第34話
窓から差し込む光は暖かそうで、平時であれば、陽だまりの周りは柔らかな空気が漂っていただろう。それこそ、呑気にあくびなんかして、眠りに誘われてしまうくらいだ。
だが、この場は厳粛な空気が支配している式場だ。辺りは黒い制服に身を包んだ生徒ばかりで、時折聞こえてくるのは、押し殺したような啜り泣き。とてもじゃないが眠ることは許されそうにない雰囲気ではない。
もっとも、今壇上で話をしている校長の話をきちんと聞いているのはそう多くはないだろうし、この後に続く保護者代表やらの祝辞とて多くの生徒の耳には届かないのだろうが。
主役である卒業生は皆、今日という日を境にほぼ毎日顔を合わせた同級生とは違う道を歩くことを自覚し、今日という特別な日を噛み締めているのだから、毎日顔を合わせるわけでもない人たちからの祝辞を受け止めて感謝する余裕なんてないだろう。
そして、彼らを送る側である在校生、特に在校生代表として参加している二年生は、彼らとの出来事を思い出して、別れを惜しむと共に、残された高校生活の時間と向き合わさせられているのだ。自分に向けられているわけでもない祝辞はやはり右から左へと抜けていくだろう。
まあ、俺の場合、関わりのある先輩は元生徒会の二人くらいなもので、その旅立ちを祝う気こそあれど、泣いて別れを惜しむほどの付き合いではないし、残された高校生活なんてのは芽衣と話しているうちに何度も突きつけられてきたのだから、その話を聞くくらいしかすることがないのだが。
閑話休題。
退屈凌ぎがてら卒業式について考えてみたはいいが、まだ校長の話は終わりそうにない。
いや、マジで長いな。そのうち袖から教頭あたりが巻きの指示出し始めちゃうんじゃないかって心配になるレベル。
改めて辺りを見回してみれば、あくびを押し殺していたり、近くの人と小声で話していたりと、暇に耐え兼ねてきたらしい。
俺も周りを見習って少しくらい持て余した暇をつぶしたいものだ。だが、男女別の出席番号順で並ぶここでは、芽衣も、篠崎も若宮さんも座席は遠く、話すどころか目を合わせることすら叶いそうにない。かといって、眠気に身を任せれば、しっかりと聞いておくべき送辞と答辞すら聞き流してしまいそうだ。
「雨音くん、ティッシュ持ってたりしない?」
仕方なく校長の話を右から左へと流すように聞いていると、隣から控えめな声がかけられた。確か井浦とかそんな感じの名前の人だったはずだ。
「まあ一応」
「マジで? 花粉症なんだけど、鼻水止まらないんだよ。貰っていい?」
「いいよ。花粉症だとこの時期しんどいよな」
「ああ、ずっと鼻が詰まってて大変なんだよ。ティッシュ持ってるってことは雨音くんも花粉症持ち?」
いや、俺は違うけど、妹がな、と答えれば、井浦はなるほど、だからか。と大げさに頷いて見せる。どうやら井浦には弟がいるらしく、下がいるとお兄ちゃんしなきゃいけないから大変だよなと話を膨らませる。ティッシュだけでなく会話相手にも飢えてたのか、なんて軽口をこぼしてみれば、そうなんだよ、なんて言葉と共に、校長の話が長いとか、今度の試験はどうだといった他愛もない会話が始まる。
「いやー、助かった。さすが優等生ってところか」
いくらか言葉を交わしているうちに、俺が渡したポケットティッシュを代償に井浦の鼻づまりは落ち着いたらしい。
「いや、別に優等生じゃないと思うけど……。まあ、役に立ったなら良かったよ」
「試験では委員長とトップ争いしてて、校長の長い話だって話しかけるまで真剣な表情で聞いてたのに……。廣瀬さんが選んだのはそういう事か」
一人納得したと言わんばかりに、頷いていた彼は、ティッシュ助かった、ともう一度だけ言って正面を向いてしまった。もう少し雑談で時間を潰せたら、なんて思っていたのだが……。
まだ続いているであろう校長の話を想像して、少し憂鬱になりながらも、視界を壇上へと戻せば、教育委員会のお偉いさんが簡素な挨拶を済ませたところだった。
ちゃんと話に耳を傾けていたのは彼の方だったというオチらしい。
「続いて在校生代表による送辞です」
司会をやっている宮野先生の声が耳に届けば、制服をキッチリと着こなした若宮さんがゆっくりと壇上に上がる。
「柔らかな日差しが心地よく、春の訪れを感じる季節となりました。この佳き日に晴れて卒業を迎えます卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます」
通った声が耳に届いた。
在校生代表、そんな肩書きを背負った事はないから、重さは想像することしかできないが、相当なものだろう。だが、そんな重さは知らないと言わんばかりに、堂々とした声で送辞を読み上げる若宮さん。ほとんど一年前、居場所を失いかけて、弱音をこぼしていた彼女と同一人物だと言われて、当時の俺は信じられるだろうか。
この一年弱で成長したのか、部活で居場所があった頃を取り戻したのかは定かではないが、その変化は凄いことだろう。あの篠崎が彼氏とはいえだ。
送辞は長いものではないらしく、いち友人としてその変化に驚いているうちに、最後の締めが読み上げられる。
「最後になりましたが、卒業生の皆様のさらなるご活躍をお祈りし、送辞とさせていただきます。在校生代表、若宮菜々香」
テンプレのようなものだったかもしれないが、それ以上に良い送辞だと思った。確かにやり遂げられたそれは、ほとんどが面倒を見てくれた生徒会の先輩に向けられていたのかもしれない。だが、在校生として聞いている俺たちにも感謝が伝わってくるようなもので、ケチなんてつけられそうにない。