5 伯爵家の企みを調査せよ 前編
わたしはいたって普通の人間だ。
王族、貴族でもなければ特別な血統があるなどとんと縁がない。
両親は農業と山の管理をしていた。
上の三人の兄はその手伝いをして生計を立てていた。
上の三人がしっかりしているので自分が将来、家業の跡を継ぐ余地はなかった。
わたしは自然が好きで砂の上で絵を描いていたところ、「上手だ、上手だ」と親に喜んで貰っていた。
好きこそものの上手なれで、特殊能力はないが自分の趣味と特技が絵描きだった。
ある日、引ったくり犯の目撃者になった。
犯人の特徴をと聞かれ、子どもながら言葉ではうまく説明できなかったので絵を描いた。
絵によく似た人物がいると犯人逮捕に役立ってから、衛兵の人から目をかけて貰えるようになった。
仲良くなった衛兵から職を紹介して貰った。
絵を描く仕事でもあったし、色々興味のあることを教えて貰ったり、鑑定も面白い分野だったので、苦ではなかった。
巡り巡って特殊情報機関への配属にはなったが、まぁやっていることは基本絵を描く仕事なので、何ら問題はなかった。
田舎から出てきたわたしにとって、王都は教会や博物館、美術館が多くて散策しがいがあった。
街の小売店やマーケットでは掘り出し物の骨董品があり、休みの日には何を買うわけでもないが物色してはお店の人と仲良くなり色々教えて貰った。
もっと知りたかったら、自分で図書館で調べるし、わからなかったら飲み仲間を通じてその筋の詳しい知り合いを紹介して貰った。
そんな生活が充実していた。
どこで美術の知識を勉強したのかと聞かれるが、特別な教育を受けたわけではない。
絵画教室へも行きたかったが、仕事が忙しくて通えなかった。
基本的なデッサンなどは職場で覚えたくらいだ。
好きなことが今の仕事に繋がっているのだとしたら、ありがたいことなのだろう。
十八歳になり、仕事のいろはもだいぶ掴めてきたところだった。我ながらこれで安泰した生活を過ごせると思っていた。
ソルヴェーグ嬢が来るまでは……。
***
わたしはヴェネーノ長官のデスクの前で正座をしていた。
長官の深い深いため息を何回きいたか分からない。
眉間のしわはいつもより数が多い。
頬杖をついてずっと考えこんでいた。
わたしもどうしていいのか分からなかった。
あれからソルヴェーグ嬢から開放されたのはよかった。
しかし、わたしが街中で誘拐されたと職場では大騒ぎになっていた。
偶然、巡回兵がその現場を見かけ長官に知らせたのだ。
何事もなく帰ってきたかと思えば陛下直筆の手紙を携えているときた。
長官もずっと手紙を眺めている。
「とりあえずソルヴェーグ嬢のことは分かった。わたしも上と相談しないことには処遇の真意がわからん。追って連絡する」
「すみません」
「まずは無事で何よりだった」
表情は硬いが優しい目でみてくれた。
長官は自分を心配して夜遅くまで状況把握に努めてくれていたかと思うと、胸があつくなる。
「ありがとうございます」
執務室を後にする。
重い空気から開放され、ほっと深呼吸する。
「災難だったね」
ダニエルが腕をくみながら声をかけてくれた。
ダニエルとリラが廊下で待っていてくれたのだ。
「待っていてくれたんですか」
「今さっき仕事が終わっただけだ。気にするな」
二人ともこんな夜中まで庁舎に残っていてくれたのかと思うと涙がでてくる。
「ちょっと一体どうなってるのよ」
リラはいつになく怒りぎみだ。
「それがわたしにもさっぱりで」
わたしにこそ教えて貰いたい。
「連れ去られたかと思ったら伯爵令嬢付きにならないかっていう仕事のお誘いとは。随分おおごとになったな」
ダニエルは妙に肝心している。
「まさか陛下直筆の手紙を用意してくるなんて。一体その伯爵令嬢は何者なのよ」
リラは理由が分からないと言いたげだ。
わたしも同感だ。
ソルヴェーグ クライシス、一体何者なんだ。
普通の伯爵令嬢でないことは分かった。
思っていたより大胆な行動にでたと思う。
従者のスキルも兵士並に鍛えられている。
普通の貴族ではなさそうだ。
「とりあえず、ダニエルと話してたんだけど、これから軍部の敷地外に出る時はわたしかダニエルが一緒についていくわよ」
「プライベートも?」
「当たり前でしょう!危なっかしいんだから!」
「むしろルークを口実に三人で街に繰り出すのも楽しいし」
ダニエルは楽しみだといいたげだ。
