あの時の続きを
「廣瀬さんがバイトで放課後遊んだりできなくて寂しいのは分かるが、さっきから見過ぎじゃないか?」
「芽衣ちゃん呼んでこよっか?」
「いや、なんというか、ちょっと様子がおかしいから気になっただけなんだ」
あーしさんたちと話している芽衣を遠めに眺めていると、篠崎と若宮さんがそろって声をかけてきた。芽衣の様子が変なことに気づいている様子は無く、寂しそうに眺めていると思って来たらしい。
「そうなの? 全然気づかなかった」
「廣瀬への理解度で雨音に勝つのは無理だからあんまり気にするな。なんせ両家公認の仲なんだから」
気を落とす若宮さんを慰める篠崎の言葉は、教室中からやっぱりの声と暖かい視線を一気に集める。もはやお約束感があるが、いまだに気恥ずかしさというのは取れる気配がない。
「で、どんな感じにおかしいんだ」
「なんていうか考え込んでるっぽいんだよな」
「そうなのか。まあ、気になるなら話聞いてみたらどうだ」
「そのつもりだ。そういう訳だから、ちょっと昼休みは二人にしてくれ」
二人が頷いてくれたところで、始業を告げるチャイムが鳴る。おとなしく授業を受けてる体裁は取るが、頭の中では芽衣のことでいっぱいだ。
家庭内のごちゃごちゃの所為で取り繕うのがやたら上手いとはいえ、滅多にそれをしない芽衣がそうしているという事実。他に気付きそうなのは芽衣のお母さんと唯織ちゃんくらいだろうが、この場で話を聞くことはできない。一人で考えるしかなさそうだ。
考え事に熱を入れ過ぎたようで、あっという間に昼休み。まったくといっていいほど授業の記憶はないのだが、ノートにはしっかりと4時間分の板書が書き写されているあたり、習慣ってのはなかなか便利なものだ。
「壮太、ご飯にしよ」
「おう。今日は久しぶりに屋上に行かない?」
「いいね! もう少ししたら寒くて行けなくなりそうだし」
そういえば、最近は風が冷たくなってきたもんな、なんて話をしながらやってきた屋上にはありがたいことに先客の姿がない。定位置といってもいい給水塔の裏に腰掛け、芽衣は手に持った二人分の弁当箱を広げる。
そのまま二人そろって手を合わせたら、作ってきた弁当を口にする。初めてここで昼飯を食べたときとは違って、お世辞抜きに美味しそうな見た目の弁当は、味のクオリティも大きく上がっている。
「どうしたの?」
「いや、ここで芽衣の作ってきた弁当を二人で食べるのって実は結構久しぶりなんじゃないかと思ってな」
「え?」
「ほら、春先にあーしさんに連れてこられて、一緒に締め出されただろ」
はるか昔の出来事のように思いながら口にしたのは、芽衣からの告白を罰ゲームの嘘告白だと思ってた時のことだ。
「あー、よく覚えてるね。でも、ここで二人っきりは確かにあの時以来かも。あの時は何というか、色々アレだったからあんまり思い出したくないんだけど」
「さようで」
「まあ、覚えててくれたのは嬉しいけど」
「そう簡単に忘れられるかよ」
桜の木の代わりに懐かしい思い出話に花を咲かせながら箸を進めれば、弁当箱が空になるのもそう時間がかからない。
綺麗に食べきった弁当の蓋を閉じて、いつものようにお礼を口にすると、芽衣の顔に取り繕ったような表情はなくなっていた。食後にゆっくり話そうと画策した俺の努力は無駄に終わったわけだが、終わり良ければ総て良しってことで。
「ねえ、壮太これ」
安心感から脱力していた俺に差し出されたのは飾り気のない封筒。緊張交じりなのか少し震える手からそれを受け取ると、芽衣は続けて口を開く。
「姫野さんから。渡さないでもいいって言われてたんだけど、渡しておくね」
「姫野から?」
「うん。あと、来ないでもいいって伝えてだって」
受け取った封筒には便箋が2枚入っている。まだ目は通していないが、伝言から察するに呼び出しもあるらしい。もしかして、芽衣が考え込んでたのってこれの事だったりするの? というか渡さないでもいいし、来ないでもいい手紙ってなんだよ。
「壮太が姫野さんの事得意じゃないのはこの間聞いたから分かってるんだけど、私としてはちゃんと行ってあげてほしいの。どうしてもダメならちゃんと読んであげて」
「まあ、分かった」
