事実
目が覚めると、学園ではなく、都に在る上邸の一室に居た。
メイドが報せたのか、執事がすぐにやってきて、書面を読み上げて説明する。それによれば、プリメーラが「王后」へ働いた無礼は、錯乱していたこと、ドレスにしみが残らなかったことなどから、不問に付された。婚約解消が突然のものであったし、プリメーラがショックをうけるのは仕方がないということらしい。
だがその続きは、聴きたくないものだった。
教師数名への買収行為、ルシアンの家へバーバラとの婚約を「促した」こと、複数の令嬢へのいじめを黙認したこと、すべてが露見した。アルフォンソとの婚約の為に、必死にやってきたことが、すべてばれた。
それらを理由に、公爵家は莫大な慰謝料を請求されている。蓄えはあるから身代が傾くことはないだろうが、プリメーラがこれからどういった扱いをうけるかはわからない。
必死に、王太子の婚約者になろうとしたのに。乙女ゲームの世界に転生なんて、チャンスだと思ったのに。
寝台へ横になってすすり泣くプリメーラを、執事もメイドも気の毒げに見ていた。
公爵令嬢といっても、プリメーラは乙女ゲームのヒロインではない。悪役令嬢だ。
王太子の婚約者なら、安泰だ。それに、将来王后になれる。だから、アルフォンソを選んだ。
ばかなヒロインみたいに、逆ハーレムなんてつくろうとしていない。
アルフォンソと婚約するのに邪魔そうだから、バーバラにははやめにとりいって精々親しくし、ルシアンという家格もつりあっている男をあてがってやった。ほかにも邪魔そうなキャラクターはすべて、適当な理由をつけてグループからはぶり、とりまき達が勝手にプリメーラの「心情を察して」いじめるのを見て見ぬ振りしていた。なんにせよ、自分で直接手を下したのではないから、問題はない。
成績だけはどうにも不安だったから、両親に相談した。なら、教師に金を握らせればいいというので、そのようにしてもらった。
学園に勤めているといってもいつまでも安泰ではない教師達は、その金に飛びついた。こっそり試験内容を教えてくれる教師も居たし、答案のかかなかったはずの欄が埋まっていて無事に進級できたこともある。魔法の実技などは、半分肩代わりしてもらった。
それくらい誰でもしていると、両親はいったし、実際お金に余裕のある家の子どもは、幾つかの科目でずるをしていた。だからプリメーラも、それが悪いことだとは思っても、そこまでの罪悪感はない。誰もがしているからだ。普段中途半端な成績なのに進級する度に最上位クラスに居るツアリーヌだって、その噂は立っている。
ツアリーヌ。憎たらしいピンクブロンド。もしかしたらあいつが本当のヒロインだったの?
プリメーラはすすり泣きながら、反芻する。転生の女神をなのる女との会話を。
前世はただの一般市民だった。取り柄らしい取り柄はなく、平凡な容姿で、成績も平凡。得意なのは縫いものくらい。和裁を学び、着物を縫っていたが、需要の減少で仕事は減る一方だった。凡庸な夫と結婚し、可愛いがやはり凡庸な子どもをうみ、和裁室にした部屋にこもってかけはりに布をはさみ、ひたすら運針する毎日だった。
そんななか、はじめてアニメにはまった。
娘が高校生になり、偶然隣の席になった女の子がオタクだった。その子からすすめられたと、漫画や漫画の絵がついた本にはまりはじめ、アニメも見るようになった。面白いからとすすめられて、見たアニメに、衝撃をうけた。
そのアニメは、乙女ゲームの世界に転生し、悪役令嬢になった主人公が、死んでしまう度に人生をやりなおし、最後には王太子と結ばれる、というものだった。つらい死を経て何度も繰り返す人生は、その度に少しずついいほうへ向かい、初めは無視していたヒロインと無二の親友になり、自分をきらっていた婚約者を振り向かせ、他国の王子や高位の貴族にも好かれ、主人公は困難を乗り越えて魅力的な人物へと成長していく。
それを見ていたら、いつの間にか泣いていた。
四十代にはいり、突然体を患って、和裁士の仕事を辞めざるを得なくなった。二月ほど入院し、戻った家では、娘と夫が必死に家事をしてなんとか体裁を保っていた。休んでていいからね、これでも見てて、と娘がDVDをセットして、そのアニメがはじまったのだ。
これだ、と思った。これがわたしのしたいことだ。