「なんだか申し訳ない」
「それに今度は行方不明なんてことになったら、諜報機関の名折れですからね」
「心配してくれてありがとう」
二人の緊張した顔がふっと綻んだのがわかった。
二人にしたら兄と姉に心配をかける弟分なのだろう。
二人の優しさに甘えることにした。
確かにあのまま監禁なんてことになっていれば行方不明、失踪、暗殺かという新聞記事が出ていただろう。いや、諜報員だから秘密裏に情報は隠蔽されていたか。
でも危ない橋だったんだと、ここにきてようやく自覚する。
悠長にお茶を飲んでいる場合ではなかった。
ソルヴェーグ嬢の婚約祝いの皿を鑑定したことは報告したが、古代文字についても一応伝えた。
あの『建国と再興を 古の地に変革を』というソルヴェーグ嬢に向けたメッセージ。
その意味についてはもう少し情報がほしいところだ。
それに自分の処遇がどうなるかも心配だ。
つい最近、謹慎処分がとかれたばかりなのに、今度は何がくるのか。
睡眠不足なのに今夜は到底眠れそうにない。
気疲れだけが身体にどっと襲いかかるのだった。
***
今年は厄年なのかもしれない。
もしくは運がつきたのかもしれない。
悪い夢でも見ているかのようだ。
既に胃が痛くて、気持ちが悪い。
呼び出されたのは大会議室だ。
上層部が会議をする時は決まってここを使う。
軍部の総司令官に参謀長官、各軍隊の長官、特殊情報機関からはヴェネーノ長官が出席していた。
わたしにとってこの面々は雲の上の存在だ。
式典でチラッとお顔を拝見した位で面識はない。
まるで軍法会議にかけられているかのようだ。
視線が痛すぎる。立っているだけで重圧に押し潰されそうだ。
手の冷や汗がとまらない。喉が異様に乾いてきた。
連れ去り事件から数日後、わたし一人が呼び出されたのだ。
今回の議題は『わたしの処遇』について。
参謀長官が重い口を開いた。
「クライン君、きみの処遇は表面上は穏便に、水面下では腹の探り合いの末、決着がついたよ」
わたしは処分されるんでしょうか。
「先日、陛下の御前で貴族派と軍部派の合同会議が行われたので、君の件を出してみた。クライシス伯爵側は『クレイ画伯を連れ去ったというのは語弊がある。娘が友人を屋敷に招くのに迎えにいっただけ。屋敷ではお茶を飲みながら鑑定を披露して貰っただけ。危害は何も加えられていないのに、なぜそんなに大騒ぎしているのか』とあしらわれた」
クライシス伯爵の飄々とした顔が目に浮かぶ。
「陛下の手紙については、『他国へ嫁ぐ娘に一緒について行って貰えたら、その国の重要拠点などを情報提供して貰えて我が国の利になる。娘の庇護下で活動すれば、リスクは少なく諜報活動できると進言した』のだそうだ」
陛下は伯爵が推薦するならばと手紙を書いたそうだ。
ソルヴェーグ嬢も同席していただろうが、陛下に頼んだわけではなかったようだ。
「軍部の人間を勝手に引き込まないで貰うよう言ったんだがね。陛下は君のように軍部と貴族派の仲を取り合える人物がいるのは貴重であり、協力して貰いたいとおっしゃっている。我々としてはクライシス伯爵の言動は詭弁だと思っているんだが……。伯爵が何かを企んでいるのは薄々感じてはいる。だがしっぽを掴ませない。伯爵が君に依頼した内容は先日提出してくれたレポートを読んで我々も理解している。しかし、伯爵令嬢も君を連れていくなどかなり大きな動きをしているね。君に何かさせたいんじゃないかと思うんだが、何か聞かされていないか?」
もしや絵皿の古代文字のことだろうか。
確証がないことを言っても仕方ないことだろう。
絵皿の鑑定については報告している。
「いえ、わたしは何も……」
「ならば、クライシス伯爵の企みを詮索して貰いたい。軍部の中でも意見が割れたんだが……君を名指しするからには君の能力を買っているんだろう。我々としてはクライシス伯爵の言う『軍部を退職して伯爵令嬢付きの絵師』は容認できない。君は情報を持ちすぎている。よって軍部から令嬢の護衛という形で期限つきで出向してほしい。クライシス伯爵と令嬢の動向と企みを調査して貰いたい」
人生にはいくつかのターニングポイントがある。
自分の人生を左右するきっかけだ。
ここで提案を否と答えるか、仕事を辞めるという答えも言える権利はあったのだろう。
けれど、この状況でわたしの意思はなかった。
わたしの返事は一択しかない。
「承知しました」自然とその言葉が出るのだった。