第36話 すべてのはじまり
これは今から三百以上前。
異世界転移をした勇魔代理戦争時代──。
勝手に祀り上げられた勇者と魔王。よりにもよって陽菜乃が勇者で、俺が魔王だと知った時には笑ってしまった。
俺は魔王の器として覚醒した。基本的な骨格は人間に近いが、トカゲのような尾と羊のような巻角があり、しかも肉体はなく骨だけが空虚を包括している。骨だけの竜人亡霊、それがこの世界での俺だった。その外見はゲームのラスボスにふさわしい。
もっとも俺は器であって主導権はなく、しいていうなら傀儡だ。俺の意志でできることは何一つない。
視界に入る魔王城はテンプレもいいところの西洋のゴシック建築に似た造りで、玉座の間は広々としている。魔王は「世界を滅ぼす」という目的だけが与えられた傀儡そのものだった。ただ滅ぼし、滅ぼされるためにいる存在。
「魔王、覚悟!」
勇者らしいセリフを口にするのは、十代後半の長い黒髪の美女──陽菜乃だ。
よく通る声、電光石火の如く自分との距離を詰めるその姿。白い甲冑は軽装のようで、腕や足は太ももまで肌が露出している。仮に自分に肉体があったころなら、彼女の姿を見て卒倒していたかもしれない。
「来い……、勇者」
転生してからずっと会いたいと思っていた陽菜乃を前に声を上げることも、抱き締めることもできない。魔王の体はなんの躊躇いもなく、攻撃魔法を展開する。
「神の炎!」
「煉獄の炎」
轟ッツ!
最高戦力による総力戦。
連続的に爆炎が城内で巻き起こり、天井は半壊し、瓦礫が崩れ落ちた。
オレンジ色の爆発がいたるところで花火の如く舞い散る。
様々な魔法と攻撃によって舞台は爆風に包まれた。土煙の中、馬鹿の一つ覚えのように突っ込んでくるのは、全身真っ白な全甲冑で武装した重装戦士だ。
そしてその背後で、勇者──陽菜乃が構え、さらに後方には純白のシスター服に身を包んだ少女僧侶、紫色の民族衣装を纏った女魔法使いが同時に詠唱を唱える。中々の連係プレイで、呼吸もタイミングも完璧だった。
相対しているのは硬い鱗に鉄壁の防御力を誇る竜王将軍、漆黒と赤のコートを着こなすロマンスグレーの吸血鬼卿、露出の高い服を着こなす深淵の大魔女。深緑色の燕尾服を纏い、黒い角と尾、背中に蝙蝠の羽根を持つ、隻眼の大悪魔。
勇者一行と魔王軍四天王のぶつかり合うテンプレの構図。
圧倒的な力を前にしても勇者一行は諦めず、不撓不屈の精神で立ち向かってくる。
「聖剣の全機能解除」
膨れ上がる光の刃は太陽に匹敵するほどの熱量を宿す。魔王の指にはめていた指輪や魔導具だけが溶けた。これでは魔導具による威力強化は使えない。魔王は頭上に何重層にもなる魔法陣を展開させる。
「漆黒乃矢」
青白い光の魔法陣から漆黒の矢が降り注ぐ。標的は勇者ただ一人。
頭上から雨の如く矢が降り注ぐが、彼女は避けない。腕や肩に突き刺さり、体がよろめくが、さらに加速。
「おおおおおおおおお!」
頬に矢が掠るがそれでも勇者は身を引かず、瞬きもせずに距離を詰める。
魔王は白い骨だけの手を勇者に伸ばした。
超至近距離からの死の運命を発動。
勇者を確実に殺すのには十分な魔法だった。
「駄目だ、陽菜乃! 罠だ!」そう悲鳴を上げるも魔王の繰り出した攻撃は止まらない。止められない。歯を食いしばり、肉体が動かないことに苛立つ。
陽菜乃を殺すぐらいなら自分が死ぬ。
そう思っても、指先一つ動かせない。
「魔王ぉおおおお!」
陽菜乃は聖剣を振り下ろす。真っすぐな瞳が魔王――俺を射抜いた。
刹那、脳裏に元の世界の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
──夕暮れの帰り道。鮮やかな空の色。
──足の傷。少し前を歩く少女が振り返った。
──長い黒髪を靡かせ、俺を見つめると口元を綻ばせた。
──『煌月先輩』と《《俺を呼ぶ彼女の名は》》。
「陽菜乃おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「──っ!」
それは間違いなく、魂の咆哮。
魔王の呪縛に抗いほんの数秒、動きが停止した。
次の瞬間、彼女の渾身の一撃が入る。これでいい。
「聖剣──奇跡の祈り」
温かな光に、魔王の俺は貫かれた。
感覚がないはずなのに温かい。光の残滓が花びらのように魔王城に降り注ぐ。
その光景が幻想的で──この異世界に転生して初めて世界が美しいと思えた。
目蓋などもうないというのに、あまりの眩しさに耐え切れなかったのか視界が暗転する。魔王としてなんともあっけない幕切れだったが、満足だった。
俺が陽菜乃を殺すぐらいなら、死んだ方が幾分かマシだ。
そう感傷的になっていたのだが、意識が途切れることは無かった。「なにか可笑しい」と顔を上げようと無理に動かした瞬間。
「──ぐっ」
全身に激痛が走った。骨や筋肉が悲鳴を上げている。
(は? なんで──ってか、めちゃくちゃ痛い)
「治癒」
耳元──というかすぐ近くで柔らかな声が届く。不思議と全身の痛みが引いた。ふと頬に柔らかくて、弾力のあるクッションがあることに気づいた。魔王の器になってからは骨だけだったはずだが体温も感じる。
(──にしても、このクッションはなんだ?)