やりなおしたいことは沢山あった。娘の受験失敗、見合いで知り合った夫とのつまらない結婚生活、尻込みして終わった初恋、和裁学校で反りの合わない教師にされた意地悪、ひとりきりだった高校時代、中学で部活をやめた所為ではじまったいじめ、ちっとも面白くなかった小学校……それらすべてをやりなおしたい。
これからやりなおそう、と思った。夫ともっと会話して、お互いのことを理解しよう、娘の夢を応援して、できることはなんでもしよう、自分も本当に勉強したいことを見付けよう。
そう思っていたのに、また入院することになり、ある日ふっと眠くなって、目が覚めたらそこに居た。
そこには美女が居て、女神だとなのった。また別の神さまが業務中に居眠りした所為で死んでしまったので、もとの世界へ戻すことはできないが、幾つかの候補のなかから好きな世界に、好きな立場で転生させられる。そんな説明をされた。
候補になっている世界は沢山あって、そのなかに幾つも、ゲームの世界があった。勿論、乙女ゲームも。
当然、乙女ゲームを選んだ。これは大ヒットしてアニメ化もされたゲームよ、と女神がいっていた。できればヒロインがよかったのだが、ヒロインよりも悪役令嬢のほうが断然地位が高いし、財力もある。なにより美人だし、その世界でも美人と認識される容姿である。だから悪役令嬢を選んだ。
そして、プリメーラとして生まれかわった。
物心ついた頃に前世を思い出し、プリメーラは慌てた。悪役令嬢ということは、このままでは学園の最終日、パーティで断罪され、平民落ちか他国への追放か、もしかしたら死刑もありうる。
冷静になって、はやくに記憶が戻ってよかったと思った。今のうちに、足場をかためなくてはいけない。
乙女ゲームとくれば、攻略対象は決まっている。まずは王子。それも、次の王さまになるひと。アルフォンソが攻略対象であることは間違いない。
おそらく、騎士団長の息子もはいるだろう。将軍の息子や騎士団長の息子について調べ、それらしい人物を把握した。あとは、勉強の得意な眼鏡キャラ、それと、女たらしなキャラもいるかもしれない。
同世代で突出した能力を持っている、例えば剣が強いとか魔法をうまく操るとか、そういう人物にも目をつけた。一般市民にもひとりくらいは攻略対象が居るかもしれないから、貴族に限らず。
そして、乙女ゲームといえばヒロインだ。こういう場合、ヒロインも転生者で、逆ハーレムをつくろうとしているというのがお定まりである。アニメにはまったきっかけになった作品だけでなく、悪役令嬢ものを幾つか見ていたから、それは知っていた。ヒロインが転生者かどうか、たしかめないといけない。
さいわい、女神との会話はしっかり思い出せた。ヒロインの顔も見ている。栗色のふわふわした髪を肩まで伸ばし、ヘアバンドをつけた、美少女だ。
それは乙女ゲームが始まる年代、つまりヒロインも悪役令嬢のプリメーラも十五歳になった段階での姿なのだが、ヒロインはやはりヒロイン、幼くとも容姿がいい。それに、子爵令嬢という情報も覚えている。だからなんなく、バーバラをさがしあてた。
それからはすべて、先を読んで動いた。バーバラにはよき友人として優しく接し、パーティなどにもかならず招いた。子爵といっても歴史の浅いバーバラの家は、プリメーラのことをありがたがった。公爵家とのつながりが、どういう理由であれできたのだ。ありがたいのは当然である。
攻略対象のなかで一番の地位を持っているアルフォンソとの距離を詰めるのも、忘れなかった。バーバラはなにもしないだろうが、万一はある。アルフォンソと婚約しておけば、なにがあってもまもってもらえるだろう。
それに、「王后」はとても魅力的だった。おそらく、この乙女ゲームの最終目標は、そこなのではないか。
ほかの攻略対象と思しい男児達の様子もうかがいつつ、勉強もしたが、魔法理論などは難しくて手に負えず、物理法則が少々異なるらしいこの世界では現代知識でのチートもできない。時折趣味で裁縫をするのが唯一の癒しだったが、貴族令嬢が裁縫などはしたないと叱られて、裁縫道具はとりあげられた。
無事に学園に入学してからも、心安まるいとまはない。
どうしても王太子がいいと両親に何度もねだり、王室へ嫁ぐとしたら必要なマナーも必死に覚え、アルフォンソの祖母である王太后に気にいられて、アルフォンソとの婚約にはこぎつけていた。
だが、不安がない訳ではない。
