私の隠している想い
蒼が学校を休んだ。
朝のホームルームの後、心配になってスマホで蒼にメッセージを打つ実咲の耳に、数人の女子生徒がくすくすと笑っているのが聞こえてきた。
「さすがにやりすぎたんじゃない?」
「ねー」
実咲はそちらをキッと見たが、実咲の方を見ている彼女たちは忍び笑いを隠そうともしない。
その様子に実咲は確信した。
昨日蒼が水を浴びたのは、水道管が壊れていたせいじゃない。ーー嫌がらせだ。
蒼は自分や日向に心配をかけないように嘘を吐いたんだろう。
蒼なりの思いやり、だがそれは残酷で。
自分のことをもっと頼ってほしい。何の力にもなれないかもしれないけど、話を聞くことくらい出来るのに。
それとも蒼にとってみれば、こんな嫌がらせは大したことないのかもしれない。
蒼は強いから。
蒼は、麻痺しているから。
だから人一倍打たれ強い。
きっと彼女の生い立ちが、理不尽な苦しみや辛さを受けることに慣れさせてしまった。
実咲はメッセージの文字を打っては消し、打っては消しを繰り返し、結局『大丈夫?』という文字と心配気な顔の猫のイラストを送った。
蒼からはかなり遅れて返事がきた。
どうやら風邪を引いたらしい。
昨日の帰り際、少し辛そうだった蒼の様子を実咲は思い出した。
授業中、実咲は日向の方を覗き見た。
人の外見にさして興味がない自分でも、彼が特別恵まれた容姿をしていることくらい分かる。
おまけに勉強も運動も出来て育ちもいい、完璧な人間。でも自分は彼に好印象を抱いていない。
彼は、気付いていたんだろうか。蒼の異変にーー
※
実咲は昼休み、思い切って日向に話しかけようと思っていた。
日向の席へと行こうとしてーー
「有峰くん」
甘い声が日向を呼んだ。
ーー村西 葵……
声のした方ーー教室の後側の出入り口を見た実咲は内心でその声の主の名前を呟いた。
蒼が掴みかかった相手であり、実咲のことを嫌っている女子生徒。
前まで蒼のことはそこまで眼中になかったようだが、今では自分よりも蒼の方が彼女の敵視するターゲットになっているようだった。
実咲はつい葵に冷たい視線を向けてしまっていた。
「何? 村西さん」
「二人だけで話したいことがあるんだけど…いいかな?」
教室に入り日向の席へと行った葵が聞いた。
自分や蒼に対しての声のトーンとあまりにも違い、呆れを通り越して笑える。
「いいよ」
日向が好意的に即答したことに実咲は驚いた。
一体何を考えているんだろう。その女子は日向のことを狙っている。
そして彼女は蒼のことをよく思っていないのに。
そのまま日向は葵と教室を出てどこかへと行く。
馬鹿じゃないの…
実咲は日向に苛ついた。
性格はさておき葵はモテる。
確かに男ウケする見た目や言動をしていると思うが、はっきり言ってあざといだけだ。
今は学校中で日向が注目され、彼絡みで蒼が、さらにはこないだのやり取りで葵までが目立っている
。
可愛い方の『あおい』と可愛くない方の『あおい』ーー
そんな風に言われ、前者が『葵』で後者が『蒼』だと知った。
実咲は腹が立ったが、蒼は、
「まあ、そうだろね」
と笑っていた。
周りが蒼の魅力に気付かないのが悔しい。
蒼の魅力に彼女自身が気付いていないのは悲しい。
結局あの人も他の男と同じってわけ
日向は違うと思っていた。
自分と同じだと思っていた。
だから勝手にライバル視していたのにーー
蒼は始め日向を避けているふしがあった。最近は諦めたように接しているけれど。
多分蒼は、本当は日向を憎からず思っている。
だから。
こんな風に思うのはいけない。
でももう、日向を蒼に関わらせないようにしよう。
蒼のために。
……私のために
※
蒼がいないからといって誰か別の人と一緒に過ごすわけではなく、時間が長く感じられる。
実咲は食が進まなくて、お弁当の半分を残して片付け始めた。
「新田さん」
「……………」
自分の席の前に来た人物に呼ばれたが、実咲は黙ったまま手を動かし続ける。
周りの視線も浴びているが気にしないようにした。
お弁当袋を机の横にかけ、今度は授業の準備をするためにリュックから教科書を取り出す。
「新田 実咲。ーー俺に何の用だ?」
実咲は思わず顔を上げた。
辛うじて自分にだけ聞こえるくらいの声。
それはいつもの人当たりがいい声音ではなく、冷たさを感じるものだった。
いきなり何を言うかと思えばーー
「何の用って、そっちが話しかけてきましたよね?」
実咲が小声でそう答えると、日向が口の端を吊り上げた。
「授業中俺の方を見たりさっきも話したそうにしてたから、何か用があるのかと思ったんだけど」
っ、気付かれてた……
「俺の気のせいだった?」
実咲は内心動揺しつつも顔に出さないように努めた。
「自意識過剰じゃないですか? まあいつも注目されてるから仕方ないか…。とにかく、私は用はありませんので」
「そ。ーーところでさ」
用がないと分かったはずなのに、日向は去っていくどころか顔を少し近付けてきた。
「前から思ってたんだけど…君、あおのことが好きだろ?」
さっきまでと変わらない囁くような声。だが実咲にはひどく頭に響いた。
「好きに決まってます。大切な親友だから」
実咲が噛み締めるように言うと日向が微笑んだ。それを見て実咲は胸を撫で下ろす。
平静を装い、実咲はリュックから今度は筆記用具を出そうとしてーー
「君の『好き』はーー友情以上の感情で。分かるよ、君は俺と同類だから」
「っーー」
カシャン
手から筆箱を落としてしまった。
血の気が引くのを感じる。
自分が日向の感情に気付いている以上に、彼に自分の感情は気付かれている。
「何言って……」
続く言葉が出てこない。
何とかしようと内心必死になる実咲とは反対に、日向は余裕そうな顔を実咲から離した。
「じゃあ、今日の放課後、あおちゃんの見舞いに一緒に行くってことで決まりね」
日向がさっきまでとは打って変わって周りに聞こえるような声で言った。
「は?」
思わず実咲が大きな声で聞き返した一方で、日向が床に落ちた筆箱を拾う。
「よかった。新田さんも一緒だと、あおちゃん凄く喜ぶよ」
そう言うと、日向が筆箱を差し出してきた。警戒しつつも実咲はそれを受け取ろうとしーー
「君に、拒否権はないだろ?」
静かな、だが有無を言わせない口調で日向が言った。
彼は微笑む。
実咲は彼の笑みに恐怖を覚えた。




