第27話
テーブルの上には肉じゃがに加えて、小さな焼き鮭と青菜の和え物、ご飯とみそ汁が並んでいる。野菜の形が少し歪だったり、所々に焦げがあったりはするが、美味しそうと言っても差し支えないレベルのものだ。
「いい感じに出来たな」
「ほとんどお兄ちゃんがやってたじゃん」
「いや、俺はちょっと手伝っただけだろ」
少し納得がいかないと言いたげな祐奈を席に座らせて、一緒にいただきますと手を合わせる。
しかし、祐奈は箸を持ったまま料理に手を付けることなく、俺の様子を見ている。そうしたくなる気持ちは俺もすでに経験済み。その時求めていたことをなぞるように、味噌汁から順番に一品ずつ口にしていく。
不安げな視線を向けられているが、身内びいきを差し引いてもその心配は無用だろう。
「美味いよ。ちゃんと出来てる」
「そっか」
まだ少し不安は拭えていないようだが、恐る恐るということもなく一口、また一口と口に運んでいく。
「……美味しい」
小さな声で零れ出たかのように呟いた祐奈は、それが間違いじゃないかと確認するように、何度か箸を伸ばす。そして、今度はいつものように美味しいと満足げに頷いた。
「言ったろ、美味いって」
「うん、美味しい。ホント、良かった」
「この調子じゃ、料理の腕が上がって俺が追い抜かれるのもあっという間かもな」
せいぜい一か月分くらいのレパートリーしか持たない俺が教えるのもそんなに長くないのかもしれない。口にしてみれば、いくらか食い気味なそんなことないと力強い否定。
「そこは任せてくらい言って欲しかったんだがな」
「分かってないなぁ。……まあ、いいけど」
* * *
料理だけでは飽き足らず、洗濯、掃除にも手を伸ばした祐奈は、それだけでは飽き足らないのか、食後のコーヒーを淹れるという家事とすらいえない行為すら代わると言い出した。
祐奈に任せて出てきたコーヒーはいくらか苦みが強かったが、そこは指摘しないでちびちびと飲ませてもらう。
「家事、やってみてどうだった?」
「やっぱり、大変だった」
「まあ、慣れてなければそんなもんだ」
「でも、祐奈でも役に立てるんだなって思ったし、悪くなかったよ。これからもやろうと思うくらいには」
そういう祐奈はいつも背中を追ってくるような幼さというものの代わりに、大人びた雰囲気をまとっていた。その姿は再び俺の目頭を熱くする。
「お兄ちゃんには感謝してるけど、頼りっぱなしってわけにはいかないんだろうし」
「だからって一気に色々やろうとしないでも良いんだぞ」
カップの中に映る自分の影に祐奈と同い年だった頃の自分を見ながら、それでも、迷惑というわけじゃないが、もっと甘えてもいいんだと言外に伝える。
「お兄ちゃん芽衣さんとしたんでしょ」
返ってきた言葉はまったくの予想外で、飲みかけのコーヒーが気管に入って噎せこむ。先ほどまでとは違う意味で出てきた涙は、しみじみとした空気を壊してしまう。
「汚いなぁ」
「いや、俺悪くないでしょ。突然妹にそんな話をされたら誰だってコーヒーくらい噴き出すっての。ってか何で知ってるの?」
俺は誤魔化すようにいつもの口調でそこまで口にして、慌てて口を閉じたがもう遅い。最後の一言は、ほとんど認めているようなものだ。
「いや、何となく、二人の距離感が変わった気がしたから」
「分かるもんなのか」
俺は全くと言っていいほどに気付いていなかったが、やはりそういうものは分かってしまうのだろうか。だとしたらなかなかに恐ろしい話だ。
「私が何年お兄ちゃんの妹をやってると思ってるの? もうすぐ十五年になるんだよ」
しみじみと噛みしめるように、そうだなぁと口にしてみれば、祐奈の口からは思いもよらない言葉が飛び出して、俺の涙腺はあっという間に崩壊することになる。
「お兄ちゃんが祐奈に選択肢を残すために、こっちに残ったのだって知ってるんだから。やらかして周りからあんまりいい扱い受けてなかったのに、その環境から逃げるチャンスだったのに、祐奈が友だちと離れたくないって言ったのを聞いたから、ここに残ってくれたこと。そのために家事とか覚えてくれたこと」
先ほどまでの見慣れた表情と雰囲気はどこへやら。やけに真剣な表情で語った祐奈は、まだ言い足りないと言わんばかりに軽い深呼吸をして再び口を開く。
「さっきの話に戻るけどさ、祐奈のためなのに、祐奈には出来ることがなくて、役に立てないのずっと気にしてたから。お兄ちゃんの足を引っ張りながらここにいていいのかなって。だから、祐奈に出来ることが増えていくの嬉しいんだよ」
祐奈はそこまで言い切り、ようやくいくらか吹っ切れたような表情でこちらをしっかりと見据えて、まるで結婚でもして遠くに行ってしまうかのように、今までありがとう、と口にする。
ポロポロと流れていた涙は勢いこそ変わることなかったが、自分の制御下を外れたようで、止め方も分からないまま流れ続ける。
別になにかが悲しい訳でも、辛い訳でもないのだ。ただ、その成長が嬉しくて、感動してしまったが故の涙だろう。ただ、安堵にも似た一抹の寂しさというのはあるのだろうが。
「……なに、なにこれ、止まんないんだけど」
少し驚いたような表情でこちらを見る祐奈に、何か声をかけなければと思ってこそ見たものの、都合よく言葉が出てくるわけでもない。思ったことをそのまま口に出してみれば、ふっと小さく噴き出す。
「祐奈の言葉に感動しちゃった?」
「まあな」
「祐奈も日々成長してるのです。じゃあ、お風呂入ってくるね。泣き顔晒し続けるのも嫌でしょ」
別に祐奈相手だし嫌ではないと口にしようとして飲み込んだ。
振り返ることなく、足早にリビングを出ていった背中は決して元気がないものではなかったが、微かに震えているように見えた。