秋津洲新時代
あきつしま・しんじだい
その朝早く、初夏の陽気にさそわれて大王は宮殿からほど近い山にのぼってみた。ごく低い山である。ぶらぶらと歩いていただきに至り、下界を見わたすと、若葉の萌える野原や田畑が一面に広がっていた。自分の国の美しい眺めに大王はつかのま頬をゆるめたが、ふと顔つきをあらためて、その景色をもう一度すみからすみまで見回した。
日が昇りきったころに宮殿に戻ってきた大王は、いそいで主な家来たちを集めると、向こう三年は民から税を取り立てないことにすると告げた。突然のことに驚く一同に、大王は切々とうったえた。
「山の上から国を見わたしたところ、飯どきにもかかわらず、煮炊きをする煙がひとすじも立ちのぼっていなかったのだ。何年も不作がつづき、民は食うものに事欠いている。このようなありさまで、どうして税など取り立てることができようか」
大王のとなりにすわっていた后が「それではご自身やわたくしや子供たちの食べるものはどうやって手に入れるのですか」とたずねた。大王は、「私も畑に出て作物をそだてよう。足りないぶんは、いままでに貯めこんだ宝物と交換で、わずかなりとも余裕のある者から譲ってもらう」と答えた。
大王は言ったとおりにした。つづく三年間、ほんとうに税を取らず、自ら畑仕事に精を出した。着物はぼろぼろになり、宮殿は雨漏りがするようになったが、まったくかえりみることがなかった。
三年がたったある日、大王はふたたび山にのぼって国の様子を見わたした。三年前とおなじ緑の野原と田畑の眺め。だが三年前とはちがって、煮炊きをする煙が何十本も立ちのぼっていた。民は富み栄えている。大王は大いに満足した。
「いいえ、よいことばかりではありません」
軽い足どりで宮殿に戻って、見てきたものを話した大王に、そう告げたのは后であった。上機嫌だったところに水をさされて、大王はいささかムッとした。何かまずいことがあったのかと問うと、后はつらつらと述べたてた。
「この三年間で食糧事情は大いに改善しました。けれども、森林を切り開いて農地を増やしたため二酸化炭素の吸収量が減少しています。さらに、煮炊きをするためのたきぎが不足して化石燃料に依存するようになり、温室効果ガスの排出が増加しています。さきごろ行われた国際会議で、震旦、天竺、波斯、羅馬といった先進諸国からそのことを指摘され、気候変動を防ぐための取り組みをするようにという要求が出ています」
この三年間の大王の貧乏暮らしは、当然ながら后や子供たちをも巻き込んでいた。民の暮らしを豊かにするという大義名分があってのことではあったが、家族にとっては乏しい食べ物や粗末な衣服がうれしかろうはずはない。おかげで大王はすっかり后に頭が上がらなくなっていた。
「それで、どうせよというのだ。煮炊きするのをやめて食べ物を生で食えと民に命じるわけにもいくまい」
大王は不満そうな顔で后にそうたずねた。后はすでに答えを用意していた。
「化石燃料を使わないエネルギーを導入すればよいのです。すでに研究している者たちがおります。その者たちにお命じになれば、数年のうちに温室効果ガスの排出を大幅に削減することができましょう」
「ほう、そのような者たちがいたか。名は何という」
「丹生厨王と安富連と申します」
「よろしい。任せてみよう」
そしてまた三年がたった。大王はまたしても山にのぼって国を見わたした。一面にひろがる緑の野原と田畑。その景色の中に、煙はまったく立ちのぼっていない。国じゅうの民の誰ひとりとして火を焚いていないのだ。そしてそのかわり、三年前にはなかったものがそこここに現れていた。鉄骨を組み合わせて作った何十本もの高い塔と、その間に架け渡した太い電線である。
丹生厨王と安富連はみごとに期待にこたえた。都のはるか北の海辺に原子力発電所を建設し、そこから国内各所に電気を供給する態勢を整えたのだ。いまやこの国のあらゆる民家はオール電化となり、人々はIHヒーターや電子レンジで調理をしている。煙が出なくなったのはそのためだった。温室効果ガスの排出も激減した。
大王は満足して宮殿に帰り、見てきたものを后に話した。自分の推挙した二人の仕事の結果を耳にして、后も満足そうだったが、またぞろ「ただ、少々問題が……」と言い出した。大王はげんなりしたが、后はかまわず詳しい説明をはじめた。
「使用済み核燃料の処分場の立地がまだ決まっておりません。候補地をいくつかに絞り、建設反対派の切り崩し工作も進めておりますが、なにぶんにも長期にわたる放射線の影響がどのように出るのか不明な点もありますので」
「要するに、放射線が漏れてこないようなところに捨てればよいのだろう。亡くなった伊邪那美命を探すために伊邪那岐命が下りて行った、黄泉の国に通じる穴があったはずだ。あそこに捨ててしまえ」
大王の名案はさっそく実行に移された。やがて放射線の影響で巨大化かつ狂暴化した伊邪那美命が地上に出てきて暴れまわることになるのだが、それは先の話である。