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1 (終) 『それでも悪女は復活する』

「げぼ…く…?」

 天上の輪が失せた。

 呆然とするラディカの前で、一つの命があっけなく終わった。

 入れ墨の手が放されたと共に、惨たらしいシスターの遺体が壁からズルリとずり落ちた。


「…マジで殺したの?」

 帽子は、ラディカの両手首を押さえながら、ついでに彼女が暴れないように下っ腹を踏みながら、入れ墨に尋ねた。

「いや、だってコイツ、魔術使おうとしてたぜ?よく分かんねぇけどよ。抜き身のナイフで刺そうとしてたってことだろ?なら殺すしかねぇだろうがよ」

 入れ墨は、血で汚れた手を、シスターの修道服で拭いながら答えた。

「もったいねぇなぁ…。もしかしたら使えたかもしれないのになぁ…」

 帽子は、シスターを惜しそうに眺めた後、ちょっと持っててと、ラディカの拘束を入れ墨に代わってもらった。

「何だお前?そんなにロリコンだったっけか?」

 入れ墨は、ラディカの身体を揉みしだきながら、悦にケタケタと笑った。

「うるせぇ!懐が広いと言え!」

「…つーかソイツ、異端のシスターって奴だろ?ほらあの、街の厄介者の。背教大好きのバイキン野郎だって聞くぜ。そんな奴によく興奮するな」

「まぁー、俺は女なら何にも気にしないタイプだからなー…。あっ、でもこれ、お尋ね者なら、衛兵か誰かに死体を渡せば、賞金が貰えたりするかな?」

「バカか。俺たちが捕まる方が先だ」

「そっかぁ。ならテキトーに遊んで帰るしかないかぁ」

 そして、帽子はシスターのスリットスカートをめくり、粘るショーツを剥ぎ、冷たくなった秘部を開かせた。


「…おぉっ!?」

 その直後、帽子は意外な発見でもしたかのように驚嘆した。

「何だ?やっぱりガキ過ぎてダメだったんだろ?」

「いや…そうじゃねぇよ…!見ろよこれ…」

 帽子が、ガッカリした表情で驚嘆の原因を指差した。

 それを見た入れ墨は爆笑した。

「ぷっ、へはははははは!!!お前っ…!!そりゃ懐が広過ぎるな…!!」

「いやっ…俺だって分かってたら最初から手ぇ出してねぇよ!!」

「ホントにな!ははははは!!」

「…ホント、まんまと騙されたよ!クソッ!」

 入れ墨が嗤う先、帽子が腹いせに蹴り飛ばした部位の先。

 ラディカもまた、見たことがあった。


 そして、今の彼らと同様の反応をしたことがあった。


『お願いですから…、私のありのままを見て、嗤わないでくださいね…』


 何の事情も知らず、理解しようともせず、ただ自分がそうしたいから、そうした。

 今の下衆な暴漢らと全く同じように、何も考えずに、ただ自分のためだけに彼女を嗤った。

 尊厳を踏みにじった。

 そう、踏みにじった。踏みにじった。

 健気なシスターの何もかもを踏みにじった。

 それだけじゃない。

 彼女の秘部を嗤っただけじゃない。

 ラディカは、今までに、彼女は尊厳どころか、想いも、努力も、優しさも、何度も、何度も踏みにじっていた。

 ラディカは、この暴漢らよりも酷くて最低だった。

 最低で、最低で、最低で、最低だった。


「あ…」

 彼女は、そのことを、この期に及んで理解した。

 ラディカではないと心を折られ、道具として身体を弄ばれ、その果てに自分を想い続けてくれた尊い存在を失って、そうしてようやく、理解した。

 客観的に見て、つまり、あの献身的なシスターの目から見て、ラディカという存在が、どんな風に映っていたのかを。


 そして、現実が、ラディカに突き刺さった。

 あの、何者よりも偉大だったシスターが、クソ野郎を、それでも助けようと手を伸ばしたがために、死んでしまったという。

 そんな、不条理な現実が。


 迸る、己への羞恥、悲憤、憎悪、唾棄、慚愧。

 屈辱的感情の、その全て。


「あぁッ…!!!」

「ぁ…、ァッ…!ァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 ラディカは、堪らず叫んだ。

