結局損な役回り
日向の側に葵という女がいるようになった。
さすがの水無瀬にも日向の考えが読めない。
蒼に再会した後の日向は他の女には関わらないと思っていたが、日向は葵のことをさして邪険に扱っていないように見える。
それが不思議で仕方なかった。
葵は明らかに日向に気がある。その上水無瀬に対しても媚びるような目をしてくるのだ。
境遇上、そういう女には水無瀬も日向もうんざりするほど慣れている。
遊ぶには丁度いいが、嫌気が差すほどのつまらない女ーーー
そんな葵が側にいることを日向はなぜか許している。
蒼が近くにいるのに他の女で遊ぶとも思えないし、葵に何か特別な魅力があるようにも思えなかった。
強いて言うなら、
同じ『あおい』という名前だから情が湧いたか
それにしても、最近は蒼といるより葵といる方が多い。
葵は蒼との間で一悶着があった女だ。
それだけで日向が彼女を嫌うには十分なはずなのに。
それに蒼が誰かから嫌がらせを受けていたことも日向は知っているだろう。
その誰かが誰なのかも日向のことだから恐らく見当がついている。
それなのにーー
「ーーというわけで、私たちのクラスは演劇をすることに決まりましたー」
ぱちぱちと拍手が起こり、水無瀬は意識を引き戻された。
ロングホームルームの時間、三週間後に行われる文化祭についてクラスの出し物決めをしていたところだ。
教壇にいる二人の実行委員を中心に、教室の中はなかなか盛り上がっている。
黒板には和風喫茶、お化け屋敷、環境に関する展示などいくつかの案が書かれていて、いつの間にか多数決をとっていたようだった。
水無瀬は興味がなかった。こういうイベントは面倒くさいだけだ。
初等部の時はまだしも中等部の時は、水無瀬は評価に響かない程度に行事をサボっていた。
議題は演目に移った。
様々なタイトルが挙がる中、最終的に決まったのはーー
『ロミオとジュリエット』
※
「水無瀬くん、ロミオやってくれないかな?」
黒板に役名や係名を書き出した実行委員の女子が言った。他の生徒からも賛成の声が上がる。
帰りのホームルームの時間、昨日の続きで文化祭についての話し合いだ。
「いや、俺は裏方をやるよ」
水無瀬の言葉に女子も男子も残念そうな顔をした。
「えー水無瀬くんのロミオ見たいのにー」
「水無瀬くんが出たら、絶対見に来る人いっぱいいるよ」
「クラス企画で優勝狙ってるからさー頼む、水無瀬」
口々に言われ、水無瀬は内心うんざりする。
「…俺が、人殺しの上に、好きな女が死んだと勘違いして自殺するような男を演じてるのを見たい?」
水無瀬が軽口っぽく皮肉を言うと、クラスメート達は黙った。
この話は嫌いだ。
ロミオに感情移入が全く出来ない。
自分の命よりも重い恋愛などしたことがないし、そんなに相手を想ったこともない。
でも、あいつならーー
日向なら蒼が死んだら後を追うだろう。一瞬たりとも躊躇わず。水無瀬は不謹慎なことを考えた。
頭の中でロミオとジュリエットを日向と蒼に当てはめーーいやいやと振り払う。
それはあまりにも、ミスキャストだ。
自分から見たら日向も蒼も馬鹿だなぁと思うことはあるが、さすがにロミオとジュリエットほど愚かじゃない。
「え、と……」
「あー俺不真面目だから練習とかあんま出ないだろうし、何なら本番もすっぽかすかもしれないし、足引っ張ることしかしないから。俺より演技出来る奴だっていっぱいいると思うし」
水無瀬は困っているような顔をしている実行委員やクラスメート達に聞かせるように言った。
「とにかく俺には向いてないよ」
「そっか…じゃあ、水無瀬くんは裏方ね。キャストに立候補したい人いる?」
水無瀬の頑なな態度にクラスメート達は諦めたらしい。配役決めがされていった。
※
文化祭に向けての準備が始まり、校内がそわそわと忙しくなった。
公立の進学校の文化祭と思ってたかをくくっていたが、例年二日間ある内の一日は一般公開もされ盛況らしく、力が入っている。
大道具係になった水無瀬は、積極的ではないが舞台セット作りに取り組んでいた。
ベニヤ板やダンボールを組み立てたり、ペンキで背景を描いたり、水無瀬にとって初めてする作業ばかりだ。
それでも水無瀬は器用にこなしていくため、いつの間にかクラスメートから頼られる羽目になっていた。
「いよいよ明日だねー」
舞台セットが設置された教室で本番前最後の練習ーー通し稽古を終えると、あちこちからそんな声が上がった。
みんな期待と不安が入り混じったような様子だ。
素人の高校生が作った舞台セットや衣装は手作り感に溢れ、演出もキャストの演技も特別うまいわけではない。
それでも全部が揃うとそれなりに様になっていた。
水無瀬は本番は特にすることがない。終わった後の片付けをするくらいだ。
明日明後日は適当にサボってもいいだろう。誰にも文句を言わせないほどにやるべきことはやった。
だが珍しく水無瀬は文化祭が楽しみだった。
日向と蒼のクラスは執事&メイドカフェをするらしい。
ま、あいつらが何するか具体的には知らないけど
どうせ日向は執事をやらされるだろう。
日向本人はちっともやりたくはないだろうが、蒼の手前いい顔をするに決まっている。だからクラスメート達から執事をして欲しいと頼まれれば断れないはずだった。
日向の実家には執事がいて、日向は仕えられる立場だ。
その日向が文化祭という遊び的なものといえど執事をするというのは、水無瀬には面白く感じられ、ぜひとも見てみたいと思った。
蒼は、昔の彼女を知っている水無瀬的には、執事をやって欲しいところだった。
今の蒼を男子と間違えることはないが、化粧っけが全くないところや竹を割ったような性格は少しも女っぽくない。
蒼に執事はなかなか似合うと思うが、彼女は表に出るような仕事は嫌がりそうでもあった。
きっと、裏で頼まれた飲食物の準備をする係に回る。
日向と蒼が何をするにせよ、水無瀬は二人の様子を見に行くつもりでいた。
「水無瀬、帰りどっかで何か食ってかない?」
水無瀬が帰宅準備をしていると、クラスの男子生徒達に声をかけられた。
「いいよ」
こういった場合、大体行く場所は決まっている。ハンバーガーやファミレスのチェーン店だ。そこで軽食をとりながらくだらない話をする。
日向はこういった付き合いは嫌いだろうが、水無瀬は別に嫌いではなかった。
しばらくして、水無瀬がいた場所はやはりハンバーガー店だった。
数人で会話に興じている中、水無瀬のスマホが鳴る。
口元のバーガーソースをぺろっと舐めて取り、水無瀬は二個目のバーガーへと伸ばしていた手を止めた。
スマホの画面を見ーー少し目を見開いた後、ため息をつく。
「……やる」
一緒にいる男子生徒達の誰にあげるともなく、水無瀬はトレーの上のハンバーガーを軽く押した。
「え、マジで? じゃあ俺もーらい」
「おい、勝手に自分のにすんなよ。じゃんけんだ、じゃんけん」
「あー俺は別にいらないから、お前らでやって」
盛り上がる男子生徒達を横目に、水無瀬はコーラを手にした。
…食ってる時に見るんじゃなかったな
コーラを一口飲んで喉のつかえを流す。
スマホに届いたメッセージは水無瀬の食欲をなくさせた。
あーやっぱ文化祭サボりてー……