1 (10) 『愛に恵まれて』
「そうでしたか…。貴女が彼の義子さんでしたか…」
がらんどうのシテの大聖堂、その大礼拝堂に、私とレジティ様はいた。
がらんどうなのは、本来、観光地として常に人でごった返しているはずの大聖堂全域を、レジティ様が、私とお義父さんのために、わざわざ立入禁止にしてくれたから。
おかげで、何千人もが一斉に礼拝できる巨大な空間には、私たちと数人の高位神官以外、本当に誰も居なかった。
気持ちいいくらい静かな空間だった。
「あの…本当に良いんですか…?」
大礼拝堂の、最前列の長椅子に小さく座る私は、大礼拝堂の奥、処置室を一瞥した後、隣に座るレジティ様に尋ねた。
「…お義父さんは、確かにシテ勤めの高位神官で、高級職者でした。でも、それは昔の話です。お義父さんは自ら神官長様に神官の認可を返上し、一介のバラルダ公領民に戻りました…」
「…だから、このような荘厳な場所で葬儀をしてくださるのは、少し厳か過ぎる気が…」
私がそう言うと、レジティ様は、私におずおずと尋ねた。
「もっと、ひっそりと弔うべきでしたか…?」
私は咄嗟に首を横に振った。
「いえ…!むしろ、レジティ様にここまでして頂けて、お義父さんも喜んでいるはずです…!」
レジティ様は、「それなら良かった…」と、柔和に安堵した表情を私に見せた。
レジティ様は、俯いて話した。
「…ジーヴル・ベル。残念ですが、王家の臣下に牙を向けた以上、彼は王国への反逆者です。本当に悔しいところですが、今の制度上、それを覆すことは出来ません」
「…ですが、それ以前に、彼は、神学校時代の私の恩師でありました。…どんな教師よりも気高く、正しく、素晴らしい方でした。彼の教えを受けることが出来たことは、私の生涯における、何よりの幸運で、誇りです」
「…個人的に、彼には返しきれない恩があります。だから私は、内密に、今の世情に反してでも、彼を丁重に弔いたかった…」
…それは、レジティ様が、どうしてお義父さんにここまで良くしてくれるのかの、種明かし。
貴い方の、隠された想いの独白。
…レジティ様とお義父さんに交流があった事実。
それは確かに、驚嘆すべき情報だった。
でも、でもだね。
情報の意外性とは、そのショッキングとは、より身近な秘密であるほど、大きいものになるものだ。
だって、そうだ。
身近な秘密の方が、それを知らなかった事実を突きつけられた時の罪悪が凄まじいのだから。
…家族というものは、どこか神聖で、言葉が無くとも通じ合える存在であるべきだと考えられて、何よりも、互いが互いのことを何でも知っているべきだとされる。
家族でなくても、そういう関係が尊いとされる。
私だって、そう思う。
大切な人のことを何も知らないって、気味悪いと思う。
だからこそ、私は、レジティ様の話を聞いて、顔が真っ青になった。
…私って、そんなことも知らなかったの?
『お義父さんの子』なのに?
お義父さんのことを、あれだけ大好きで、愛していて、堪らなかったのに?