 大切な人が死んでしまって、地獄すら凍ってしまうほどの冷や水を全身に浴びせられて、彼女はやっと、自分の目にも見えた。

 ラディカという人間の醜さ、愚かしさ、浅ましさ。

 だから、耐え切れなくなって叫んだ。

 自分という存在に耐え切れなくなって、叫んだ。


 直後、うるさいと、ラディカは入れ墨に腹を殴られた。

 彼女は圧迫され、また胃液を吐瀉した後、使い古した人形のように動かなくなった。

 声の一つも発さなくなった。

 彼女は、遂に何の抵抗もしなくなり、完全に暴漢らの都合のいいようになった。

 暴漢らは、ようやく従順になったのかと気を良くした。


 …もちろん、そんなわけがない。

 ラディカは暴漢らに屈したのではない。


 自分自身に屈したのだ。


 シスターとの記憶を思い出す。

 一つ思い出すたびに、身を裂かれる程の自責に襲われる。

 そんな記憶を、幾つも、幾つも、思い出す。

 思い出せてしまう。

 だって、ラディカはいつも、あのシスターを無下にしてきたのだから。


 あのシスターにとって、自分という存在が、本当に碌でもなかったことを、嫌というほど理解する。


 だから、ラディカは納得する。

 自分は、レイプ野郎共以下の、下衆の排便だ。

 この上ない、最低以下の最低だ。

 死んで当然のクソだ。


 そして、ラディカは決断する。

 死のう。

 死んで、償おう。

 死んで、いや、そんなことで、罪の全てが償えるとは、驕っていない。

 でも、少なくとも、死のう。


 死んだら、あの温かなシスターにもう一度会えるから。

 会って、目の前で、心の底から土下座できるから。


 懺悔。

 そして、贖罪の意。

 それこそが、ラディカへ最後に与えられた、シスターからの最高の贈り物であった。


「(下僕…)」

「(最期に、これ以上ないものをくれたわね…)」

「(死後に会えたら、目一杯褒めて、褒美もあげなくちゃね…)」

「(…あぁ、でも、下僕は天国だけど、私は地獄だから、死んでも会えないのかな…)」

「(…なら、生きてる間に下僕のことをもっと褒めておけば良かったなぁ…。感謝も、いっぱい伝えておけば良かったなぁ…)」

「(下僕…、私の下僕…、下僕…)」


「(げぼく…?)」


「(あれ…?)」


「(下僕…?犬…?犬以下…?あれ…?)」


「(下僕の名前って…、何だったっけ…?)」


「(…なんで、私、下僕の名前を知らないの…?)」


「(もしかして、覚えてないの…?)」

「(覚えようとさえ、しなかったの…?)」


『やっぱり私の名前、覚えてくれませんか…?【繧キ繝」繝医?】って、ファーストネームだけでいいですから…』

『嫌よ。死ね』


「(…そっか)」

「(ははは)」

「(私って、そんなにもゴミだったんだ)」

「(ははは)」


 ラディカは、つくづく辟易した。

 自分のことを振り返る度に、名すら知らないシスターの優しさを思い出す度に。

 自分なんてどうでもいいと思った。


「…ってかさ。コイツの処女、さっきので完全に破っちゃったわけ?」

「いや?派手にやっちまったのは確かだが、全部イッた訳じゃねぇだろ。所詮指だし。コイツ身体デケぇし」

「おー…、じゃあ…」

「まぁ…」

「…どうするよ?」

「…くじびき?」

「…じゃんけん?」


 下卑た会話が聞こえた。

 ラディカを台無しにしようというやり取りだった。


 …しかし、ラディカは、これを受け入れようと身体の力を抜いていた。

 彼女は、これを、私への罰なんだと自分に言い聞かせ、すんなり納得していた。


 彼女は決めた。

 あんなにも素敵だったシスターが無惨に死んだんだから、相対する、何もかもが愚かな自分は、もっと無残に死のうと。

 眼の前の暴漢らに、その仲間に、輪姦されるだけ輪姦されて、弄られて、遊ばれて、孕まされて、全ての希望を奪われて、屈辱を骨の髄まで味わって、最期の最後は、捨てられるか、殺されるか、力尽きるかしてくたばろうと。

