4 婚約祝い品を鑑定せよ
馬車の中は快適だった。
ソファー生地は厚みがありデザインも重厚感がある。
座っていても振動が少ない。よく考えられた設計なのだとわかる。
出張で他国へ行った時は荷馬車にのせて貰ったが、乗り心地は格段に違う。
長旅をするならこんな馬車で出かけたいものだ。
しかしその場の空気は重く、わたしは視線のやり場に困っていた。
目の前にはソルヴェーグ嬢が少し拗ねた表情でわたしを見る。
「先生、ひどいですよ。先生がわたしに職業がわかるか謎かけをされて、あちこち聞いてまわってどれだけ大変だったか」
謎かけをしたつもりはなかったんだが……。
きっと本業を当て、上司の許可がでればソルヴェーグ嬢付きの絵師になると本気で思われたようだ。
体よくお断りしたつもりだったんだが。
「公務員で絵を描く仕事の方を、学校の先生や美術館や博物館の学芸員、演劇ホールの舞台制作の方まで探し回ったんですよ」
「……よく頑張りましたね……」
「全く手がかりがなくて、アトリエに行ったら引き払われているし」
こういうことを予測していたものですから。
「わたしにも事情がありまして」
「クレイ先生は消息不明になっているし」
「……ご心配をおかけしました……」
「軍部の機関には入ることもままならず……」
関係者以外立ち入り禁止なもので。
「役所の戸籍係では名前が削除されているし……」
仕事をする上で作っている偽造戸籍だが、ソルヴェーグ嬢が勘繰ってくることを睨んで抹消されてしまった。
紙ベースでは死んだことになっている。
「でも先日国王陛下主催の夜会に出席しておりましたら、クレイ先生がフットマンをされているではありませんか」
あの時の視線はソルヴェーグ嬢のものでしたか。
変装の名人のリラに髪型や顔の化粧を頼んだので、変装は完璧だったはずだ。
あれを見破るとはなかなかの洞察力だ。
それにあの視線に気づいた時、周りを見てもソルヴェーグ嬢の姿はなかった。
すぐに隠れたにしても夜会が終わるまで全然気づかなかった。
容疑者を絞り込んでいたから、来客リストを見ていなかったのが落ち度だったな。
一体ソルヴェーグ嬢は何者なんだ。
「先生が生きていると分かったのと同時に確信しました。特殊情報機関の職員が本職で間違いないと」
もはや反論もできない。
「その節は試すようなことをして大変失礼いたしました。しかし驚きました。街中を歩いていたらいきなり目の前に馬車が止まるんですから」
本当に驚いた。
街中で行きつけの食堂がもう目の前というところで馬車が進路を遮るようにして停まった。
馬車をよけようとしたら従者二人がわたしの両腕をつかみ、馬車に押し込まれ今にいたる。
「先生は毎週金曜日の夜は外食をしに街へ出かけるという情報をつかみまして。待ち伏せしておりました」
いや、それはどこ情報でしょうか。
普段は軍部の食堂で毎食すませている。
金曜日の夜は唯一、自分のご褒美に街へ繰り出して美術品をみたり夕飯を食べて気分転換をしていた。
アトリエを引き払ってから二ヶ月、そんな生活をしていた。
僅かな期間で待ち伏せされるとは。
今度から毎週行動パターンを変えていかねば。
「前後にいる従者の方も実に鮮やかにわたしを馬車の中に放りこんでしまうし。わたしはどこへ連れて行かれるのでしょうか」
馬車の扉にはもちろん鍵がかかり、中からは開けられない。
長く諜報員をやっているが、一応訓練は受けている。いくら睡眠不足で反射神経がいつもより鈍っていたからとはいえ身構える間もなくあっさり捕まった。
従者の動きはまるで訓練されていたかのようだ。
「クレイ先生がその筋の方だと分かりましたので、我が家に仕えてくれている従者の中でも選りすぐりの者を付けさせました」
ソルヴェーグ嬢はうるんだ目でこちらを見る。
「でも良かったです。わたしが先生の所へ行ったせいで、軍関係者に消されたのかと思って。怖かったんです」
確かにソルヴェーグ嬢が諜報員と気づいた次の日にはアトリエは売家に、戸籍は抹消という早業だった。
普通の人からすれば自分のせいで亡き者にされてしまったと思うだろう。
怖い思いをさせて申し訳なかったな。
