6 伯爵家の企みを調査せよ 後編
出向という形で伯爵家へいくことになった。
正直、気が乗らない。
そもそも貴族の生活にとけ込める自信もない。
軍部上層部はクライシス伯爵には何か企みがあると睨んでいる。
伯爵がわたしの絵にこだわる理由は何なのか。
ソルヴェーグ嬢は絵皿の古代文字に気付いているようだったが、きっと読めないのだろう。
『建国と再興を 古の地に変革を』と描かれていた。
あの古代文字、伯爵は気付いているんだろうか。
ソルヴェーグ嬢やその従者も普通の貴族とは思えない身のこなしや洞察力だった。
いろんな謎が渦巻いている。
まずはある程度、情報収集してから伯爵家へ行った方が良さそうだ。
思うに自分の力量の許容範囲をかなり超えている。
犯罪に巻きこまれなければ、それで良しだ。
騒いだところでこの仕事の決定は覆らない。
またしばらくこの執務室ともお別れだ。
その前に山積みだった書類を片付けないとな。
休日返上しないと。残業確定だ。
しばらくダニエルやリラとも会えない生活になる。
せっかくなので二人と飲みにいこうかな。
いつ軍部に戻ってこれるか分からないし。
***
百年前、クライシス伯爵家は亡国マーテル王国王女の亡命の手助けという名目で娶ったのだそう。
祖国はベルフィン国に侵略され、両親は戦禍で命を落としたと記録されていた。
当時のクライシス伯爵当主と亡国の王女とは年齢が近く、領地もマーテル王国から近かったなど条件もあい、縁談もすぐに決まったようだ。
結婚後は一男二女をもうけ、クライシス伯爵当主はそのまま男児が伯爵家の跡を継ぎ、今のクライシス伯爵へと系譜が続く。
亡国の王女は亡命して安息の地を得られたのだろうか。
伯爵家への出向初日は緊張した。
王都にある伯爵家のタウンハウスはこれで二度目だ。
クライシス伯爵の執務室に通された。
「本日よりお世話になります。ルイ エヴァンズです。至らぬことも多いかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしく」
クライシス伯爵は恰幅もよく、貫禄さえある。
金髪に碧眼、ソルヴェーグ嬢と顔がよく似ている。
軍部とのやり取りを聞く限りではなかなかのたぬき親父だ。
機密情報を娘にバラすなど少し思う所がある。
「クレイ画伯の姿の時は大変迷惑をかけて申し訳なかった。君の絵がなかなか素晴らしいから、つい娘にも話してしまってね。興味をもった娘が突然押しかけてしまって……」
あの時からわたしの平穏な毎日が崩れていった。
「いえ、済んだことですので」
涼しい顔をしてみせたが、本当に大変だった。
「今回はボディーガードということで着任致します。どうぞよろしくお願い致します」
「そのことなんだが、君はその仕事は好きかい?」
「えぇ、まぁ、はい」
ちょっと歯切れが悪かっただろうか。
「今度、娘が嫁ぐお相手は君も知っているね」
「もちろんです」
わたしが伯爵に頼まれて調査したのだから。
「ベルフィン国、国王の第二王子だったかと」
第二王子フェルディナンド王子は継承権第二位だったが、皇太子夫婦に子どもが生まれ第三位になった。公爵となり我が国に隣接するアルマニャック地域の領主になられた。
芸術分野に関心が高く、戦争で失った絵画の復元など文化事業に力を入れていた。
確か元々は……。
「彼が治める領地は元はマーテル王国だ。我が娘がそこへ嫁ぐのであれば、故郷に帰るようなもの亅
ひいては昔の敵国に嫁ぐようなもの。
親として一人娘を送り出すのはかなり勇気がいるんじゃないか。
自分に娘がいたとして、わざわざ国外でしかも侵略した王族に嫁にはださん。
……と思うと、クライシス伯爵には何か狙いがあると考えるのが普通だ。
「フェルディナンド公爵は絵画にも造形が深いときく。我々一族は亡国マーテルが戦禍で失った歴史的建造物の復元に力を入れたいと思っている。戦争で失った貴重な美術品も数多い。今ある美術品も残していき、また戦争などで失われないように努めなければいけない」
歴史的建造物が多かった。宝飾を用いた工芸品も数多く、戦争がなければ更に発展していただろう。
そもそも侵略されたのも金の産出国だったからだと言われている。
金の質も高く高値で取り引きされていた。金細工なども素晴らしい技術だったとか。
「ではフェルディナンド公爵とクライシス閣下は利害が一致するので」
フェルディナンド公爵はマーテル王国の文化遺産や美術品、歴史的建造物を復興させたい。