もしかしたらバーバラが突然前世の記憶をとりもどし、転生者だった、という展開があるかもしれないし、別の公爵令嬢や侯爵令嬢がアルフォンソの婚約者の地位を狙うかもしれない。
だから、派閥をつくって、とりまきに便宜を図った。そうしておけば、プリメーラが一言、「あの子って少し生意気ね」とでもいえば、誰かがかわりになにかしてくれる。
だから、教師に金を握らせ、アルフォンソと同じクラスに在籍し続けられるようにした。アルフォンソは魔法の才能が素晴らしいらしく、その道ではすでにひとに教えられる程であるという。そのアルフォンソにまともに勉強して追いつける訳もない。ほかにも優秀な生徒は沢山居るから、自分の学力だけではクラスがはなれる危険があった。別のクラスになれば、ほかの令嬢にとられるかもしれない。
だから、自分を追い落としそうな人間は、牽制した。自分の下につけばいいが、仲間にならないのなら敵対すると、態度で示した。
だから、バーバラがもし転生者で、記憶をとりもどしても身動きとれないように、ルシアンという婚約者をあてがった。
そのすべてが無駄だった。結局、悪役令嬢は、卒業パーティで断罪されるのだ。このまま平民になるのだろうか、それとも他国へ追放されるのか、修道院へはいるのか……。
ツアリーヌがヒロインである筈はない。目が覚めたばかりの混乱していた頭ではそんなことを考えたが、あんな凡庸で、美しいとはいえない容姿の娘が、ヒロインであるものか。女神もあんな子のことは教えてくれなかった。
しかし、ツアリーヌはここが乙女ゲームの世界だと知っている。
では……では、転生者であるのは間違いない。ヒロインでも悪役令嬢でもない女性キャラクターが居るものなのか。要するに、この世界のなかで目立たない存在である、その他大勢のひとりに、あえて転生したのか。たしかに女神は、好きな立場に転生できるといっていた。転生先の候補は、名前のあるキャラクターだけではなかったのだろう。プリメーラは悪役令嬢を選んで、もしかしたらツアリーヌは、本当はヒロインになる予定だったのでは? それを、別の女性キャラクターに転生したのかもしれない。
ツアリーヌは、では、攻略対象や恋愛とははなれた人生を送りたかったのだ。乙女ゲームの世界に転生できるのに、ヒロインも悪役令嬢も選ばないのである。恋愛に興味はないに違いない。
なら何故、アルフォンソと結婚したのか。そのうえ、どことなく不満そうにしていた。王后になって、なにが不満なのだろう。
プリメーラはすすり泣きながら考え続けたが、答えは出なかった。
答えがやってきたのは、半月ほど経ってからだ。
プリメーラのしたことは、どこかの誰かが協議して、幾らかは罪になり、幾らかはならないと判断された。
バーバラとルシアンに関しては当人達が納得しており、かつルシアンの家もバーバラの家も抗議の意思はないので、罪にはならない。
教師への賄賂に関しては、罪にはなるが、ほかの生徒を調べたところ数十名が同じようなことをしており、全員に厳罰を科すのは不可能なので、罰金と訓告、一部は留年や放校でゆるされた。プリメーラは放校まではいかず、体調が戻り次第、卒業試験を受け直すことが決まっている。
いじめの黙認に関しては、いじめられた生徒の家に賠償をし、おさまった。プリメーラがではなく、プリメーラの家が賠償をしたのだ。公爵家が頭をさげてきた事実で、いじめられた側の正当性が保たれ、被害者であるのに「王太子の婚約者に無礼を働いた」などと噂されていた令嬢達は、名誉を回復するだろう。学園を辞めてしまった何人かも、特例で戻ってくるそうだ。
それらの決定についての書類を持ってきたのは、あろうことかツアリーヌだった。
王后ツアリーヌは応接間のソファに座り、書類をたたんでテーブルへ置いた。向かいに座っているプリメーラは、ツアリーヌの眼差しに耐えきれず、目を伏せる。
「という訳で、あなたへの処罰はほとんどありません。お父上が役職を返上されたけれど、ご年齢もありますし、普通のこととして捉えられるでしょう。お兄さまについても返上を申し出られたそうですが、陛下が慰留されました」
「あ……ありがとうございます、陛下」
ツアリーヌは肩をすくめ、面倒そうに、侍女を手招く。「はい、陛下?」
「廊下で待っていて」
「しかし……」
「わたしなら大丈夫です。彼女の様子を見てわからない? これではまともな魔法はつかえません」
