僕はまた君に救われる
蒼となら楽しいだろうが、そうではないなら退屈なだけだ。
「日向くん、六組でやってるお化け屋敷行こーよ。けっこう怖いんだって」
隣にいる葵が馴れ馴れしく日向の手を取る。
「へぇ…いいよ」
日向は気のない返事を愛想笑いで誤魔化した。やったっ、と葵が甘ったるい声を上げる。
それから日向は葵に軽く腕を引かれるようにして歩いた。
あと少しの我慢だ……
カラフルに飾り付けられた廊下を気分が乗らずに進む。
葵に誘われ、日向は彼女と二日目の文化祭を回ることを数日前に約束していた。
葵の他校の友達が来るらしく、日向を見せびらかしたいのだろう。
葵はデート気分なのか、今日はいつもよりメイクも髪型も気合いが入っている。
さらに、水色のクラスTシャツと制服のスカートといった格好の彼女のスカートは、いつにも増して短い。
そんな葵ははしゃぎ気味で甲高く話すため嫌でも目立った。
一年六組の教室が見えてきた辺りで、日向の制服ズボンのポケットに入れているスマホが震えた。
すぐに止まったところをみると恐らくメッセージだ。
日向はスマホを取り出して画面を見た。
『今どこにいる?』
送信者はーー水無瀬。
何の用か分からず、一瞬考えてから日向はメッセージを打つ。
『1ー6近く』
送信してすぐ、返事が来た。
『そこ動くなよ』
水無瀬からの一方的な命令。普段なら無視するところだが、この時ばかりはいい理由が出来たと日向は思った。
「ーー日向くん?」
振り返った葵は日向が立ち止まったのを不思議がっている様子だ。
「どうしたの?」
「水無瀬が来るって」
「え? 水無瀬くんが?」
葵の目が輝いたのが分かる。彼女にしてみれば、はべらせる男は多いほどいいのだろう。
日向はスマホ画面に視線を落とし、淡々と言った。
「だからここで待ちたいんだけどいい?」
「うん、いいよ」
※
水無瀬を待っている時間は長く感じられた。
お化け屋敷に行かなくてよくなったとはいえ、やはり隣にいるのが葵というのが原因だろう。
話しかけてくる葵に一応言葉を返しつつ、日向は水無瀬が自分のところへ来ようとしている理由を考えていた。
あいつ、こういうの面倒くさがるタイプなのに
昔からクラスメートとの付き合いも楽しんでいる水無瀬だが、一致団結して頑張る系の学校行事は嫌いらしい。
文化祭を楽しもう、なんてあいつは考えない。
ましてや自分と一緒になんてーー
「日向!」
廊下の向こうから水無瀬が来るのが見えた。
水無瀬が自分のことを下の名前で呼ぶのは今はーー
「水無瀬くんと……誰?」
葵が興味津々といった様子で聞く。
廊下がざわつく。
「何で、ここにいる……」
「? 日向くん?」
驚く日向の顔を葵が覗き込む中、
「久し振りだな、日向」
日向の前に、水無瀬と二人の青年が立ち止まった。
「……お久し振りです、帝兄さん」
日向の言葉に葵が、えっ、と声を上げる。
帝と呼ばれた青年は日向と同じくらいの背丈で、ダークグレーのジャケットとパンツ、インナーに白のカットソーをきっちりと着こなしている。
黒髪で前髪を分けている彼は無表情で真面目そうだ。
そしてもう一人ーー帝の隣にいる青年は帝よりも小柄で、ブラウンのシャツにジーンズといったカジュアルな格好をしている。
茶髪の無造作ヘアの彼は軽薄な表情を浮かべていた。
「母さんの誕生日パーティーで会えるのを楽しみにしてたのに」
「その節はすみませんでした、尊兄さん」
日向が兄と呼ぶ二人の青年は、受ける印象はそれぞれ正反対だがその整った目鼻立ちが似ている。
しかし日向は、二人と年が離れているせいもあるのかあまり似ていなかった。
「今日はどのようなご用件ですか?」
日向は静かに自分を見据えてくる帝と辺りに忙しなく目をやる尊に聞いた。
「可愛い弟に会いに来たに決まってるだろ」
「そんなわざわざおいでにならなくても…兄さん達はお忙しいでしょうに」
「そう思うなら意味の分からない行動は控えることだな」
互いに嘘っぽい笑顔を貼り付けた尊と日向の会話に、帝が相変わらずの乏しい表情で入った。
「お前が何でこんな所へ来たかったのかは知らんが……程度の低い」
そう言い捨てた帝はここに来るまでに学校の様子を見て取ったかのようだ。