「先生にはわたしを泣かせた罪がありますので」
いや、しかしこれは世にいう人さらいだ。
「一体わたしはこれからどうなるのでしょうか」
「ちょっとわたしに付き合って下さい」
変な汗が背中を流れる。
***
伯爵邸の来客室は調度品もセンスがよく目の保養になった。
絵画に陶器に見ただけで有名工房のものとわかる。
調度品をながめながら用意されたお茶をのむ。
正直に言おう、幸せだ。
茶葉の香りがいい。セーム産だろうか。
半発酵された茶葉はシンプルでありながら深い味わいだ。
睡眠不足で疲れた身体にはしみわたる。
本当に美味しいお茶だ。
出された茶菓子のクッキーもつまむ。バターの香りと甘さがほどよく口にとける。
夕飯を食べに出かけるつもりでいたので、お腹がすいていた。
お腹か満たされ、気持ちも落ちつく。お茶をのみほっと一息ついた。
カップの中に残るお茶に視線を落とす。
本当は飲み食いしないほうがいい。
攫われてきた自分がいうのもなんだが、毒入りで暗殺されることだってある。
しかし、自分の直感で言えばソルヴェーグ嬢はそんなことをする人ではない。
失礼な話しだがわたしは多方面から見る目だけはあると評価されている。
直観を信じるならば大丈夫だろう。
リラックスモードに入っていたところ、ソルヴェーグ嬢が部屋に入ってきた。
「あまり警戒なさらないんですね」
面白いものでもみたかのようだ。
「ご用件が済んだら帰して下さるかと思って」
「ありがとうございます。先生にご覧頂きたいものがありまして」
強引に連れて来られたので、何をするのかと思ったが、鑑定をしてほしいものがあるようだった。
ソルヴェーグ嬢の婚約祝い品は皿だった。
直径15cmほどの飾るための絵皿。
白い白磁の皿の中に蒼い絵の具を使って絵が描かれている。皿の縁はフリルになっており、金彩が施してある凝ったつくりだ。
皿の表側には絵が一面に絵が描かれていた。
皿の裏側には工房と作者が描かれている。
「こちらに婚約祝いの品をお持ちしました。わたしは恥ずかしながら物の価値というものがわかりません。このお皿は私にしたらただ花と人物が描かれているだけに見えます。しかし、手紙も添えられず、ただ結婚祝いの品だと聞いて引っかかるのです。普通は品物のいわれやどういう気持ちでその品を選んだかなどしたためるものでしょう。何か意味が隠されているのではないかと思いまして」
「このお皿のどこまで知りたいのですか?」
「あなたが分かる範囲の全てのことを教えて下さい」
彼女の目は真剣そのものだった。
***
婚約の品に食器が贈られ理由はソルヴェーグ嬢が嫁ぐ予定のべルフィン国が食器を記念に贈る習慣があるのだ。
陶器は割れるから不吉だという国もあるが、ベルフィン国では普通のことだ。
絵皿には4分割に絵が区切られている。
時計回りに春・夏・秋・冬と季節が巡って描かれていた。
季節ごとにその代表的な花があり、そこには人物が春に出会いがあり、二人になり、子どもができ巣立つまでの物語になっていた。
「この絵には『夫婦となって円満な家庭を築きましょう』というメッセージ性のある絵皿です。いわゆるプロポーズです。送り主の愛情の深さを感じられますね。大変加工もよく、人が集まるリビングなどに飾るには大変よい一品ではないかと」
「なるほど。とても良いお品なのですね」
「描写も大変丁寧で細かく繊細です。これを描いた方は国でも名のある作家ではないかと思います。工芸品としての価値も高いとお見受けします」
ただ気がかりなのは古代文字が描かれている点だ。
ルーペで見ないと小さくて読めないが、花の茎部分に『建国と再興を 古の地に変革を』と描かれている。
今どきこんな古代文字を婚約祝い品に描くなんて、ちょっと変だ。
古代文字はもはや学芸員が解読するのを楽しむくらい貴重な文字だ。
そんな文字を読める自分もかなりマニアックなのだろう。滅亡王朝の文字で歴史的にかなり古い。
古代文字をデザインとして使う作品もあるが、植物の陰影部分に古代文字を描くのはおかしい。
これはメッセージ性が高い。
もしやソルヴェーグ嬢はわたしに古代文字を解読してほしかったのか?
