1 (9) 『アンビバレント独善・私その2』
それから私は、お義父さんと穏やかに暮らした。
日の出と共に起きて、眠い目を擦りながら体操して、お祈りをして、朝ご飯を食べて、砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながらお喋りをする。
その後は、お義父さんはシテにお仕事に出るから、私は家の外まで見送る。見送ったら、寂しい気持ちになりながら、家の掃除と洗濯をする。そしたら、いつの間にか昼になってる。
昼になったら、お昼ご飯を食べて、ちょっと昼寝をする。目が覚めた後は、お義父さんが帰ってくるまで、やることがないから、早く帰ってこないかなと礼拝堂をウロウロする。節操ないなと反省して、落ち着くために、部屋で本を読んだり、外で遊んだりする。けど、それでもやっぱりソワソワして、礼拝堂に戻ってきて、ウロウロする。長い、一人ぼっちの時間が過ぎるのを待つ。
日が暮れた頃、ウロウロし過ぎで疲れ切った頃に、お義父さんが帰ってくる。物音が聞こえたら、私の方から玄関の扉を開ける。扉の先にいるお義父さんに飛びついて、期待の目を向けてワクワクする。察したお義父さんが微笑んで、頭をワシワシ撫でてくれる。嬉しくなる。その後は、一緒に晩ご飯を作って、食べて、お風呂に入ったら、ベッドに潜って、眠たくなるまでお喋りする。気がついたら、私は眠りこけてるから、お義父さんがそっと、灯を消してくれる。
そんな日々。
…だけど、休みの日だけは違った。
…確かにお義父さんは、私への魔術の指導も、使用の強制も、使命の刷り込みも、何もかもを止めた。私を道具から、子にしてくれた。また、自分への戒めなのか、私への誓いなのか、お義父さんは、星型の石で作った首飾りを、いつも首に下げていた。
お義父さんの野心は、これ以上無く小さくなった。
でも、消えたわけじゃなかった。
特に、歴史という一点において。
お義父さんは、世間への僅かな抵抗として、不定期に貰える仕事休みの日だけ、せっせと、アメリーで布教活動をするようになった。
…尤も、布教活動と言っても、説くのは別の神様についてじゃなくて、今の歴史が間違っていることについてだけど(流“布”している現行の歴史が間違っていると“教”える“活動”で、“布教活動”って感じかな?…無理があるか。でも、お義父さんが『これはアジテートじゃない。布教だ』って言い張ってたから、やっぱり布教で決まり)。
布教活動は、中央広場に人混みが出来る昼頃から始めて、閑散としてくる夕暮れ時まで続ける。お義父さんが演説しまくって、私はそれを横目で見る。
お義父さんは最初、雄弁に説く。元気があるからだ。でも、中央広場を通る人は、お義父さんの話なんてまるで聞かずにサッと通り過ぎたり、小馬鹿にして嘲笑う人ばかりだから、お義父さんは段々と声を荒げて、「なぜ分からないんだ!」や「どうして話を聞いてくれないんだ!」と、布教そっちのけで、叫ぶようになる。そして最後には、みんな呆れるか、飽きてしまって、留置場詰所の衛兵さんが遠目でこちらを見ている以外、誰も見向きしなくなる。そうなると、お義父さんは膝から崩れ落ちて、言葉にならない声を漏らす。
私は、そんな、元気がなくなって消沈したお義父さんを何とか励ましたくて、何度も声をかける。「私はずっと聞いてたよ」とか「私はお義父さんが正しいって分かってるよ」とか、色々。
…全部、嘘なのに。
私ももう10歳。自由に外に出られるようになってから、2年が過ぎる。私は、そろそろ、世の中には社会というものがあることが、分かってきた。
…そう、私は、歳と知見を重ねて、社会というものが分かってしまったせいで、変なことを言うお義父さんのことを、「なんだかきな臭い」と感じるどころか、「全くの陰謀論で、本当に気が狂っている」と、酷く冷めた目で見下すようになってしまった。
…お義父さんの発言と社会の常識が完全に違うと知ってしまった決定打は、お義父さんに内緒で買った、神学校発行の歴史書をコソコソ読んだこと(10歳だから、お小遣い貰ってたよ。なめんな)。