「お義父さん…、神学校の教師だったんですか…!?」
「…?えぇ、そうですが…」
「なんで…!?なんで、お義父さんが神学校にいたんですか…!?だって、お義父さんは…」
「…高給なことと、私への接触を、彼は理由として語っていましたが…」
「…ご存じ、ありませんでしたか…」
「…はい」
…知らなかった。
本当に何も知らなかった。
思えば、知ろうともしていなかった。
お義父さんの仕事。
考えていること。
よく考えれば、私は、私と接していない時のお義父さんが、何をしていて、何を考えていて、誰と話しているのか、予想や妄想すらしたことがなかった。
私は穏やかな日々の中でも、お義父さんの帰りを待つことしか、したことがなかった。
頭を撫でてほしい、微笑んでほしい、それだけしか、考えたことが無かった。
私という人間は、本当に、家族としてのお義父さん以外に興味が無かった。
私は、私が好きな部分にしか、見向きしなかった。
嫌いな部分には、逆に、顔を真っ青にしたり、唾棄したりするだけだった。
私は、本当に大切な人の、その奥を知ろうとしなかった。
薄情な人間だった。
そのことに、私は、この期に及んで、ようやく気がついた。
「私は、お義父さんのことを…」
「何一つ…、知らない…」
この時の私は、少しばかりピーキーだったと思う。
そりゃ、あんなことが遭った後なんだから、無理はないと思う。
けど、恐るべき後悔が私を襲ったことは確か。
罪悪感に心が支配されたことは確か。
私は、お義父さんが亡くなって、何もかも手遅れになって、ようやく、自分がマトモにお義父さんに寄り添えていなかったことに気がついた。
ずっと、私の内に蔓延っていた、お義父さんへの独善的感情に、気づくことができた。
『有象無象が…!お義父さんのことを…理解する気すらなかったくせに…!!』
よく言えたな、そんなこと。
お前だってそうじゃねぇか。
その後、私は、思考と感情を無茶苦茶に拗らせて、大声を上げて泣きじゃくった。
そんな面倒臭い私の背を、レジティ様は何度もさすって、慰めてくれた。
「貴女は悪くない」「貴女の落ち度じゃありません」「彼が、口を紡いだだけですよ」と、優しい言葉をかけてくれた。
私は、優しくてたまらないレジティ様に、申し訳なくてしょうがなかった。
だって、そんな慰めじゃ、私の心は埋まらなかったのだから。
私は、どこまでいっても自分勝手なんだから。
静けさが、残酷過ぎた。
鈍重に、私を串刺しにする時間が流れた。
…国王や、皇のご遺体も担当する、大聖堂の高位神官らによる魔術的エンバーミングは非常に丁寧かつ、迅速で、お義父さんは、あっという間に綺麗に、完璧に清められた。
その後、大聖堂にて、一晩かけて葬儀が行われた。お義父さんは、典麗な棺桶に納められて、いよいよ死に逝った。
…葬儀の唯一の参列者である私とレジティ様は、最期にお義父さんの元に寄った。それと同時に、葬儀を担当した高位神官らは皆、何も言わず、そそくさと大礼拝堂を後にした。
広々とした空間に、私と、レジティ様と、お義父さんだけになった。
…共にお義父さんの死に顔を見ているというのに、私とレジティ様では、随分様子が違った。
レジティ様は、なんというか、ホッとしていた。お義父さんをこれ以上なく良く弔えたことで、自分から憑き物が一つ無くなったと言わんばかりだった。
レジティ様は、笑んでお義父さんを見送っていた。
…一方で、私は違った。私にはずっと、笑みなんてなかった。スッキリとした気分も、安心も、何もかもなかった。
あるのはただ一つで、今にも顔をグチャグチャに潰してしまいかねない、お義父さんに対する、大きすぎる後悔だった。
…静かに眠るお義父さんは、今も、星型の石の首飾りを下げている。
…私の、精一杯の想いを首に繋いでいる。
…お義父さんに押し付けてしまった、私のエゴ。
…私からお義父さんへの、重い自縛。
…私は、この期に及んでも、お義父さんに蘇ってほしい、今度こそ私はお義父さんのことを理解して、愛して、尽くすから、お願いだから目を開けてほしいと、未練たらしく思っていた。もうすぐ閉めなければならない棺桶の縁を両手でギュッと掴んで、決して閉めさせないようにしていた。
「…貴女は、本当に彼を愛していたのですね」
レジティ様が言った。
