第4話
程なくして、そのときはやってきた。
オウルの人を惹きつけるような美声に続くように、打楽器が鳴り続く。
『ネオ・ゴールデン・サテライトを勝ち取ったのは――『クライム・デストロイヤー』ッッ!! 主演はアラスター・ブラックリーッッッ!!』
脚光を浴びながら表情を崩し膝を床へ叩きつけるブラックリーと、落胆した拍手を贈る選ばれなかったものたち。彼らへ盛大な拍手が贈られる。
沸き立つ歓声のなか――チキンはステージへ足を運んだ。
堂々と、真っ正面から、大スターのブラックリーを見つめる。
突然のことに鳴り止む歓声。
《おいお前なにやってる。すぐ降りろ、バカ野郎》
いつも偉そうな年長者オウルが慌てふためく動作が滑稽で面白い。チキンは唇を歪めた。
目前のブラックリーは眦を光らせながらチキンを見上げる。どうやら状況の把握ができていないようで、首をかしげたまま停止状態に陥る。
「ヘイ、なに驚いた顔していやがるんだ。俺の顔になにかツイてるって? その目糞掃除してよく見てみな、このクソ野郎。ご覧の通り俺にはハッピーエンドがツイてんだ。だからお前の結末は既に決してる。あばよ、天国で会おうぜ兄弟。天に誓ってアンタをあの世に派手にブッ飛ばしてやる」
チキンはおどけるように両手を使う。
「……驚いた相手に使うときの、一番好きなジョン・ハカードのセリフさ」
さらに懐から取りだしたサングラスを装着。
「失礼するよ」
すっかり気が抜けたビールのようなブラックリーをしばし凝視すると、チキンは耳裏に指を当てる。
《……残念だが、対象じゃない。フツーの人間だな、こりゃ》
サングラスの黒い眼界のなか、ブラックリーはぽかんとした顔で映っているだけだ。
《チキン、後でたっぷり説教だからな》
オウルのやれやれと言った溜息が聞こえた。
会場はざわめき始め、観客から罵声じみたものが飛び交ってくる。
「……アンタが何者だろうと、俺はジョン・ハカードの大ファンだ。つーわけで、もう少し俺のアクション大作に付き合ってくれ」
チキンがにやりと笑って、憔悴しきった顔のブラックリーの襟首をぐいっと掴む。
次の瞬間――突如ステージのスクリーンを黒い影が覆った。
「クロウか」
「……やると思っていた。お前はいつも面倒なことを始める。非効率にもほどがある」
黒いスーツに黒の瞳、やや長めの黒髪をひとつ結びにした全身黒ずくめ。すとんと革靴の音を鳴らしチキンの隣へ舞い降りた。
細身の身体からは黒い影があり得ないほどに広がり、ステージ全体を包み込んでいる。クロウの能力『影の強奪者』は、影が自身の身長の一・二倍以上に伸びている状態に限り使用することができる。
「いいか、よく聞けモヤシ野郎。デキる男ってのはときに大胆に、キメるときは傲慢に――」
「相手の数は四。今は一人とクジャクが応戦中」
「ハハ、おいおい、本当に困ったヤツだなクロウ。どうやら先輩への口の利き方ってのを知らないらしい。年上のありがたいお話には耳を傾けろってんだこのクソ野郎!」
「……お前の話は聞くに堪えない」
クロウがふうと溜息をついて広がった影を自身の足下に這わせた。
「……ワーオ、どうやら、おいでなすったようだぜ!」
チキンは頬を緩めながら、白壁を注視する。
すると――白壁は斜に切断され、スゥーという音とともに滑り落ちて地へと崩れた。
辺りには砕け散った砕石が転がり、奥から姿を表したのはクジャクだった。
「やあ。まいったよ。相手さん、これがなかなかデキるやつでね。『魅了蜂の甘い蜜』の能力にぎりぎりで耐えてくれちゃってるんだ」
へらへらした笑みを浮かべながら、クジャクはゆっくりとチキンとクロウに近づく。
「クジャク! 全部テメェが失敗するからこんなことに」
「だってしょうがないじゃないか、人間失敗はするものだろう? 僕に非があると一〇〇パーセント言い切れるのかい、君は」
