第七話 生きるために
美鈴の目が覚めた時、部屋は真っ暗だった。
窓が無いので自然光が入らないのは当然だが、電気も付いていない。
「う、ううん……」
寝ぼけた美鈴はまだ夜だと勘違いし、布団代わりのコートを体に掛け直すと、ソファの上で猫のように丸くなる。しかし一拍おくと、
「あっ!」
己が置かれている事態を思い出し、弾かれたように起き上がった。
「……悪い夢、じゃなかったんだ」
呆然と呟く美鈴。そんな少女に、
「おはようスズ」
と、椅子に座っていた良太が話しかける。
パッと、部屋に小さな光が灯った。
彼の隣の事務机には、水を入れたペットボトルが置いてある。それを下からLEDライトで照らすことで、即席のランタンを作ったのだ。
「おはようりょーちゃん。……電気、止まっちゃったの?」
美鈴が起き抜けにそう尋ねる。深夜に良太と見張りを交代した時には、部屋の明かりは付いていたはずだ。
「うん。明け方の五時ぐらいだったかな。急に停電したよ」
良太は務めて冷静にそう答える。
鶏肉による被害は夜通し起きていたのだろう。どこかの電線が切られたか、或いは発電所、変電所の人間が避難したのかもしれない。
厄介なのは、停電によってスマホの基地局も停止してしまったことだ。ある程度予期していたとはいえ、情報が遮断されるのは不味い。
ラジオの避難放送はまだ聞けるが、この店舗に受信機は無く、スマホで聞くにはバッテリーが心許ない。
「お店の方に行かない? まだ少しは明るいよ」
良太の勧めで、二人は店舗の売り場へと移動する。
天窓から差し込む光に照らされた一画で、良太と美鈴は並んで座る。
「停電するギリギリまで情報を集めてたんだけど、やっぱり避難所を目指すのは危ないと思う」
朝食代わりのクッキーを食べながら、良太が今後の方策を話し始めた。
鶏肉は人間を探知する能力があるらしく、人口の多い避難所には相当な数が押し寄せているらしい。警察や消防、自衛隊が避難民を護るために尽力しているが、その為に人手を取られ、駆除は遅々として進んでいないようだ。
「じゃあ私たちは……」
「昨日話していた通り、ここに立て籠もろう」
美鈴の問いかけに、良太が決然と答える。
換気扇から入ってきた一匹を除けば、一晩経っても鶏肉の侵入は無かった。
おそらく、鶏肉も少人数なら探知することが難しいのだろう。下手に動くよりは、この店で救助を待つ方が安全だ。
「でも、救助の人が来るまで時間が掛かるんじゃないの?」
と美鈴が問う。先の話からすれば当然の疑問だ。けれど、
「うん。かなり長くなると思う。でも、必ず助けは来るよ」
良太はそう断言する。
根拠は単純である。実際の所、鶏肉は対処可能な脅威なのだ。
鶏肉の危険性は、体表を覆う強酸性の粘膜にある。だが、警察や消防、自衛隊は化学災害に対応する装備、部隊を所持している。
彼らが本格的に行動に移れば、鶏肉は為すすべもなく駆逐されるだろう。
日本全国で災害が起きたため、今は混乱しているだけだ。市民たちの安全がある程度確保されれば、本腰を入れて鶏肉を駆除する筈だ。
それに、海外からの支援も見込まれる。諸外国とて、情報は喉から手が出るほどに欲しているだろう。原因が分からねば、次にこの異常事態が発生するのは自国かもしれないからだ。
長く見積もっても、半月から一か月ほどで災害は収束するのではないか。そう良太は推測する。
「だから、僕らはとにかく此処に籠って、じっと救助を待つ。たぶんそれが一番安全だと思う」
「わかった。りょーちゃんの言う通りにする」
美鈴は覚悟を秘めた面持ちで頷く。家族の安否は心配だが、それよりもまずは自分たちの命が大事だ。ただ、
「でも、それなら食べ物が全然足りないね」
少女は食糧事情がひっ迫していることを告げる。
水道が生きている昨夜の内に、バケツやゴミ箱、ポリ袋などに水は溜めておいた。二人で使う分には、一月やそこらなら余裕で持つだろう。
ただし、この建物には食料が殆ど無い。
見つかったのは店員の私物と思しき菓子や軽食が精々で、どう節約しても三日分にも満たない。
衣料品店だから当然なのだが、これでは籠城は不可能だ。
「そうだね。だから食料を集める必要がある」
打てば響くように良太が答える。美鈴の懸念は、当然彼も抱いていたようだ。
「なるべく危険は冒さない。近場を巡って、僕らに必要な分の物資が集まれば、すぐに戻ってくる」
少年は地図を取り出し、少女の前に広げる。
要領がいいことに、目星を付けた店舗にはペンでチェックが入れてある。
「食事が済めば、すぐ動こうと思う。……それで、いいかな?」
良太はそう言い切ると、思い出したように美鈴の反応を窺う。
「その、勝手に決めちゃったけど、スズは大丈夫? 人手があったほうが助かるけど、怖いなら、僕だけでも……」
少年の柔らかな面差しに影が差す。
一人で話を決めてしまったことを、今更ながらに不安に思っているようだ。だが、
「何言ってるのりょーちゃん。私だけ待ってるなんてできないよ。それに、力仕事なら得意だしね!」
美鈴は弾けるような笑顔で、そう答える。
「……ありがとう。スズ」
良太は透き通るような微笑を浮かべると、少女に礼を述べた。そして、
「じゃあ、さっそく準備しようか。これに着替えてくれる?」
と、何やらパッケージングされた衣類を差し出した。この店舗で売られていたレインウェアである。
「サイズ違いを用意したから、なるべく何重にも着込んでね」
と、良太が告げる。
少年たちが着ていた学生服に比べ、塩化ビニールでできたレインウェアなら酸には格段に強い。靴もブーツに履き替える。手袋は二重に重ね、予備も用意する。
上から下まで隙間なくレインウェアを着込み、最後にリュックサックを背負えば、準備は完了だ。
「あ、暑い。もう汗かいてきた……」
フィッティングルームから出てきた美鈴が呟く。
初秋とはいえ、三重にレインウェアを着込めば当然だろう。同じ格好をした良太も、やや後悔したような面持ちである。
「えっと、後はこれも持っていこうか」
少年は気を取り直し、店舗で見付けたいくつかの道具を並べる。食料の調達の際、あれば便利かもしれないと用意したのだ。
「金槌とかはまだわかるけど、何でゴミ箱の蓋があるの?」
と、美鈴が疑問を呈する。
「いちおう、盾ぐらいには使えると思って」
ゴミ箱の素材であるポリプロピレンも優れた薬品耐性を有している。鶏肉の襲撃から身を守るのに役立つだろう。
「分かった。これでりょーちゃんをばっちり守るね!」
「僕だって、頑張ってスズを守るよ」
明るくそう告げる美鈴に、良太は澄明な覚悟を秘めた表情で応じる。
「「…………」」
偶然、良太と美鈴の視線がばっちりと合った。二人は何やら気恥ずかしそうに顔を見合わせていたが、
「じゃ、じゃあ行こうか。時間も惜しいし……」
「う、うん、そうだね。気を付けようねりょーちゃん」
と、何やら誤魔化すように言葉を発すると、並んで歩き出した。
店舗の通用口まで辿り着く間に、二人の表情が硬く引き締まる。
生き残りをかけた戦いが、今日もまた始まったのだ。