ツアリーヌの言葉はきついが、当を得ていた。プリメーラはこのところ、体調が優れず、そもそも苦手にしていた魔法は更につかえなくなっている。
ツアリーヌは感情の読めない顔で、顎をしゃくった。侍女達が頭をさげ、廊下へとさがっていく。「なにか用事がございましたら」
「わかってます。すぐに呼ぶ」
「差し出がましいことを申しました」
一番年嵩の侍女が最後に出ていき、扉が閉まった。
「どうしてこの世界を選んだのか、訊いてもいいですか」
ツアリーヌは脚を組み、前のめりで、そういう。髪はやはり垂らしていて、飾りが幾つかついているだけだ。凡庸な顔もかわらない。
けれど、威圧感がある。
プリメーラは唇を湿らせ、低声でいった。
「お……乙女ゲームだったからです」
「そう。では、プリメーラを選んだのはなぜ?」
このひとも転生者だ。
ツアリーヌの言葉で、確信した。彼女は転生者だ。間違いなく。それもおそらく、同じ手順を踏んでいる。世界を選び、誰に転生するかを選ぶ。それをして、ツアリーヌに成っている。
プリメーラはぎこちなく、伏せていた顔を上げ、ツアリーヌを見た。ほとんど、睨んだ。どうしてこんなややこしいことをしたのか、訊きたいのはこちらだ。素直にヒロインに転生すればよかったのに。
ヒロインのバーバラには優しくしてきた。ツアリーヌは異国人だし、貴族でもない。その上女だ。だから、ゲームの進行には無関係だと思った。だから無視していた。
ツアリーヌはいまや、無視できない存在になっていた。無視できない、威圧感のある、おそろしい存在に。
「悪役令嬢だからです」出した声が酷く震え、プリメーラは咳払いする。そうすると、少しだけ落ち着けた。「悪役令嬢のほうが、ヒロインよりも地位が高いし、お金もあるし、美人だし……逆ハーレムなんて狙わないで、断罪イベントを回避すれば、婚約破棄されず、平民落ちせずに」
「あなたがなんの話をしているのか、わたしには理解できない」
ツアリーヌの声は低く、鋭く、プリメーラは息をのむ。
ツアリーヌはあの、不満げな顔になっていた。それでプリメーラは、ツアリーヌの不安は王后になったからではなく、自分に対するものだったのだと気付いた。
だがどうして、ツアリーヌが自分に不満を持つのか。
ツアリーヌはプリメーラを睨んでいたが、眼差しが少しだけ和らいだ。
「おそらくだけれど、わたし達は根本的に認識が異なっているのだと思う。たとえていうなら、ブリッジとセブンブリッジくらい違う」
「は……あの……おっしゃる意味が……」
「あなたは乙女ゲームをやったことがないのではありませんか、プリメーラ?」
プリメーラはぽかんと口を開ける。幾つもの「乙女ゲームもの」で培った知識から、成る丈合理的な道を選んできたつもりだったのに、なぜそんなふうに思われるのだろう。
そりゃあ、攻略対象全員と親しくするのは無理だった。そもそも、攻略対象が誰なのかはっきりしない。でも、ヒロインとは友人になったし、ちょっとした失敗以外は……。
「な、なぜです」
プリメーラはショックで、ソファの座面に爪を立てている。
「なぜ、乙女ゲームをしていないとわかるんですか」
ツアリーヌは溜め息を吐き、小さく頭を振ってからいった。
「それはね、プリメーラ。乙女ゲームをしたことのある人間ならつかわないであろう言葉をあなたがつかったからです」
今の会話のどこにそんな言葉が出てきたのだろう。ヒロインや悪役令嬢、婚約破棄、逆ハーレムに断罪イベント、平民落ちなど、乙女ゲームにつきもの、幾つものアニメや小説で転生主人公がつかっていた言葉ばかりだ。
転生ヒロインが逆ハーレムを狙おうとすると、失敗して悪役令嬢に断罪される。悪役令嬢が平民落ちする筈だったのに、転生ヒロインがそうなる。そんな話が沢山ある。ということは、下敷きになっている乙女ゲームにもそういう要素があって、それをもとに書かれている筈。
ツアリーヌは無表情に戻って、髪を耳にかけた。
「プリメーラ。一般的な乙女ゲームには、断罪イベントも、婚約破棄も、平民落ちも、悪役令嬢も出てきません。逆ハーレムもできないのが普通です。少なくともこのゲームにはそんなものはありません。そしてなにより、このゲームのプレイヤーならば主人公をヒロインとは呼ばない」
目の前がまっくらになったような気がした。