クライシス伯爵は祖国の復興を応援したい。
だから婚姻関係を結び、良好な関係を築きたい。
きっと陛下は両国の友好のためにもと伯爵に言われ、婚姻の許可を出したんだろうと察しがつく。
一貴族が他国へ娘を嫁にだすには国王陛下の許可がいった。
陛下は『友好』とか『平和』という言葉に弱い傾向がある。
上に立つ者として、何ごとも穏便に取り計らうよう努めておられるのだから当たり前か。
うまく丸め込まれていないか心配だ。
「そこでだ。君に相談なんだが」
一体何を企んでいるのだろう……。
「古代絵画の復元模写を頼めないだろうか」
復元模写は本物の絵をよく見てその絵師になったつもりで絵を描く技法だ。
見た目は模写だが、その絵師になりきって本物のように再現するという難しい作業だ。
「そんな大役をなぜわたしに?」
もしやそれで絵師になってほしいと言っていたんだろうか。
そういうのはちゃんと絵を勉強した人間に声をかけるべきだ。
「君が描いた貴婦人の模写の絵。これは実に素晴らしい。かなり出来のいい模写だった。ここにある古代文字も実に美しい。古代文字も読めるんだろうね」
検問を通る時に絵の勉強中という体裁で美術館でみた絵を模写していた。
金髪で碧眼、遠くを見据えた視線は少し儚げに見えた。
ブルーパールのネックレスに淡い青いレースのドレスを着たいかにもお姫様という絵だ。
何枚も描いていたので依頼品の中に紛れこんでいたのに気づかなかった。
確かその貴婦人はマーテル王国の王族だった。
もしかしたら、伯爵にとっても血縁者なのだろうか。
「君はただ絵を描くのが上手いだけではない。歴史や背景、文字、制作者の意図まで汲み取っている。実に興味深い」
伯爵は誉めてくれているが、目は笑っていない。
伯爵の心の底に秘めた何かが隠れている。
「古代文字を読み書きできる画家もそうはいない」
確かに古代文字自体を勉強することは今の時代ない。
知っていたとしても、よほどのもの好きだと評価されるだけだ。
「協力してくれないかな?」
口調こそ穏やかだが、否といわせない迫力がそこにはあった。
思わず生唾をのみこむ。
そこにふと婚約の絵皿を思い出した。
『建国と再興を 古の地に変革を』と描かれていた。
伯爵の言葉を信じるならば、ただ絵を描くだけの協力要請だ。
「伯爵は古代文字が読めるのですか?」
「……いや、残念ながら読めない」
目が少し泳いでいる。
クライシス伯爵はあの婚約祝いの絵皿の文字を読み取ったのかもしれない。
もし『建国と再興を 古の地に変革を』と描かれていた内容から察すると、よくてマーテル王国の文化を再建しよう、悪くて独立国にしましょうという話しになってくる。
フェルディナンド公爵もソルヴェーグ嬢も二人とも血筋はどちらも王族の流れを組む。
ソルヴェーグ嬢に関しては元々そこのお姫様だった人の血筋だ。
変革の意味する所が戦争し独立国として成立するならば、ソルヴェーグ嬢はかなり危険な立ち位置になる。
わたし自身、軍部からはボディーガードを託されているのだから、自分も他人事ではない。
わたしの役回りとしても諜報するよう言われたらまず第一線で働くことになる。
どう転んでも命がけだ。
仮に協力する意味が本当に復元模写ならば、力になれなくてもぜひその現場を見学したい。
復元模写は文化的に残したいから頼まれているのか、戦争の予兆があって絵画が喪失する可能性があるからなのか……。
分からない。
とりあえず、上司にありのままを報告するだけだ。
何かあれば上司に相談ができる。
この解釈だって、なんでもすぐに決めつけてはいけない。
情報がもう少し増えれば、この解釈だって変わってくる。もしかしたら戦争という解釈は杞憂かもしれない。
ここは肯定も否定しない方が得策だ。
「クライシス伯爵閣下、とても興味深いお話しで嬉しく思います。残念ながら、わたしの配属は軍部です。軍部の上司に相談しませんと」
「もちろんだ。だが石頭達を説得するのは君では難しいだろう。提案なのだか取り引きをしないかい?」
意味深な表情をしてわたしを見据えた。
蛇に睨まれた蛙というのは、まさにこういう心境なのだろう。
一瞬で呑み込まれ、自分の運命は終わったと思わせる畏怖の念がある。
こんなに息をするのが難しかったかと思うくらい息苦しい。
わたしは大きくため息をついた。
わたしにどこまで関わってほしいと思っているのだろうか。