episode.0 灰の王国
国だ。深い谷の底に沈みゆく王国を彼はみていた。
少年は暗い谷の底に沈むかつての王国のまえに一人立ち尽くしていた。
「こんな大きな国を見たのははじめてだ。」
おもわず息を呑んだ。
彼はむかし本で読んだことがあった。そのときは衝撃をうけたのをよく覚えていた。それは読んでるうちに気分が悪くなるほどでしかし目の前に広がっている光景はまさにその通りだった。いまより世界は美しいものだったようだ。
その内容はこのようなものだった。
はるか昔には大地はわかれておらず、海と地がずっと広がっていたという。
いまでは上や下に地層が大きくズレてしまっていて進むことができない。どこも行き止まりであった。
すべてがひとつの土地ではない。地平線へ進むとそこは海はなく穴の空いた崖がつづいている。
海は枯れ果て動物たちはみな死んでしまった。
青々と繁げる草花も深緑の木々も一本たりとも生えてはいなかった。
それは大昔のことだった。何千年もまえのこと。
そう、地上には一つの風さえなかった。
広大な大地は深く深く奥へと沈み込んでいって地上と深層の間には大きな大穴のような空間がいくつも増えていった。
やがてだれも地上へもどることができないほどに空間の歪みは広がったがあるときを境にそれはピタリと止まった。
この地殻変動のようものが起きたのはすべて世界中に薄汚れた灰が押し寄せてからだった。
少年は暗い地下を進みながら道の途中の深い谷のそこをなんども覗いていた。身体が熱くなり、握りしめた手が熱を帯びて感覚が伝わる。王国はまるごと沈んでいる。崖の下からかなりはなれているのにはっきりと見えている。あそこには百万人の人間がその昔住んでいた。
「一体どこまでつづいているんだ。」
この場所からもよく分かった。黄金や様々な装飾がされたステンドガラスの建物。時計塔や教会、学校に遊び場とお店のガラスは汚れているが破れずに残っているようだ。
ふいに少年はその紅い瞳を光らせた。価値のありそうなものがたくさんあるがその中に危険ななにかがこちらをみてる。黒い獣が何匹も蠢いている。口もなく黒い目が額にひとつだけ、鋭い爪で地面をかいている。そんなのが何十匹と暗い王国のなかにひそんでいる。
人間がくると即座にめらめらと殺意がわいてくるようだ。きっとちかづけば忽ち嬲り殺されるだろう。無理に刺激しないほうがいい。あれは世界を崩壊させた怪物たちの残骸である。
さらによくみれば昔生活してたであろう人間の屍がある。ただ人間が誰も居ないだけだ。そのままの国が残っていた。むかしはおおくの人間があの場所に移り住み交易をし、幸せに住んでいたにちがいない。いまでは蟲などに喰い尽くされてそのあとしか残らない。
崖のうえの道からそれを少年はみていた。
すると少年の背後にはわずかに松明に照らされてゆらめく影があり、そのなかに二つのおおきな瞳が浮かんでいる。
なぜ影に目が浮かびあがるのか。少年の影のなかには影の男が住んでいたからだ。男はニタニタと下品に笑いながらおおきな身体をゆさぶりときどき少年に話しかけた。
旅をつづけているうちにどこかで影のなかに憑り込んだのだろう。この世界ではたびたびそのようなことが起こる。それは少年を刺すような目つきでみつめている。影のなかの男は少年に低い声で語りかけた。
「屍ドモガ生ノ肉ヲ求メテ興奮シテルナ。オマエニハ立チ向カウ気概ハナイダロウ。」
少年は無視して街のほうをみた。
「財宝ヲ求メルナラ力ガナクテハナラナイ。俺サマハコノ世界ガイツ終ワルノカ分カルゾ。」
同じ話だ。影は旅を始めてからずっとおなじ話を続けている。少年を誘惑し利用するつもりのようだ。どうやら影のなかの男は世界のいく末をしっているともはなす。
「まだ俺はお前を知らないからさ。信用はできないよ。とにかく西へむかう。そこで俺は戦争に参加するよ。そこでアンタが手を貸してくれるなら考えるさ。」
『………』
影のなかの主は瞳を閉じるとどこかへ消えていった。時間が経つと少年の影はもとの薄い影に戻った。いつもそうだった。
少年の目的は道を進むための光源を探すことだ。
空中にはヤコウチュウという発光する虫が飛び回っているがもっと良い光源がちかくにあるのを彼は知っていた。
それは『光石』だ。彼は光石を必死に探している。
谷のそこに繋がる崖を覗き込んだ。そして崖のはじまりの手前から太い杭で紐を固定し谷底に投げ込んだ。
ロープを腰に巻き付けると少年はさっきとは二回りほど細い杭をふたつだして崖の壁面に突き刺した。そして脚先にとりつけられたフックを真下に掛けると交互に足をさげていき下を目指す。