…それは別に、お義父さんへの疑いを確信に変えたくて読んだわけじゃない。私は単に、同年代のみんなが神学校で勉強していることと同じ事が知りたくて、読んだだけだ。
でも、不慮の事故であろうとも、私は間違いなく知ってしまった。
王家…、つまり、レクトル家こそが、アメリーで魔族を退けて、シテに人々を集結させて、この国を建国したという、ごく当たり前の常識を。
フラン家がこの国を治めていた時期なんて存在しない、フランの姉妹なんて単語も出ない、そんな与太話が入る余地もない、正しさを。
神学校で誰もが学ぶ世の常識で、お義父さんの発言とは全く異なる事実を。
…お義父さんが明らかにおかしいという確証を得てから、私は「神学校は間違ったことばかり教えるから」と、頑なに私を神学校に行かせないお義父さんのことが分からなくなって、悲しくなった。
…神学校発行の歴史書が、隠していたのに見つかった時、お義父さんはカッとして、かつてないくらい私を怒った。…怒るどころか、お義父さんは「自分の手でこれを処分しろ」と、私に、歴史書をゴミ箱に捨てることを強制させた。私は、そんな寂しいことをするのが嫌で、首を横に振って、「ごめんなさい」と何度も言った。でも、お義父さんは、それだけは私にやらせた。
…嫌いな食べ物があっても、「無理なら食べなくてもいいぞ」と理解を示してくれる、本当に優しいお義父さんなのに、歴史という一点だけは、あの日を越えてもムキなままで、絶対に譲らなかった。私は殆どの場合で自由だったけど、信条だけは束縛されていた。
お義父さんに腕を引かれて中央広場までの大通りを歩く朝に、よく、制服姿の同い年の子らが楽しそうに横並びで歩いているのを見かけ、すれ違った。その度に、私は、私の腕を引っ張るお義父さんを見上げた。そして私は、お義父さんは、大好きなお義父さんなのに、なんでこの一点だけこんなにおかしいんだろうと考えて、辛くなった。
(というかそもそも、私は、『建国記』や『オムファロス』が禁書だという話も、鵜呑みにしていなかった。…だって考えてみてほしい。神学校で取り扱われる歴史の教科書を目の前で燃やされて、代わりにノートに手書きされた『禁書の書き抜き』とかいうのを手渡され、「これが真実だ」と告げられたとして、一体どこの誰が、「そうなんだ~」って頷ける?痛ましい、灰になった教科書を見て、胸がズキズキするだけだ)
…お義父さんへの悲しさ、辛さ、分からなさの反動で、私は、常識や世間の声というものに敏感に反応するようになった。
そのせいで私は、布教活動中、いつも周りの目ばかりが気になった。常識とは違うことをくっちゃべるお義父さんが、恥ずかしくてしょうがなかった。俯いて、震えた。私はもはや、それしか考えられなかった。お義父さんには、もう、布教活動なんて止めてほしいとさえ、思った。でも、これ以上、お義父さんは、私のために夢を諦めてくれていた。私は、これ以上、お義父さんの枷になりたくなかったから、どんな不満も言葉には出せなかった。
…何より、私は、お義父さんに不満を抱けてしまう、冷めた自分が嫌だった。
私は、大好きなお義父さんのことを冷静に“気狂いだ”と峻別できてしまう、私の内に蔓延る理知というものが憎かった。コイツさえ無ければ、私は、お義父さんの意見を訝しまないで、お義父さんのことに葛藤しないで、何も考えないで、お義父さんの全部が大好きになれるのにと、心底悔やんだ。変な話だが、私は、自分がカルト二世になることを望んでいた。でも、私からコイツを引き剝がすことは、何をどうやっても出来なくて、コイツは、うさぎの死すら悲しんでしまう私のひ弱さ、心の善さと同じ、私の性分だから、私はもう、どうしようもなかった。だからこそ、私は、せめてもの思いで、頭の内に積み重なるお義父さんへの理性的な反論だけは決して口に出さず、諦めて、悶々と、馬鹿げた主張に苦しみ続けることにした。
辛いのは休みの日だけ、休みの日だけだからと、腹に一物抱えて生活し続けることにした。
…11歳の頃、お義父さんは唐突に仕事を辞めた。
