第19話
「本当に……うまくいくんだろうな」
「…………ああ、平気さ」
「…………これが、研究所のIDだ」
クロウは白衣から取りだしたIDカードを手渡してきた。
「ありがとう。そんな顔しなくても、大丈夫だよ、僕は博愛主義者だからね。どんな人間であろうと、悪いようにはしない」
「……助かるんだろうな、あいつは」
「君も心配性だね。ああ、僕が今“人間”って言っちゃったから、不安にさせてしまったのかな? 平気さ、人間も擬人類も関係ない」
「……あいつは……人間だ」
クロウは、歯を噛みしめてから、踵を返した。
少し歩いてから、クロウがこちらを振り返る。
「私は……知らん顔を決め込んでおけばいいわけか」
「それで構わない。君、基本怪しいからきっと疑われるだろうけど、我慢して無視してくれ」
「……ふん、気にしたことがない。私は独りでいい」
「そんなこと言って、実は寂しいんじゃないのかな? 僕にはそんな風に見えるけどね。君もチキンも根は優しいからね、不器用なだけだよ。きっと」
「知らん。もう行く」
むすっとした表情で、白衣とひとつ結びの挑発を翻しながら、去って行く。
その後ろ姿を眺めながら、クジャクは顎を撫でる。
「さて、僕も動くか。やらなくちゃならないことがたくさんある」
* * *
「超人類研究所の最高責任者と密会していたところを背後から刺された。姿は確認できなかったけれど、クロウで間違いないと思う」
傷口をどんな水滴であっても、吸収することのできる『ブラッドチーフ』を身体に巻き付けたクジャクが苦い表情で告げる。
「…………」
寮部屋は静まり返っている。それぞれの思いが、沈黙という形で、部屋に充満している。自然とメンバーの口数は減ってしまっていた。
まだ、裏切り者がクロウだと確信したわけではない。この中にまだいるのかも知れない。そう思うと、先ほどのようにぺらぺらと雑談することもできなくなってくる。
どこで、誰が、何を聞いているか、わからないからだ。
それは直接自分の命に関わってくるかも知れないし、他人の命に関わってくるかも知れない。
「それで……わかっているとは思うけど……これから言うことは、決して口外しないで欲しい。この場にいる僕たちだけの秘密ということにしてくれにだろうか。というか、そうしてくれないと困るのだけどね」
クジャクが煽るようにせせら笑う。
「ふざけんな、変態野郎。俺たちはエージェントだぞ。そんな情報漏洩するわけないだろ」
「ふふ、そうだね。じゃあ……」
少し遠慮するような仕草でクジャクは告げた。
「クロウと超人類研究所の最高責任者、“ティーチャー”はとある計画を立てていた。その内容というのが…………うん。そうだな、そのまえに新人のチックに質問をしようかな。僕ら強化人間エージェントは一体どうしたらこの世に生を受けることとなるのか」
新人を試す先輩面で、クジャクは上からものを言う。
チックは長い睫毛を上に向かせてから答えた。
「『特殊薬物EJD』を使用した薬物投与ですね。成功確率は一〇〇〇人に一人と言われている、と養成学校時代に耳にしたことがあります」
――しかし、失敗すれば、死ぬ。
人間の身体に眠っている先天的な運動神経を覚醒させる効果を持つ、特殊薬物EJD。人間の血液と特殊薬剤を混合させることで、無理矢理たたき起こすものだ。これにより、一五パーセントしかコントロールできない運動神経を、ほぼ一〇〇パーセント扱えるようになる。
しかし、麻薬以上に危険な薬物である。注射器を皮膚に差し込ませるだけで、血液が薬物に空気感染、最終的に大脳に神経麻痺を引き起こす。
薬物投与の際も激しい痛みと、身体の至るところで障害が発生し、最悪の場合、体内を巡る血液が沸騰し、重要気管を次々に破壊する。
さらに、神経麻痺が上限値を超えたとき、糸が切れたように神経断裂を起こし、回復することもなく簡単に死んでしまう。
耐えている間は、絶頂するほどの快楽感と、狂気的な幻覚に惑わされながら、絶望という精神の路頭を、希望もなく長らくを歩き続けることになる。
この地獄に耐えきり、強固な肉体と、目覚めた特殊能力を手にした者が、強化人間エージェントであり、誕生の由来である。
「そうだね。じゃあ、この養成学校には、一体どんなエージェント候補生が集まるのだろう」
耳障りにパチンと指を鳴らし始めた。コイツ本当にけが人なのだろうか、と疑いたくなる。
「ええと……わからないです」
チックは小さく首を振って答えた。
「無理もない。そこまでしか養成学校では説明されない。本質はその先にある。……エージェントは、世界から爪弾きにされた、社会的に必要ない人間であるべきなんだ。その理由がわかるかい?」
「…………死んだとき……誰からも認知されないから…………ですか?」
「正解。だから秘密結社は世界中の“不要な子供たち”(ニード・チルドレン)を秘密裏に収集し、エージェント養成学校に連れ込み記憶を抹消する。学校でエージェントに必要な基礎哲学、技術力を磨き上げ、薬物投与に耐えれる年齢になると、これを実施。成功した場合、世界各国に点在する秘密結社へ配属され、エージェントとして生きていくことになるというわけだ」
