満たされていく宝箱
「ーーそれじゃあ蒼ちゃん、私達そろそろ帰るわね」
カフェが再び混み始めてきた頃、美智江が遠慮がちに蒼に声を掛けた。
「あ…」
蒼は他の客に捕まり、当番は終わったのにも関わらず給仕をしていて、今も注文を受けた品を準備係のクラスメートに伝えに行くところだった。
「あの、今日は来て下さってありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ呼んでくれてありがとう」
美智江と俊昭が微笑む。
「ご馳走様、美味しかったわ」
「ああ、いい時間を過ごさせてもらった。蒼も目一杯楽しみなさい」
俊昭達を見送り、蒼は再度準備スペースへ向かおうとすると、
「ねぇねぇ、一緒に写真撮ろーよ」
蒼の周りを邪魔するように、スマホを手にした男がついて回った。
ラフな服装をしているその男は恐らく他校の高校生だろう。
中央辺りのテーブルには彼の連れか、それぞれ私服姿の三人の男がこっちを見ながら会話に興じている。
蒼はうんざりした。
「すみませんが、お断りします」
「えーあっちの子は撮ってるじゃん」
男が黒板の方に視線をやって言った。
客との写真は店員各自に判断を委ねているため、応じている者もいれば断っている者もいる。
写真を撮るなら他の客の迷惑にならないように黒板の端の方でという決まりだ。
蒼はもちろん日向も実咲も断っていたが。
「私は写真苦手なので」
素っ気なく蒼が言うと、男は不満そうに口を尖らせた。
「そんなこと言わないでよ、減るもんじゃなし」
「ーーどうされました?」
突然、蒼と男の間に割って入るようにして日向が現れた。
「あー、っと…」
日向を見た男が気後れしたような顔になる。
それもそうだろう。
ただでさえ容姿端麗の日向が執事姿で、おまけにクラスの女子達からのリクエストで前髪を上げ片眼鏡を掛けているのだ。
まるで二次元から飛び出してきたようだった。
「その子と写真撮りたくて」
「そうですか」
男の言葉に答えると、日向は右手を出した。
「えっ、いいの?」
「ちょっとーー」
蒼が戸惑い抗議の目を日向に向ける中、男が日向にスマホを渡す。
日向はスマホを何やら操作して、
「やっぱり…」
ため息をついた。
蒼は小首を傾げ、男もまた不思議そうな顔をする。
「この子が家族と話している隙に盗撮するなんて、」
日向がスマホの操作を続ける。
「不愉快だ」
とん、と画面をタップした後、日向は男にスマホを投げ返した。
「なっ……!」
慌てて受け取った男が画面を見る。
「お前、何勝手にーー」
「勝手にこの子を撮ったあなたが悪いんでしょう? 写真は消させていただきました。復元なんて馬鹿な真似はしない方が賢明ですよ」
日向は詰め寄ってきた男に怯む素振りを見せない。
「大体、写真を撮るなんて僕は一言も言ってませんけど」
日向の言葉に男が舌打ちした。日向が蒼の腕を取って引き寄せる。
「この子は特別なんですよ。そう簡単に写真を撮れるなんて思わないで下さい」
「いや…別に写真が苦手なだけでーー」
「はっ、お高くとまってる女かよ」
蒼と男が同時に言う。
日向が男を冷たく見据えた。
「お前程度がこの子に気安く関われるとでも? 盗撮もしつこく付き纏うのも許せないのに、この子を貶すようなことを言うなんてーー社会的に抹殺してやろうか?」
日向の迫力に気圧されたのか、男の顔が引き攣る。
静かに、日向が言い放った。
「失せろ」
男は完全に固まった。
「…言い過ぎ……でも盗撮されてたのは知らなかったから、助かった」
「今日はいつも以上に狙われてるから気をつけて」
狙われているというのが異性からの下心的なものであれば、少しは実咲の役に立ったということか。
日向の言葉を受けて蒼は考えた。
いつも狙ってくるのは、自分を敵視しているらしい同性からだけだが。
「ーーっ」
ようやく動けるようになった様子の男が悔しそうにこの場から離れ、三人の男達がいるテーブルの方へ行く。
彼らは飲食は済んでいたらしく、男が何やら告げると横柄に教室を出て行った。
ふう、と蒼は軽く息をついた。
遅くなってしまったオーダーを準備係に伝えた後、とっとと着替えよう。
そう考えて準備スペースへと向かう。
「あおちゃん。写真、撮らせてほしいな」
と、パーテーションの向こうに行き、オーダーを伝えた蒼は日向に言われた。
「………………」
顔を顰めた蒼とは対照的に日向は笑顔だ。
「聞いてた? 私、写真は苦手だって」
「うん、でも新田さんにはたくさん撮らせたんでしょ?」
「それは……」
「それに、僕はあおちゃんと一緒に撮ったことがないから」
日向がしゅんとする。こんな日向に蒼は弱い。昔とは違うと分かっていても。
蒼はやがて、
「……分かった。少しだけなら」
と折れた。
「ーーあ、そうだ」
嬉しそうな顔になった日向が、何かを思い付いたように声を上げた。
彼の荷物が置いてある所へ行きーー戻ってくる。
日向が蒼の頭に手をやった。
パチッ
「…新田 実咲だけがあおをいつも以上に可愛くしたなんて、癪だからな……」
日向の呟きは蒼には聞こえなかった。ただ、目を細めた日向がどこかに思いを馳せているように見えた。
自分の髪に触れてみる。手に、何かが当たった。
……ヘアピン…? これ…まさかーー
「ひな……これ……」
「思った通りだ…似合ってる、可愛い。やっと見られた……」
自分の推測は当たっているんだろうと蒼は思った。
今、自分の髪に付いているのはーー六年前に振り払った苺のヘアピンだ。
あの時の後悔が押し寄せてきて、でも今目の前にいる日向が嬉しそうで、安心するような苦しみに襲われる。
「ーー新田さん、悪いけど撮ってくれる?」
日向が実咲に声をかけた。
「え?」
嫌そうな声を出した実咲がきろりと日向を睨む。それには構わず、日向はスマホを実咲に渡した。
実咲がぶつぶつと文句を言う。
「何で私が……」
「君だってあおと一緒に撮ってるんだろ?」
「だけど私は自撮りでーー」
「後で撮ってやるから」
そんな二人を見て、蒼はつい、くつくつと笑った。
「あおちゃん?」
「蒼?」
不思議そうに日向と実咲が蒼を見る。
「二人のやり取りが面白くて…いつの間に仲良くなったの」
軽く握った手を口元に当て、笑いを噛み殺しながら蒼は聞いた。
日向と実咲が顔を見合わせる。
「そんなことは…まあ同類ではあるけど」
「仲良くないから。ただ…同類なだけ」
同時に言った日向と実咲の言葉を蒼は一瞬疑問に思ったが、それ以上に何だかんだ声を揃えてきたことがおかしい。
「ほら早く」
日向が実咲を促す。実咲にスマホを向けられる。
「あ、今いい感じ。撮るよー」
実咲が何枚か写真を撮った。
笑いが堪えきれないでいる蒼の、そのままの表情で。




