7 家庭教師を遂行せよ
ソルヴェーグ嬢の配属になって一週間がたとうとしていた。
表向きは伯爵家で家庭教師とボディーガード、裏の仕事は今まで通りの諜報だ。しかも伯爵家の動向調査だ。
正直、わたしのような不器用な人間にあれもこれもと仕事を頼むのはよくない。過重労働だ。
軍部には亡国マーテル王国の復元模写の活動協力があったと伝えた。
案の定、軍部はクライシス伯爵からの復元模写への協力はあっさり却下された。
取り引きの件も報告した。
更に変な気を起こさないようにと新たに家庭教師という仕事をこなすことになったのだ。
ソルヴェーグ嬢には家庭教師とボディーガードの兼任での配置だ。
軍部の上層部は伯爵に牽制する形で絵を描くのは控えるよう命が下るし、伯爵家はわたしを絵師として雇いたかったみたいだし、当事者としては板挟みで困る。
そこはお互いの意地みたいなものだろう。
しかし軍部にも家庭教師という職に理由があった。
絵師ならば何を描いても疑われない分、諜報活動しているとわかれば間違いなく消される。
その点、家庭教師であれば諜報活動のカモフラージュにもなりソルヴェーグ嬢の立場を有効に利用しつつ、軍部のほしい情報も手に入る。
夜会に招かれれば家庭教師という立場で潜入し、建物の見取り図や周囲の道路地図くらいは描ける。
もちろん、ソルヴェーグ嬢の傍にいれば名前とプロフィールを聞き出し、人相画が描けるのでプロファイリングできる。
ある意味、軍部としても願ったり叶ったりだろう。それを想定してのことだった。
ただその役回りをするのは誰あろうわたしだ。
器用にその役回りを演じる自信はない。
こんな若造の意思なんて二の次、三の次だ。
無理です、やめますはやってから言えというのがモットーらしい。
例え無理難題だと思っていても、言われた仕事は何でも「はい」と言わなければいけない。
所属をやめる覚悟で意見する時はあるが、そういう時は援護射撃してくれる人を味方につけておく。
地位も名誉もない駒の一つが意見をするのはなかなかに勇気がいるものだ。
とりあえずやってみて、だめなら報告して対応を考えて貰うしかない。
思わず大きなため息がでた。
「エヴァンズ先生、今日も大きなため息ですね」
ペンを走らせるソルヴェーグ嬢はしげしげと眺めてくる。
「大人になるって大変だなぁとしみじみ思ったもので」
家庭教師としての名前は『ルイ エヴァンズ』として仕事をしていた。
「先生にはいろんな仮面があって大変そうですしね」
ふふっと笑うその顔はまだあどけなさが残る。
「しんどいからと仕事をやめたりはしないんですか?」
お嬢様はちょっと神妙な顔をする。
今まで何度も頭を過ったが、仕事をやめないでいる。
「今までこの仕事をするのに育てて下さった恩もありますし。なんだかんだで職場の人に恵まれてますし。とりあえず、与えられた仕事を誠実にこなしていけば結果はあとからついてくるものです。まずは今の自分でできることを精一杯やっていこうと思ってまして」
分不相応な仕事だと思っても、まずはやってみる。
乗り気でない仕事を溜め込んで、机の上を書類でいっぱいにして怒られたが……。
無理なら助けを呼べばいい。
牢に入れられた時はどうしようかと思ったが……。
命がけの仕事もいっぱいあった。
それが誰かの役に立つならと思うと頑張れた。
人生経験していくとなんだかんだでそれが自分の糧になっていく。
明日の自分の何かに繋がると思って、一つ一つをこなしていくしかない。
今年で十六歳になる彼女もまた、家の都合で結婚していく。結婚は相手があってこそだ。
合わないからと言ってそう簡単に離婚はできない。
「お嬢様は結婚のことは納得されているんですか?」
結婚は女性にとってのターニングポイントだ。
相手次第で生活が一変することだってある。
不安ではないのだろうか。
「仕方のないことですし、わたしにはどうすることもできません。家同士のことなので。心残りでいえば、ちょっと恋愛はしたかったかなぁと思うくらいです」
年頃の女の子だ。
貴族というのは家や国に利益があるかなしかで嫁ぎ先が決まる。好きだからと言って結婚できる方がまれだ。
「先生は恋愛とか浮いた話しはないんですか?」