 そう決めた。

 そういう、惨めな最期が自分には相応しいと確信した。

 悪女の自分にはお似合いだと確信した。


 だからラディカは、瞼を、人生の幕を、ゆっくりと下ろそうとした。

 それが良いと思ったから。

 彼女は、自分を投げ出した。


 「(さよなら…)」






 …だが、そんなことを、シャトーは望んじゃいなかった。

 彼女は既に死した。


 しかし、“ラディカを守る”という意志だけは、十分過ぎるほどに完遂していた。




 …それは、突然の出来事であった。


 ラディカの背が地面に横たえられ、上半身が、舌打ちする入れ墨にガッシリと押さえつけられた時。

 じゃんけんに勝ったらしい帽子が、鼻歌を謳いながら、いよいよズボンを降ろし、ラディカの秘部に暴力をあてがった時。

 …いよいよ、ラディカから、自分が完全に奪われようとした時。


 どこからか、叫び声が聞こえた。


「魔族だ!!魔族が現れたぞ!!!」


 その言葉に、暴漢らはピクリと反応した。

「…魔族だってさ」

「マジかよ、逃げなきゃじゃん」

「真に受けんなよ」

「冗談に決まってんだろバカ」

 叫び声への嘲笑の後、暴漢らは、呑気に凌辱を再開しようとした。


 …しかし、そんな楽観を消し飛ばすかのように、地面が突如、ドンッと揺れた。

 辺りから、巨大な破裂音と、爆裂音、それから、絶叫に等しい悲鳴が聞こえ始めた。


「…は?…は?」

「なんだよ…、なんなんだよ…!おい…!!」

 事態が只事じゃないと理解した暴漢らは、一方はラディカを押さえる体勢のまま、もう一方は犯さんとする体勢のまま、辺りを見回した。

 最終的に、暴漢らは、天を仰いだ。


 そして、見つけた。

 天に浮かぶ、二つの黒点を。


 その黒点らは、人型をしていた。


「…おいおいおいおいおい!!」

「マジかよ…。アレ、マジでそうなのか…?見たことねぇから分かんねぇよ…」

「いや…でも、そうとしか考えられないだろ…!あんな不気味な影…、そうとしか考えられないだろ…!!」


 …大陸人の殆どが見たことない。

 しかし、誰もが話に聞いたことがある。


 浅黒い肌。

 鋭い眼光。

 ローブのような服飾。

 そして、何よりも、人類を超越した、圧倒的存在感。

 鬼胎。


 魔族は、間違いなく、アメリー上空に現れていた。


 …これは、決して偶然の出来事では無かった。

 要因は、先程にシャトーが展開した、魔術の詠唱にあった。

 彼女が本気で魔術を詠唱した際に現れる、無限大に等しい魔力量と、その渦。

 それは、人類にとって、当然に神がかり的で、超常な出来事であったが、魔族にとってもまた、あまりにも不可解で、怪奇な出来事であった。

 人類側の戦力として、まるで想定をしていなかった、全てを上回る、余りにも理外な魔力量。

 それが、近頃、対魔族用に兵力を高めているアメリーに、突如現れたのだ。


 近隣にいた、先遣の魔族が警戒しないわけがなかった。

 何なら、その有り余る脅威度の高さから、即刻叩き潰さんと、独断で戦闘行動に移ることは、至極当たり前なことであった。

 事実、中空に浮かぶ魔族の一人は、只今に、未知の大敵を討ち滅ぼさんと、彼における最大威力の破壊魔術を発動させていた。


 詠唱により発現した小隕石の数々が、アメリーの街を、地盤ごと吹き飛ばしていた。

 アメリーを、惨状に帰していた。


「おい!これヤベェぞ!!逃げなきゃマジでヤベェぞ!!」

 入れ墨は、ラディカを放って立ち上がった。

「そっ、そうだな…!…あっ!あっ!でも…!」

 帽子は、逃げることには同意しつつも、もう先端が入りさえしていた瑞々しい果実を惜しそうに一瞥した。