「そんなことはありませんよ」
日向は一瞬視線を落とした。
帝と尊のシンプルだが値が張りそうな身なりに、学校が準備した来客用のぺらぺらな茶色いスリッパが浮く。
兄達は地方の一公立高校の文化祭などままごとくらいにしか思っていないに違いなかった。
「前にも説明した通り偏差値65の進学校ですし、」
まあ、偏差値70以上の高校を出た兄達には納得いかないだろうが。
「この文化祭だって結構なものですよ。そうそう、昨日水無瀬のクラスの劇は好評でした」
水無瀬の方をちらと見ると、水無瀬はこっちに話題を振るなと言わんばかりの嫌そうな顔だ。
「劇? 蓮が? へー。で、何の役?」
「裏方ですよ、裏方」
尊の問いに水無瀬が笑って答える。
「お前が演者だったらもっと人を集められただろうに」
「いえいえ、そんな」
「馬鹿馬鹿しい。仮にも水無瀬の跡継ぎがこんな所で役者ごっこなど」
「ですよねー」
水無瀬は尊と帝にそれぞれ謙遜気味に言葉を返したが、目の奥が笑っていなかった。
「お前もだ、日向。有峰の名を汚すような真似はするなよ」
「分かってます」
「ところで、お前の横にいる女はお前の何だ?」
「あーそれ、俺も気になってた」
帝と尊の視線が葵の方に向けられる。
「彼女は……」
「は、初めましてっ。村西 葵ですっ!」
葵がぺこっとお辞儀をした。帝と尊の目が値踏みするようなものになる。
すると、
「日向は『あおい』とは親しくしてるんですよ」
水無瀬がそんなことを言い出した。
一瞬、何を言っているのかと日向は思ったが、水無瀬の言葉に嘘はない。
この会話の流れだと『葵』のことを指しているように思えるが、水無瀬が彼女を「あおい」と呼ぶことなど今まで一度もなかったのだ。
水無瀬が「あおい」と呼ぶ人物は、ただ一人だけ。
「そうなんです。本当はもっと親密になりたいんですが」
日向の言葉に何を勘違いしたのか葵が嬉しそうな顔をする。
その様子を横目で見て、カモフラージュにはちょうどいいと日向は内心ほくそ笑んだ。
帝と尊が一層じろじろと葵を見る。
「何でまた…高級料理に食べ飽きて変わり種に手を出したってところか」
「こいつはそういうとこあるよ。昔、何だっけあれ……確か、肉まん? それが食べたいってうちのシェフ困らせたらしいし」
「まあいい。遊びも面倒臭いことにならない程度なら勝手にしろ」
帝がため息をついて言った。
「日向、母さんがお前の許嫁を決めようとしているのを忘れてはないよな?」
続いた帝の言葉に、日向は舌打ちをしたい気分になる。
「もちろん忘れてませんよ」
当然そんな話を受けるつもりなど毛頭ない。
さすがに身内はうるさく言ってくるだろうが、自分は有峰の家に固執しておらず、簡単に捨てることが出来るのだ。
日向は自分に有峰のトップになるよう条件を出してきた高崎にも、今では文句を言わせるつもりはなかった。
高崎が自分にそれを望んだ理由は、他の人間に彼のことを調べさせて見当は付いている。
それでも高崎を納得させる自信はあった。
※
その後も帝と尊を交えた会話は続いた。
会話といっても、彼らからの小言や嫌味ばかりの気持ちのよいものではないが。
いい加減終わらせないとな
日向は時間が気になった。本当ならばもうーー
「聞いてるのか、日向」
帝が苛立ったように言う。尊が後に続く。
「こいつの好きにさせるからつけ上がるんだ。兄さん、やっぱりもう一度父さんに進言しようか」
有峰の落ちこぼれだったくせにーー
帝と尊がそんな目で見てくる。
今の日向はこの二人に何を言われようがどんな態度を取られようが気にはしない。
一人では父さんに意見を言うことも出来ない奴らだ。
だが相手にするのは疲れる。
水無瀬の表情にもうんざりといった色が見えてきているし、葵はこの場の紅一点となっている状況に酔っているようだ。
まあそのおかげで、彼女はさっきの遊びだの許嫁だのという話は耳に入ってこなかったみたいだが。
「そうだな、こっちでの生活はもう十分だろう。そろそろ有峰の家に戻ってーー」
「ひーー有峰君いた。早く来て」
その声は帝の言葉を遮った。
同時に、日向は腕を取られていた。
「あーー」
自分の腕を掴む人物を見て言いかけ、日向は言葉を飲み込む。
それは、メイド姿の少女だった。
