2 個展の謎を解明せよ
「お初にお目にかかります。ソルヴェーグ クライシスと申します。クレイ様のお噂はかねがね。お父様からお伺いしておりました」
ウェーブのかかった金髪の長い髪に青い瞳の女の子は仰々しく挨拶をする。
「初めまして。エドワード クレイと申します。このようなアトリエに伯爵様のご令嬢が来て頂くなど恐悦至極にございます」
ペコリと頭を下げ、社交辞令をする。もう少し声に抑揚をつけた方がよかったかな。
「執事姿の時からお気づきでしたか」
気取られたつもりはないのに何故だろうと不満そうな顔だ。
「あなたの正体に気づいたポイントは四つです。一つ目は執事姿でご来所下さった時です。女性と男性では歩幅が違います。男性はあなたよりもう少し大股で早く歩きます。このアトリエは古いので床の軋み方も体重によってかわります。同じ背恰好でも男性であればもう少し床の軋む音が大きくなります」
その時、なぜ男装をしたんだろうと不思議だった。憶測だが伯爵に知られたくないのだろう。
つまりこの依頼は彼女の独断で動いている。
「二つ目はサイズのあわない燕尾服です。背丈が同じ位の執事から借りたようですが、やはり肩幅のサイズがあっておらず不格好にみえまして。変装していることは分かりました」
ソルヴェーグ嬢は指を口元に当て何かを考えているようだった。
「三つ目は背恰好と瞳の色が伯爵令嬢と一致していました。ご兄弟がいらっしゃれば選択肢もありましたが、ソルヴェーグ嬢は一人っ子。二頭立て馬車など使える身分の方はそうはいません」
鼻筋や顔付きはクライシス家に特徴的な顔だったので、伯爵家の血筋というのは確定だった。
「四つ目はこのウェディングヴェールです。先ほどの紋章から歴史を紐解けば一族の歴史は大体わかります。このような特別な儀礼で使われるもの、特にお身内が作られた家宝のようなお品。執事だけに託さず持ち主が直接もしくは付き添いを連れてご来所されそうなものです。しかし単独で変装して来られました。それに名前も身分も伝えず、要件もそこそこに去っていかれて。わたしに品定めをして欲しいような挑戦的なお振る舞いでしたので。何か求めていらっしゃるのかと。出過ぎた思考を巡らせたわけです」
「なるほど」
「それで、こちらのヴェールはいかがでしたか」
「ご明察の通りです。これは曾祖母がこの国に嫁ぐ時、曾祖母の母親か編んでくれたという手作りのヴェールです。当時流行り病で伏せりがちでしたが、療養中に編み上げたのだと聞いております」
推察通りというわけで何よりでした。
「では、どうしてこのようなことを?わたしに正体が見破れるのか、ヴェールの由来が分かるのかと試されていらっしゃるようでしたが」
何か別の依頼があって自分がそれに足りうる人物か推し量っていたようにみえた。
わたしに一体どんな仕事を依頼しようというのか。
ソルヴェーグ嬢は嘆願するような口調でこう言った。
「お願いがあります。わたし付きの絵師になって下さいませんか」
***
少しの間ができてしまった。
絵師になってほしいと……。
意外な申し出だったので思考がぶれた。
「それはわたしの独断では難しいですね」
「あなたが国王軍直轄の特殊情報機関・諜報および暗号解読班所属の人間だからですか?」
やはり気づかれていたか。
「わたしにそんな大それた肩書きかあるとお思いですか。わたしの絵が伯爵のお手元にあったのは旅先で描いたしがない絵をご購入下さったのですよ。それに本職は公務員として絵を描き日銭を稼いでいますが、それ以上でもそれ以下でもない普通の仕事ですよ」
「でもあなたの絵は絵画としての価値がないとおっしゃっていましたよね」
「はい」
「それは絵画としてではなく情報としての価値がある絵を提供しているのですよね」
御名答です。なかなか鋭いが、どこから情報が漏れたのか。
ボロが出てはいけないので、ここは肯定も否定もしないでいよう。
「先日、お父様宛にあなたの個展の招待状がきていました。日時や場所が分からなかったので、父の右腕の執事の後をつけまして……。裏路地のパブに辿り着いたんです。個展というのは諜報員やその依頼主の情報提供の場という隠語なのではないですか?」
ここまで知られているのなら、やはり伯爵が喋ったんだろう。一人娘が隣国の見知らぬ土地に嫁ぐのだから、心境としては落ち着かなかっただろう。
しかし、愛娘といえど情報漏洩がひどくないだろうか。一応機密文書扱いなのだが……。
しかも一介の諜報員の情報を娘から引き出されている父親の力量よ……。
わたしはとても残念に思う。
「わたしの婚約者の方の個人情報と居城や周辺一帯の風景画をご提供くださったんですよね。父が大変喜んでおりました」
「そのようですね」
段々顔が引きつってきた。
伯爵にはもう少し情報の管理を徹底してもらわないと。
あとで上司に報告せねば。
「わたしは恥ずかしながら、物の価値がわかりません。それに他国へ嫁ぐにしても知らない人ばかりで、善人か悪人かなどの区別もつかず、不安しかありません」
「心中お察し致します」
知らない人、土地、まだ見ぬ婚約者への期待と不安があるのだろう。マリッジブルーのようだ。
「あなたには美術品への審美眼だけでなく対人の目利きも素晴らしい才をお持ちだと有名です」
人物画を描いていると、人間観察で身についた心の動きが人より少しわかるだけです。
「根も葉もない噂です」
「どうか、わたしを助けては頂けませんか」
小動物のようにウルウルとした目で上目遣いをしてくる。
伯爵はこれで落ちたのか。
「わかりました。しかし、ソルヴェーグ嬢がおっしゃった職とは違いますが、確かに公務員が本職です。人手不足ということもあり、わたしが申し出ても転職は難しいでしょう。ソルヴェーグ嬢が直接掛け合って頂き、許可がでましたら対応いたします」
「本当ですか!ありがとうございます!」
そう言って彼女とメイドは帰っていった。
意外とすんなり納得してくれた。
伯爵令嬢にかかればわたしの仕事先などすぐわかると思ってのことだろう。
もしくは伯爵を問い詰めるか……。
やれやれと大きくため息がでた。
ソルヴェーグ嬢はやはり行動力がある。
物を見る目がないからといって、わたしを指名してくるとはお目が高いというか変わっているというか。
度胸もあり相手の出方を見る慎重さもある。
ソルヴェーグ嬢は探偵に向いていそうだ。
転職勧誘はもったいないが実際、無理な話しだろう。
とりあえず上司に掛け合って貰い、納得して貰うのが一番だ。
わたしの職場まで辿り着けたらの話しだが。
さよならソルヴェーグ嬢。
もう二度と会うことはないだろう。