「馬鹿かお前!?そんなのもうどうだっていいだろ!」

 対し、入れ墨は既に駆け出していて、少し離れた位置から、帽子を手招きして呼びかけた。

「逃げなきゃマジで死ぬんだぞ!?いいからサッサとそ…」

 …そんな売女なんか捨ててズボン履け、そして走れ。

 そう言おうとした入れ墨は、瞬間、頭上を照らされたかと思えば、周りの地面ごと消し炭になった。

 ちょうど、彼の真上に、小隕石が飛び込んできたからであった。

「ひっ…!ひっ…!ひゃぁぁぁぁっ!!!!」

 その光景に、帽子は腰を抜かした。

 その後、彼はまだ履き切れていないズボンに足を絡め取られながら、モタモタと、惨劇とは反対方向に逃げた。

 が、彼もまた、少し迷走したところで小隕石に消し飛ばされた。

 暴漢らは、シャトーの絶大さ、その一端を前に、あっけなくこの世から消えて、死んだ。


 (ラディカの周囲には、小隕石が集中して降り注いでいた。それは偏に、ここが超大な魔力の発生源と特定されていたからであった)


 …しかし、暴漢らが消えども、攻撃は止まない。


 周囲が、どんどん灰になっていく。

 光景が、地獄絵図と化していく。


 そんな環境で、ラディカはポツンと自由になった。

 冷たく眠るシスターと二人きり、たったそれだけになった。


「あ…、ははは」

「やった…」


 ラディカは、口角を上げた。

 起き上がろうとした。

 しかし、身体は思うように動かなかった。

 ボロボロにされ、損傷だらけの全身は、もう動けないと悲鳴を上げていた。


 それでも、ラディカは動いた。

 醜く、地面を這ってでも、シスターの元に向かった。

 …最期に一つ、どうしてもシスターに施したいものがあったから。


 何十秒もかけて、ラディカはようやく、たった1m弱先にいた、後頭部から脳漿を垂れ流す、むごいシスターの元に辿り着いた。

 その後、最後の力を振り絞って、何とか自分の身体を持ち上げたラディカは、壁によりかかるシスターに覆いかぶさった。

 …無事な左手を、下腹部の下にやった。


 …そして、ラディカは、シスターの上に腰をゆっくり下ろした。

 それと共に、脚を絡めて、両腕を後ろに回して、シスターをきゅっと包容した。

 …痛みの後、ラディカは、ゆったりと安堵のため息を吐いた。


「よか…った…」

「これくらいしか…、今の私には、貴方にあげられるものがなかったから…」

 ラディカは、今、自分と一つになったシスターの綺麗な金髪を、何よりも愛おしそうに撫でながら言った。

「でも…でもね…?」

「私の初めてにはね…?凄く…凄く価値があったのよ…?だって…これを求めて、数多の殿方が憐れな末路を迎えたんだから…」

「どう…かしら…?これならば、貴方も誉れに思ってくれるかしら…?」

 彼女は、涙ぐみながらも、嬉しそうに伝えた。

「…ダメ押し」

 ラディカは目をつむり、そっと、シスターの唇に自分の唇を重ねた。

 それもまた、彼女の初めて。


 しばらく、くっつけていた唇をゆっくりと離した後、ラディカは改めて、静かに眠るシスターを眺めた。

 大好きな、貴方。

 温かい気持ちが、いっぱい溢れてきた。


 ラディカは、観念したかのように笑った。

 そして、思った。

「(むしろ…、こんなにも素敵な貴方に初めてを捧げられたなんて…、私の方が誉れですわね…)」

 彼女は、シスターの肩に頭をポスっと乗せた。そして、愛する人に甘えるように、シスターに頬ずりした。

「貴方は、何でもない私にこれ以上なく尽くしてくれた…。本当は孤独で、何も出来なかった私に全てをくれた…。この世の誰よりも素晴らしい人だった…。私には勿体無い…、勿体無過ぎる人だった…」

