星が天に昇るまで
1948年1月16日 アメリカ合衆国ワシントンD.C ホワイトハウス
その日地下会議室では議論が続いていた。
「大統領、イギリス人は我々を脅迫しています。すでにジブラルタルでは岩山からロケット弾が出てきたと偵察機からの報告がありました」
「まて、そう決めつけるのは早計だろうよ。燃料注入は確認できたのか」
「それは不明ですが、連中はやる気です。すでに陸軍航空隊は全ての爆撃機を空中待機に移行させつつあります。御命じ頂ければ第一撃は我々のものです」
「…海軍も準備は整っています。すぐにでも大西洋とカリブ海、それに太平洋で作戦が可能です」
ヒートアップする一方の陸海軍長官を見ながらアメリカ大統領クエンティン-ルーズベルトはため息をついてからぽつりと言った。
「…待とう」
「はい?」
「…待とうじゃないか、諸君。頭の固い旧世界の老人たちがその熱を冷ますのを」
「正気ですか大統領閣下、それでは我々が先にパンチを食らいます。ワシントンで、ニューヨークで、リッチモンドで…多くの都市で無辜の市民たちが死ぬことになります」
「すでに避難指令は出してある…それに連中の言う超兵器の実用化はまだのはずだ。もし実用化しているのであれば真っ先に君らが報告をあげるはず。そうだな?」
「はい、大統領閣下」
大統領の問いにFBI長官であるレイモンド-ソーントン-チャンドラーはそう答え、それを見た陸海軍両長官はそろって面白くなさそうな顔をした。イギリスで教育を受けていたものの第一次世界大戦勃発によりアメリカに帰国した後は石油産業界で活躍していた実業家であるチャンドラーは事故死したエドガー-フーバーの後任としてFBI長官に就任していた。チャンドラーは大規模な組織改革を行なう一方で陸海軍との信頼醸成に前向きだったが、陸海軍はフーバー時代に押さえつけられた苦い記憶、そしてイギリスで教育を受けていた人間であるという経歴からチャンドラーのことを信頼しようとはしなかった。
「…情報は絶対ではないはずです。もしかすれば彼らが今この瞬間から軌道上から攻撃を仕掛けてくる可能性もあるのです。そもそもこうなった切っ掛けである”トム”を作ったのは連中なのですよ」
その言葉に部屋のすべての人間が沈黙した。
”トム”とはニューメキシコ州ロズウェル陸軍航空隊基地近くの農場に落下した謎の物体だった。当初は隕石や宇宙人の飛行物体などというデマが飛び交ったが分析を進めた結果、それが軌道上から落下したフィルムを収めたカプセルであることが判明した。耐熱装備が不十分であったことから中のフィルムは解読はできなかったがその物体は地球上の人類が作ったものに間違いなかった。
覗き魔と名付けられたそれを回収してからしばらくイギリス人の動きが活発化し始めた。裏ルートでは幾度となく恫喝あるいは懐柔による外交的接触が始まった。アメリカ側としてはこの動きに困惑しつつも、自らが優位であることはわかっていたため敢えて回答を先延ばしにしていたのだが、事態はここにきて急転直下を迎えていた。アメリカ領と接する基地では大幅な増員が行なわれたばかりか、ジブラルタルなどの基地ではイギリス御自慢のブラックロック弾道弾の改良型と思しき新型弾道ロケット弾が並べられていた。
実際のところ、何故イギリスがそこまで過剰に反応したのかといえば、アメリカ人たちが覗き魔と称し、イギリスでは歩哨と呼ばれたそれはルーズベルトが言及した超兵器、つまり、大戦中にバーンズ-ウォリス発案の高高度からの大重量爆弾の投下によって地下壕を無力化しようとした地震爆弾の構想を発展させた、宇宙空間から巨大ロケット弾を落下させてその運動エネルギーで他国が整備していた地下壕を無力しようとした新兵器を運用するにあたって、その目標選定のために秘密裏に打ち上げた偵察衛星だったからだった。
まだ先と思われていた巨大ロケット弾の実用化に先んじて偵察衛星が打ち上げられたのは1945年のアラビア紛争へ介入して事実上の敗北を喫したフランス共和国がイギリスへの対抗のため、特に本国に強固な防空網を張り巡らし始めたことが原因だった。アラビア紛争にも投入された早期警戒機が飛び回り、偵察機を飛ばそうものならデルタ翼を備えた新型ラムジェット戦闘機であるウィボー-グリフォンが迎撃に上がってきた。
一方でまるで無視するということもできなかった。なぜならばフランスは占領下のドイツ各地から集めたブラックロック弾道弾を参考にしつつ、航空機のパイオニアでありロケットにも関心を持っていたロベール-エスノ-ベルトリとベルトリに影響を受けたロケット技術者であるジャン-ジャック-バールがロケット開発試験を行なっていたからだった。自国のみが有するはずの弾道弾運用能力を仮想敵国が保有しようとしていることを警戒して急遽、偵察機に代わる偵察手段として、偵察衛星という新しい代物に注目が集まったのだった。こうして打ち上げられたセンチネルは宇宙空間で運用された人類初の人工衛星であったが、その偉業は誰にも知られることはないまま、フランスでの偵察を終えて大気圏で燃え尽きた。