山ほどある疑問をいったん飲み込んで便箋に手を伸ばす。ゆっくりする予定の昼休みはこれで潰れてしまうらしい。
***
手紙に一通り目を通してから早くも3時間。
残念なことに午後の授業の記憶もなく、気づいたらこんな時間になっていたという感じだ。重い足取りながらも一歩ずつ約束の公園に向かっていく。
芽衣のバイト先からそう遠くない少し洒落た庭園にも似た公園では、制服姿の姫野が少し落ち着かない様子で待っている。
「えっと、なんだ……よぉ」
軽く手を挙げて、自分でも酷いと思ってしまう言葉を口にする。待ち合わせで吐くべきじゃない台詞ランキングなんてのがあれば、上位入賞間違いなしだ。
「雨音君?」
俺がその言葉に頷けば姫野の頬を一筋の水滴が伝う。それが合図だったかのように、姫野の瞳は一気に潤み頬を伝う水滴の大きさも大きくなっていく。
いつものように莫迦な考えや言葉が出ることはなく、息までもを吞んでしまう。呆けるように驚いたままに出たのは慌てふためく俺の声。幸いにも周りに人影はない。
「えっ、ちょっ、大丈夫か」
「ごめん、嬉しくて」
短い返事は他のどんな言葉よりも説得力があって、返す言葉を失ってしまう。中途半端に伸ばしたては空を切り、動くこともできずに呆然としたままその涙を見ていることしかできない。
無限に続くように感じられたというのに、時計の針はここにきてから文字ひとつ分も進んでいない。
「もう大丈夫だから。いきなりごめんね」
「いや、まあ、平気だけど、なんか飲むか?」
困惑混じりながらも小さく頷いた姫野をベンチに座らせて目と鼻の先にある自販機に小銭を飲ませる。出てきた二本のペットボトルを持って姫野の隣へ。
「ごめんね」
軽くのどを潤したところで、力なくそんな言葉が紡がれる。その謝罪はどれに対してなんだろうか。俺は分かっていながら絶対に違うものを口にする。
「たかが100円でそんなに気にするなよ」
「違くて、中学の時の事」
「それはこの間で終わったろ」
「でもっ……、それじゃあって割り切れる話じゃないよ。私のせいで中学校生活の半分以上台無しにしちゃって」
それは違うだろ、姫野が喋って回ったわけじゃないんだし。
「そのあとも雨音君をフォローしないで、被害者ぶって、それで私だけは普通に過ごせちゃって……」
懺悔のようにも聞こえる、嗚咽交じりの言葉はどんどんと紡がれていく。それは湊とその派閥の連中がしてきた嘘告白に、黙殺にも近かったクラスメイトからの扱いといった、飛び火が原因のような事にまで自分の責任かのように触れていく。
「私なんかが好きになっちゃった所為で……」
「そこは謝るなよ。今さら、しかも受け入れられないのにこんな事を言うのは最低だけど、嬉しかったんだよ。だから、そこだけは謝らないでくれ」
自分でも驚くほど自然に、姫野の言葉に割って入ってしまった。割り切っているつもりで取り繕って隠していた本音は簡単に漏れてしまう。
俺の言葉に目を見開いた姫野に見られていくうちに、どんどんと思考は落ち着いて冷めていき、代わりに羞恥心が体を熱くする。
――――――
「ねえ、雨音君」
「……なんだ」
「謝っちゃダメなんだよね」
「ああ」
きっと、私が言おうとしていることを彼は分かってるんだろう。でも、それを止めに来る気配はない。私の我儘な自己満足に付き合ってくれるらしい。
「好きだったんだよ、ずっと」
「……ありがとう。でも、悪いな。他に好きなやつがいるんだ」
絞りだした言葉への返事は予想通り。涙がこぼれないように気を入れなおして口を開く。
「知ってるよ。私もありがとう、ちゃんと振ってくれて。終わらせてくれて」
「おう」
「廣瀬さんを泣かせちゃだめだよ。ちゃんと幸せにしてあげて」
「言われずとも」
「じゃあ、私はもういいから行ってあげて。きっと不安だろうから」
その言葉に力強く頷いて彼は背を向けた。もう心配そうに振り向いてはくれないだろう。それでもその背中が遠くなるのを見送ってから涙をあふれさせた。
背中を押してくれた彼女が来るまではまだ少し時間がある。
私は今日初めての告白と正しい失恋をした。もう、その優しさは私には向けられない。どこかでずっと求めていたはずのモノだというのに、その事実が痛すぎるくらいに胸を締め付ける。