色々あって、自分から辞めてやったらしい。お義父さんはそのことについて、清々しかった。「私はようやく責務の一つを全う出来た!」と喜んでいた。
…一方で、私の顔は真っ青になっていた。
暗雲が立ち込めていた。そして、その陰りは、私の絶望への諦念を待つことなく、間もなく仕事を果たした。
お義父さんは、今までは休みの日しかしなかった布教活動を、毎日するようになった。だって毎日仕事休みの日なんだから。
私は毎日アメリーに連れられるようになった。
やがて、たまの日だけ喧しいだけだからと、お義父さんを寛容に許していたバラルダ公が耐え切れなくなって、布教活動を取り締まるようになった。衛兵たちが私たちを中央広場から追い払うようになった。加えて、中央広場にいなくても、衛兵たちは私たちを、まるで犯罪予備軍かの如く睨み、排斥するようになった。それに合わせて、私たちを厳しく迫害して良いんだと知った領民らが、私たちを故意に嗤い、差別するようになった。
元々、私たちは結構良い生活をしていた。でも、お義父さんが仕事をせずに、衛兵たちの目をかいくぐってでも、布教活動に明け暮れるもんだから、当然の帰結として、家からは貯蓄が尽きて、私たちはたちまち貧乏になった。
その影響は如実に出た。お小遣いが貰えなくなって、欲しい本が買えなくなった。砂糖たっぷりのコーヒーがただの白湯に変わった。どころか、日々の食事に困るようになり、一日一食、晩ごはんのみの生活になった。他に、私たちはひもじい節約を強いられた。服を買い替えられないから、手持ちの分を縫い合わせ張り合わせ、限界まで使い切らなきゃいけなくなった。新聞も雑誌も買えなくて、誰かから貰うか、拾わなければ、手に入らなくなった。どうしてもお金が底をついた時は、最寄りの村で日銭を稼ぐようになった。私も当然、働きにかり出された。
穏やかな生活は、ボロボロになった。
全ては、お義父さんが変なことを言うせいで。
それに、固執するせいで。
私は、凄まじく苦しむ羽目になった。
…これなら、寂しい方がまだマシだとさえ思った。
…ところで、話が変わる…わけではないけど、魔族の魔術には、物質創造の魔術があった。
それは、具体的なヴィジョンがなくても、抽象的なイメージさえあれば、無から爪楊枝だって、お城だって創れる凄まじい魔術だった。これを使えば、お金でも金品でも無限に生産できて、誰だって大金持ちになれた。それどころか、人類が住まう大陸に限れば、物質創造を見せびらかせば、集客ができて、名声が集められた。だって、無から有を作り出す魔術なんて、少なくとも人間の魔術には存在しないから。物質創造はもはや、人間にとって、神の奇跡だった。もしかしたら、これならば名声を超えて、信仰だって集められたかもしれない。
«天位 変性魔術 万創光»
…私はもちろん、この魔術を使えた。
端的に言って、私には、現状を一変させる力があった。今に苦しめられる貧乏を脱却できるだけでなく、絶賛大不調の布教活動を一瞬で一変して、薔薇色に変えてしまう、最高に冴えた最強の解決法を、私は常に握っていた。
…だから私は、いつも、お義父さんに怯えていた。お義父さんがいつ、このうんざりする現状に耐え切れなくなって、私に魔術の使用を命じてくるのか、私は震えていた。
…いつ、私はお義父さんに命じられて、『お義父さんの子』からただの道具に戻ってしまうのか、いつ、家族として大好きなお義父さんすら消えてしまって、お義父さんが、ただの気狂いの、今となっては、私にとって大嫌いでしなかない人に変わってしまうのか、それが怖くて、恐ろしくて、しょうがなかった。
…しかし、結論を言えば、それは全くの邪推だった。お義父さんは、いつまで経っても、私に魔術を使わせなかった。決して、一度たりとも、期待の素振りすら見せなかった。私の方が待ち切れなくなって「使おうか?」と、性格悪く、試すように、悪魔の囁きのように申し出ても、お義父さんは何も言わずに微笑んで、私の頭を撫でるだけだった。
…お義父さんは、狂った信条を決して曲げないように、絶対に、お義父さんのままだった。