「貴方に会えたこと…、共にいられたことは…、本当に、本当に、私の生涯で、一番の宝物ですわ…」

 ラディカは、もう一度シスターにキスをした。

 今度は、優しく、柔らかくではなく、求めるように、深く、深く、キスをした。

 艶やかに、時を重ねた。


 …地響きは、絶えず鳴り響いていた。

 周囲の家屋は燃え、火の粉を撒き散らしていた。

 四方から悲鳴が聞こえ、至るところで惨劇が起きていることが分かった。


 しかし、ラディカは、とても穏やかな気持ちであった。

 まるで、雄大な草原の上で、大切な人と一緒に寝転がっているような、そんな安心に包まれていた。


 死を前にして

 懺悔して

 シスターに自分を捧げられて


 悪女の自分が、もう、灰となって消えることが分かって


 ラディカに、思い残すことは何もなかった。


「ねぇ…シスターさん…?私の素敵なシスターさん…?」

「このまま、二人で一緒に死にましょう…?」


 先程まで、チマチマと小隕石を撃ち込んでいた魔族に対し、しびれを切らしたのか、もう一人の魔族が動いた。

 彼が魔術を唱えると共に、天空に、アメリーを覆い尽くす程の巨大な火球が現れた。

 それは、太陽のように煌々と灼熱を放ちながら、のろまに、しかし着実に、地上へと降り始めた。


 確実な死が、ゆっくりと近づき始めた。


「あったかい…」


 ラディカは、シスターを抱き寄せ、訪れる最期を、胸いっぱいの温もりと共に迎えた。


「(シスターさん…、私の、大好きなシスターさん…)」

「(死んで、それでも、会えなかったとしても、生まれ変わったら、きっと会いましょう…?)」

「(その時、ようやく貴方に会えたなら、私は必ず、心の底から謝るから…、感謝の言葉を、いっぱい伝えるから…)」

「(そしたら、呆れながらでもいいから…、また、名前を教えてね…?)」


 優しい気持ち。

 穏やかな気持ち。

 悪女の時には無かった気持ち。


 ラディカはようやく、ゆっくりと瞼を下ろすことができた。

 人生が、終幕した。


 それは安らかな、本当に安らかな死であった。






 …しかし、神は、ラディカにそれを許さなかった。

 彼女には、清算すべき恐るべき罪が、まだたくさん残っていた。


 


 …全てが幸せに終わろうとした時、それに待ったをかけるかの如く、ラディカから欠落していた、ただ一つの過去が姿を現した。




 …キッカケは、突如としてラディカの内から溢れ出した、火球すらも焦がすほどの異常な熱であった。


「え…?」


 ラディカは、不意に迸った感覚に、目を覚ました。


「なに…?」

「なんなの…?」


 異変は、右手から始まった。

 暴漢に踏み潰され、指の全てが無茶苦茶な方向に曲った酷い右手が、突然、ラディカの意識に関係なく胎動を始めた。

 手の形が、内側から、メキメキと音を立てて、変化していった。

 まるで、崩れた粘土をこね直すように…。


 …やがて変化は、右手指の完全なる回復という形をもって終了した。


 ラディカは、シスターの背に回していた右手を凝視した。

 何事も無くなった、健康そのものの右手を震える目で見た。

 そして彼女は、うわ言のように呟いた。


「なんで…?」


 直後、右手と同じように、他の損傷部が蠢き始めた。

 彼女の意志を完全に無視して、肉が、グチャグチャと自在に伸びたり、骨が、バキバキと元の形に戻ろうとした。


 …それは、神がラディカに与えた、最悪の異能。

 神から、死にゆく悪女への、祝福。


「なん…」

「で…」


 再生。

 そして、復活。


 気がつけば、ラディカの身体は、完全に何の変哲もない、傷一つ無い姿を取り戻していた。

 死とは程遠い、健康そのものを表す体になっていた。


 ラディカの内に、じわり、じわりと絶望が溢れ出した。

 希望が遠のく。

 優しさが、穏やかさが、心地良さが、自分の腕の中から逃げていく。


 …気づけば、ラディカは、ポロポロと涙を流していた。


「どうして…?」

「私を、死なせてくれないの…?」


 そして、火球は落下を完了し、アメリーを完全に飲み込んだ。


 そこにあった全ては、とてつもない光と、何もかもを焼き尽くしてしまう炎に覆い尽くされた。






……

 (今更誰も興味無いだろうけど、嫌な思い出の続き)


 …これは、大分後の、未来に交わした会話。


「…あぁ?脅されてやった犯罪の処遇?国内法でか?んなもん聞いてどうすんだよ」

 信号待ちの軽トラ、私だと脚を畳まざるを得ない狭い車内、ガンガンにユーロビートが流れる恐怖の車内にて。


 いいから教えて、学者さんでしょ?

