはどこから来た?」
「そ、外の世界から。」
「外の……世界?」
しばらくの間、俺は事のあらましを話した。
「ふむ、俄には本当のことだとは思えないが、まぁ、とにかく、君の様子を見る限りこちらに対する敵意も見られなければ、武器もなし。警戒する必要はないだろう。」
女性はやっと、短刀を下ろしてくれる。
俺は、ほっと胸を撫で下ろす。
(わ、分かってもらえてよかった。)
しばらくの間、静寂が流れる。
「あ、あの、すいません。そろそろお暇させてもらいます。」
「お暇って、君、外には魔物がいるといっただろう。」
「あー、違うんですよ。外の世界に。えーっと、確か、右の脇の後ろにスイッチが……。」
しばらく後ろのスイッチを探していたが、なかなか見つからない。
(あれ?おかしいな?こんなに触ってもボタンが見つからないなんて……見つからな……)
「あ、あれ???」
「どうした?」
(い、いや、そんな馬鹿な!?)
「どうした?息が荒くなっている。」
女性は少し心配した様子でこちらを見つめる。
(手は?足は?……素足と衣服の感触しか感じられない。)
「はぁ……はぁ……」
「こっちを見ろ。」
荒くなった息が彼女の顔に掛かるくらいに、耳を両手で塞がれて、眼前に美しい青眼と白色の肌が近づく。
「大丈夫だ。ゆっくり息をして。」
彼女の言う通り、段々と息を落ち着かせていく。
「よし。」
彼女はそう言って、少しばかり俺から距離を離した。
「今日はもう遅い。寝よう。」
「は、はい。」
彼女から手渡された、あたたかい毛布を体に巻き付けて俺は眠った。
チュンチュン、と鳥のさえずりが聞こえる。
「ふぁー。」
欠伸をしながら、起き上がり手を伸ばす。
「ん……あれ?」
いつもと変わらない、俺の部屋だ。
だけど、何かを忘れているような。
「………あっ!?」
だんだんと頭がハッキリしてくる。
戻れてる!あの世界から!!
見ると、部屋の片隅にあのアーマードスーツのパーツが無造作に投げ捨てられて、置かれている。
「ともかく、よかった。一体なんだったんだ。」
俺は、時計を見る。
午後の2時半、休日だから学校はないけれど、
やっぱりまだ体が重い。
気づけば、俺は軽く夕食を取って、風呂に入ってからまた眠りについていた。
「おい、お前!大丈夫か!?
おい!おい!!たのむ、目を覚ましてくれ!!」
まどろみのなかで、響いた声が聞こえる。
あの女性の声だ。
「くそっ!!!」
少し離れた場所から知らない男の声がする。
「やぁ、嬢ちゃん。持ってる物全部よこしな。」
「痛い目に遭いたくなかったら、大人しくしておいた方がいいぜ。」
足音が迫っている。
「断る。貴様ら、盗賊か。」
女性は、ズサッと後退りする。
「へへっ、随分の高そうなものを身につけているじゃないか。」
「おら、抵抗するなよ。」
「ダメだ。やめてくれ。クソッ」
俺は、目を覚ます。
そこは変わらず、俺の部屋。
先ほど見た光景が、脳裏に焼き付いている。
俺は部屋の片隅にある、アーマードスーツに手を掛ける。
「………いくか。」
女性が片腕を掴まれ、抵抗する。
「いや、やめ………」
男は強い力で押さえ付ける。
「へへっ、覚悟し………」
「おい。」
俺は、女性を掴む男の手を、強く握る。
「その汚ねぇ手を離しやがれ。」
「ッ!?」
男は手を離し、痛がるそぶりで押さえている。
「この!!」
もう1人の男が、俺に斬りかかる。
俺は振りかぶった拳を、眼前に向けた。
拳は男の顔を掠め、後ろの壁を粉砕する。
………ん?粉砕?
壁はガラガラと音を立てて、崩れていく。
「な、ななっ!?」
男は振り返り、驚愕の表情を浮かべる。
俺はよく分からなかったが、その事に驚きを隠せずにいながらも、慄く盗賊に、ふたたび拳をあげて見せた。
「ひ、ひぃー!?すいません!!!」
盗賊は走って逃げていく。
気づけば、静かな洞窟に2人。
とりあえず、難は去ったようだった。
「た、助かったよ。」
女性は上目遣いで、へたり込んでいる。
「もう、大丈夫です。無事でよかった。」
俺は彼女に、笑顔を向けた。
女性は俺の体を隅々まで確認する。
「怪我はなかったか?」
「え、えぇ、大丈夫です。」
すると、彼女は俯き、少しばかり考え込んだ表情で固まる。そして、彼女はおもむろに、俺に話し出した。
「私の仲間になってくれないか?」
突然の申し出に、俺はキョトンとする。
「仲間……ですか?」
「そうだ。これからまた旅に出る。仲間が欲しかったんだ。」
女性は凛とした表情で、俺を見つめた。
「とりあえず、元の世界に………」
とは言っても、やはりゲームを出るボタンは見当たらない。とりあえずは、再び眠りにつく事で、一旦外に出れるか試してみるか。
救急車のサイレンが鳴り響く。
「素空!!素空!!!」
「お母さん、息子さんを乗せますから。少し下がってください。」
体の装置は外れていた。
意識は戻らない。