布教活動がどれだけ無様に失敗しても、日々の生活がどれだけ切羽詰まったものに凋落しても、お義父さんは、ソワソワしている私を見かけたら、大きな手で、私の頭をワシワシと撫でてくれて、そして、優しく微笑んでくれた。お義父さんは不器用な人で、そうする以外に愛情表現の仕方を知らないんだろうけど、それでも、目一杯に、私のことを自分の子だと見てくれて、心の底から大切にしてくれていた。
お義父さんは揺るぎなく、私を愛してくれていた。
…歯痒かった。
…だって、お義父さんに対して、私は穿っていたのだから。
お義父さんの精一杯の行動を、訴えを、鼻で嗤って、そのせいで被る、周囲からの白い目ばかりを気にして、貧乏のせいで穏やかさが消えたと思って、恨んで、挙句の果てには愛情までも疑い、邪推すらして、わがままだったのだから。
私はとことん、最低だったのだから。
いつかの夜、自室のベッドに篭って、考えて、そして、己のクソさにようやく気がついた瞬間、私は、はち切れそうな程、己を疎ましく思った。
頭が良くて、冷めていて、いつだって物事を分かっている、阿呆な己に吐き気がした。こんな自分なんて、理知なんて、殺してしまいたくて、しょうがなくなった。
私は、壁に何度も頭を打ち付けて、千切れるくらい泣いて、自分の愚鈍さを悔やんだ。
…私はもう、性分だからどうしようもないなんて、言ってられなかった。陰謀論とか、カルトとか、気にしていられなかった。私は、こんな私に心底うんざりした。常識がどうとか関係ない。変わなきゃダメだと思った。お義父さんがずっと、私を愛してくれるのなら、私は、大好きなお義父さんの愛に応えなきゃいけないと思った。
そうでなきゃ、私がお義父さんに拾われた意味は、無いと思った。
私は、自分を殺さなきゃと思った。
それ以降、私は、積極的にお義父さんの布教活動を手伝うようになった。事前に街中に召喚獣を放って調査して、衛兵たちが居ない場所を探し当て、布教活動の朝には、お義父さんの腕を引っ張って、ベストスポットに案内をした。
布教活動中も、俯いて、横目でお義父さんを見ているだけじゃなくて、一歩踏み出して、自ら表に立って、今の歴史が間違っていることを、お義父さんと同じくらいの熱量で叫んだ。
衛兵に追われたら、自ら囮になって、お義父さんを逃がした。周囲から後ろ指を差されても、気丈に振る舞った。順調に何事もなく育つ同い年の子らは見ないふりをした。そして、家に帰ったら、お義父さんと互い、ボロボロになった姿を見合って、一緒に笑った。
ひもじい節約にも進んで協力した。欲しいものがあっても、口や態度に全く出さないようにした。無味な白湯でも「あったまるから好き」「寝る前に飲んだら、ぐっすり眠れるんだよ?」と、美味しそうに飲んでみせた。土壌を調べて、小教会の隣でじゃがいも畑を始める提案をした。裁縫を練習して腕を上達させて、簡素な服や雑貨なら、ボロ布から自力で作れるようになった。村での日銭稼ぎに懸命に取り組むようになった。それだけじゃない。根本的に、お義父さんが日銭稼ぎに布教活動を妨げられないように、お義父さんには内緒で、深夜に小教会を抜け出して、アメリーで夜間の仕事をして、給料をコソッとお義父さんの財布に入れるようになった。
…シスターのフリをするようになったのは、そういう創意工夫の一環。
12歳の頃、思春期、性意識と性差に理解が及んだ頃、私は、女の子の姿でいた方が、布教活動でも、仕事でも、何かと“都合がいい”ことに気づいた。だからこそ、私はそれを始めることにした。
当然だけど、本物の修道服は手に入らなかった。作るのも、当時の私じゃ難易度が高過ぎた。だから私は、仮装用の、生地が薄い、スリットスカートがいかがわしい、ちょっとエッチなものを買うしかなかった(割とたっかい。バイト三日分くらいはあった)。
…私は元々、フェミニンな顔立ちと体つきをしていた。だから私は、私が女の子の格好しても違和感ないだろうなとは、予見していた。…結果は予想以上で、私のシスター姿は異様にしっくりきた。鏡に映る自分を見て、完全に女子じゃんとビビり散らした。
