第九話 救出作戦
どん、と何か重量物がぶち当たった異様な音。
そして間をおかず、けたたましい車のクラクションが鳴り響く。
「な、今のは……」
「大変、事故だよ!」
服屋までの帰り道。その音を聞いた良太と美鈴は揃って声を上げた。
丁度、帰還ルートの途上である。大通りの角を曲がれば、直ぐに事故現場が見えてきた。
「っ……」
道路に止められた車両を避けようとしたのか、それとも路上の遺体にハンドルを取られたのか、銀色のセダンが歩道に乗り上げ、電柱に激突している。
そしてセダンには早くも鶏肉が群がり始めており、ボンネットやフロントガラス、ドアを埋め尽くしていた。
「りょ、りょーちゃん!」
美鈴が緊迫した表情で良太を見る。
幼馴染が何を訴えているか、少年には手に取るようにわかる。少女はセダンの運転手を救助しに行きたいのだ。
「でも、いや……」
だが、良太は躊躇したように立ち竦む。
勿論、彼とて人命救助に動きたいが、あの鶏肉の群れに近づくのは危険すぎる。
それに、車内に何人乗っているのか、どんな容態かも分からないのだ。怪我人を抱えて逃げるリスクを考えれば、無視したところで誰も責めないだろう。だが、
「……お願い。りょーちゃん」
「分かった。助けに行こう」
縋るような美鈴の声に、良太は首肯して答えた。
少女から寄せられる信頼を、裏切る訳にはいかない。それに何より、彼は彼女の優しさと純粋さが、何よりも好きなのだ。
「さっきの話を試してみよう。スズ、耳を貸して」
良太は美鈴を呼び付け、救出の方策を相談する。
そして話が纏まるや、即座に行動に移る。
「大丈夫ですか! 意識があるなら短くクラクションを鳴らしてください!」
そう叫びながら車に近づくのは良太だ。
少年はゴミ箱の蓋を構えながら、慎重に歩を進めていく。
すると、プ、プ、と短い警笛が鳴らされる。搭乗者はこちらの言葉に反応している。
徐々に肉塊に覆われたセダンがはっきりと見えてくる。
「……ん?」
とその時、少年が違和感に声を上げた。
蠢く鶏肉の幾つかが、奇妙なまでに大きいのだ。
だいたい鶏の胸肉・もも肉は三百グラム程度であり、男性の掌程度の大きさである。
しかし、車に張り付いている幾つかは、その数倍、A4サイズほどの大きさをしている。重さに換算すれば二、三キロはあるだろうか。丸鶏の重量が同じぐらいなのだから、明らかに異常である。
「やっ!」
とはいえ、立ち止まっている時間は無い。車の金属部分はかなり溶けてきている。救出は一刻を争うだろう。
良太は十メートルまで近付くと、手にしていた空き缶を車へと投げつける。
見事に命中するも、鶏肉は全く無反応だ。
良太はさらに慎重に歩を進め、五メートルの位置にまで近付く。
此処までくれば、醜悪な肉塊の姿がありありと見える。だが、依然として鶏肉に反応はない。完全に少年を無視している。
「スズ、お願い!」
すぐに逃げ出せる限界まで近付くと、良太は後方で待機していた美鈴に呼びかけた。
少女も同じくゴミ箱の蓋を構え、じりじりと車へ歩み寄ってくる。
「わ、わ、来た!」
そして、車まで二十メートルほどの地点で、鶏肉が覿面な反応を見せた。車に張り付いていた群れが、突如として美鈴へ向かって移動を始めたのだ。
「スズ逃げて!」
「分かった! りょーちゃんも頑張って!」
数十の鶏肉は、手近にいた良太を素通りし、美鈴を追いかけはじめた。
少女は予め立てた作戦通り、踵を返して走り出す。
鶏肉が良太を無視し、美鈴を優先的に狙うという予想は正しかった。
美鈴が囮となって鶏肉を引きつけている間に、良太が搭乗者を救助すべく車両に近づく。
「うわ……」
近付けば、鶏肉の凄まじい暴虐の程が明らかとなる。
車両の金属部分、ボンネットやドアがぐずぐずに融解している。エンジンルームが見えそうになっており、ドアもあと少しで脱落していたかもしれない。
「大丈夫ですか! 助けに来ました!」
粘膜で汚れたフロントガラス越しに、男性の姿が見えた。年の頃は三十前後だろうか。右肩を抑えながら、運転席のドアを開けようとしてる。
「ドアが歪んで開かない、助手席の方もだ!」
と、車内から男の声が聞こえる。
良太は直ぐにリュックサックを降ろすと、中から金槌を取り出した。
「窓を破ります! 気を付けてください!」
そう言いながら、助手席側の窓ガラスを叩き割る。
二度、三度と叩くと、ガラスが粉上になって車内へと散らばる。
「ドアに粘膜が付いてます。素手で触らないようにしてください!」
「分かった。ありがとう」
男性は運転席から助手席側に移動すると、這いずるようにして窓から外へ出る。良太は男性に手を貸し、脱出を手助けする。
そうして男を地面に立たせると、改めて周囲を警戒する。幸い、見える範囲に鶏肉の姿はない。美鈴が上手く誘引してくれたらしい。
「失礼します!」
すると、良太は運転席側に回り、同じく窓を金槌で叩き割った。
そして車内に手を伸ばし、クラクションを大きく三回鳴らす。
これは囮になっている美鈴への合図だ。彼女は障害物の多い小道を進んで鶏肉を撒いている最中のはずだ。
救助が成功したことを聞きつければ、合流地点を目指すだろう。
「歩けますか? ここに留まるのは危険です。移動しましょう」
「ああ、助かったよ」
良太は男性を伴って、街路を走り出す。
一先ず、生存者を救出することには成功した。
だが、生来の心配性故だろうか。良太は他の生存者と合流したことに、喜びよりも言い知れぬ不安を感じていた。