黒いワンピースと白いエプロン。膝丈のワンピースから覗く華奢な足には白のソックスと黒のストラップシューズ。
髪は手の込んだリボン編み込みのハーフツインだ。
うっすらファンデーションを塗った顔には、ピンク系のメイクが彩られている。
「嘘でしょ……」
「…やるじゃん…」
メイド姿の少女の方を見ている葵と水無瀬が、それぞれ嘆声を漏らした。
水無瀬が続けて呟く。
「ミスコン出ればよかったのに」
それはそうだ。
いくらメイド服というフィルターがかかっているとしても、紛れもなく彼女は美少女だ。
いつも化粧っ気のない彼女は、派手過ぎずかつ彼女の魅力を最大限に引き出すメイクによって花開いた。
彼女は自分自身にこんなヘアメイクをしない。
代わりに彼女にこんなことをする人物は察しが付く。
「そいつをどこに連れて行くつもり? 俺達、まだ話してるんだけど」
「有峰君の当番の時間なんです。すみませんが、クラスのみんなが待ってるので」
言葉に棘のある尊に対してメイド姿の少女は怯むことなく言った。
「久し振りの兄弟との会話を邪魔しないでほしい」
「ああ、だったらぜひクラスでの有峰君の様子を見に来て下さい。カフェのお客様として。お待ちしてます」
帝を適当にあしらう少女に、帝は顔をしかめた。
「可愛い顔して生意気な女」
「君、気が利かないな」
日向は爪を立てて拳を握り締める。
だが尊と帝に嫌味たらしく言われても、彼女は痛くも痒くもないようだった。
「どうも。ほら有峰君、行くよ」
彼女は日向の腕を引いて歩き出そうとする。
「行くのか?」
帝に問われ、日向は即答した。
「ええ、クラスメート達にこれ以上迷惑はかけられませんので。有峰の人間として無責任なわけにはいかないでしょう? ではこれで失礼します」
二人は歩き出す。数歩進んで、日向は思い至って振り返った。
「兄さん、折角ここまで来たのなら、楽しんで行って下さい」
その口調もその表情も、さっきまでにはないほどの晴れやかなものだった。
※
メイド姿の少女に腕を引かれ、日向は廊下を進む。
「ごめんね、あおちゃんがあんな風に言われることなかったのに」
メイド姿の少女ーー蒼が兄達に生意気だの気が利かないだの言われたのは自分のせいだ。
当番の時間になっていることに気付いていたのに、さっさと切り上げることもせずあの場にずるずると留まっていたから。
「別に気にしてない。間違ったことは言われてないし、多分もう会うこともない人達だし」
そう言うと、蒼が日向を見た。
「でもひなは違うでしょ。お互いどう思ってるのか知らないけど、家族なんでしょ。何か言われたら私のせいにしなよ」
守られる側の可愛らしい見た目に反して、中身は逞しい。
本当は兄達に言い返したかった。だが少しでも怪しまれたくなかった。
自分が蒼に執着していることが兄達にバレたら何をされるか分からない。
勿論、自分は何があっても蒼を守る。
それでも蒼を余計なことに巻き込みたくなかった。
だから、水無瀬が『あおい』ーー村西 葵に兄達の注意を向けさせたのはよかった。
「あおちゃんのせいになんかしないよ。当番の時間を過ぎてごめんね。迎えに来てくれてありがとう、嬉しかった」
「……大丈夫なの?」
「? 何が?」
「疲れてるように見えたから」
「ああ……」
それは兄達と話していたからなのだが、日向は首を軽く左右に振った。
「大丈夫だよ」
「そ…ならいい」
蒼は自分を迎えに来たのもあるが、自分と兄達との様子を見て連れ出そうとしてくれたのかもしれない。蒼の態度に、日向はそう思った。
「それよりあおちゃん、その格好可愛いね。すごく似合ってる」
「……ありがと。ヘアメイクしてくれた実咲のおかげなんだけどね」
やっぱりか、思った通りだった
「…余計人に見せたくないな……」
「何か言った?」
呟いた日向を蒼が不思議そうに見る。蒼の魅力振りまくその姿で。
「当番の時間あおちゃんと一緒でよかった。頑張ろうね」
「……結構忙しいから」
笑顔の日向に対して蒼の返事は少し素っ気なかった。それでも日向の笑みは消えなかった。
腕を引かれ、目立っている状況は何十分か前と同じなのに、気分は全く違う。
いつもと違う校内、非日常溢れる空間を、蒼とどこまでも行きたかった。