…唐突にシスターになった私を見たお義父さんは、最初、物凄く驚いた(そりゃね)。煽情的なスリットスカートを指差して、顔を赤らめて、「これはどうなんだ…?」と苦言を呈した。そして「理由は分かるが、無理はしないでくれ」と心配してくれた。けれども、私が、この格好を気に入ってること、女の子として頑張りたいことを話すと、お義父さんはすぐに理解を示してくれた。仕方なく笑って、「よく似合ってる。可愛い」と褒めてくれた。
その言葉が、嬉しくて堪らなくて、いつしか私は、功利のために女の子をしていることを忘れてしまった。もっと可愛くなりたい、女の子みたいになりたい、そして、お義父さんに褒めてもらいたいと、私は髪を伸ばし始めた。
…最後の一つはちょっと関係なかったけど、要するに、私は、がむしゃらに頑張った。この時の私には、『滅私奉公』って言葉がよく似合ったと思う。それくらい汗水流して、自分を削った。
でも、まぁ…
…結局、私の努力を足しても、お義父さんの活動はすかんぴんだった。
相変わらず、誰も話を聞いてくれず、ひたすらに衛兵に追われて、遂には留置場どころか、刑務所にブチ込まれてしまった。
周囲の人からは、いよいよ変なあだ名で呼ばれるようになった。煙たがられるようになり、私たちを一目見て、入店を拒否する店さえ現れた。
不況が加速して、村で仕事を手伝っても日銭に足る程の駄賃を貰えなくなった。アメリーでの仕事の数も減った。小教会から、質屋に入れられそうな家具や器具が殆ど無くなった。貧乏が深刻化した。修繕用の糸と針さえ手に入らなくなった。本気で、じゃがいもくらいしか食べるものが無くなった。元々が廃教会で、ただでさえ耐久力がない小教会の経年劣化を、ただ見ているしかなかった。
それでも布教活動は絶えず続けるから、私たちは着実にみじめに、ひもじくなっていった。
…でも、私はそれでも良かった。
相変わらず、お義父さんの主張には「なんだそりゃ」って感想しか持てなかったけど…。
でも、私はむしろ、お義父さんに熱心に乗っかることで、冷めていた時よりも幸せになれていた。
何より、お義父さんが柔らかくなった。
正しい歴史を人々に懸命に訴える私を見て、嬉しさを隠せずこっそりと笑ってくれた。
誰も話を聞いてくれない、同じ悲しみを共有する私に、やるせなく肩を叩いてくれた。
白湯と共にでも楽しくおしゃべりができた。
私が縫い直したスターンを着て「ありがとう」と言ってくれた。
工夫して作ったじゃがいも料理を「美味しい」と食べてくれた。
村で一生懸命に働いた後、お風呂で互いに疲れを労い合えた。
深夜にアメリーに働きに出ていることがバレた時は、本気で怒ってくれた。「ごめんなさい」と謝る私に、「そんなに気を使ってくれなくていい」と、逆に泣いて謝ってくれた。
あまりにもシスター姿が馴染み過ぎて、私のことを「私の娘だ」と人に紹介してくれた。その後、「ごめん、つい」と照れ笑ってくれた。
そんな、私のことが大好きで、私のことを想って、いつも寄り添ってくれるお義父さんの全てが、私には愛おしくて、尊かった。お義父さんのことを、家族として、もっと大好きになれた。それこそ、気狂いの一面なんて、かき消えてしまうほどに。
日々に何の実りがなくても良かった。打開も、進歩も、何もいらなかった。私はお義父さんの協力者として尽くせて、お義父さんはそんな私を気にかけてくれて、互いに寄り添えて、一心同体になれているのなら、それだけで良かった。
…もしかしたら、訴えに共感した誰かが来るかもしれないと、いつもピカピカにしていた礼拝堂と、長椅子4本に、遂に誰も来ず、私たち親子だけがポツンと座る。
…そんな、報われない日々こそが、私にとって、幸せそのものだった。
誰も、私たちのことを分かってくれなくていい。
日々が、明るくならなくてもいい。
どれだけ疎まれても、暗くても、貧しくても、ゆるやかに流れる時間を、大好きなお義父さんと一緒に喜んで、苦しんで、悲しんで、そして、穏やかに過ごせるのなら、それだけで嬉しかった。
満足だった。
…でも、それは私の独り善がりで、自己満足だった。
