第6話
お気に入りのアクション映画のサウンドトラックに耳を委ねながら、チキンは毎朝欠かさず口にする好物のフライドチキンを求め、いつもの肉屋を訪れた。
自身のコードネームがチキンであるからフライドチキンが好物なわけでは決してない。
どちらかというと、チキンは肉が嫌いな部類である。
透明なガラスの向こうに並ぶ赤と白の斑模様が瞳に映る。チキンは生肉が嫌いだ。
おそらくほんの少し前までは、いち生命体として生きていたはず。それが今では殺されて皮を剥ぎ取られ、食用の肉として肉屋に並べられている。
自分を含め、人間というものは地球上最強の生物であるとチキンは思う。生態ピラミッドの頂点に立ち、どんな生物でも、調理してしまえば喰らおうというのだから。
そんなものは狂っているとも感じる。だが、そうしていないと生きていけないし、やはり腹を満たすには美味いものが喰いたい。
チキンは手渡された揚げたてのフライドチキンを睨み、自然と口内に広がるものをごくりと飲み込んだ。これだって元は鶏だった。フライドチキンを食べるために鶏を殺すことなどできやしない。ましてやどんな生き物であろうと、チキンは暴力を振るうことができない。
――そんなものは見知らぬ他人に任せて、俺は好物のフライドチキンを貪っておけばそれでオーケイなんだ。それで……いいんだ。
あまり深く考えてもいいことはない。いつもの悪い癖だ。
「だから俺が美味しく頂いてやる、それで満足だろ? 感謝しろ、鶏野郎」
チキンは己のコードネームでもある熱々に揚がったジューシーなチキンに大口で齧りつく。
白い歯がさくさくの衣に突き刺さり、じゅわっと熱々の肉汁が口の中で弾ける。噛むたびに飛び散る濃厚な汁が旨みの引き立て役を担っている。つい瞼を強く瞑ってしまうほどに美味い。
「くぅ~!! 溜まらねえぜ! こいつを開発したヤツは天才だ!」
天に向かって吠える。ほぼ毎日ここでこうしているせいか、携帯端末のカメラを向けられることも少なくない。だがチキンは気にしない。フライドチキンが美味すぎるのが悪いのだ。
豪快に肉を引きちぎりながら歩く。手元の腕時計によそ見をしたそのとき。
突然なにかがチキンの肩にぶつかった。やけに小さくて、物足りないくらいの衝突だったが――悲劇は起きた。
「ああっ、なんてことだっ! 俺の大切なフライドチキンが逝きやがった!!」
チキンのフライドチキンは無残な最期を遂げた。地に落ちてもう食べることも叶わない。
「クソッ、なんでこんなことに……ああっ、頼む。戻ってきてくれ、俺のフライドチキン」
チキンはしおれた表情を浮かべながら、両手をわなわなさせながら地面に片膝をついた。
「…………あの」
声がしたほうへ顔を上げる。ぶつかった元凶だろう。この気持ちの高ぶりをどうしてくれようか、そんなことを考えながらチキンは立ち上がり相手を睨み付ける。
そこには黒のミディアムヘアをポニーテールにさせて、チキンと同じように黒のスーツに身を包んだ女が、包み紙に覆われたハンバーガーを頬張ったまま、そこにいた。
素晴らしく整った顔立ちで、愛くるしい二重まぶたに長い睫毛。グリーンの瞳は美しく、陶器のように白く張りのある肌からはまだ幼さを感じる。一九のチキンより三つか四つは年下だろう。黒のスーツを着ているということ以外は美少女といっていい。
その美少女が、冷笑を浮かべこう言った。
「……めちゃ変な人ですね、あなた」
「あ?」
目の前の美少女が発した言葉に、つい素っ頓狂な声があがる。
「だって、絶対おかしいじゃないですか。なに食べ物と会話してんですか? ヤバい人ですか?」
「…………」
あまりに意表を突かれた第一声であったため、チキンは怒鳴ることさえ忘却の彼方へすっ飛ばされて、ポニーテールの女に困った表情を向けた。
「……あー……えっと、すまない。一度確認したいんだが、いいか?」
「……はあ」
「俺と君は今そこで肩がぶつかった。そして俺のフライドチキンは地面に転がり、もう食い物にはならない。つまり逝ったってことだ。そこまで合ってるか?」
「逝ったって……意味がよくわからないんですが、まあ、合ってんじゃないですか」
