湧き上がる複雑な思い
蒼の言葉通り、いやそれ以上にカフェでの仕事は忙しかった。
日向と蒼の、おまけに実咲の当番の時間は真昼時で、カフェには主食となるようなものはないが、早めの昼食を取った人達の食後のデザートや遅めに昼食を取る人達のちょっとした腹ごしらえに利用されているようだった。
それにメイドや執事姿の店員目当てというのもある。
執事姿の日向はいつにも増して注目されていた。
やがて三人の当番の時間も終わりになり、飲食スペースとはパーテーションで仕切られた準備スペースで日向は一息ついた。
「あれ、あおは?」
同じく仕事を上がって来たらしい実咲に日向は聞いた。
彼女もまたメイド姿だ。ロングの髪を一つのお団子に束ね、メイクは普段通りのクール系で、モデルがメイド服を着てみたといった印象を受ける。
「今おじさんとおばさんが来てるから」
「ああ…」
実咲の答えに納得して、日向はパーテーションの向こうを覗き見る。
教室の隅のテーブル席に俊昭と美智江がいた。
その側にはトレーを持った蒼が立っており、嬉しそうに二人と話している。
俊昭達も笑顔を見せていて、テーブルにあるコーヒーやマフィンを時折口に運んでいた。
俊昭と美智江は、蒼の親参加の学校行事や陸上の大会などには欠かさず行っていたらしい。
だが周りの親達より年がいっていることを気にして目立たないようにしていたと聞いた。
蒼が揶揄われないようにとの配慮だったそうだが、もちろんそんなことは蒼には無用だ。
二人の年齢など蒼は気にしないし、揶揄ってくるやつがいたら彼女は辛辣な言葉で釘を刺すだろう。
今日俊昭と美智江がこうして表立って文化祭に来たのは、二人のことを知っている日向と実咲がいるからというのも大きいかもしれなかった。
蒼の当番の時間は終わって、さらに今は忙しさも一段落しているため、蒼が俊昭達と少しくらい話していても問題ない。
さっきの忙しさの中、日向は俊昭達の姿を見つけ会釈はしたがーー今彼らの元へ行くのは邪魔になるだけだ。
そう思い三人の様子を見守っていた日向は、中央辺りのテーブル席に目を留めた。
しばらくそちらに視線をやりーー
「今日の蒼、一段と可愛いでしょ?」
不意に実咲が得意げに聞いてきた。
「……君がヘアメイクしたんだろ? あおは、嫌がらなかったか?」
蒼は自身に母親を重ねたくないからか、最低限のお洒落しかしない。
日向はそれで十分だと思っているけれども。
「いえ、特には。むしろ私に、メイクは分からないから任せるって言って。完成した姿を見せると、これで少しは役に立つかな、って笑ってました」
それは、クラスのためではないだろう。クラスのために蒼がそこまでするとは思えない。
恐らく実咲目当ての男性客が多いと思って、彼女はめかし込んだのだ。
結果、成功だった。蒼はかなり多くの男性客の視線を集めていた。
またそのことによってクラスの女子達の妬み嫉みも引き受けていた。
実咲が苦々しそうな顔をして続ける。
「何でか蒼には勝てるって勘違いしてる人達が多くて。ほんと、馬鹿な人達ばっかで困っちゃう。大体普段蒼は化粧してなくて、みんなはばっちり化粧してるくせに」
日向はクラスでカフェの係を決めた時のことを思い出した。
裏方は自薦で、接客係は自薦と他薦で決められた。
この学校ではクラス企画で順位がつけられるため、どのクラスも張り切っている。
もちろんこのクラスも例外ではなく、接客係は明るい人や見栄えのする人が優先的に選ばれた。
そこでクラスの大多数の意見を受けて接客係に決まったのが、日向と実咲だった。
そしてその二人がやるからと、蒼までもが担ぎ上げられたのだ。
蒼にしてみれば日向と実咲をだしに使われた状況だった。
そのような経緯で蒼は引き受けたのだが、あの時確かに実咲の言うように、接客係になった蒼を周りは小馬鹿にしている空気があった。
「言えてる」
日向が答えると、実咲が勝ち誇ったように口の端を上げた。
「でしょ? だから私、滅茶苦茶気合い入れて蒼のヘアメイクをしました。感謝して下さいね」
「やり過ぎだ」
日向ははっきりと言った。
「あれじゃあ、余計な害虫がわく」
「う……」
実咲は言葉に詰まったらしい。
「まあでも、あおのあんな姿は貴重だからよくやったと言っておく。俺が負けたみたいで癪だけど」
「そう! 貴重なの! だから私いっぱい写真を撮って、」
食い気味に言った実咲がここで我に返ったように咳払いをした。
「大体有峰君は強気でいればいいんじゃないですか? 蒼にどんな虫がつこうとしても」
「そのつもりだ。ただーー」
周りが蒼の可愛いさに気付いていなかったから、今まで強くは思わなかったのに。
「あおが可愛いことは、俺だけが知っていればいい」
実咲がジト目で日向を見た。
「私も知ってますけど。…宝物は誰にも見せずに大事に仕舞っておくタイプですか」
大きなため息をつき、実咲が念を押してくる。
「蒼を閉じ込めないで下さいね」
「……そんなことはしない、と思う」
曖昧な返事になってしまった。実咲の視線が鋭くなる。
自分が蒼に執着していることは自覚している。それがやがて束縛に変わることもあるかもしれない。
蒼の望みは出来る限り叶えてあげたい。
彼女にはいつも笑っていてほしい。
だが、自立心が強く自由に飛んでいきそうな彼女を、籠の中の鳥として囲いたいという気持ちがあるのも嘘じゃない。
「とにかく……複雑だ」
蒼の魅力を知らしめたい。
蒼の魅力にこれ以上誰も惹かれないように、彼女を隠したい。
相反する思いが、日向の心の中に渦巻いていた。