「葬儀とは、その者が持つ故人への想いが露骨に表れる、ある種、独善的な場です。…もう、故人に想いを届けることができない。だからこそ、心の殻が溶けて消えて、真っ裸になるのでしょう」
「故人へ抱いていた愛が大きい人ほど、それが露出して、焦燥し、後悔するのです」
レジティ様は、どこまでも優しかった。
それなのに、私は厚顔無恥にも言い返した。
「…それは違いますよ」
「こうして、亡くなった大切な人に対し、悲しくて、悔しくて、しょうがなくなるのは、生前の自分が、故人を十分に愛せていなかったからですよ…」
「だって、『こうしておけば良かった』『ああしておけば良かった』なんて気持ちは、故人に対し、自分が怠慢だったからこそ、出てくる悔恨なんですから…!」
「お義父さんに対する、取り返しのつかない過去なんですから…!」
私が震える声でそう言うと、レジティ様は、そっと私の肩を抱き寄せてくれた。
今にも泣き崩れそうになっていた私を、支えてくれた。
「…貴女と彼の関係は、彼から伺っています。だからこそ、私は断言できます」
「…貴女は、何も悪くない。…先ほども伝えましたが、貴女が彼の職業を知らなかったこともまた、その一つです。何もかも、貴女の落ち度ではなく、貴女たち親子の特別が故、仕方がないことだったのです」
「だから、どうか、その点で自分を責めることは…」
「…そんなの、知ったこっちゃありませんよ!!」
私は、強烈にレジティ様を否定した。
「特別とか、仕方がないとか、そんなのは、ハッキリ言って慰めにもならない…!だって…」
「だって…!今、私の目の前にあるのは、ただひたすらに、失意の内に亡くなったお義父さんの姿なんですから…!!」
…レジティ様の言うことは、一つだけ正しい。
私の心は、確かに殻が無くなって、裸になっていた。
だから、私は、周りの迷惑なんか考えず、無茶苦茶に叫びながら、レジティ様に八つ当たりした。
それにも関わらず、慰めてほしくて、御方にしがみついて、震えていた。
私は、レジティ様の服を引っ張りながら、内に溜まっていた葛藤も、鬱憤も、全部表に出した。
「…私はもっと、お義父さんの考えを理解すべきだった…!正しい歴史とか、真の支配者とか、そんな言葉の数々を、もっと深く考えて、しっかりと捉えるべきだった…!」
「だって、そんな世迷言、陰謀論、変なことの中に、お義父さんの夢はいつも、あったんだから…!そのためなら死んでも良いとさえ思える、とても大事な気持ちがあったのだから…!」
「それなのに、私は、そんな、大切なお義父さんの言葉の数々を、お義父さん以外の大切でも何でもない物から得た情報と照らし合わせて、そっちの方が客観的に、常識的に正しいからって、お義父さん以上に信じ切って…、挙句、お義父さんのことを、気狂いとか、大嫌いとか思ってしまっていた…!」
「でも、でも…、私は、そう、合理的に考えてしまう自分が嫌で、殺したくて、変わろうと努力した…!いっぱい頑張った…!頑張ったから、私は確かに、お義父さんに寄り添えたと思えた…!」
「でも、それは傲慢で、欺瞞で、自己満足で…、私はやっぱり、お義父さんの夢には寄り添えてなくて…、気狂いで、世迷言な夢なんて、叶わなくても、報われなくてもいいとさえ、考えてしまっていた…!」
「私は結局、殺してしまいたい程に憎い私を…、殺せなかった…!」
「本当なら、私は『シャトー・ブリアン』であるべきだった…!!思えば、私はそのために拾われて、育てられたんだから…!」
「もっと、冷酷になるべきだった…!それこそ、うさぎ一羽を殺した程度で苦しまない、善性も欠片もない人間になるべきだった…!」
「もっと、無知蒙昧になるべきだった…!それこそ、お義父さんの言うことなら全て正しいと、何も峻別せずに呑み込めてしまえる、理知の欠片もない人間になるべきだった…!」
「なのに…、私は自分勝手に、『お義父さんの子』で在りたがった…!頭の中では、お義父さんに尽くせていたらそれでいいと思いながらも、心はいつも、お義父さんに頭を撫でてほしいと、ねだっていた…!」
「あまつさえ、お義父さんと、親子として、ずっと一緒に、穏やかで、ゆるやかな日々を過ごすことを、願ってしまっていた…!」
「どこまでいっても、私は、希望を捨てられなかった…!」
「だから、その愚かしさの末路として、お義父さんは、後悔まみれに死んで…」