「お前、もう一度同じことを言ってみろ! その頭ぶち抜くぞ!」
「おお、怖い怖い」
「さっきと同じ反応しやがったな! 俺の話を聞いてないのかテメェは!」
「……だから聞くに堪えないと言っている。さっきから」
横やりを入れてくるクロウを睨み付け、チキンは指を突き立てる。
「テメェまで二回も言うな! この根暗野郎が!」
「やれやれ……トンデモねえ大惨事だぜ、まったく。おら、青臭い若造ども、さっさとずらかるとするぞ。叱責どころじゃすまねえだろうが、クライアントの意向がなにより一番だ。ズラがバレねえうちにズラかるぞ」
巨躯を震わせつつオウルがステージ端から合流し、いつものようにくだらないことを嬉しそうに呟く。ちらりとチキンが掴む借りてきた猫状態のブラックリーに目をやる。
「アンタのクソつまらん親父ギャグをスラム街の野良猫どもに食わせてやりたい気分だ」
「ガッハッハ、野良猫でも食ってくれるんなら儲けもんよ」
「オーケイわかった、じゃあこうしよう……馬のケツ穴にでもぶち込んでやる」
「ぶち込むなら是非とも僕のケツ穴にお願いしたい――と言おうと思ったんだけど、そう冗談ばかり言っていられる状況じゃないみたいだね」
「いや、お前今言ったよな!?」とつい素がでるチキン。
ちなみに冗談なのか、本気なのか本当にわからないのがまた恐怖だ。
整いすぎた顔立ちと、ミステリアスな雰囲気を全身に纏ったようなクジャクが、さらっと下品な会話に割り込んでくるのは今に始まったことではないのだが、男性エージェントのみで構成された秘密結社バードの諜報員、工作員としての秘密兵器であると同時に、それは諸刃の剣でもあるのだ。
ゲイではないと本人は言うが、どちらでもイケるとも言っていた。貞操を奪われでもしたら正直堪らない。深夜にクジャクが背後から突然声でもかけてきたらと思うと鳥肌が立つのだ。
「いいかクジャク、今後俺の半径一メートル圏内に入るんじゃねえ。その領域内にでも入ってみろ、テメェの脳ミソが宙を舞うことになるぜ」
「ハハ、またまた~、そんな乱暴なことチキンくんができるわけないじゃないか。そんな乱暴なこと言っていても虫一匹殺せない優しい男が君という人なんだからさ」
「俺のコードネームに“くん”とか勝手につけてるんじゃねえよ! はっ倒すぞ変態野郎!」
「是非はっ倒されてみたいもんだね、乱暴に色んなところをまさぐろうと必死な君を、きっと僕は可愛いとさえ思うだろう」
「~~ッ!! おいオウル! こいつ完璧にイカれてやがるぜ!」
なにやら満足そうに頬を紅潮させるクジャクに、チキンはとんでもない恐怖を感じた。冷や汗がつうとこめかみをなぞる。
「おら落ち着け発情期の若人ども。今はミッションだ。冗談はあとだ、冗談だけに」
にやりとしてオウルはチキンを見つめる。まるでツッコミ待ちをしているコメディアンのように。その視線にガン無視を決め込んで、口を開く。
「いやいや待てオウル、コイツの顔を見てみろ、明らかにイク寸前の顔だ! 冗談じゃねえ、俺の貞操がたった今ピンチなんだ!」
「なんだ、お前まだチェリーボーイだったのか、ガッーハッハ、こりゃ傑作だ。個人的には今日で最高に笑えるニューズだ」
オウルは少し驚いた表情のあと、痛快な大笑いを会場に響かせる。なにがなにやらわからないセレブたちは発狂しながら会場内を逃げ回っていた。
チキンが屈託ない笑顔を浮かべるオウルに言い返してやろうと、思い立った矢先――。
一閃。空を切る鋼が、チキンの頬をかすめる。
「とっても愉快で痛快で面白いジョークだ、チップは君らの骸でいいかね?」
少し年老いた黒服の男性が前方に立ちはだかる。周囲には三人の黒スーツ。
「クイズかい、じーさん。なら正解があるはずだ」
チキンは自信に満ちた表情でこう答える。
「答えはノーだ」