第7話
秘密結社のアジトへ入るためには面倒な手続きを五つ六つクリアしなければならない。
今回はとある服屋で特定の買い物をして、渡されたポイントカードをレンタルビデオ店で鍵に交換してもらい、ホテルへ行って室内で待っていた女に合い言葉を投げつける。その回答通りの住所へ足を運んで、密集している野良猫の左から三番目のヤツの首輪に鍵を発見。
それら二つの鍵を持って潰れそうなキャバレークラブの施錠された扉を開く。
部屋の中でぽつねんと置いてある箱を開けると万年筆。そいつを分解。
中から出てきたチリ紙に小さく明記された言葉を暗記して、いざアジトへ向かう。
いつも面倒に感じていたが、今日はいつにも増してその行程が煙たく感じた。きっと、先ほど邂逅を果たした失礼極まりないクレイジー女と出くわしたせいだろう。
うら寂しいだけで、なんの変哲もない事務室の扉の前に立った。ドアノブに手を回しながら、先ほど入手した言葉と、合い言葉を口にする。
音声認証のドアノブがロックを解除し、中へ入る。因みに扉は何をしても壊れないらしい。壁も同様だ。どんな素材で作られたものなのかは不明である。
アジトへ入るための行程も毎回違うし、情報漏洩の心配はまずないと思っていいだろう。
何故こんな作りのアジトになっているのか不明だが、チキンにとってそれは都合がよかった。
薄暗い事務室のなか、壊れそうなパイプ椅子に身を降ろすオウルが、挨拶代わりに太い腕をぞんざいに上げる。
「おう、どーした、チキン。えらくご機嫌斜めじゃねえか」
「ナンパした子にでもフラれたのかい?」
クジャクはやにやした表情を浮かべながら、黒のポーンやら白のナイトを摘まみ、オウルと交互にチェス盤に置いていく。
「……チェックメイト」
「ああっ~、チキショー、またいやらしい手で来たねぇ……」
オウルは困ったように、だが少し嬉しそうに微笑んで大きな手で顔を撫で回した。
「ああ、本当に最高の日だね。淫売婦のケツが今ここにあったら思いっきり掻き回して、洗濯竿に干してやりたいくらいだ」
「くっく、チェリーボーイのチキン野郎の言うセリフじゃあねえよなあ~、ガッーハッハ!!」
オウルは眦に水滴を浮かべながら腹を抱えて豪快に笑う。巨躯に耐える健気なパイプ椅子がそのたびに悲鳴をあげる。
「おい、いい加減そのネタ封印しねぇと、アンタの口に44マグナムでケツ穴を増やすことになっちまうぜ」
「おっ、いいねえ! 最近排出量が多くて穴が痛くて困ってたところだ、ケツがもう一個あれば心置きなく放出できるってもんだ。こう……ブリブリっとな」
オウルは席から立ち上がると、子供のように楽しそうに尻を振りながらジェスチャーする。
「このクソデブッ!!」
チキンは吐き捨てるように言うと乱暴に鉄パイプに腰を下ろして、溜息をついた。
「おー、いいぞいいぞ、人生の先輩にはどんどん楯を突け。若造はなんでも刃向かうくらいのもんじゃねえといけねえ。罵詈雑言なんでもかかってこい。全部抱きしめて最高に愛でてやるぜ。そのぶんじゃ、お前はなかなか優秀なヤツだよ、チキン」
「ふん、アンタもかなりイカれてやがるぜ」
「そりゃ褒め言葉だろう?」
チキンは顎に手を乗せて、視界の隅に映る影と同化したようなクロウに視線を流す。同じように質素な椅子に座って大人しく読書中のようだった。
「クロウ、お前はいつもなにを読んでいやがるんだ」
「……ライトノベルだ」
「ああ? なんだそれ」
「……お前が知る必要はない」
冷徹な眼差しを真っ直ぐ受けて、チキンはふんと鼻をならした。
「…………先輩への口の利き方、もう少し考えた方がいいんじゃないのか。年上のありがたいお話には耳を傾けろとかなんとか、言ってなかったか、お前」
チキンの神経を逆なでするようにクロウはぼやく。
「お前じゃあねえよ! チキン先輩と呼べ!!」
チキンが事務所内に響くような声で高鳴ったとき――その声への返答があった。
「――チキン先輩」
どこかで聞いた声が、耳に響いて反芻する。いや、ついさっきまで聞いていた声だった。
「あ、なっ、お、おまっ、テメェはッ……!!」
「ごきげんよう、クソビッチの称号をいただきました秘密結社バードに新たに配属される新人、コードネームはチックといいます。よろしくです、チ・キ・ン先輩」
