ただ強く在りたい
噂は数日の間であっという間に広がった。
理由もなく蒼が葵に掴みかかったということで、蒼は悪者扱いされている上、暴力的な女という認識をされている。
その上なぜか蒼が日向の弱みでも握っているのではないかという憶測まであった。
視線が、痛い。
前までは女子から見られることが多かったが、今では男子からもだ。
葵はというと、蒼を庇っているらしく彼女の好感度は高くなっている。
うまいことやるものだ、と、蒼は呆れつつ感心した。
葵は本心から蒼のことを庇っているわけじゃない。こうして自分の印象を上げ、蒼の印象を下げるためだ。
あの日のことを蒼は後悔していない。
掴みかかったのは軽率だったが、自分を止められなかった。
美智江の作ってくれた弁当を馬鹿にされたことが許せなかった。
自分が人に何て思われようが別に構わない。
ただ、自分の中にある暴力的な一面ーーあの人、恭子に通ずるところがあるのを改めて感じて嫌気がさした。
そして、日向とは相変わらず微妙な距離がありつつ一緒にいたりする。
※
……ん?
三限目後の休み時間、トイレにいた蒼は個室のドアが開かないことに気付いた。
鍵は開けたのに出られない。
ドアの向こうには人の気配があった。くすくす、という笑い声も。
閉じ込められたか、と蒼が思った次の瞬間ーー
バッシャーン
上から水をかけられた。
「冷た……」
蒼が視線を上にやると、バケツを持った誰かが引っ込んでいくのが見えた。
大きく息を吐く。
それから蒼は思いっきりドアを蹴飛ばした。
向こうから、きゃあっ、と悲鳴がする。
数回ドアを蹴り、何とか開けて出ることに成功すると、そこにいた四人の女子生徒が驚いた顔をしていた。
「あのさ……」
言って、蒼は軽く頭を左右に振って水滴を飛ばした。
「こんなことしないで、言いたいことがあるならちゃんと言って」
少しもめげてなく堂々とした態度の蒼に対して、彼女達は開き直ったようだった。
「目障りなのよ。あたしと同じ名前なのもムカつく。有峰君に『あおちゃん』なんて呼ばれたりして、いい気になってるんじゃない? 自分は有峰君の特別だって思ってるんでしょ?」
女子生徒の一人ーー葵が言った。
「有峰君と全然釣り合ってないのに。あんたなんかが特別なわけないじゃない。かわいくないくせに!」
「知ってる」
蒼は即答した。
そんなこと言われなくても分かっている。
物心ついた頃から、いやきっとそれ以前からずっと言われていた。
一番身近な人に、本来なら自分を愛してくれるはずの人に。
目の前にいる葵は、自分と血の繋がった存在である恭子に重なる。
自分に自信を持っていて、自分が男に愛されていなくてはいけなくて、自分以外が可愛いと思われるのは許せない。そんな性格。
数週間前の自分なら葵に対して少なからず恐怖を抱いたかもしれない。
でも今は平気だ。
六年振りに恭子に会ったが、自分は昔と違って一人じゃなかった。
美智江がいる、俊昭がいる、そして日向もーー
それはとても幸せなこと。
だが、自分が弱くなってしまったことを思い知り、強くなって早く自立しなければという決意を改めて固めた。
周りの優しさに甘んじていてはいけない。
迷惑をかけてしまうからーー
「私に嫌がらせなんかしないで、告白すれば? 邪魔しないから」
「なっ……」
蒼の言葉が思いがけないものだったのか、葵が言葉を詰まらせた。
この時、何やら話しながら他の女子生徒達がトイレに入ってきた。
彼女達は蒼と葵達の姿に目を留めると、会話を止めて立ち止まる。
「だ、大丈夫? 白石さん。何かあったの?」
葵の取り巻きの一人が白々しく言った。それを皮切りに、取り巻き達が口々に蒼を心配するような声をかけてくる。
とんだ茶番だ。
「心配しなくても大丈夫だから、色々と」
含みを持たせて蒼は言った。
心配しなくても自分は平気だ。
もちろん彼女達が心配してるのは彼女達自身の体裁だろうが。
蒼はスカートのポケットからハンカチを取り出して自分の顔や頭を拭く。
大丈夫、このことは誰にも言わない。
それにたとえ自分が本当のことを言ったとしても、葵ならうまくやるだろう。
蒼は葵を見た。彼女は取り巻き達と違って蒼を心配するふりは微塵も見せず、強気な目を蒼に向けている。
その場にいる女子生徒達のそれぞれの心情が込められた目線を受けながら、蒼は廊下へと出て行った。