わたしは仕事ばかりで恋愛などは疎い。
ソルヴェーグ嬢は興味津々できいてくる。
こういう話しはダニエルの得意分野なんだが……。
面白い話しができないので、足を組んで目線を本に落とす。
「あいにく、今まで仕事ばかりでして。恋愛している暇はありませんでした」
「そうなんですか。なんだかよかったような残念なような」
「どういう意味で?」
「こちらの話しです。でも先生の素顔っぽいところが見れてよかったです」
「どういうところが?」
「ん〜、鑑定の仕事をしてらっしゃる時は隙がない感じなんですけど、今はどちらかと言うと素に近い先生を見ている気がして」
言われてみると確かに。
今仕事の役を忘れて同世代の人として普通に話しをしていた。
いかんいかん、気が緩んでいるぞ。
ここは家庭教師という仮面を被っていなくては。
「では、気持ちを切り替えまして。お嬢様、問題はとけましたか」
「まだです」
ソルヴェーグ嬢はしまったという顔をする。
家庭教師としての職務怠慢だといわれてはかなわない。
無駄話しをしている間に進んだ問題をチェックする。
「先生にじっと見られていては集中できません」
年頃の女の子は難しい。
よほど見られてはまずかったのか顔が赤くなっていた。男兄弟ばかりだったので、女の子の距離感がわからない。
リラは女の子というより勇ましいお姉さんという感じだから、そういう距離感を意識してこなかった。
「ちょっと頑張りますので、その間こちらのネックレスを鑑定して頂けませんか?鑑定料は今日のおやつのケーキで」
「わかりました。今日の鑑定料いただきました」
鑑定料としては安いが、お嬢様が勉強中は手持ち無沙汰になる。
せっかく見せてくれるというジュエリーを見たいと思うのは鑑定士の性だろう。
「今日の品も曾祖母の形見のジュエリーです」
「それにしても、お嬢様は鑑定がお好きですね」
ここ最近、ブローチや指輪など亡国の王女だったというお嬢様の曾祖母の品物ばかりを鑑定していた。
「だって、今まで大事にされていた品物の由来や歴史、曾祖母や祖母がどんな気持ちだったかまで入りこんで聞いていると、物を大切にしようと思うじゃないですか」
実はウェディングヴェールの保管が悪いと鑑定で言っていた事を気にしていた。
お嬢様にとっては古ぼけた何気ないヴェールだったそうだが、想いがこもった作品だったと知り、改心したのだそう。
やはり物は手入れをしてこそだ。
その心がけは大切にしてもらいたい。
「なるほど。ではさっそく拝見」
伯爵やら軍部の思惑とは別になんだかんだでお嬢様とは鑑定をいいあいっこしては楽しんでいる。
お嬢様自身、形見の品を通して自身の家系のルーツが気になるようだ。
品物の価値というよりは、その使っていた人の世界観が面白いらしい。
今日の鑑定品はパールのネックレスだった。
光沢がしっかりあり真珠一粒一粒が大きい。
テリがあり、傷もほとんどない球形のパールだ。
色もやや青みがかっている物で統一されている。
この大きさの真珠は今ではもう採れないと言われている。
特にこの国では青いパールは希少価値が高いため高値で取り引きされている。
前に伯爵の依頼の絵の中に紛れ込んでしまった貴婦人の絵を思い出す。
あのモデルも同じ青いパールのネックレスをしていた……。
もしや、ソルヴェーグ嬢の祖先にあたる人だろうか……。
ソルヴェーグ嬢の曾祖母は亡国マーテル王国の王族だ。
結婚という体裁で我が国に亡命してきた歴史がある。
そのため結婚にまつわる装飾品はマーテル王国の秘宝クラスの物を持たされている。
戦争となり財産が簒奪されるよりは、婚礼品に紛れこませた方が良いと判断されたのだろう。
値段もそうだが歴史的にも価値はかなり高い。
もしくは、戦争が色濃くなっていく中で親として祖国がなくなってもお金に困らないようにと娘に財宝を託したのかもしれない。
そう解釈すると親の愛を感じる。
こうやって多くの歴史的財産が残っていることを思うと、個人の所有というよりゆくゆくは博物館などに寄贈して貰いたいと思う。
あくまで個人の意見だが。
家庭教師という仕事に順応しつつ、伯爵家の片鱗を少しずつ探っていくのだった。