私は、その時が、凄く幸せだと思っていても、お義父さんは違った。
私が、自分の本心に反そうと、形だけでも、布教活動を頑張っていた一方で、お義父さんは、自分の信じる歴史を本当に正しい歴史だと思って、本気で世の中を変えようと思って、人々に自分自身を訴えて、苦労して、分かってもらいたくて、悩んでいた。
私が依然、歴史なんて、真の支配者なんて、王家や政治なんて、何もかもどうでもいい、大好きなお義父さん以外どうでもいいと思っていた一方で、お義父さんは、自分がどれだけ気狂いのようであろうとも、現状を何とか打開しようと、進歩しようと、そして報われようと、光を求めて必死だった。
私が、お義父さんに対して選択的で、一部にはどこか適当だった一方で、お義父さんはいつも全身全霊で、自分の全てにいたって真面目だった。
人々が、私たちのことを何も分かってくれなかったのならば、私は、お義父さんのことを何も分かっていなかった。
私という存在は、やはり、どこまでいっても半端者で、お義父さんのことを鋭い、利己的な目で見定めていて、そのせいで、お義父さんにはまるで寄り添えていなくて、したがって、私の幸せは独善だった。
…その想いの乖離が顕著に出た末路として、私という愚かさへの罰として
お義父さんは、ラディカ様の公開処刑の翌日、シテの王宮前で、失意にまみれて殺された。
…ラディカ様が拘束されたというニュースを新聞で知ってから、お義父さんは心穏やかじゃなかった。ずっとイライラして、「こんなのはデマだ」「有り得ない。すぐに間違いだと気がつくはずだ」と唸り続けていた。布教活動に全く集中できず、小教会に引きこもるようになった。自暴自棄になって、ご飯を作っても食べてはくれず、寝ることさえ拒んで、一日中長椅子に居座っては、爪を噛んでいた。
私は、ただひたすらに心配するしかできなかった。ただひたすらに、ラディカ様のことを心配する、狂気的なお義父さんに対して、早く元に戻ってくれないかなと、願うことしかできなかった。
…それから少しした朝、お義父さんはせかせかと外出の準備をしていた。驚いて「どこに行くの?」と聞くと、「新聞を取りにツロンに行く」と答えた。
…私は、ラディカ様のことに前のめりになっていくお義父さんを見るほどに、不安になった。気狂いを加速させるお義父さんに、なにか、悪いことが起きるんじゃないかと、そんな予感ばかりが、頭をよぎった。
私はお義父さんを止めたかった。だから、「新聞なら私がもらってくるよ」と提案した。
すると、お義父さんは声を荒げて「余計なことをするな!」と言った。
私はビクッと震えた。お義父さんのことが怖くなって、何も言えなくなった。
その後、お義父さんは「…すまない」と、最後に一言だけ呟いて、足早に出かけていった。
…私は、追いかけられなかった。本当は追いかけたかった。でも、今までに見たことがないほど切羽詰まったお義父さんが凄まじくて、萎縮してしまって、私は身動きが取れなくなってしまった。
軟弱で意志薄弱な私はただ、お義父さんが無事に帰って来ることを祈るしかできなかった。
…礼拝堂の窓に夕暮れが差した。これだけの時間が過ぎても、お義父さんは帰って来ていなかった。
絶対に何かあったんだ。
その確信のせいで、私は不安の濁流に襲われて、身体が震えてしょうがなかった。でも、私は「余計なことをするな」と言われたから、お義父さんを信じて、大人しく待っていた。
…時は、刻々と過ぎた。お義父さんは、いつまで経っても帰って来なかった。いつしか私は、穏やかな日々のことを必死に思い出して、強い希望を見出して、気を保つようになった。
あの、甘い日々と同じように。
もうすぐ、もうすぐ、扉が開いて、お義父さんが帰ってくる。あの日々のように、お義父さんは帰ってきて、飛びついた私の頭を撫でてくれる。きっと、きっと、きっと…。
…本当にそうか?
私の理性が、希望にすがる私を逆撫でした。
あの日々を思い出すというならば、あの日々の中のどこに、今日の狂ったお義父さんがいた?
あの日々にいたのは、ただひたすらに、家族としてのお義父さんだったろう?
