第八話 物資回収
街は相変わらず、蠢く肉塊によって占拠されていた。
道々に倒れ伏す人間を、鶏肉が覆い尽くしている。一晩中貪られたのだろうか、白骨と化した遺体さえ散見される始末である。
「落ち着いて、スズ」
「……分かってる。平気だよ、取り乱さない」
胸の悪くなるような光景を目の当たりにしながらも、良太と美鈴は懸命に足を動かす。
鶏肉の多くは、一先ず獲物を溶かすのに必死らしく、二人には近寄ってこない。
ただ、それでも少なくない数の鶏肉が、新たな餌を嗅ぎ付けて集まってくる。
「走るよりょーちゃん。付いてきて」
「頑張る。道を間違えないでね」
二人はなるべく見通しの良い大通りを選びながら、目的地に向けて移動を開始する。
良太と美鈴は 隣町から高校へと通学しており、ここ春日市にはあまり土地勘がない。二人は入念に地図と地形を照らし合わせ、道に迷わないよう気を付ける。
食料を調達するにあたって、まず目標地点にしたのはホームセンターだ。
普通はスーパーマーケットやコンビニを探すべきなのだろうが、この混乱を生み出した敵は鶏肉である。
まさか鶏肉が地面から生えてきた訳でもないだろうし、きっと食肉工場やスーパーの冷蔵庫から這い出してきたのだろう。生鮮食品を扱っている店に近づくのは危険すぎた。
ホームセンターなら生の鶏肉は置いておらず、また日持ちのする食品や種々の道具なども取り扱っている。物資を集めるには打ってつけだ。だが、
「見えてきた! でも、ちょっと様子が変みたい……」
遠目にホームセンターを捉えた美鈴が、怪訝そうに呟く。
「どんな感じ?」
「えっと、駐車場に車が滅茶苦茶に止めてある。ゲートの所とか横付けしてるし……あと、たぶん自動ドアとか窓ガラスも割れてるみたい」
良太の問いに、美鈴がすらすらと答える。
「ホントだ……ホームセンターは諦めよう」
実際にその光景を目の当たりにした少年は、即座に目標地点を変更した。
二人に先んじて、物資の確保に走った市民たちが大勢いたのだろう。ホームセンター内に物資は残っていないかもしれない。
それに何より、この状況下で他の市民たちと鉢合わせするのは余り望ましくない。
人間の数が多ければそれだけ鶏肉が寄り付きやすくなるし、そもそも市民がこちらに友好的とは限らない。
合流するメリットも勿論あるのだが、とにかくリスクを最小限に抑えるのが良太の方針だ。全ては、少しでも美鈴を危険から遠ざける為に。
「分かった。じゃあ次は薬局だね?」
「うん。西に行ったところにマツ薬局がある。二百メートルも無いよ」
予め行動計画を立てていた二人は、気落ちすることもなく再び道路を走りだした。
最近のドラッグストアは、医薬品の他に食料品も取り扱っていることが多い。
品数や数量は多くないものの、二人が食べる分だけなら確保できるだろう。勿論、医薬品を回収できるのも有難い。
「着いた。僕が先に入るから、スズは後ろを見張ってて」
「了解。りょーちゃんも注意してね」
営業中に災害に見舞われたらしいドラッグストアはシャッターも降ろしておらず、軒先の籠には特売のトイレットペーパーが積まれたままになっていた。
良太はLEDライトを付け、半開きになった自動ドアから慎重に店内を窺う。
「……音はしない。中にアレはいないのかな?」
それでも慎重に、少年はゴミ箱の蓋を構えながら中へと入る。その背後を守るように美鈴も付いて行く。
やはりと言うべきか、ドラッグストアも略奪された形跡があった。食料や医薬品だけでなく、レジスターから現金が抜き取られているのだから、気分が重くなる。
「大丈夫、そうかな……」
店内を一通り巡り、バックヤードまでくまなく調べたところで、ようやく良太は安堵の息を付いた。鶏肉の姿は見当たらない。人が居なかったので、連中も入り込まなかったのだろう。
だが、のんびりしている暇はない。
「手早く済ませよう」
二人はリュックサックを降ろすと、食料品を中心に物資を集め始めた。
略奪に遭ってはいたが、それでも幾らか品物は残っている。
介護用食品や離乳食。お菓子や缶詰にインスタント食品や調味料も見つかった。
医薬品も忘れずに集める。各種薬類に痛み止め、消毒液に包帯、サプリメントなど、役に立ちそうな物は片端からリュックに詰めていく。
「そういえばスズ。さっきの話だけど……」
「え、なーに?」
介護用品の棚を漁っていた良太が、不意に美鈴へと声を掛けた。
「スズが、アレに優先的に狙われてるかもしれないって話」
「あ、うん。やっぱり今日もそうっぽかった。りょーちゃんより、明らかに私の方に寄ってきてたもん」
と、少女があっけらかんと答えた。
どうやら鶏肉は標的にする相手を選んでいるらしい。朝の会議の時に、美鈴はその疑念を良太に伝えていた。
ここまでの移動で、疑問は確信に変わったらしい。
にも拘らず、少女はあまり動揺した様子を見せない。むしろその方が、少年を危険に晒さずに済むと考えているらしい。
「なにか理由があるのかな? 僕とスズにどんな違いが?」
「うーん、なんでだろね」
真剣に考え込む良太に比べ、美鈴は能天気に相槌を打つばかり。少女は何やら健康茶のコーナーを物色しており、品物選びに夢中らしい。
「性別に関係があるのかな。それとも蚊みたいに、何か別の要因で標的を選んでるのかも……」
鞄に食品を詰め込みながら、良太が考えを述べる。
「そりゃあ、僕は痩せっぽちで食い出が無いかもしれないけどさ、アレに視覚があるようには思えないし……」
「ちょっと待って、今の聞き捨てならない。誰の肉がたっぷり付いてるって?」
「あ、いや、そんな意味じゃなかったんだけど……」
会話をしながらも、二人は作業を進めていく。
程なくして、リュックサックは食糧で一杯になった。一か月は持たないかもしれないが、かなりの日数を過ごせるだけの量を確保できた。
「どっちにしても、狙われるのが私の方でよかったよ。でもりょーちゃんも油断しちゃ駄目だからね」
「全然よくないよ。スズが危ないじゃないか」
「……うん。ありがと」
リュックサックを背負い直し、二人は今一度辺りに鶏肉の姿が無いか確認する。
「よし。服屋に戻ろう」
良太がそう告げる。
本音を言えば生活雑貨も回収しておきたかったが、第一目標は達成した。欲をかいて無用な危険を冒す訳にはいかない。
「ごめん。ちょっと待って」
ドラッグストアから出ようとすると、美鈴がそう言って立ち止まった。
彼女はレジカウンターに近寄ると、何やらペンと紙を拝借し、書き物を始める。
自分たちの名前と、物資を拝借した旨を記しているのだ。
この非常事態に、いちいち書置きなどしなくてもいいようにも思えるが、良太は何も言わずに周囲を警戒する。
少女の真っ直ぐな心根が、少年は何よりも好きなのだ。非難などあるはずもない。
「ありがとね。それじゃ、行こっか」
「うん。……ちょっと重いね」
二人はドラッグストアを後にすると、来た道を取って返す。
――事件は、その道中で起きた。