おそるおそる途中にある洞穴を覗くと生きものはいなくて彼は安心した。かわりにビッシリと洞窟のなかの壁に黒い握り拳ほどの岩が生えている。
この洞穴はまだ小さい方らしい。わずかに光を漏らしている小さな黒光石があったので持っていた杭でそれを思い切り砕いた。
洞穴のまわりの石も共鳴し光りだすと暗い地下が昼間のように明るくなった。エイコンは二つに割れた光源の片方を暗い王国のほうへおもいきり投げ込んだ。
この世界には『光石』というものがあった。光石は大なり小なりそのすべてが光をはなつ。ふだんは足元にあるちいさな石たちも微弱な光を放って暗い世界を照らしている。
暗い大穴ばかりの世界になってから生活するにしても人々と光石は切り離せない存在となった。生物から採れる光石や採掘される巨大な光石がその地でとれる街のシンボルであり象徴だった。
そして生物から採れるものを『原石』。大地からとれるものは『光石』とよばれている。すべてがさまざまな場面、用途に使われる貴重なものだ。
まばゆい光で王国の入り口が照らされた。黒い化物たちはおどろいて逃げて行く。しかし光や火が怖いわけではない。つねに暗い場所に住んでいるので反射的に逃げるからだ。
黒い獣たちには光石を見つけると壊すか捨ててしまう習性がある。
そして王国にすむ化物たちは火を恐れない。それは普通の生き物ではないからである。
その国のまわりの壁面のむこう側で山のようにおおきな一つの影が地鳴らしをしながらゆっくりと身体の向きを変えて動いている。あのおおきな生き物はほかの黒い影とはまったくのべつものだ。光に呼応して場所をかえている。
壁面がずれておおきな影はからだを揺さぶっている。
あれの名前は王骸。『王骸』は大地をうごかした原因のひとつだ。彼らはこの世界を滅ぼした王、支配王の一部であり力である。ふだんは静かに大地と一体になっている。世界は支配王の影響を受けていて、脆くなっていた。
ときどき形を変えたりさまざまな環境の変革がおとずれ成り立っている。感情はあるのかはわからないがあれからも激しい殺意のようなものを少年はたしかにかんじていた。
エイコンがあれをみたのは二回目だ。黒い鎧に巨大な深淵のような眼をひらく。まるで地獄の門が開いたようだ。王骸の存在は災害に近いといわれる。クジラのような身体をぐにゃりとうごかすと王国の端をもち上げ地下にわずかに生えた木々を根っこごと引き裂いた。
黒い肢体のありえない脇腹のようなところから小さな翼がいくつも生えると地上へと上層の空間へ大穴をこじあけて飛び立っていった。すこしの光が王国へもれた。
白髪の少年。エイコンの立っていた地面にも震動が伝わってくる。というよりも距離がちかいからだった。。そばにある斜面が崩れ落ちそうなほどに揺れている。上からは瓦礫と土砂が崩れて落ちてくる。
あの黒い巨大な化物は灰の積もった地上に登っていくのだろう。わずかに漏れる地上の光へむかって黒い大きな影はずんずん進んでいく。
暫くその場で静かにしていると揺れは止まった。一安心したエイコンだったが安易にアレを動かすのはやはりよくないようだ。
めったに王国をまるまるおがめることはないので光石を街の手前に投げ込んだが王骸の存在には彼は気がつかなかった。ふだんはそれほど静かだからだ。やはりあまりにもその身体はおおきく自然の一部と捉えられても仕方がない。
人間の住む街に王骸がときどき近づくことがあるといわれている。
大きな黒い影が街のうえを飛び去っていく。
あれに生き物のように思考能力があることは証明されてないが、ただおこり得る事象に反射的にうごいているだけのいわれていて存在や原因は不明だ。それでも強大な力があるので人々があれに勝つ見込みはないに等しい。
身体にびっしりあまり強い光を放たない光石を王骸は纏わせているのでほんのりとまわりが黒い光で照らされてる。王骸はときどきかたまった光石をゆさぶって外すためおおきな光石の塊が地面におちることもある。
あんなのが地上には何匹もいると考えると想像しただけで震え上がってしまうおもいだ。
洞穴からもとの道にもどるとその片隅に女の子が座っていた。
少年はすぐに少女にはなしかけた。
「シトラ。燃料はみつかった?もうすぐ次の町へむかおうとおもっているけど。」
「うん。エイコンがいってた資源用の植物はみつけたよ。それからこれも。」
黒髪の彼女は二輪車の燃料になる非腐食性の植物とどんよりとした茶色の果物を少年にまるごとわたした。
その果実、ドトの実を刃物でふたつに割ると中からドロリッと汁があふれでた。女の子にそのうちひとつを戻した。