というか、よく考えろよ。
今でも戻りたいと夢見てる、あの穏やかな日々は、もうとっくに無くなってんだ。
お義父さんは、お前の嫌いな、狂気なんだ。
…私は、すぐに魔術の詠唱をした。召喚魔術で視覚共有が可能な蜂の軍勢を呼び出し、シタニア中の捜索に向かわせた。その間、私自身は手がかりを探しにツロンに向かった。
…蜂による捜索は不要だった。
私は、ツロンに着いた時点で、お義父さんが今どこにいるか簡単に予測できる材料を手に入れた。
ツロンは、悪女らの処刑を祝う人々でお祭り騒ぎだった。
新聞がそこら中に落ちていた。
拾って、見ると、頭の無い死体となったラディカ様の姿が挿絵として添付されていた。
その挿絵の隣に、こんな文が添えられていた。
『シテを革命の旋風が包んだ。フラン家に溜まったゴミは一層され、我らの第一王子ら王家は、王国をさらなる安寧へと導いた』
…シテの大広場。フランの禁裏前。お義父さんはいなかった。
王宮前、変な人だかりが出来ていた。
悪寒がした。
人だかりをかき分けた。
無茶苦茶な気持ちになりながら、気がおかしくなりながら。
辿り着いた、そこには、頭が割れたお義父さんがいた。
仰向けで、私が何度も補修したせいで、パッチまみれになったスターンを血まみれにして、瞳孔を開いて、口を大きく開けて、頭から脳漿を垂らして。
明らかに命が無くなったお義父さんがいた。
関係者以外は下がれと、王宮の門兵らしい騎士の一人が私の腕を引っ張った。私は振り払って、お義父さんにしがみついた。
そこで、触れて気づいた。お義父さんの身体は、ちょうど体温を失って、冷たくなりつつあった。お義父さんは死んで、間もなかった。
…使ったこと、今まで一度もなかったけど
あれなら、何とかなるかもしれない。
私の前に、可能性が、たらりと見えた。
私は、過呼吸になって、震えて、それでも一切の狂いなく、使い得る最高の回復魔術を唱えた。
«天位 回復魔術 理即叛»。
重症だって、重病だって、魔術的デバフだって、一瞬で治癒できる究極の回復魔術。
私の魔術の腕は確かだった。
お義父さんの外傷はみるみる無くなった。
いつも通りの姿に戻っていった。
穏やかな顔に戻っていった。
優しい、優しい、お義父さんの顔。
私の口角が気持ち悪く上がった。
へ、へ、へ、と変な笑いが出た。
お義父さんが蘇ると確信した。
血色が戻って、脈が戻って。
起き上がってくれると確信した。
だって、だって、直ったから。
待った。
目を見開いて、笑みを絶やさず待った。
けど、お義父さんは一向に目を覚まさなかった。
身体は無事なのに、体温は依然、冷たくなり続けた。
笑みが消えた。
「なんで」「なんで」と訴えて、回復魔術を何度も唱えた。
何度も、何度も、声が枯れるまで唱えた。
それでも、お義父さんは目覚めなかった。
血色すら、脈すら、戻らず。
身体が段々カチコチになって、遂には、ぬくもりさえ消えた。
蘇らなかった。
お義父さんは死んだ。
…私は、その時初めて、魔術では“外層”は直せても、“内層”は治せないと知った。
魔術は、再生すらままならない、本当に無力なんだと知った。
僅かな可能性さえ奪われてしまった、空っぽになってしまった私は、魔術のおかげでひたすらに綺麗な遺体になってしまったお義父さんに突っ伏して、泣き崩れるしかなかった。
どうしようもないことへの涙を、止め処なく流すしかなかった。
辛さと、辛さと、辛さだけが、私を支配した。
最初、私をお義父さんから引き剥がそうとした騎士は、私が魔術を使うことに驚いたのと、様子からして身内だと理解したのとで、私に対し、とやかく言わなくなった。
騎士は、人だかりと共に私を稀有な目で見つめるだけになった。
私だけが泣き声を上げる、嫌なくらい静かな時が流れた。
「………!!」
突と、私の涙は途絶えた。
急激に、別の感情が沸き上がったから。
私は、情動に従い騎士の方を見上げた。
…キッカケは、騎士が、何を思ったのか、お義父さんを指して、呆れて、クスッと嗤ったこと。
…よく見ると、騎士が帯びる剣の柄には、赤々い滴りの跡が付いていた。
「なんで…?」
私は、空虚な眼差しで尋ねた。
騎士に。
騎士だけじゃない。
騎士につられて、お義父さんを嗤い始めた人だかりに。
「あなたたちが…、殺したの…?」
その、私の問いに、騎士や人だかりは首を傾げた。が、直後、まるで、親切でもしてやるかのような気味の悪い表情になって、口々に、身勝手に、ことの顛末を、何の気兼ねもなく、容赦なく話し始めた。