「安らかに眠ることさえ、できなかった…!!」
私は、レジティ様の服を涙と鼻水でグショグショにしながら、訴えた。
…レジティ様としては、自分に訴えられても、しょうがないだろうに。
でも、私は救われたかった。
「ねぇ…、レジティ様…!?私はどうすれば良かったんですか…!?私は、どう生きれば、最期の最後まで幸せになれたんですか…!?」
「やっぱり、私には、『シャトー・ブリアン』しか許されていなかったのですか…!?でも、そんなの、残酷過ぎて耐えられない…!!」
「だって、私の本心は、今も、この期に及んでも、夢なんて、世迷言なんて、そんな下らないモノのために、お義父さんには死んでほしくなかったって心の底から考えているんだから…!」
「私は、どこまでいっても、お義父さんの夢を嫌って、憎んでさえいるんだから…!!」
「これなんですか…!?この考えこそが、お義父さんの幸せを奪っていたんですか…!?」
「私の、罪なんですか…!?」
…レジティ様は本当に慈悲深い方で、こんな愚かで情けない私にも、親身だった。
レジティ様は屈んで、自分の胸に私を抱き寄せてくれて、思う存分、私を悲しませてくれた。
ポン、ポンと背を優しく叩いて、あやしてさえくれた。
やがて、私は泣き過ぎて、涙も鼻水も枯れてしまって、悲しむことさえ出来なくなってしまった。
私は悲壮ですら、その程度が限界だった。
どこまでも浅ましかった。
「…シャトーさん」
レジティ様が呼びかけてくれた。
見上げると、レジティ様は微笑んでいた。
ただし、目が腫れぼったかった。
私に同情して、泣いてくれていたから。
私は本当に、レジティ様への感謝と申し訳なさでいっぱいになった。
レジティ様は、私の目を見つめて言った。
「これは、あくまでも、貴女ほどに彼への愛に深くない、不埒で、他人な私の勝手な所感ですが…」
「…私には、彼が不幸だったとは思えません」
「未練でも、後悔ばかりでも、貴女にそこまで想ってもらえたのなら、彼は幸せだったと思います」
「…貴女が彼を想い、彼が貴女を想った。それは、この世の何よりも素晴らしいことです」
「だからこそ、貴女は、そんなにも素敵な人に育ったのだと思いますよ…」
レジティ様は、私の背を擦りながら伝えてくれた。
未だ、嗚咽を漏らす私を、言葉で、行動で、慰めてくれた。
それでも、おこがましくも、私はレジティ様に異見した。
「なら…、私が『シャトー・ブリアン』として拾われた意味は…、一体、何だったんですか…?」
「…貴女は、名を、シャトー・ブリアンというだけの、ただの彼の子だったんですよ」
「それだけが、真実なんですよ…」
…そんなの。
そんなの、都合が良過ぎる。
私は、どうしてもそう思ってしまって、レジティ様から目を逸らして、俯いてしまった。
「…自分を許せませんか?」
「だって…、こんな後悔、したくなかったから…」
私がそう答えると、レジティ様は軽くため息をついた。
面倒、不愉快のため息ではなく、「分かったよ」という、諦念のため息。
レジティ様は、私に顔を上げるように言った後、私の両目から伝う涙の痕を指で拭った。
前のめりになって、手で私の前髪を軽く上げた。
…そして、レジティ様は、呆然とする私の額に、そっと、キスをされた。
「…これは、勇気が出るおまじないです」
「昔、大切な人に教えて貰いました…」
「大切な人…」
「えぇ。後悔の中で亡くしてしまった、大切な人」
「…あの人の全てを信じることが出来たのなら、私はきっと、あの人を失うことも、後悔することもなかった」
「尤も、私は薄情な人間ですから、後悔を払拭しようだなんて、考えもしませんでしたが…」
レジティ様はふっと自分を嘲笑して、凄く寂しそうにそう言った。
「それよりも…、貴女に勇気を与えた理由です」
レジティ様は、ゆっくりと瞼を閉じた後、瞳を、真剣な眼差しに変えて、私を見つめた。
そして、言った。
「先に私は、大切な人の“全てを信じることが出来れば”、後悔することは無かったと言いました。…これは恐らく、真理です」
「信じる力は途方も無い。どんな軋轢も、どんな障害も、どんな偏見も、その人の全てを信じることさえ出来てしまえば、全て吹き飛んでしまう…」