その、成功を受けてアメリカでも同様のことを行なうべくため、打ち上げられたセンチネルの2号機だったが、ロズウェルへの落下によって露見したのだった。イギリス側では英米開戦は近いと判断して計画の露見とともにアメリカ領と接する基地では大幅な増員が行なわれていたが、一方では返還を求めるための外交交渉が重ねられたものの結果は芳しくなく、ついには何か一つでも間違えば大西洋を挟んで互いに化学及び生物攻撃が行われる瀬戸際まで来ていた。
部屋に入ってきた男が衝撃的な知らせををルーズベルトに告げたのはその時だった。
「大統領閣下、イギリス側が交渉に応じました。無条件での機体の返還を条件に交渉を開始する、と…」
「馬鹿な。今この時にいうことか?大統領閣下、騙されてはなりません」
突然の報告に部屋の中に怒号があふれたが、ルーズベルトは黙って首を横に振った。こうして、第三次世界大戦は回避されたのだった。
だが、このセンチネルの落下から始まった一連の騒動、通称ロズウェル事件によって世界各国は宇宙とそれを支配する重要性を思い知った。何しろこれだけの事態を引き起こしたのだから、宇宙に注目が集まるのは当然だった。
そしてそれはイギリスとギリギリの駆け引きをしたアメリカにしても例外ではなかった。アメリカ人はいざという時の避難場所として軌道上に指揮施設を作ろうと考えたのだった。とはいえ、馬鹿正直に宣伝するつもりもなかったためカバーストーリーとして、ルネックス計画という月着陸計画が考えられ、その中継基地ということにして建設を進めることにした。
アメリカの宇宙開発はこうして始まった。
1953年2月12日 アメリカ合衆国 ハワイ準州 カウアイ島
数年前よりカウアイ島の土地の大部分は海軍により収容され、そこで農業などを営んでいたハワイ人、白人あるいは追放された日系や清国系の代わりとして受け入れられたものの大戦の結果として故郷に帰れなくなり、そのまま居ついていたフィリピン系などは他の島に移住するか新しく建設された"施設"で働くことを強いられていた。
だがその"施設"、人類初の大西洋横断飛行を行なったジョン-ヘンリー-タワーズにちなんで名づけられたタワーズ宇宙施設は国家の最重要機密を扱っているということもあり、不用意な行動をとればすぐに拘束されるなど厳しい体勢から不人気な場所でもあった。だが、内部を知るものからすればそれでも手ぬるいと言っていたことだろう。何しろそこにはある目的のために核分裂炉まであったからだ。
そしてこの日、設置された核分裂炉が本来の目的を果たそうとしていた。海に突き出た核分裂炉を収めたユニットが分離され、ゆっくりとタグボートに曳航されて海上へと進むとともに施設からはもう一つ同じくタグボートに曳航された巨大な円筒形の物体が引き出されていた。
全長150メートルに及ぶそれは間違いなく世界最大のロケットだった。ヴァンガードと呼ばれるそのロケットはイギリスの後塵を拝するアメリカが考えた奇策、というにはあまりにも単純すぎるビッグダムブースターという解決案によって作り出されたものだった。作製及び運用は海軍が行なうことになっていたが、これは将来的な宇宙戦力として構想されている軌道往還機開発は陸軍航空隊が中心となって行なうとされていたため、海軍にはこちらが割り振られたためだった。
「いろいろと文句は言ったが、こうして出来てみると壮観だな」
チャールズ-アラン-パウナル中将はヴァンガードを見ながらそう言った。パウナルはもともとヴァンガード計画の反対派だった。パウナルはロケットよりも重要視するべきものとして原子力艦艇の整備をあげていた。石油供給が国内を除けばベネズエラ、カナダ、メキシコ、エクアドルなどに依存していたことから長時間作戦行動が可能で石油に依存しない原子力動力の艦艇を多数配備するべきと主張していた。特に日本人ですら原子力哨戒潜水艦である伊四百型を就役させたことを挙げて危機感を煽り、手始めに潜水艦の原子力化を志向したのだが、そうした発言はアメリカの原子力研究、開発、運用を実質的に仕切っているエネルギー省に睨まれることになり政治的取引の結果、潜水艦には将来の航空機への搭載を見込んで作られていたエネルギー省型溶融塩原子炉による燃料電池駆動の潜水艦の配備が決まったものの、予算圧縮や大型潜水艦に搭載するには非力であったことの影響からノーチラス級と呼ばれる潜水艦はパウナルの求めたものとは違う小型潜水艦となっていた。そしてノーチラス級が作られ始めたころにパウナルはここに追いやられていた。