「まて、テメェから先輩を付けられるとバカにされている気がする、今すぐにその呼び名を辞めるんだ」
「気がする……ではなく、してるんだからそんなの当然なんですけどね」
冷笑を浮かべながら、唇の端を押し曲げてチキンと再び顔を合わせる。
いつの間にか姿を消していたオウルが、チックの隣で彼女の肩に触れながら笑みを浮かべる。
「ガーハッハ、驚かせようと思ってな、お前らが既に出会ってたのも既に彼女から聞いてた。……というわけで、我がバードにもついに女の子参入だ! 喜べ! 野郎ども!! フゥー!!」
一人で勝手に盛り上がるオウルを放って、チキンはずかずかとチックとの距離を寄せる。
「よくもまあもう一度俺の前に姿を出せたもんだな、おい、クレイジービッチ」
「なんですか、フライドチキンで死ぬ先輩」
「おうおう、どうやらもう既に仲良くなってるみてぇだな、こりゃ賑やかになりそうだぜ! ガーハッハッハ!!」
「オウル、バカも休み休み言え、どこから見たら仲良く見えるんだよ、眼科でレーザー光線でも当ててもらったらどうだ。誰がこんなバーガー女と仲良くなるって言うんだ」
「言っておきますけど、わたしだって、こんなむさ苦しいところで同じ空気を肺に送り込むことだって嫌なんですよ。だから先輩は早くフライドチキンにでもなんでもなってくださいよ」
「は? 意味がわからねえよ、今の話がどうなったら俺がフライドチキンにならなくちゃいけない流れになるって言うんだ? 俺は人間だ、どうやって鶏肉になるって? お前語学力は大丈夫なのか?」
「むしろわたしがめちゃ言いたいですけどね、それ」
「まー、まーお二人さん。落ち着いて落ち着いて。初めまして、僕はクジャクといいます」
クジャクは二人の間に入って笑顔を見せると、片目を閉じてチックに手を差し出した。
「……あ、あなたの話も聞いています。半径一メートル以内に二種類のフェロモンを振りまく能力を持っているんでしたっけ、……ええと、あまり近寄らないで欲しいですね。……ほ、惚れちゃうかもなので」
少し頬を染めながら、それでも冷たい軽蔑の睨みを効かせながら、チックはゆっくりと離れていった。
クジャクの能力『魅了蜂の甘い蜜』は、人が潜在的に持つといわれる性フェロモンを極端に強めることができる。クジャクは原料であるとされる男性・女性ホルモンの分量を自由に調整することができ、男であろうと女であろうと、無差別にクジャクに惹きつけられてしまう。
そこに本人の意思は関係無く、からくりを知っているものであれば、ある程度抑制が利くものの、潜在的にクジャクに惚れてしまうという、とても恐ろしい能力である。
「おやおや、これはかわいいお嬢さんだ。是非赤らめた頬のまま一枚一枚と皮を剥いでいきたいね。その冷たい表情の奥に垣間見える性的な快楽に溺れつつも、負けじと堪える姿に僕は興奮したい。そしてそのとき見せる君の恥じらいの表情を、僕に見せてくれ」
「……こ、この人もかなりヤバいですね。いきなりぶっ込んできますか」
チックはあがりつつある吐息を懸命に整えながら、赤く染まる頬をぺちぺち叩く。
「おい正真正銘の変態野郎、今そいつは俺と絶賛喧嘩中だ、そいつには未だ言いたいことが山ほどある。ナンパなら後にしな、下がってないと火傷するぜ」
「――ふむ。是非とも……火傷させてほしいものだ。君の――こ・こ・で」
クジャクはとたんに緩みきった表情になり、チキンの股間をやんわりと撫でる。
「~ッ!! ひ、ひいッ、お、お、俺に触るな!! 頭吹っ飛ばすぞこのタコ野郎!!」
「ひい……か、またかわいい叫び声を上げて……ああ、堪らない。君は本当に堪らないよ」
紅潮させた頬のまま、クジャクはゴクリと生唾を飲み込むような仕草をした。
その光景にチキンは背筋が凍る。もう数年は共にやって来ているが、いつになっても慣れないし、恐ろしいのだった。
その後も三人は罵声を交わし合うが、あろうことかオウルも参入し、秘密結社のエージェントたちは、この世界で最も下らない会話を愉快に事務所内に響かせていた。
「……うるさい」
クロウが文庫本を閉じたのは、それから三〇分後のことだった。