第五話 怪物の襲撃
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拙い小説ですが、是非是非お付き合いいただければ幸いです。
「きゃあああっ!」
「スズ!!」
全ては一瞬の出来事だった。
換気扇の落下によってできた穴から鶏肉が事務所内に侵入し、手近にいた美鈴へと襲い掛かったのだ。
美鈴は反射的に身を反らし、後方へと転倒。
鶏肉は倒れた彼女の胸にべたりと張りついた。
「離れろッこの野郎!」
繊細な風貌からは信じられないような怒号を発し、良太が美鈴へと突進する。
そして少女の胸元に張り付いた鶏肉を両手で掴むと、全力で鶏肉を引き剥がして部屋の隅へと放り投げた。
「スズ、スズ! 大丈夫かスズ!」
いつもの冷静な有様は何処へやら。完全に取り乱した良太は、倒れ伏す美鈴に必死の形相で声を掛ける。
「あ、う、うん……」
一方美鈴は、呆然とした様子ながらも気は確かだ。怪我をした様子も無い。鶏肉が直ぐに引き剥がされたので、制服の胸元が焦げているだけだ。
「りょ、りょーちゃん! その手……」
むしろ怪我をしたのは良太の方だ。
両の掌が赤く爛れている。素手で鶏肉を掴んだ為、酸をまともに受けたのだ。
「僕なんていいんだ! スズは、スズは……」
尚も混乱した様子の良太。だが、美鈴の瞳は視界の隅に蠢く物体を捕らえた。
叩き付けられた棚の上から、鶏肉が這いずり降りてくる。
醜悪な肉塊はずるずると床を這いまわり、再び美鈴の側へと近寄ってきた。
「りょーちゃん退いて!」
叫びながら、美鈴は床に落ちていたタオルを拾う。食器を拭くのに使っていた物だ。
同時に、顔面へと飛びかかる鶏肉。
美鈴はタオルを広げて、これを受け止めた。そして、
「布持ってきて! 早く!」
器用に鶏肉をタオルで巻くと、立ち上がって足で踏んづける。
鶏肉は動きこそ機敏だが、力はさほど強くない。押さえつければ簡単に動きを封じることができる。そして酸こそ強力だが、一度に分泌できる量には限りがある。布で巻いてしまえば暫くは無力化できる。
「こ、これでいいかい!?」
美鈴の意外な剣幕に正気を取り戻した良太は、慌てて事務所内を探し、店員が脱いたと思しきカーディガンを持ってくる。
「よくもりょーちゃんをッ!」
眦を吊り上げた美鈴は、鶏肉をさらにカーディガンでくるむと、台所の棚を開けアルマイトの鍋を引っ張り出した。
そして布に包まれた鶏肉を鍋に叩き込むと、コンロを点火し、割り箸に火をつけた。
「燃えちゃえ」
いっそ冷厳ともいえる眼差しで、美鈴が鍋に火のついた割り箸を投げ入れる。
当然カーディガンは直ぐに燃え出し、異様な匂いと煙が立ち込めた。
鍋から火柱が立ち上り、ぼす、ぼすと鍋が揺れる。鶏肉が抵抗しているのだ。
だが、美鈴は皿を何枚か取り出すと、布きれの上に重石として放り込む。
「な……」
一連の鮮やかな手並みを、良太は茫然と眺めるばかり。
あの明るく優しい少女が、ここまで苛烈な形相を見せたのは初めてだ。
程なくして鍋は動かなくなり、火柱も徐々に衰えてきた。
美鈴は鍋をコンロに掛けると、駄目押しとばかりに中のモノが炭になるまで空焼きを始めた。
× × ×
「なるほど。全体を焼けば流石に動かなくなるんだ」
黒こげになった鶏肉を箸で突きながら、良太はそう独りごちた。
美鈴によって処理された鶏肉はもはやピクリとも動かず、体表を覆っていた強酸性の粘膜も消えてしまった。包丁で二つに断ち割ってみれば、中の方はまだピンク色を保っている。どうやら表層部分を焼いてしまえば活動不能になるらしい。
「ちょ、ちょっとりょーちゃんなにやってるの! じっとしてないと駄目じゃない!」
鶏肉を検分する良太に、美鈴が非難めいた声を上げる。
少女は換気扇の穴を塞いでいる真っ最中であった。
換気扇は接合部を酸で溶かされて脱落したらしく、とりあえずサイズの似た電子レンジを突っ込み、隙間を布きれで塞いでガムテープで固定しておく。
鶏肉はそこまで力がないので、重たい電子レンジを動かすことは難しいだろう。これで恐らく安全だ。
「えっと、待っててね。さっき何処かに救急箱あったから」