「オーケイ、じゃあ考察を続けよう。そして君は俺を高見から見下ろしたままハンバーガーを食べ続け、挙げ句俺をしばらく見下ろしてた。いや、現に今ももぐついていやがる。その口元のケチャップが最大の証拠だ。それで違いないな?」
「チーズバーガーです」
黒髪の少女はもぐもぐしながら、面倒くさそうにちらりと包み紙をチキンに見せる。黄色の包み紙でチーズバーガーと印字されている。
「いや……どうでもいいんだ、そんなことは。話の腰を折らないでほしい」
「折ってないです、ハンバーガーとチーズバーガーでは天と地ほどの差があります」
「んなことはどうでもいいんだよッ! お前頭イカれてやがんのか!? 普通にぶつかって食いもん落とした相手には謝るだろ!?」
「フライドチキンに喋りかける人が普通の人だとは思えないですけど。それにわたしだって失うものはありましたよ」
「ああ? 言ってみろよ、イカレ女」
「あなたと今こうして口論を繰り広げてるこの時間です。現在進行形で徐々にわたしから失われつつあります。悲しいです」
ドライアイスのように冷え切った瞳をチキンへ向ける。一体これのどこら辺が悲しいんだか説明して欲しいね。と内面でぼやく。
「はあ!? おいおい、冗談じゃないぜ。俺はどうやら超弩級のクレイジー野郎と出くわしちまったらしい」
「……わたしもこんなおかしな喋り方の人初めて見ました。さっきもなんかぶつぶつ一人でなにか言って空に吠えてましたし、周りの人がカメラで撮ってましたよ。だからわたし思ったんです。ああ、この人がいわゆる変態ってやつなんだって」
変態ならウチの秘密結社の色男で事足りてる、と内心で思いながら、チキンは舌打ちする。
「クソッタレが! いいか? 俺が変態ならお前だって十分変態だ! 何が時間だ! テメェはタイムトラベラーかなにだっていうのか!? 一分一秒の時間で死ぬって言うのか! だったら見せてもらいたいね、自慢のタイムトラベルってヤツを」
「なに勝手に未来人にしてくれちゃってるんですか。そんなわけないでしょう、変な上にバカなんですか」
「あー……、たった今聞き捨てならねえワードが俺の耳に飛び込んで来やがったぞ、聞き間違いなら申し訳ない、だが是非教えてくれ。もしかして今俺のことをバカと言ったのか!? この俺を? そうなのか?」
「だって出会ったばかりのわたしにタイムトラベル見せろとか言うじゃないですか。端から見たってめちゃバカじゃないですよね、自覚なしはちょっとマズいんじゃないですか」
「ジョークに決まってるだろ!! そんなこともわからねえのか!」
はあ、はあ、と息を荒げながらチキンは上気して女に睨む。
女はにやっと笑うと、小馬鹿にするように、
「え……あなたって、まさかフライドチキンで死んだりします?」
「ああ、死ぬとも。それほどに俺はフライドチキンを愛している。つまり俺はフライドチキンと、お前と同じ口論を繰り広げる時間とやらを消費してやがるってわけだ! 不公平だろう、お前は失うものが一つ、俺は二つだ! ふざけんな、クソ女!」
「…………もぐもぐ」
「おい! いい加減人が喋ってるときはバーガーを喰うのをやめてくれ! イライラするんだよ、あと人の話を聞け! ああっ、クソッ、本当に今日は最高の日だぜ」
「最高ならよかったじゃないですか」
「…………ジョークだ。まさか本当にわからないのか? それともワザとやってやがるのか」
「いや……なんか、聞くに堪えないな、と思ってですね。お腹空いてますし」
「なっ……」
同じようなセリフをつい先日もクロウに言われたばかりだった。胸に弾丸で風穴を開けられたような気分になる。
「とにかく、もういいですか? わたし急いでますんで、……んじゃっ、そゆことで」
人差し指と中指でシュビっと額付近で失敬な敬礼。おまけにウインクまで飛ばしてきやがった。チキンは唇を噛みしめながら、駆け足で去って行く失礼極まりない女に中指を立てる。
「このクソビッチが! 二度とそのムカつくツラを俺に見せるんじゃねえ!!」
――しかし、このあと相棒となる彼女と再会することを、未だチキンは知らない。
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