ツアリーヌは静かに、喋った。とても静かで、穏やかに。まるでプリメーラを憐れむように。
「あなたは乙女ゲームの世界に転生した、というような小説を読んでいたのでしょう。アニメを見たのかしら。どちらでもかまいませんが、それらに現実的な乙女ゲームを描いたものはほとんどありません。冷静になって考えてみて。中高生の女の子向けにつくられた、甘ったるい恋愛が売りのゲームに、どうして断罪という血なまぐさい要素が紛れ込むの? あなたは自分が結婚するとなったら、夫になるひとのこれまでの彼女を殺したいですか? 自分のライバル関係にあった女性を殺したいですか?」
ツアリーヌは尚更憐れむような声を出した。
「プリメーラ、夢を壊すようで悪いけれど、それは乙女ゲームの世界にはそぐわないの。その要素そのものが悪いのでも、そういったことをあつかった作品が悪いのでもありません。面白いものだってあるでしょう。ですが、乙女ゲームにはそぐわない。それだけです。これはわたしのような乙女ゲームユーザーからすると、ラグビーとクリケットを一緒くたにしたルールのようで、凄く違和感のあるものなの。そういった要素を盛り込んだ作品もあるにはありますが、そうでない作品のほうが圧倒的に人気であるということをまずは理解して」
ツアリーヌはなにかを待つみたいに言葉を切ったが、プリメーラには頷く気力もない。ツアリーヌはそれを見て、穏やかに続ける。
「このゲームのことに、あなたはくわしくないようにみうけます。このゲームでのあなたのいうところのヒロイン、わたし達のいう主人公は、バーバラ。まあ名前をかえられないのでバーバラ呼びするひとが多いようですが……彼女は田舎から出てきた子爵令嬢で、魔力の高さから最上位クラスに組み込まれ、戸惑っていたところを、優等生のあなたに救われる。あなたは悪役令嬢ではなく、バーバラを導き、時によきライバルとなる、攻略対象のひとりです」
「……は……?」
プリメーラはぽかんとし、頬をひくつかせる。だが、ライバル、に覚えがあった。あの女神が、この子はライバル、と、いっていたのを、唐突に思い出した。そうだ、そうだ。女神は悪役令嬢とはいわなかった。プリメーラのどちらかといえばきつそうな顔立ちや、ヒロイン以外の女性キャラクターというところから、勝手に悪役令嬢だと思い込んでいたのだ。
だが、女性の攻略対象というのが意味がわからない。ライバルというのは、要するに悪役令嬢だろうし……。
ツアリーヌは気の毒げに、こちらを見ていた。プリメーラはか細い声を出す。
「あの、お、おっしゃる意味がよくわかりません。女性の攻略対象というのは、どういうことです」
「そのままです。あなたはよほど、勤勉な人生を歩んできたのでしょうね。乙女ゲームなんて知らないのだから」
ツアリーヌはそういい、もう一度溜め息を吐く。「乙女ゲームといっても、恋愛をするだけではないんです。このゲームのエンディングは、おおまかにみっつ。田舎令嬢だとばかにされていたバーバラが、成績一位で卒業する、才媛エンド。攻略対象の男性キャラクターの誰かと婚約をする、婚約エンド。プリメーラと親友になり、一緒に商会を興してキャリアウーマンになる、友情エンド」
「そ……そんな……」
乙女ゲームなのだから、男の子とくっつくエンディングだけだと思っていた。そして、その過程で邪魔してくる悪役令嬢を、エンディングの前に断罪するのだと。
だがツアリーヌは、プリメーラとバーバラの友情エンドがあるという。
呆然としていた。認識が根本から間違っていたことをつきつけられた。間違った土台の上に、間違ったものを建てていたのだ。
「もうひとつ付け加えるのなら」ツアリーヌは眉をかすかに寄せる。「下級生のエバ嬢が友情エンドに必要なもうひとりです。正確には、あなたとバーバラ、エバ嬢が親しくなれば、友情エンドにいたる。エバ嬢は正式には攻略対象には含まれていませんし、立ち絵もモブと同じですから、転生先の候補にははいっていなかったのではないですか」
ツアリーヌのいっていることはほとんど理解できなかったが、自分が乙女ゲームを間違って捉えていたことははっきりした。プリメーラは、喘ぎ、頭を振る。どうしたらいいかわからない。友情エンド? 悪役令嬢って、じゃあ、なんなの? どうしてそれが乙女ゲームには居るものとして、みんな話をすすめていたの?