 私がそう言うと、本日二箱目の赤マルの一本目を取り出すことに苦戦していた運転主の彼女は、私ゃ歴史家だよバカと、眉をひそめて言い返した。

 …が、そうは言いつつも、彼女は優しいから、少し沈黙した後、ため息をついて、手を止めた(代わりに、箱を私に渡して「一本取って、火ぃ点けて私にくれ」と頼んだ)。

 そして、彼女は、門外漢なんだけどなぁと愚痴りつつも、膝に置いたスマホで知識の再確認をした後(弁護士事務所のブログって便利よねー)、私のわがままに答えてくれた。


「…脅迫に限った話じゃねぇが、ストレートに罰が下されない場合はあるぜ。緊急避難って言ってな。まぁ、お前はアホの子だから、詳しく言っても分かんねぇだろうから、噛み砕きまくって言うと、しでかしてしまったことが、危ねぇ状況から抜け出すためで、大切なものを守るためで、マジのマジでやむを得なかったら、しゃーねーから罰しないか、減刑するって考え方だ」


 へぇーっ、と、私から声が漏れた。

 私は、それが王国よりも進んだ国の考え方なんだと驚いて、彼女の方を向いて、目を輝かせた。

 (実際、後でオルレに聞いたけど、王国にはキンキューヒナン?なんてルールは無かった)


 実のところ、私は、彼女の優しさに甘えて、軽く弱音を吐きたかっただけだった。

 切り出した話題は、そのための適当な礎に過ぎなかった。

 でも、意外にも一縷の希望を見せてもらえて、嬉しかった。


 だけど、そうやって浮かれる私に、彼女はムッとした。

 彼女は、吸い始めたばかりのタバコの火種を私のほっぺにグリグリ押し付けた後、言った。


「…ラディカ。お前、勘違いすんなよ?緊急避難は、あくまで法律上のルールなだけで、カルマを帳消しにするわけじゃねぇぞ?」

「当たり前だろ。刑法典は聖書じゃねぇし、裁判所は修道院じゃねぇんだ。テメェの罪を罰さないことは決められても、テメェの罪を赦すことは出来ねぇんだよ」


 …そうなんだ、と、私は俯いた。

 そうやって、身勝手に落ち込む私に、本当に強い女性である彼女は、更に、釘を差すように言った。


「…私も、お前と同じくらい大切な人を傷つけて生きたクズだからな。だからこそ、お前には同族嫌悪的に厳しく言える」

「そもそも、罪ってのは、どんなものであろうとも、作ってしまった時点でアウトなんだ。だって、そこには確かに、何かのためなら罪を犯せてしまう己がいて、そのエゴのために傷ついた誰かがいるんだからな」

「…だから、赦してもらえるなんて思うんじゃねぇ。いつか、勝手に罪が消えるかもなんて、もっと思っちゃいけねぇ。言い訳や、逃げ道なんておこがましい希望は、私たちのような間違ってしまった人間には、そもそも許されちゃいねぇんだ」


「私たちは、真摯でなくちゃいけねぇんだ。過去を悔いて、今を償って生きていくしかねぇんだ。たとえ死のうとも。愚かな自分と、誰かの傷がそこに在る限り…」


 …彼女は、全て的を得ていた。


 事実として、過去の私は、たとえ、お母様に脅されたからだとしても、「そんなことしたくない」と、精一杯お母様に抵抗した後だとしても、最終的には、自分の幸せのための悪を決行できてしまえる、愚かな精神性を有していた。

