エスコートされた先で
「…そんな顔するなよな」
不満気な顔をしている蒼をたしなめるように水無瀬が言った。
それから二人はお互いに不平を漏らす。
「せっかく可愛くしてやったのに」
「……頼んでない」
蒼は今もまた昨日と同じように車に乗せられていた。
昨日ーー水無瀬曰くデートとやらの一日目、車が向かった先は空港だった。
そこで東京行きの飛行機に乗ったのだが、蒼は飛行機なんて初めてだったので内心落ち着かず。
水無瀬はというと、さすがと言うべきか慣れた様子だった。
そして、夜のはじめに東京に着いた。
蒼に用意されていたのは、宿泊先として高級ホテルのスイートルーム。
たかだか蒼一人が泊まるのにリビングとベットルームが独立した100平米の部屋で、蒼が気後れしていると、
「別に俺の家でもよかったんだけど…今から行く?」
と無理なことを水無瀬が言ってきたので、結局スイートルームに泊まる羽目になった。
「デートだから俺の顔を立てると思って、お金は俺に払わせて」
私に気を遣わせないようにする言葉がさらりと出てくる当たり、女性に慣れているというかーー
と考え、水無瀬が自分を女扱いするわけない、自分が面倒なことを言い出すのが嫌なだけだろうと蒼は考え直した。
夕食はルームサービスが来て、夜は居心地の悪さを感じながらもゆっくりと過ごすことが出来たのだが。
朝になると、慌ただしいスケジュールが待っていたのだった。
※
「大変素敵でございますよ、蒼お嬢様」
「あ…りがとうございます……」
運転手の男性に言われ、蒼は気恥ずかしくなった。
運転手は今日は高崎ではない。六十代半ばくらいの渋い男性で、自然なグレイヘアが魅力的だ。
「お似合いのお二人でございますね。私はとても嬉しく思います」
「似合ってない」
「似合ってません」
水無瀬と蒼は同時に否定した。
「こいつとはそんな関係じゃないって知ってるだろ? 江藤。お前に昔ムカつく奴がいるって話した、その『ムカつく奴』ってのが蒼だって何度か言ったはずだけど」
「左様でございますか…蓮お坊ちゃまの表情が楽しそうに見えるので、てっきり」
「まあ楽しいよ。こいつらで遊ぶのは」
「また蓮お坊ちゃまはそう意地悪なことをおっしゃる」
江藤という運転手の声には笑みが含まれていた。
「…お坊っちゃまは止めろって」
ふてくされたような表情の水無瀬は少し子供っぽく見える。
「昔蓮お坊っちゃまがお話しして下さったのはよく覚えております。有峰 日向様の仲良くなった少年が『ムカつく奴』だと」
「おい、だからお坊ちゃま呼びはーー」
「このように可憐な女性のことを男性と間違えたなんて、昔の蓮お坊ちゃまはお子様だったのですね。出会った頃はお互い最悪の印象だったかもしれませんが、案外そういった相手が運命の人だったりしますよ」
「それはない! 今の言葉、他のとこで絶対に口にするなよ。色々と誤解を生んで面倒だ」
江藤は水無瀬家に長く仕えているのだろう。二人のやり取りから江藤が水無瀬のことを幼い頃から見ているのが分かる。
水無瀬は何となく江藤にやり込められて面白くなさそうだが、彼を信頼しているのが伝わってくる。
蒼が思わず微笑む中、水無瀬が小さく呟いた。
「いや…今からすることを考えれば大したことないか…」
やがて、車はある場所に着いた。
※
そこは眩しく煌びやかな世界が広がっていた。
「蒼、リラックス」
隣にいる水無瀬が囁くように言う。
何か答えようとしたが、水無瀬と腕を組み、ヒールの高いパンプスを履いている蒼は、口元が引き攣り声が出てこなかった。
天井には柔らかな暖色の光をたたえたシャンデリアが吊り下がり、床には複雑な模様のカーペットが敷き詰められた、広い会場。