「アニメ版だとチャーリーが相手役になっていますから、バーバラがルシアンとカップルになるのは、漫画版に準じたのかと思っていましたが、その様子だと知りませんね。まあ、バーバラは最初からルシアンにひかれているような描写がありますし、家格もつりあう。これに関してはわたしはなにもいえません。関わったひと全員が納得していますから」
していない。わたしは納得してない。なにも。なにひとつ!
「漫画版に準じるとするならば、あの赤靴下のワードと、あなたが一緒になる筈だったのですけれど。そう、ザザ先生とソノラ卿のイベントは結局起こらなかったから、ワードが留学してしまったし……」
ワード? 北の公爵家の八男坊のこと? あの幼い子がどうして攻略対象なの?
ザザは魔法理論の先生だ。賄賂に応じなかった。イベントってなに。ワードとわたくしが一緒になるって、なんの話なの。
「わたしはこのゲームが好きだった。だから、そのキャラクターになりたくなくて、モブとして喋るキャラクターになるのもいやで、無名の人物に転生しました。特別な立場でなければ、まったくあたらしいキャラクターをつくることも、あの女神にはできるそうです」
ツアリーヌははっきりと、気の毒そうにしていた。
「あなたの成績は、悪いものではなかったそうですよ。ぎりぎり最上位クラスにはいれるくらいだった。それを教師達は、アルフォンソとわたしに次ぐ三位に改竄していたそうです」
プリメーラは完全に声を失った。自分のしてきたことの無駄さにうちのめされて。
パーティから二月後、卒業試験のやりなおしに学園へ向かい、プリメーラはぼんやりしていた。
プリメーラの所為でいじめられた女生徒達には、謝罪の手紙を出した。公爵家の印をかり、押したので、公文書に準じたものである。プリメーラのとりまきをしていて、加害者になった生徒達にも、それぞれ謝罪した。彼ら彼女らの名が傷付くことがないように。
勉強はまったく手につかず、魔法はうまく扱えない。ゲームではプリメーラは優等生だとツアリーヌはいっていたが、信じられなかった。
賠償がすんでいることもあり、プリメーラは応接室に居た。窓の外には魔法訓練場があり、後輩達が魔法を練習している。
「プリメーラ?」
振り返ると、まだ幼い顔立ちの、ワードが立っていた。プリメーラの二歳下で、北の公爵家の八男だ。
ワードは去年、ツアリーヌの生国へ、数名の生徒とともに留学していた。戻ってきたようだ。随分背が伸びて、男の子らしくなった。
ワードは応接室の出入り口で、もじもじしていた。トレードマークの赤靴下がちらちらと見える。北の公爵は子沢山で、区別をつけやすく喧嘩にならないように、子どもそれぞれの服の大まかな色を決めてしまっている。ワードは赤だそうだ。
ワードはとたとたとはいってくると、プリメーラの傍に片膝をついた。
「あの……きいたよ、アルフォンソから」
「……そう」
プリメーラは彼から目を逸らす。
「僕は、アルフォンソのやりかたもよくないと思うよ。そりゃ、君も悪いけど……ああでも、もう賠償はしたんだから、ね」
「学園に泥を塗ったわ」
「プリメーラ、そんなこといわないで」
ワードはプリメーラの手を掴み、哀しげにいう。「僕が留学なんてしなかったらよかったんだ」
「あなたには関わりのないことだわ」
「関わらせてよ」
顔を向けると、ワードは困ったように眉を下げる。
「君のことには関わりたい。だめかな」
「……わたくしに関わったらあなたの名が汚れます」
「そんなことはない。誰だって失敗することはあるよ」
扉が開いて、教師が顔をのぞかせ、ワードに目を瞠る。が、教師は冷静だった。「プリメーラ嬢、試験の時間です」
「はい」
「プリメーラ」
揃って立ち上がると、ワードが自分と同じくらいの身長になっているのに気付く。こんなに大きかったかしら……。
ワードはプリメーラの手を掴み、上下させた。「ねえ、僕がついてると思って。プリメーラ、君ほどの魔力があったら、試験なんてこわくないよ」
ワードは、心の底から、応援してくれているらしい。それがわかった。
プリメーラは涙ぐみ、それを隠すように項垂れて、試験会場へ向かった。