第四話 仮初の安息
日没寸前に、美鈴と良太は避難場所を見つけることができた。
彼らが飛び込んだのは、全国に数百店舗を構えるファストファッションの直営店である。
郊外によくあるタイプの、前面に広い駐車場を備えた一戸建ての大型店舗だ。
騒動の影響を受け、営業は取りやめている。正面の自動ドアはシャッターを降ろし、「本日休業」の張り紙が貼ってあった。
だが、店員もよほど慌てて避難したのか、搬入口の鍵が開けっ放しになっていたのだ。
この手の建物は、正面の自動ドア以外に殆ど開口部が無い。おそらく鶏肉も衣服には興味を示さないだろうし、隠れ潜むなら最適と思われた。
「気を付けてねスズ。耳を澄ませて音を聞くんだ」
幸い電気はまだ通じており、照明は付いた。
二人は無人の服屋の中を練り歩き、鶏肉の姿がないか慎重に探る。
「平気っぽい、かな? 全然静かだけど……」
「うん。溶けたような場所も見当たらないし、中には居なさそうだ」
店内の安全を確認した二人は、改めて侵入されそうな箇所が無いか点検し、危険が無さそうだと判断すると、ようやく安堵の息をつく。
「ふう。大変だったねりょーちゃん」
「うん。スズもお疲れ様」
バックヤードの事務所に勝手に上がり込み、二人は並んでソファに腰を据える。
僅か数時間程度の移動ではあったが、五体満足でいられるのが信じられないほどの危険を潜り抜けてきたのである。
こうして安全を確保できたことで、二人は急速に疲労を感じ始めていた。だが、
「駄目だ。酷く重い」
良太は暫くスマートフォンを弄っていたかと思うと、直ぐに立ち上がり、事務所内を捜索し始めた。
「有線なら少しはマシかも」
そして事務机の上にあったパソコンを立ち上げる。
電力が生きているうちに、何は無くとも情報を集めなければならない。
「あ、そうだ。私もお父さんたちに連絡しなきゃ!」
そして美鈴も思い出したようにスマホを取り出し、両親の安否を確かめる。
幸いにして、水道や電力、通信といったインフラはまだ止まっていない。とすれば、この騒動は局地的な現象ではないのか。
「っ……」
しかし、良太の希望的な観測は、ものの見事に打ち砕かれた。
ネットを見れば、人喰い鶏肉によるニュースで持ち切りだ。この騒動は、日本全国で同時多発的に起こっているのだ。
警察、消防の手には負えず、政府は特別災害対策本部を設置し、自衛隊まで動員して鶏肉の駆除活動を行っている。
だが、余りに数が多く、また危険性が高いために処理は難航しているらしい。
市民はなるべく頑丈な部屋に閉じこもり、外に出ないようにと指示が出ている。
「うん……うん……私は平気だよ。りょーちゃんが一緒に居てくれてるもん」
事務所の隅で、美鈴が両親と電話をしている。ただ、回線状態が悪いのか、暫くして通話は切れた。なおもスマホを弄っているところみると、LINEでの会話に切り替えたらしい。
「……」
良太の方は、家族と連絡を付けるよりも情報収集に夢中である。
不幸中の幸いなことに、彼の両親は知人の結婚式に出席するために海外に行っている。鶏肉騒動は日本国内でしか起きていない為、両親は無事に違いない。勿論息子のことは心配しているだろうが、今は自分の安全を確保するので精一杯である。
「よかった、お父さんもお母さんも無事だって! 会社の人たちとビルに立て籠ってるらしいの。ホントによかったよ~!」
と、美鈴が涙声で話しかけてくる。
良太は微笑みを浮かべて同意しながらも、マウスを動かす手を休ませない。
「……りょーちゃん。大丈夫?」
「え、ああ、うん。平気だよ」
すぐ深刻そうな顔に戻った良太に、美鈴が優しく話しかける。
少年は反射的に虚勢を張るが、一拍おいてため息をつくと、
「いや、調べるほどによくない話ばかりが出てきて……これ、かなり長引くかもしれない」
と、調べた情報を美鈴に話し始めた。