「…………」
「……記憶、ないだろう。エージェント養成学校で暮らす以前のこととかね。きっと思い出すこともできなかったはずだ。超人類研究所の記憶操作技術は相当なものだからね」
チックは腕を軽く握ると、思い詰めた表情で、壁をただ見つめていた。
「……さて、ここで一つ疑問が浮かばないかい?」
「……薬物投与によって失敗した、残りの九九九人。彼らの遺体は一体どこへ行ってしまったのか……ということですか」
「流石だね。ここまで言えば、何となく感づいているんじゃないかな」
頬を少しあげて、クジャクは力なく笑う。チキンもなんとなく連想する。
「マッドサイエンティストどもがッ……!! クソ趣味な野郎どもめ」
吐き気と共に怒りが生じる。奴らはエージェントになることができず、死人となった子供の身体を、おそらく――。
「遺体となったエージェント候補生の身体に、死にかけの超人類を無理矢理投入する」
クジャクの周囲が、さらに静寂なものへ変わっていく。「これが奴らの狙いだ」
――しかし、一点、疑問がある。
「……死にかけの超人類ってのはどういうこった」オウルが険しい表情で問う。「奴らには、死という概念そのものがないはずだぜ、だから俺たちはこうしてまどろっこしい捕獲方法を」
腕にはクロノライトグラフ。チキン以外のものは故障中であるが、腕には装着されている。
「……これも今回の収穫になるんだけど、超人類は、特殊薬物EJDで薬付けにしたカプセルの中に入れておくと、次第にその生命力は弱まっていくらしい」
「……」
沈黙したパッセルが少し瞳を潤ませる。
「今の僕はどんな非科学的ファンタジー論文でも、意を介さず首肯する自信があるよ」
おどけたように明るめの髪を撫でながら、クジャクは肩を持ち上げる。
「エージェント候補生として培ってきた技術を宿した適正ある遺体――それもEJDがまだ体内に残留している死骸に、生命力がほぼゼロに等しい超人類を同じカプセルに入れ、混ぜ合わせてやれば、心身共に異常をきたした新たな人種の誕生というわけだ」
「――名を『擬人類』。“キメラ”という言葉が、昔にあったようだけど、まさにそれだね」
「……擬人類?」
チキンが聞き返す。
「簡単に言ってしまえば、生命体のなれの果てであり、なり損ないだ。人工的な力が加わったものを、僕は生き物と認知することがどうしてもできない。……機械と一緒だよ。……超人類であることを辞め、人間に戻ることもできなくなった、かわいそうな生命体さ」
クジャクの語尾は少し強い。怒りを押しとどめたような言い口で、ものを言う。
「死骸に事前の薬剤投与を行ったことによって、その肉体にはEJDの強い抵抗力が生まれる。それにより超人類の力は薬剤でも衰えることがなくなり、人間の抑制力を完全に解除したうえ、超人類の力で無理矢理増幅させた、エージェントの非ではない能力を出力することができる」
「……途轍もない化け物だ、なんてこった」
チキンが半笑いで額を押さえる。
「しかし、超人類ではなく、擬人類。言ってしまえば出来損ない。自我意識を持っているかどうかも怪しい。おそらくその驚異的な力が身体に与える負荷もとんでもないものだと思う……そこを――」
「叩けってのか。戦闘するのはもう確定事項だってのかよ、クソッタレ」
「……奴らは、何がしたいのかしらね」
感情を押し殺したような顔で、色のない瞳でパッセルがぼやいた。
「……さあ、僕らエージェントの撲滅だったりしたら、笑っちゃうよ」
クジャクはとっておきのジョークを披露した後のような軽快さで笑って、パッセルの頭を撫でた。
「それに君は平気さ、『究極の怪力』があれば、擬人類なんて一発だよ、違うかい?」
「……ふふ、違わないっ!! えへへっ」
撫でられたことがそんなに嬉しいのか、にへらと緩んだ頬をシーツに埋め、じたばたと足を上下させるパッセル。あんな怪力をしておいて、よくもそんなに無邪気にはしゃげるな、とチキンは呆れる。あの夜彼女に殴られた腹部が、少しだけ痛むのだった。
「……よし、今夜はここまでにしよう。とりあえずは今の件、ボスにはすぐ俺が報告する。どうやら不穏な空気が満ちてきやがった。……だが、とにかく今は、自分の周囲には絶対的注意網を張って各々が十分過ぎるくらいに気をつけろよ。必ずペア行動は厳守することだ。それと、クロウにはまだ連絡を取るな。落ち着いて冷静に行動するんだ……餅つきだけにな」
「……モチツキ? なあにそれ」
パッセルが首を傾けて、クエッションマークを頭上に浮かべる。
「ガーッハッハッハ、子供にはまだ早いぜ! 何たって、オトナのジョークだからな」
「あー、それずるいっ、ずるいなぁ! 教えてよ!! あたしもきっとすぐ大人になるから、教えてもいいはず! ういーん、ういーんの関係になろうよ!」
「……ガハハ、おい、クロウ――」
オウルはパッセルに背をすがりつかれながら、姿のないクロウを呼んだ。
いつもぼそりとパッセルにツッコミをを入れていた彼の姿は、そこにはなかった。
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