「信じること、それさえ出来れば、貴女はきっと、彼の全てを愛することが出来る…。『彼の子』として生きながら、彼の夢を継ぐ、『シャトー・ブリアン』で在ることが出来る…」
「…その道さえ辿ることが出来れば、きっと貴女は、後悔することなく、愛に溢れた、澱みない生を送ることが出来ます。…幸せになることができます」
「…しかし、その道は本当に険しい。苦しみにまみれ、不自由に押し潰される、恐るべき道です…」
現に、私だって、途方も無く苦しくてしょうがない…。
あの人は悪女に決まってると、思考の自由を捨て、信じ込み続けること
そうすることで、私らしい幸せに突き進むこと
その重圧に耐え切れなくなって、私はいつも、はち切れそうになる…。
「…これだけ脅しても、貴女は凄く強い人だから、きっと、この道に足を踏み入れたい。…そう思っているのでしょう?」
「自分の幸せのために…、そして、彼の幸せのために…」
レジティ様は、私に、首を傾げてみせた。
私は、コクリと頷いた。
怖ろしく、私を脅すように救済の手を差し伸べるレジティ様に、私は迷わず手を伸ばした。
…すると、レジティ様の真剣な眼差しは、嬉々として、恭しい目に変わった。
「…ふふっ。貴女は本当に素晴らしい方ですね。出来るならば、私の側近として、忠義に尽くしてほしいものですが…。そうはいきませんよね…?」
レジティ様は冗談交じりにそう言った。
私が小さく謝ると、クスッと笑って「それは残念」と、惜し気に呟いた。
ならば、貴女が『シャトー・ブリアン』に成れた時、改めて命ずることにしましょう…。
…それで、私は、信じるために何をすればいいのか、尋ねた。
それは、早く恩人のレジティ様に尽くせる人間に成りたい、という気持ちからでもあったが、何よりも、私は早く救われたかった。
すると、レジティ様は、おもむろに立ち上がった。
辺りを見渡して、ふうと息を吐いた。
…次の瞬間、私の隣に鎮座する棺桶から、バタンと大きな音がした。
音に驚いて、慌てて立ち上がると、棺桶は、いつの間か、数人が協力して持ち上げなければ動かないほどに重たい蓋で、しっかりと閉ざされていた。
一体何を、どうやったのかはサッパリ分からなかったが、少なくとも、蓋を閉めたのがレジティ様だということは、ハッキリと分かった。
葬儀は終わり。
悲しむ時間は終わりで、これからは、前を向く時間。
「フラン家当主、女皇として、貴女にお願いがあります」
レジティ様は静かに口を開いた。
「…彼の埋葬と共に、私の家族の埋葬も頼めますか?」
それは、意外な言葉だった。
「え…?」
「なんで…、私に…?」
「…アメリーが、かつての人類の最前線であったことは、周知の事実です」
「…が、それと同時に、あの地は、ガロより与えられし祝福の力で300年戦争を平定した、フランの姉妹が降臨した地です」
「そして、貴女方が住まう小教会は、フランの姉妹に初めて邂逅した人類…、放棄されたアメリー前哨基地の僅かな生き残りが建立した、大陸最古の、ガロの教会です」
「…だから、あの地、そして、小教会は、言うなればフラン家の聖地なのです。王家の権威に毒されたシテよりも、ずっと…」
「…お姉様たちは腐ってもフラン家。出来るならば、最大限の敬意をもって弔いたい…」
「この想い、汲み取っていただけますか…?」
…私は、愕然とした。
耳を疑った。
「でも…」
「それは…」
「だって…、なんで…?」
レジティ様がされた話。
放棄された前哨基地としてのアメリー。
フランの姉妹の降臨。
祝福の存在。
そして、小教会。
魔族の侵略に屈した人類の前に現れ、人々を導き、魔族を退け、そして、この国を作ったとされる、フランの姉妹の、その前史。
それらは全て、お義父さんが訴え続けてきた、『正しい歴史』そのものであった。
常識として流通している『建国紀』からは抹消された、王家にとって都合の悪い歴史とされる話であった。
常識とは全く異なる情報。周囲が世迷言だと嘲笑い続けた、私が陰謀論だと蔑視し続けた、おかしな話であった。
「…どれも、貴女にとっては不都合で、とても信じがたい事実でしょう」
ですが、残念なことに『建国記』『オムファロス』は実在する禁書です。
常識からかけ離れた、世迷言で陰謀論な歴史とは、間違いなく存在するのです。
「絶望、しますよね。こんなことを、今更伝えられても」