政府は活動しているが、県庁レベルではかなり混乱しており、自治体規模では殆ど壊滅状態である。避難場所が安全かどうかは確証がなく、当然食料や水の配給も行えていない。
肝心の人喰い鶏肉については、まだ政府の公式見解は出ておらず、情報は殆どない。
ただ、市民が上げたネットの情報を統合することで、ある程度の特性は見えてきた。
強力な酸を分泌し、木材や金属を溶かす事。
執拗に人を襲い、僅かな隙間から建物へ侵入してくる事。
物理的な衝撃に強く、切断したり叩き潰したりしても容易に活動を再開する事。
どれもこれも、信じがたいような情報であるが、実物を目の当たりにした良太としては、納得する他ない。
これらの特性を備えているとすれば、自衛隊でさえも処理に手古摺るのは当然だろう。
事態が収束するまでに、一体どれほどの被害者が出る事か。
「一先ず、近くの避難所を探したよ。ただ、何処も結構遠いね。歩きだと危ないかも……」
説明を続ける良太は、明らかに疲れ切った様子だ。
只でさえ気力体力を消耗しているのに、先行きまで不透明とあってはストレスも相当だろう。
「うん。わかった。――でも、まずは何か食べない? お腹減ってると気が滅入ってくるもん」
少年の心労を察した少女は会話を中断すると、務めて笑顔を見せながら、事務所の冷蔵庫をガチャリと開けた。
昼を過ぎていたため食料は殆ど無いが、買い置きの調味料や瓶詰がある。他に台所を漁っていると、幾らかインスタント食品も出てきた。
「勝手に食べるのはまずくない?」
勝手に事務所の機材を使っていることは棚に上げて、良太が窃盗を非難する。
「緊急避難? ってやつにならないかな。後でごめんなさいすればきっと大丈夫。あ、お詫びに今度、服を買いに来ようよ。――その時は、りょーちゃんも付き合ってね」
すると、美鈴は晴れやかな笑みを浮かべてそう応える。
少女は腕まくりをすると、鼻歌交りに簡易キッチンに立つ。
程なくすると、事務所に美味しそうな匂いが漂ってきた。
「は~いできました。今日のお夕飯はホタテの味噌雑炊でーす」
美鈴はお盆に二人分の茶碗を乗せてやってくる。
パックのご飯と缶詰、それにインスタントの味噌汁を使ったのだろう。簡単だが、胃に優しく温まる料理だ。
「ありがとう」
良太は礼を言って茶碗を受け取ると、早速箸を付ける。
「ああ……」
香しい香りが鼻孔を抜け、滋味豊かな味が舌の上に広がる。
柔らかく暖かな雑炊を嚥下すれば、冷え切った胃の腑が徐々に温まっていくのを感じる。
美鈴の思いやりが形になったかのような、素晴らしい料理だ。
「美味しいよ。ほんと、スズは料理上手だね」
「ありがとう。へへ、もっと褒めていいよ!」
二人はゆっくりと食事を味わいながら、身体を休める。
そうして腹に物を入れると、いく分気分も前向きになってきた。
良太と美鈴は、今後の方針をあれこれと話し合う。
避難所に向かうか、それとも物資の潤沢な場所で籠城するか。
何れにせよ候補地を選定して、移動ルートを決めなければならない。
食事によって活力を取り戻した二人は、熱心に相談を続けた。そして、
「別に洗い物はしなくてもいいんじゃない?」
「え~それはいくらなんでも失礼でしょ。勝手に台所使わせてもらったのに」
流しに立つ美鈴に、良太が話しかける。
少女は几帳面にも、食事に使った食器を洗っているのだ。
「まあ、それもそうだね」
と、良太は苦笑を浮かべてその背中を見る。
快活な余り、時折粗野な事を仕出かすこともある美鈴だが、どうしてこういった事には丁寧で卒がない。良太はそんな少女の一面も、とても好ましく思っている。
満ち足りた気分で美鈴を眺める良太。
大切な少女の姿を見ていると、昼間の地獄絵図が性質の悪い夢であったかのようにさえ思えてくる。
だがその時、良太の視界に異変が起きた。
奇妙な音と共に、壁付けの換気扇が内側へと落ちたのだ。
そして現われたのは、ピンク色の肉塊だ。
人食いの鶏肉はぶるぶると身体を震わせると、驚愕の表情を浮かべている美鈴へと飛びかかった。