手で少し触れてみたら、何かわかるかもしれない。
「柔らかい?」
触覚もしっかり伝わっており、温かくなんだかいい香りがする。
甘い。花の香りとも違う。何かわからないが好きな匂いだ。
「い、いつまで胸を触っているのですか!」
「ん?」
急に視界がクリアになったかと思った瞬間、俺は──陽菜乃の胸に顔を埋めていた。その上、片手は胸をもんでいる。
「え、あ、いやこれは……」
自分の手が視界に入る。白骨ではなく──人間の手だ。ふと周囲に散乱していた結晶が鏡代わりに自分の姿を映す。
それは赤黒いローブと黒いシャツとズボンに身を包んだ長髪の男だった。蝙蝠の羽根や角が片方だけ残っているが、見た目は須夜崎煌月、元の姿に近い。
「転生前の……体?」
「成功した。よかったぁああああ!」
「わっ!」
陽菜乃は俺に抱きつく。柔らかな感触に視線を向けると彼女の甲冑や武装のほとんどが砕けて、下着に近い恰好だった。恐らく先ほどの一撃に全ての魔力を上乗せしたからだろう。肉体に纏っていた防御魔法も解いたのなら当然の結果だ。
良心的に直視する訳にはいかず、自分の羽織っていたローブを彼女の肩にかけた。「嫁入り前の女の子が肌を過剰に出すものじゃない」などごにょごにょと口走る。
それを聞いて、彼女の瞳が揺らいだ。
「……煌月先輩っ」
陽菜乃は大粒の涙を流して泣き出す姿に、あわあわするばかりだ。
「陽菜乃、ちょ、それより怪我はないか?」
治癒魔法を使ったのだろうか。そんなことを思っていると、彼女は嬉しそうに口元を緩めた。
「……先輩は本当に自分のことより他人に優しいんですね。そんな先輩だから、好きになりました」
「陽菜乃……」
陽菜乃の言葉に胸が温かくなる。先程の戦いが嘘のように周囲は静かだ。
魔王城は静寂に包まれ、月夜の日差しが天井から差し込む。
玉座には俺と陽菜乃だけ。玉座の間は勇者の作り出した巨大な結晶に覆われ、まだ土煙も晴れない。
告白の返事が照れくさくて「俺もだ」というタイミングを失ってしまう。
「……そ、それにしても魔王が俺だってよくわかったな。お前と違って俺は転生だったから気づかないと思ったぞ」
「わかりますよ。先輩のことですもん」
肩にローブを掛けたとはいえ陽菜乃は躊躇いなく密着してくる。これはご褒美ですか。ありがとう──ってそうじゃない。
「陽菜乃、俺……」
「私、頑張って魔王について調べたんですよ。そしたら先輩が呪われているって、ある魔導書に書いてあって……。さっきの魔法はそれを解くためのものです」
驚いたことに陽菜乃は異世界に来てからずっと、俺の呪いを解くために奔走してくれていたのだ。俺はこの体に転生した時から何もできなかったというのに。彼女は指針を決めたら一直線で、とても強い。けれど自分のことには無頓着で、捨て身なところがある。そんな彼女が愛おしくて、守りたいと思った。
(いや、実際は俺が守られて、助けられてばかりなのだが……)
先輩としても男としても不甲斐ない。そんな風に思っていると、
「さて、と。じゃあ、行きましょう。煌月先輩」
「は? 行く?」
「勇者の聖剣も、魔王の体もなくなったんです。これで私たちが殺し合う理由はありません。そうでしょう」
陽菜乃は力強い笑みを浮かべた。「バッドエンドなど許さない」というかのように、運命すら彼女の前では無意味なのかもしれない。そう思わせる頼もしさがあった。
本当に俺の彼女は──頼もしくて、誇らしい。
「ん、ああ……まあ」
「この世界の人たちへの義理立てはしました。これからは自由です。ちゃんと国王にも誓約書を書いてもらいましたもの」
何とも用意周到である。俺は魔王となってから何もできなかった。ただ一つ、この世界の糞タレな連中を滅ぼしてやろうと魔王の膨大な知識と魔力で特殊な魔法をひたすら作り上げていたぐらいだ。体が自由に動く今なら余裕で世界を滅ぼせる。なんとも悪役らしい──と口元に笑みが漏れた。
「自由……か。で、陽菜乃は何を考えているんだ?」
「もちろん。《《次は元の世界に帰る方法を探すことですよ》》!」
陽菜乃は立ち上がり、黒髪を靡かせ、子供のように無邪気に笑った。
「(──ああ、本当に。陽菜乃には敵わない)……陽菜乃とならどこでも付き合おうよ、俺もお前のことが」
刹那。
勇者の仲間であるはずの重装戦士が、勇者の──《《陽菜乃の首を刎ねた》》。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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