第三話 街を走って
市街地は既に、鶏肉によって侵略されていた。
道路の至る所に蠢くピンク色の肉塊。それらが倒れ伏す人間を覆いつくし、また店舗や民家の壁にへばりついている。
そして鶏肉の一つが、新たな獲物へと敏捷な動きで飛びかかった。だが、
「こんのっ! あっち行け!」
気合とともに振るわれた箒は鶏肉を見事に打ち据え、街路の植え込みへと吹き飛ばす。
鶏肉を見事に撃退したのは、学校から逃げ出した美鈴だ。
「りょーちゃん大丈夫!? 付いてこれる?」
「な、なんとか」
背後を振り返った少女は、肩で息をする良太に問いかける。
格好よく少女を連れて走り出した少年ではあったが、如何せん体力が追い付かず、程なくして限界が来た。
「こいつらいっぱいいるよ! 気を付けて!」
一方、最初こそ醜悪な肉塊に動揺していた美鈴だが、もとより根性の座った彼女は直ぐに立ち直ると、逆に良太を守るために奮闘を始めた。
「スズ、右から来てる!」
「――分かった!」
ラクロスで鍛えた動体視力と反射神経で、美鈴は群がる鶏肉を片っ端から撃ち返す。
見た目通り、肉塊は然程の重さではない。また動きが早いといっても、走る人間には到底追いつけない。落ち着きさえすれば、何とか対処することはできる。
「箒がちょっと溶けてきてる! あんまり長くは持たないかも!」
むしろ厄介なのは、鶏肉が纏っている粘性の液体だ。
鶏肉は極めて強力な酸を分泌している。これで人間を溶かし、取り込んでいるらしい。
見れば、民家の木戸や窓枠の一部に欠けているところがある。鶏肉が侵入した痕だ。中の人間がどうなったかは考えたくも無い。
「みんな、無事に逃げられたのかな……」
道路を走りながら、美鈴がそう呟く。
学校に侵入してきた鶏肉の群れによって、生徒たちはパニックに陥った。
教師の制止も効果がなく、皆はバラバラに逃げ惑った。混乱していた美鈴は良太に連れられて学校を離れたが、果たしてあそこはまだ避難所として機能しているのだろうか。
友人たちを見捨てて逃げ出したことに、少女は後ろ髪を引かれる思いである。だが、
「……今は、目の前のことだけを考えよう。辛いけど、じゃないと危ない」
良太が冷静にそう諭す。彼とて動揺は同じだが、美鈴を危険から遠ざけようという一心で平静を保っている。
「警察署って、大通りに出たところだよね?」
「うん。もうすぐ見える筈なんだけど……」
学校から逃げ出した二人は、ともかく安全な場所に避難しようと警察署を目指していた。
何度か民家に助けを求めたが、住民は居留守を決め込んで出てこない。周りが人を襲う肉塊だらけなのだから、それも仕方のない対応ではある。
「あった、あそこだ! って、え……」
危険極まる道中を何とか切り抜け、二人はようやく目的地付近までやってきた。
しかし、警察署を見付けた美鈴が、困惑した声を出す。
「な、そんな……」
良太も絶句する。見れば、警察署の近辺は惨憺たる有様となっていた。
市民たちが避難の為に乗って来たのだろうか。道路や歩道を埋め尽くすように車両が止まっている。
けれど、彼らの多くは警察署には入れなかったらしい。車両の合間には夥しい人が倒れている。
そしてやはりと言うべきか、それらの人間にはピンク色の鶏肉が張り付いていた。
警察署からは拡声器で何事かを叫ぶ声が聞こえる。まだ中に人は居るのだろう。
しかし、とてもではないが近づける状況ではない。
「……駄目だ。ここを離れよう」
「で、でも……」
「いいから行こう」
いち早く見切りをつけた良太が美鈴の手を引く。
警察署に逃げ込むのは無理だ。別の避難場所を探さねばならない。
そして来た道を戻ろうと踵を返した時、パンパンと爆竹を鳴らしたような音が聞こえた。
「え、なに今の音……」
「……発砲してるんだ。流れ弾が危ない。近づかない方がいい」
警官たちも必死に応戦しているのだろう。ただ、とかく武力行使に制限のある彼らが躊躇なく発砲しているのなら、余程追い詰められていると考えるべきだ。
避難民にまで気を回している余裕はないだろう。
「けど、じゃあ何処に行けば……」
美鈴が不安気に問う。
頼みの綱であった警察署がこの惨状だ。そして悪いことに、そろそろ日が傾きつつある。
九月も終わりに差し掛かろうという時期だ。あっという間に夜が来るだろう。
「どこか、頑丈で安全な建物を探そう。今日はもう動かない方がいいと思う」
避難計画がとん挫し、胸中暗澹たる思いであった良太だが、それでも少女の前では気丈に振る舞う。
二人はにじり寄る鶏肉を避けながら、暮色の迫る街を駆け抜けた。