そして、私は知らされた。
怒り心頭でシテに現れたお義父さんが、シテの大広場で、アメリーでの布教活動のように、声高らかに、公開処刑が間違いだったと訴え始めたことを。
しかし、厄介者の悪女らが死んでせいせいしている、都会のシテの人たちは、田舎者のアメリーの人たちより過激で、お義父さんの訴えを嘲笑い、馬鹿にするどころか、取り囲んで言い返しまくったり、あまつさえ、殴ったり、水をかけたり、石さえ投げ始めたことを。
そうして、侮辱されて、傷つけられて、あまりにも世間に絶望したお義父さんが、顔面蒼白になって、強硬手段に出てたことを。
シテの大広場から走り出して、王宮に向かって、破壊魔術を使ったことを。
その結果、不意をつかれた門兵の一人が軽傷を負い、対してお義父さんは、王家への反逆者と断定されて、その場で思い切り殴り殺されたことを。
「…意味分かんねぇよな。馬鹿みたいに狂乱して、自分から殺されに来て。灯に飛び込む蛾みてぇだ。…お前の親父さん、残念な奴だったんだな」
お義父さんを殺した騎士が、半笑いで言った。
「…は?」
私の中で、ドロっとした殺意がうねった。
「ホント、何だったのかしらねぇ…。『王家は偽りだ!』とか、『処刑されるべきは王家の方だ!』って、物凄く不敬なことを叫んでらしたのよ…?」
人だかりの一人、貴婦人が、隣の奥様方にヒソヒソ話をした。
「あのシスターさん、この変人の娘さんかしら…。可哀想に、頭のおかしい親を持つと大変ねぇ…」
奥様方の一人が、私を指して話を広げた。
その談笑につられて、人だかりは口を合わせて、好き勝手に言いまくり始めた。
あの神父は気狂いだとか
俺はこんな与太話を叫んでいるのを聞いたとか
背教者だとか
王を馬鹿にするなとか
悪女が何をしたのか知らないのかとか
馬鹿がとか
殺されて当然だとか
あのシスターはきっと洗脳されているとか
気の毒にとか
可哀想だからコイツも殺してやれよとか
…それらを聞いて、私がどんな顔をしていたのか、私自身にも分からない。
でも、少なくとも、顔、と呼べる形をしていなかったと思う。
グロデスクな衝動が、全身を静かに流れて、私の身体をゆらりと動かした。
立ち上がった私から、息を吐くほどに黒い感情が漏れた。
敵意。
「有象無象が…!」
「お義父さんのことを…理解する気すらなかったくせに…!!」
私は、歯をガチガチ震わせ、騎士を、人だかりを、ギロリと睨んだ。
どんな悪魔の呪いよりも恐ろしい、定まった害悪を、涎と共に垂らした。
私の感情はグチャグチャだった。
しかし、一点だけは確かだった。
にじむ、透明の涙の奥には、間違いなく憤怒の瞳があった。
私の意志、次にやってやりたいことは、明確だった。
私は、何も迷わずに両腕を伸ばした。
両の指を絡め、手の平だけを合わせた。
魔術詠唱の構え。
あの時から、お義父さんに愛を貰った時から、私は一度も破壊魔術を使っていない。
だから、運用には若干、不安がある。
でも、お義父さんは言っていた。
習得して間もない破壊魔術ですら、私なら、この国一つを消し飛ばすことくらい、ワケないって。
「匣天…」
私から滾る決意に、騎士が、自業自得にギョッとした。
部外者気分でいた人だかりは、状況が理解できていない、馬鹿丸出しの顔をした。
クソが。
揃って死ね。
見せつけてやる。
眼前のゴミ共に。
分からせてやる。
『シャトー・ブリアン』である意味を。
その威力を。
「開…!」
狂気が、私の内を走ろうとした。
…その瞬間
私の背後に、ふわりと何かが舞い降りた。
「え…?」
直後、振り返る間もなく、周囲に幾千もの鋭い風が吹いたかと思えば、騎士を含む、人だかりの全てが、一瞬で、1cm角にも満たないブロック状に斬り刻まれて、原型を失った。
お義父さんを罵った全てが、血しぶきと、無数の肉塊に化して、辺りに飛び散って、全滅した。
私の魔術じゃない。
振り返ると、そこには、レイピアの一本を柄に納めた、にこやかに微笑む女性が一人、いた。
「…貴女、愛に育てられたのですね。剥き出しの殺意の割に、まるで戦い慣れていない」
「やめておきなさい。貴女はこんなところで血に染まるべきじゃない」
レジティ様はそう言った後、私に軽く会釈をした。
【人物紹介】
『シャトー』
ビフォー父の日、父の日本番、アフター父の日と、合わせて3回も父の日を祝っていた。
『ジーヴル』
シャトーに隠れて『良い父親になる70の方法』なる本を熟読していた。
『レジティ』
家族の写真は、全部燃やしたからもう無い。