 加えて、傷は、間違いなく今に存在していた。妹に悲しく泣かれて、「ごめんなさい」「もうしないで」と訴えられた記憶は、私の内に鮮明に残っていた。たとえ、私がそれを忘れていようとも、妹の、あの短な銀髪は、今でも確かに在った。


 彼女の言葉の数々は、私や彼女が、言われなくても分かってなくちゃいけない、基本的な姿勢を説いていた。

 …たとえば、私が完全に悪女に成り切れて、もはや、それ以外が自分を構築しないのであれば、私は彼女の説法を無視できた。

 でも、中途半端に悪女に振り切っていた私には、これを無視することなんて、出来なかった。


 私は、過去を悔いて、今を償わなければならなかった。

 どんな言い訳も、逃げもせずに、ただひたすらに、清算に励まなければならなかった。


 分かっている。

 けど、分かっているからって、出来るとは限らない。

 特に、弱い私では

 アメリーにいた頃の、まだまだ悪女でしかなかった私では


 …本当は、こんなことを言いたくはないのだけれども。

 オルレや、シスターさんは間違っていた。


 二人とも凄く優しいから、私のことを、無垢で、あどけないと言う。

 ふにゃんとしていて、オドオドしていて、簡単に笑ったり、泣いたりする私のことを、可愛いと愛でてくれる。

 そうして、私のことを、ただの女の子だと信じて、大好きでいてくれる。


 けど、実際のところ、その見立ては、見間違いと言って過言じゃない。


 だって、本当の私は、無垢で、あどけないんじゃなくて

 単に馬鹿で、物事を分別する力が無かっただけなのだから。

 足腰が出来ていなくて、勇気ある一歩が踏み出せなかっただけなのだから。


 頭が未熟で、身体すら未熟。

 その証拠に、私は、一般教養もマトモに知らなかったし、ずっと処女だった。

 それと同じように、お母様の言葉の全てを受け入れてしまって、妹を守るためのあらゆる努力から逃げてきた。


 私は、ずっと子供のままだった。


 誰も愛さないお母様を、私だけが愛そうとした

 お母様からの愛こそが、私らしい幸せだと信じていた

 あの頃のままだった。


 私はずっと、お母様が大好きで、お母様と、妹と、私で、仲良く手を繋いで歩くことが出来れば、どれほど幸せかと、妄想してしまっていた。

 馬鹿みたいに、そんなぬるま湯があればいいなと考えてしまっていた。

 身勝手に、幸せに“私らしさ”なんて求めてしまっていた。

 “私らしさ”こそが、未発達と現実逃避の証だと気づかずに。


 私の成長は、止まっていた。

 頭と、身体と

 何よりも、心の成長が止まっていた。


 それ故に、成長しようという気概が失われていた。

 神学校に行かせてもらえない分、コソコソと自力で勉強しようだとか

 言い寄ってきた誰かと、試しに恋愛をしてみようだとか

 そういうことが、まるで出来なかったように

 私には、過去を悔いて、今に償うことなんて、することが出来なかった。

 悪女から脱却しようという勇気に欠けていた。


 だから、私は、安易に楽になろうとした。

 オルレの助けに夢見て、シスターさんの温かさに包まれようとした。

 何よりも、死ぬ寸前に「ごめんなさい」と、一言だけ添えれば、これでいいやと思ってしまった。

 “どうしようもない悪女”のまま、死んでも良いと思ってしまった。


 そんな私に、死が許される訳がない。

 死なんてご褒美、与えられる訳がない。


 強くならなければならない。

 でなければ、悔いることも、償うことも出来ない。


 成長して、強くなって


 歪みに立ち向かい、罪に向き合い

 自分を見つめて、自分を受け入れ


 そうして、私が、私を乗り越える、その日まで

 私が、本当の意味で、屈託なく笑顔になれる、その日まで


 私は死なない。




 本性が、其処に在る限り


 悪女は復活する。




……




 月夜の下。


 何もかもが消滅した。


 そこにはもはや、灰と砂漠しかない。

 アメリーと呼ばれた街も、行き来していた王立軍の重騎士や魔術師も、四等車の御者も、安宿の夫婦も、留置場の衛兵も、人だかり共も、バラルダ公も、彼の従者も、どころか、城壁を越えた先、数里の起伏までも。