そこが今、蒼の踏み入れた場所だった。
周りにはいくつものテーブルが配置してあり、その上には様々な料理が並べられている。今まで蒼が食べたことのない、名前さえも知らないような西洋料理だ。
まさかこんなところだなんて…
蒼は軽く水無瀬を睨んだ。
先刻蒼達を乗せた車が着いたのは、蒼が昨日泊まったホテルに負けず劣らずの高級ホテルだった。
「デートのメインはディナーだから」
日中水無瀬に連れ回されうんざりしていた時に、蒼はそう彼に告げられていた。
なるほど、自分にとっては初めてだがディナー場所にはドレスコードがあるのだろう。
蒼は自分が着飾らされたわけに納得しつつも、何故昨日とは違うホテルなのだろうと疑問に思っていた。
今ここにいる人達は皆スーツやドレスを着こなしている。きらきらと華やかで堂々とした佇まい。
朝早くからマッサージやエステを受けさせられ、何着も試着してドレスを選び、ヘアメイクをさせられた理由がようやく分かった。
これは水無瀬と二人でのディナーではない。何かのパーティーのようだった。
今蒼が腕を組んでいる水無瀬はダークスーツ姿、蒼は白に近いアイボリーのドレスを着ている。
二人共シンプルな装いだが周りも割合堅苦しい格好ではなく、どうやら形式ばっていないカジュアルな立食パーティーらしい。
「来日した海外の若手起業家達が共催したパーティーだ。招待客も若いやつばかりだな」
確かに水無瀬の言うように、男女共に十代から三十代くらいの姿が多く見える。
あちこちで飲み物が入ったグラスや料理を乗せた皿を片手に談笑しているのは、国際色豊かで多様な人種の人達だ。
「ハイ、レン!」
胸元のあいたドレスを着た金髪の女性が、水無瀬と蒼のもとに近付いてきた。
水無瀬が流暢な英語で応じる。学校で習う英語と生きた英語はやっぱり違うな、と妙に感心しながら蒼は二人の会話を聞いていた。
金髪の女性が蒼の全身を上から下まで見る。彼女が蓮に、
「貴方、女の好み変わったわね」
と言うのを蒼は聞き取った。
「私達はそういう関係じゃありませんので、誤解しないで下さい」
つい英語で言い返してしまった蒼に、金髪の女性が目を見開く。水無瀬は笑いをこらえるような顔をしていた。
その後も水無瀬は男女人種問わず何人もの人に声をかけられていた。
水無瀬の方から挨拶に行く場合もあり、相手はこのパーティーの共催者達のようだった。
「蒼、何か食おうぜ」
ようやく一段落つき、蒼は水無瀬に促され料理が並んでいるテーブルへ行った。
ビュッフェ形式のカジュアルなものとはいえマナーはあるだろうし、それ以前に蒼は自分が何を食べたいのかも分からない。
そのためさり気なく水無瀬を見つつ彼の真似をし、同じ料理を少しだけ取っていた。
「食べたことない料理だってあるだろ? せっかくだからそういうのも取ってこいよ」
「ん…そうだけど…」
「緊張して食べられないとか? そういう可愛いとこもあるんだ」
「うるさいな。でも緊張っていうか、」
雰囲気で腹いっぱいというか…
そんなやり取りをしながら蒼と水無瀬はサイドテーブルへと向かう。
「ーーあお……?」
不意に。
久し振りに聞く声。
「どうしてここに……」
「……ひな……」
約三ヶ月振りの再会だった。
水無瀬と同じダークスーツ姿の日向。だがボルドーの派手なネクタイを始めどことなくラフな感じの水無瀬とは違い、日向はシンプルかつ洗練された佇まいだ。
何だろう……胸が痛む。
六年振りの再会に比べてあまりに短い間なのに、あの時とは違って知らない人を見ているようだった。
そして、
「ーー日向さん?」
彼のーー日向の隣にいる女性が、彼を呼んだ。