ソルヴェーグ嬢と目があう。表情はにこりと笑うが目は笑っていない。
何か変なことに巻きこまれそうな予感がする。
早々に退出した方が良さそうだ。
「先生、何かお気づきになられたのではないですか」
思わずビクッと身体が反応してしまった。
ばか正直すぎて、自分でも笑ってしまう。
ソルヴェーグ嬢は気づいただろう。
わたしが古代文字を解読したことを。
「お茶代で鑑定できるのはここまでです」
「その続きを聞くにはどうしたらよろしいのでしょうか」
「お贈り下さった方に、直接聞いてみるのがよろしいかと」
「先生が我が家に仕事として来てくださったら、教えて下さいますか」
「それは難しいでしょう。今、仕事の効率が悪いと怒られているので新しい仕事はお引き受けできないんです」
「では我が家に転職して下さい」
「ソルヴェーグ嬢、あなた様の絵師になるのは大変光栄なのです。しかし知っての通り職業柄、いずれ他国へ嫁ぐあなたについて行くわけにいきません。理由は三つあります。一つはスパイ扱いされるからです。情報は国を動かします。戦争ともなればわたしのような職業は重要拠点の地図や建物、司令官の人相などあらゆる景色を絵という情報にして我が国に提供できるのです」
祖国には利があっても嫁ぎ先では厄介者だ。
「二つ目はその逆。祖国を裏切るよう迫られ、今もっている情報を提供するよう言われることもあります。しかしこれも反逆者のそしりを免れません」
嫁ぎ先では有利な交渉もできるが、この母国を売ることになる。
家族、友人、ひいては国全体の人を危険にさらしたくない。
「三つ目はダブルスパイとなるか板挟みとなって自滅していくパターンです。そういうことで、わたしがこの国を離れるということは限りなく死亡宣告に近いのです。申し訳ありません。それにわたしの立場上、もう会わない方が良いでしょう」
わたしは国家機密を取り扱うことが多い。
今までも要塞の見取り図や周辺地域の道路、市場、人の往来のある拠点などを描いてきた。
軍部から抜けること自体が不可能だろう。
ソルヴェーグ嬢は少し申し訳なさそうな顔で一通の手紙を差し出してきた。
「先生は自分の上司に仕事の交渉をすれば対応頂けるとおっしゃっていましたよね。実は国王陛下からクレイ先生宛のお手紙を預かっておりまして」
先日、確かに国王陛下主催の夜会がありました。
しかし、なぜ軍部の一介の職員宛に国王陛下から手紙を……?
大体なぜソルヴェーグ嬢がわたし宛の手紙を持っているんだ?
もしや国王陛下に手紙を書いて貰ったりするんだろうか?
いやいや、伯爵令嬢というだけで、そんな権限はないはずだ。
頭の中が疑問でいっぱいだ。
不測の事態というのはどう対処していいか自分で答えをもっていないのが致命的だ。
パニックになりつつも平静を装う。
封筒の蝋の印は間違いなく王家の紋章だ。
紙質も王室御用達基準のものだ。
胸さわぎがする。
震える手で手紙を開ける。
手紙の筆跡は国王陛下のもので間違いない。
サインもしてある。偽造ではない。
宛名はエドワード クレイ宛だった。
手紙の中身を一読し、ふっと生気が抜けた。
そういえば、わたしの軍部は国王軍直轄でした。
つまり、ソルヴェーグ嬢はわたしの上司を長官ではなく国王陛下と認識し、直談判したということか。
しかも夜会でわたしが生きていると知り、その場で陛下に頼みにいったと。
手際がよすぎて逆に怖い。
わたしは来月より出向するよう王命を賜ったのだ。