植物の実を齧ると家畜の肉のような味が口いっぱいにひろがる。食用ではあり、それなりに食べられる味ではある。
座りながら肉にかじりついている少女の名はシトラ。背はたかくこの地方ではめずらしい純粋な黒髪に漆黒の瞳。雪のような白い肌、エイコンがはじめて会った十代の女性だったが彼女が突出してほかより美しい端正な顔立ちなのはわかっていた。
なにもしなくても街で女性がふりかえるほどに彼女は綺麗なのだ。しかしそれを彼女はすこしも自慢するそぶりをみせたことは一度もなかった。
名前以外に彼女の出生などは一切不明である。彼女はエイコンの故郷にきた。北方の寒くきびしい環境にも彼女は数日たつと慣れた。身体も頑丈であった。戦士としての素質を併せ持つからだ。
そして十四歳の誕生日をエイコンがむかえ、一緒に旅へとでた。
二人の旅の目的は見聞をひろめ、世界を知ることだ。ふたりはまだ見ぬこの世の景色をみてみたかった。興味や好奇心は旺盛な年頃だ。
シトラは自分がだれなのか記憶を道とともたどり、エイコンはうしなった親友をさがし戦場への道を模索している。
すべては西での支配王との戦争へ参加し親友をみつけるため。そして彼女は自分のことをいまでも知りたいと願っている。
脚もながく、肌は雪の如く淡い色をしている。身長は170cmってところだ。痩せ型ではなくそれなりにいつでも引き締まった身体をしている。からだも自由に動かせた。
とくに脚技には天性の才があり旅にいっしょにいくにしても彼女は心強かった。
シトラは座りながらいつも身につけている黒い手袋でドトの実のなかをほじくって果肉をとりだした。その実は食感が乾燥させた鳥肉そっくりだ。エイコンも夢中で食いついた。ちゃんとした食事は三日ぶりだった。
「エイコン。王国のちかくを刺激したのね。すごいことが起きたようだけど。」
「そうなんだシトラ。谷の底の王国にはまだ生き物がたくさんいるみたいだよ。よく見てみる?」
「そう、でも大変なことになっちゃっているけれど。」
「な、なにが。」
「よくみてみて。」
奥の下層がもりあがっているようにみえた。その瞬間、彼女は着こんでいる砂色の外套をもちあげた。
巨大な羽音とともになにかがちかづいている。赤い目をした黒い光虫たちがこちらにむかってきている。
まずい!エイコンがそんなことを考えているとシトラが植物の果実を咥えながらエイコンを抱えてもちあげた。彼女はエイコンをとおくへ連れてかなければならないと瞬時に判断した。
「しゅふにあのふぁいふのほころへもどろろ。」
「えっ?なんだって。」
よく聞こえない。エイコンよりスラっと背のたかい彼女は彼を軽々とかかえながら谷底から石のあいだを跳び上がった。身体能力は彼女のほうがはるかにまさっている。
スイスイと急な斜面を駆け上がっていく。ふつうの人間ではなかなかできない芸当だ。
蟲たちが近づいているが彼女の脚力からすれば造作も無い。谷から谷の間へとおおきな音とともに閃光のように駆け上がり蟲たちからぐんぐん距離をはなしていく。
シトラはまるで馬のように駆け、その俊敏さは森のなかの白狼のようだった。
そしてエイコンは彼女のその大きな胸の中にしずんでいた。文句をいってるばあいではなかったが彼女はずっと大切なものを持つようにエイコンを掴んではなさなかった。
命の危険がせまっていたのになぜかそんなことを考えている自分に情けなくなり、彼は彼女に身体をあずけた。
蟲たちが谷ぞこにしずんでいくと漸くしてふたりは二輪車の近くまでもどってきた。蟲たちは谷のずっと奥のその奥まで突き放された。彼女のあまりある俊敏さに彼らを見失ったようだ。
シトラはエイコンを抱えたまま谷のとおくを眺めている。シトラがぎゅっとエイコンを抱いているので彼は死にそうになった。だが彼女の身体にいつまでもしがみついてはいられない。
「シトラ!シトラ!大丈夫だから。はなして。」
彼女はぼーっとしていた。極限までのエネルギーを発し体力をつかうといつもこんな感じだ。理由は不明だが彼女は気を抜いていることがおおかった。
「あぁ、エイコンをかかえてたのね。忘れてた。」
エイコンは漸くして彼女から解放されると肌身はなさずもっていた荷物を確認した。
金も食料も資源物資、愛用している杭もなにひとつ失ってはいない。彼は安心した。
ふとすると彼女のリノと金キグリの香水の匂いが鼻をついた。いつもは落ちつくとても良い匂いだがすぐにここをはなれるべきだった。
あたりを刺激したことでまだ蟲や植物、動物達はさわがしくうごいている。すべては王骸が移動したせいだった。
ふたりはつぎの町の休憩所で仲間たちと合流するために二輪車を走らせたのだった。