怪我を負ったにも関わらず、ごそごそと鶏肉の残骸を弄る良太に、美鈴は慌てて事務所の棚を引っ掻き回し始めた。
「でもちゃんと洗ったし、そんなに大げさにしなくても……」
「私が心配なの!」
良太の両手は、鶏肉を素手で掴んだことで化学火傷を起こしていた。
すぐさま大量の水で粘膜を洗い流したが、掌は赤く爛れ、水膨れを起こしている。
ほんの少しの接触でこの被害。顔にでも張り付かれれば、直ぐにでも命を落としてしまうだろう。
「あ、あったあった!」
救急箱を引っ張り出してきた美鈴が、有無を言わさず良太の治療に掛かる。
「痛っ……」
「あ、痛かった? ごめん!」
「いや、ありがとう」
患部を殺菌し、ワセリンを塗布。その後に清潔な包帯を巻きつける。化学火傷のため予断は許さないが、一先ず出来る限りの処置を施す。
慣れない医療行為を、それでも美鈴は丁寧に慎重に進めていく。
無惨な傷口に怯むこともなく、少女の目は真剣そのものだ。
「…………」
処置をされている間、良太は顔を朱に染めて俯いている。美鈴に掌を触られているのが、恥ずかしいらしい。
「その、もう少し静かにしてようか。鶏肉が何に反応して入ってきたか分からない。光か、振動か、ひょっとしたら匂いを嗅ぎつけたのかもしれないし……」
羞恥を誤魔化す為か、良太が所見を述べ始めた。
人喰い鶏肉について、分かっていることは殆ど無い。
そもそも食肉処理された鶏肉が、なぜ動き回っているかも明らかではないのだ。
何が目的で人間を襲うのか、どのように獲物を感知しているのか。そしてどの程度の時間活動することができるのか。諸々の情報が足りていない。
敵の正体を探らなければ、この先危険は増すばかりである。
美鈴の活躍のお蔭で熱が有効なのは明らかになったが、常に鶏肉を焼くだけの火を持ち歩くのは難しい。
一先ず、この情報だけでもネットに上げておこうか。自分たちには無理でも、自衛隊や警察、消防の役には立つかもしれない。良太がそんなことを話していると、
「……りょーちゃん、ごめんね」
美鈴が消沈した面持ちで呟いた。
「え、どうしたのスズ。別に痛くないよ。いや、痛いけど、随分楽になったよ」
急に謝りだした美鈴に、慌てて強がりを言う良太。
だが、少女は首を横に振ると、
「私、りょーちゃんに頼ってばっかりだ。一人じゃ何にも分からないし、決められないし……それにさっきだって、私がぼんやりしてたから、こんな怪我させちゃって」
訥々とそう語りだす。
騒動からこちら、美鈴はずっと良太に付き従って行動してきた。重要な判断は全て彼がしてくれて、自分は付いてきただけなんだと暗い声で話す。
「……そんなことないよ。スズが居てくれなかったら、僕一人じゃきっと直ぐにやられてたと思う。ほら、僕は体力も無いし、のろまだから。――さっきだって、アイツをやっつけたのはスズじゃないか」
落ち込む美鈴を、良太は朗らかな笑みを浮かべて慰める。
「大変な一日だったし、弱気になるのも分かるよ。でも、スズは元気が取り柄だろう?」
「うん……」
少年が励ますも、少女はまだ浮かない顔をしている。
「りょーちゃんはすごいね。それに比べて私はぜんぜんダメだ。りょーちゃんみたいに強くなれないよ……」
美鈴は弱音をそう吐いて、項垂れる。
良太はそんな少女を愛おしげに眺めながら、言葉を紡ぐ。
「そんなことない。僕だっていっぱいいっぱいだよ。今でも怖いし、正直泣き出したい気持ちもあるよ。でも――」
そこまで言いさして、少年は後の言葉を呑み込んでしまった。
――スズがいるから、頑張れるんだ。
心の奥底に秘めた恋情を伝えるのは、流石に気恥ずかし過ぎた。
それにこの緊迫した状況下で思いを告げるのは、些か不本意である。ただ、
「あ、えっと、……りょーちゃん?」
滾る思いは、自然と身体を動かしていた。
いつの間にか良太にしっかりと手を握られ、美鈴が顔を真っ赤にする。
「え? ――あ、ご、ごめん!」
少年が慌てて手を離すも、少女は頬を紅潮させたまま俯いている。
ただ、先ほどまでの塞いだ空気は何処にもない。
「もう! 怪我人なんだから、あんまり手を使っちゃ駄目だよ」
美鈴はようやく顔を上げると、照れ笑いを浮かべながら良太を優しくたしなめた。