 何もかもが形を失った。


 激しい熱と光は、全てを無に帰した。

 水は全て蒸発した。

 草も木も根絶やしにされた。

 石すら溶けて消えた。


 全ての生命が焼き尽くされた。

 ここにはただ、昼の砂漠よりも燃えたぎっていて、氷塊の上よりも生命の匂いがしない、ひたすらに、枯れた地しかない。


 もはや、この地は何も生まない。

 風が種子と雨雲を運んで、自然が再びやって来ない限り、もしくは、人々が再び開墾し始めない限り、ここは死の地であり続けるだろう。


 …しかし、風が、熱と砂をさらったとき、そこにラディカは在った。


 焼け焦げる大地と、かつては街を構築する何らかであった灰の中に、彼女は生きていた。


 草も木も、水もない、ただの無の上に、彼女は完全なる己を保有していた。


「…そうだ」

「…そうだった」


 彼女は、何事もなかったかのように顕在している両手を、握ったり開いたりして、只今に自分が現実にあることを理解した。

 そして、思い出した。


「私は、処刑されたんだった…」

「シテの大広場で、みんなの前で、お父様と、お母様の後に、処刑されて、死んだんだった…」


 すっかり、何もかも思い出した。

 到底信じられなかった過去が、只今の自分を証拠に、確実に存在することを理解した。


「でも…」

「それなのに、私は生きている…」


 同時に、眼前に、どうしようもない絶望が見えた。


「死んだのに、死にたいと思って、死んだのに、それでも生きてしまえる…」

「私は、死んでも、死んでも、死ねないから、いつまでも私で有り続ける…!」


 ラディカという、絶望が見えた。


『…貴女は、どれだけ嫌がろうとラディカで、私の娘なの』

『…私が死んでも、貴女は生きて、悪女で、ラディカなの』


『…泣いて嫌がって、首を横に振っても無駄よ?』


「そう…なんだ…!」

「全部、お母様の言う通りで…」

「私は…、私から逃れられないんだ…!」


「あはっ…はは…!」


「誰か…私を助けてよ…」


 しかし、誰も返事をしてくれなかった。

 してくれるわけがなかった。


 だから、ラディカは、傷一つなく存在する、惨たらしく悪女の己を必死に抱きしめて、溺れるように泣いた。


 受け入れがたい節理と条理を抱きしめて、これらを憎むようにして泣いた。


 泣くしかなかった。


 …これから、ラディカは長い旅路を歩む。

 澱みのない生を求めて、幸せを求めて、彼女は歩み続けて、死を紡ぐ。

 自分の死と、大切な人の死を、何度となく積み重ねて、止まっていた成長を取り戻す。

 無垢で、あどけない、ただの女の子のままだった自分を、大きく育てる。


 ラディカはいずれ、強くなる。

 自分に負けないくらい、悪女に負けないくらい、誰にも、何にも負けないくらい、彼女は立派になる。


 ラディカはやがて、歪みに、母に立ち向かう。

 罪に、妹に向き合う。

 そして、彼女は己を乗り越え、笑顔で最期を迎える。


 …だが、とりあえず、今日のラディカは幼子のように弱いから、眼前に佇む、死よりも恐ろしい生に負けてしまって、泣き崩れるしかなかった。


 己という、絶望のどん底に沈むしかなかった。

【あとがき】

 …書きたいもの書いてたら、こんなものが出来ちゃった。

 ご一読、ありがとうございました。

 お話は、もうちょっとだけ続くので、またいらしていただけると、ありがたいです…(各章ごとにまとめて投稿するから、投稿スパンは空きまくりだろうけどなぁ!!)。

 …エゴいお願いですが、もし、あなたの周囲に、こんなへんてこりんなお話が好きだという変態がいらっしゃれば、差し支えなければ、お勧めいただけると幸いです…。

 …尤も、このお話をここまで読んでくださった物好きな方が、そもそもいるのかどうか分かったもんじゃありませんが…。

 …それでも、最後まで読んでくださった、本当に心優しいあなたへ。


 私にとって、あなたは、他の全てとは違う、特別な何かを持った存在ですよ。

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