ここに来てからのパウナルは憂鬱な感情を振り払うかの如く死傷者まで出した強制土地収用を行ない、当時盛り上がりを見せていたハワイでの自治運動も容赦なく弾圧していたが、そんな行いがようやく報われるとあってパウエルは以前の反対も忘れて今回の打ち上げに感動すら覚えていた。
尤も、その光景を見ていたのはパウナルたちだけではなかった。海域に接近した大日本帝国海軍の原子力哨戒潜水艦伊四百二が準備開始から打ち上げの瞬間までをしっかりと記録していたのだった。
そうしてこの日無事に打ちあがったヴァンガード1号の存在はすぐに大協商の知るところとなった。
主要国であるイギリスとフランスの対立もあって形骸化していた大協商だったがこの時ばかりは各国が一致し、アメリカに対して査察を提案した。これに対してアメリカは各国が相互による監視のための偵察を受け入れることを逆に提案した。
この提案に関して大協商内部では意見が分かれ、特に反米的姿勢の強い日本、清国、ロシア帝国などの脱退を引き起こしたが、アメリカとして欧州諸国との関係改善を第一に考えていたため特に問題視されなかった。それはアメリカ国民にしても同様であり、欧州との緊張緩和の知らせによってまるでアメリカでは世界平和が訪れたのかのような喜びが国中を覆った。
こうした中でも、政府そして軍は備えを忘れず、月着陸と並行して軌道指揮所の計画を続行していた。彼らには共通する懸念事項があった。それは近年ロシアにおいて時たま起きている地震のことだった。専門家の中にはロシアが未知の地震兵器を開発しているのではないかという意見を述べる者もおり、政府や軍内部ではイワンの鉄槌と恐れられることになり、ロシア帝国と接する同盟国である極東社会主義共和国において膨大なアメリカ資本によってより重防護の地下施設の構築を進めると、同時に北極圏の極東領内に多数の誘導弾発射用の地下施設を建設するアイスワーム計画を立案、実行することにつながったのだった。
1958年2月18日 極東社会主義共和国 フレー
かつては大清帝国の領土であったこの街にアメリカ系極東人ハンフォード-マクナイダーの邸宅はあった。
1889年にアイオワ州に生まれたマクナイダーはメキシコ出兵を機に軍に志願し、愛国党政権に対する武装蜂起が始まるまで輝かしいキャリアを歩み続けた。だが、愛国党政権への反乱である第2次内戦が始まるとマクナイダーは反乱に加わろうとして失敗し、拘束された。
現役陸軍少将という高位軍人であっても反乱者は反乱者であり、そのまま一切の名誉を剝奪されたマクナイダーはそれでもなお祖国に留まろうとしたが愛国党政権の側がそれを許さず最終的に同盟国である極東に落ち着いた。当時はアメリカ勢力圏では黒人のアフリカ帰還運動を推し進めているリベリア共和国を例外とすれば唯一移民政策をとっていた極東で実戦経験を持つマクナイダーは歓迎され、また同じような事情で海を渡ってきた者たちの中では中心的存在となっていた。
「マクナイダーのおじさん。ぼく今日学校で話さなかったよ、だから…」
「ああ君か、うん、約束通りアイスをあげよう」
隣の家に住むアルゼンチン系移民の少年の笑顔を見てマクナイダーは微笑んだ。
(それにしても、昨日見たというのは、きっと碌なものじゃなかったんだろうな)
アイスをおいしそうに食べる少年を見ながらマクナイダーは今朝少年から聞いた話を思い出していた。
今朝、少年が自慢げに話してきたのは昨日の夜に大きな槍のようなものを乗せた軍の車列が郊外に向かっていくのが見えたというものだった。その話を聞いたマクナイダーはすぐに忘れるように言い、学校に行って誰にも話さなかったらアイスをあげると約束していたのだった。
マクナイダーの予想通り、少年が見た槍のような物体はSLCM、超音速低高度誘導弾と呼ばれるものだった。航空機用エネルギー省型溶融塩原子炉を動力として低高度を飛行することで敵の防空網を無視しして攻撃するための兵器であるそれは、極東ひいてはアメリカの最高機密であり目にしたのがたとえ子供であっても許されない代物だった。
マクナイダーはそうした詳細までは知らなかったが、それでも何らかの機密兵器であることは感づいていたし、であればそうした兵器が使われぬことを祈るほかなかった。
「おじさん、そういえば来年だね」
「…ああ、そうだな」
少年の言葉に思わずマクナイダーは涙した。来年にはかつての祖国であるアメリカが月面着陸を予定していたからだった。マクナイダーはいつまでもこうした平和が続くように祈ったが、マクナイダーの願いもむなしく月着陸のニュースは翌年に起こったより大きな出来事に覆い隠され、その中でSLCMは実戦使用されることになる。それは血友病により死に瀕した皇帝アレクセイ2世の最後の命令として行なわれたロシア帝国による極東への文字通り世界初の核兵器使用である全面核攻撃への報復としてだった。
本世界のヴァンガードはだいぶ早めのシードラゴンです。