「しかし、この道に足を踏み入れたならば、貴女は、この受け入れ難さを、受け入れなければならない」
真実を、背負わなければならない。
レジティ様は、棺桶を、私を背にし、ツカツカと、大礼拝堂の出口に歩んでいった。
動転する私を置いて。確たるものだと信じていた現実に全てを裏切られて、焦燥する私を置いて。
レジティ様は、残酷に伝えた。
「…ジーヴル・ベルが訴え続けた歴史は、全て事実です。彼は何も間違っていなかった」
「私からのお願い、お受け頂けるのであれば、後日、シテの領市監査本局に連絡をください。内密に使者を送ります」
…そして、大礼拝堂の扉はバタリと閉じた。
いつか、常識の外を信じられるといいですね。
狂ってしまえると、いいですね。
(そして私は、尊さに溺れて消えた)
……
…
「…ラディカ様に」
「触るな…!!」
ムクリと起き上がったシャトーは、暴漢二人に眼を飛ばした。
「…マジぃ?叫ぶだけじゃないの?」
「元気なのかよ…。あの傷で…」
…そんな訳ない。
いくら身体強化が効いてるとはいえ、重症は重症。
彼女は、安静にすべきだった。
それを無視したせいで、彼女の頭は、暴漢が慄くほどにダラダラと出血した。
意識が消えかかる。
しかし、目は鷹よりも鋭く光る。
「«匣天…」
腕を伸ばして、指を絡めて、手の平を合わせる。
意識なんか無くたっていい。
やるべきことは決まってるんだから。
「開門…!»」
世界を“匣”に見立て、その“天”を“開門”く絶技。
詠唱と共に、シャトーの頭上に、天使の輪よりも神々しい白透明の輪が顕現した。
世界の理を狂わせる、天上の輪。
驚異的な実力者のみに許された、魔術の極地。
「«存力…強化…!!»」
輪が導き、シャトーの内界に、世界全体が内包する魔力総量を超えた魔力が製造される。
彼女の内から沸き立つ魔力が、天に巨大な渦を作り出し、大陸を覆う。
神懸かり的光景。
シャトーの力が、この世全てを超越する。
「«天位…»」
そうして彼女は、『建国記』が『オムファロス』が告げる、我が主に仇なす暴漢二人に、対し
「«破壊魔術…!!»」
お義父さんから愛を貰ったその日から、ずっと躊躇ってきた“生命へ向けた破壊魔術”の詠唱を始めた。
…その間、シャトーから溢れ出た当然の感情は
暴力への謝罪でもなく
不合理な行動への不快感でもなく
笑み
ただひたすらに、笑み
シャトーは、あまりにも無茶苦茶になってしまった自分の無様な有り様が清々しくて、しょうがなくて、だからこそ、この上なく解放的だった。
…っぷ
っぷは…!ははははは!!
考え事が多過ぎんだよ!バカシャトーが!
同じ間違いを二度もしやがって…!
そうだ…そうだよ…!
世間?常識?
合理性?正しさ?
傷つきたくない?
誰も傷つけたくない?
くたばれよ!
そんなの、私が『シャトー・ブリアン』だってことに比べりゃドブの中のザリガニのクソだ!
ここでラディカ様を救えない私なんてもっとクソだ!
狂え!
あの日に私は、苦しむことを決めたんだ!
自由を失うことを決めたんだ!
お義父さんの全部を信じ抜くって決めたんだ!!
地獄だな?地獄だよ!地獄でいいんだよ!
今こそ変われよ!!
歯ァ食いしばれ!!
そうだ!そうだよ!
お義父さんは、ラディカ様に殺されたわけじゃない!
お義父さんには夢があったんだ!
ラディカ様のことをずっと信じてたんだ!
その末に、自分の命を落としたんだ!
誇り高い、死を遂げたんだ!
それなのに、『お義父さんの子』である私が、ラディカ様を信じなくてどうする!?
命を賭けずしてどうする!?
馬鹿になれ私!
信じたい全てを鵜呑みにしろ!!
冷酷になれ私!
ラディカ様を守る城になるんだろ!?
夢見ろよ私!アホらしく!
理想を抱けよ!私らしく!
そうだ!思い描いたじゃないか!
ラディカ様の傍に一生お仕えする未来を!
共に笑い合える未来を!
私の、『シャトー・ブリアン』としての幸せを!!
…あぁ!ようやく理解した!
『私』の尊厳は死んじゃいなかった!
『お義父さんの子』として、『シャトー・ブリアン』たることこそ、『私』という誇りそのものだった!
ラディカ様の幸せを守ることこそが、滞りない、速度に満ち満ちた『私』の全てだった!!
だから、だからこそ…
この澱みなさこそが、『私』からの、お義父さんの愛への応え方だ!!!
「«恨無く…」
「…!!」
…狂い、狂い、盲目になっていたシャトーは、その時、ようやく気がついた。
自分の真ん前に、既に、入れ墨が佇んでいたことに。
…彼女は、行動に後悔はなかった。
ラディカを見殺しにして悶々と苦しむよりマシだった。
彼女は、愛に応えたかった。
自分だけ助かって、身勝手な自由を享受するよりマシだった。
…しかし、想いに精一杯になり、熱に浮かされた代償とでも言うべきだろうか。
いみじくも、彼女が、因縁のある破壊魔術を唱えることに執着してしまったことを嘆くべきだろうか。
彼女が自他共に認める圧倒的な才を有していることは明らかであった。
それこそ、人類はおろか、魔族相手ですら他の追随を許さない程であった。
…しかし、彼女は根本的に、魔術での戦闘経験が皆無だった。
また、彼女の魔術の講師を担当したジーヴルも、戦闘向きの魔術師ではなく、言うなれば門外漢であった。
そのために、彼女は、魔術で戦闘を行う上で最も重要な準備である、詠唱の省略と動作の簡素化を学ばずにいた。
また、同じく重要な、立ち回りの基本である、近接戦闘での相手との距離の重要性や、攻撃だけに囚われず最適な魔術を選択する柔軟性を、知らずにいた。
…尤も、それらの欠落は、彼女ほどの傑物であれば、問題なく解消することが出来た。
彼女なら、たとえ教えられなくとも、しばらく実践に触れていれば、魔術の詠唱が短縮できること、動作も最小限に出来ることに、自力で気づくことが出来た。
しかし、彼女は今まで、義父を見計らって、魔術に対し、自分から遠ざかっていた。
愛を求めて、『お義父さんの子』で在りたいがために。
ジーヴルもまた、極力、シャトーに魔術を使わせずにいた。
愛する彼女を、『シャトー・ブリアン』で在らせないために。
立ち回りの基本だって、彼女の優れた頭脳であれば、知らずとも、少し頭を回せば簡単に発掘することが出来た。
実際、彼女はこの直前まで似たようなアイデアを考えついていた。
しかし、彼女は只今に、自分を吹っ切らせるために考えることを止めていた。
理知を捨てて、善性を捨てて、ラディカを守るために。
自分の全てを捨てて、お義父さんの全てを信じるために。
愛に、応えるために。
『…貴女、愛に育てられたのですね。剥き出しの殺意の割に、まるで戦い慣れていない』
そう、全ては愛故に自明であった。
シャトーの顔面が、入れ墨のゴツゴツした手により、わし掴みにされることは。
そして、後頭部を、傍の壁に思いっ切り叩き付けられて、頭を無残に割られることは。
全てを破壊し尽くせる魔術の才を持ちながら、誰一人手にかけることなく、この世を去ることは。
どれだけ歪もうとも、愛に恵まれて生を過ごしたシャトーにとっては、あまりにも幸せな、当然の最期であった。
【人物紹介】
『シャトー』
お義父さんの死後、フラン家面々の埋葬準備を進める傍ら、一人で布教活動を続けた。
…正しい歴史が本当に正しいのか、お義父さんの発言がどこまで真実なのか、醜い自分はまだ穿っている。
でも、布教活動だけは、欠かさずに続けた。
雨の日も、風の日も。一人ぼっちの不安にも、冷たい世間にも負けずに、必死に、拙い演説を振るった。
それこそが、お義父さんの全てを信じることだと思ったから。
…だけども、布教活動をする程に神に与えられたのは、ひたすらに貧困と迫害だった。
…たまに、なんで自分はこんなにも自由じゃないんだと、苦しくて、泣いてしまう日もあった。
それでも、何とか自分を奮い立たせ、前を向いて、布教活動を続けた。死ぬまで続けるつもりだ。
だって、私は誇らしいシャトー・ブリアンで、お義父さんの子で、どうしてもお義父さんが大好きだから。
『ジーヴル』
愛する我が子に自分の思想を押し付けてしまったことを何よりも後悔している。
…シャトーを大切な我が子として育てると決意した時、もう夢は見ないと自分を切り捨てたはずなのに。
平穏な日々が過ぎるほどに、依然誤った世相を目の当たりにするほどに、野心が再燃し、いつしか元に戻ってしまっていた。
自分の執着心が恐ろしい。変われない自分が情けない。心の底から自分に呆れ、そして憎んだ。
…結局私は、愛する我が子を途方もなく苦しめ、かつて与えてしまった呪縛すら、取り払えなかった。
最初から最期まで、私は父親失格だった。
…もう、取り返しはつかないのだろうけど、せめて、自分が死ぬ前に、アイツの頭を撫でて、頬笑んで「お前は自由に生きて良いんだ」と伝え、謝りたかった。