最終話 今日も、明日も
漬けダレから上げたぶつ切りの鳥もも肉に、少量の小麦粉をまぶす。それから片栗粉を薄らとまんべんなく付け、中温の油の中へ。
三分程度でバットに上げたら、しばらく置いて余熱で中まで火を通す。
その後、高温の油で二度揚げへ。外側がこんがり狐色になれば、唐揚げの完成だ。
「りょーちゃん、出来た分から持っていって」
「うん。美味しそうな匂いだ」
東京は中央線沿いにあるアパートの一室で、九条良太と山城美鈴は夕食の準備の真っ最中であった。
大学入学を機に上京した二人は、ルームシェアで新しい生活を始めていた。勿論、互いの両親には了承済みである。
「テレビ、今日はグロブの話しかしてないや」
「早いもんだよねぇ。あれからもう三年かあ……」
賑やかしにつけているテレビでは、三年前に日本全国を襲ったグロブ事件、通称鶏肉災害についての特集番組が流れていた。
犠牲者への追悼式から始まり、事件の発生から終息までの経緯、そして現在に至る各方面への影響を、各社が朝から延々と報道している。
「も~! りょーちゃん見てないなら消しといて! これから唐揚げ食べるんだよ?」
「いや、ひょっとしたらスズのあの映像が流れないかなって思って」
「それが嫌なの! 見たいならスマホで見ればいいじゃん!」
エプロン姿の美鈴が、菜箸を振り上げてぷりぷりと怒る。
彼女が言うのは、災害時にネットに掲載されたとある映像だ。
「あ、出た」
「嘘!? 消して消して!」
テレビに映っているのは、レインウェアを着たポニーテールの少女だ。彼女はグロブの跋扈する危険な路上へと、画面手前から颯爽と走っていく。
だが、ピンク色の肉塊は少女を無視し、周りをうぞうぞと這いずり回るのみ。
そして少女はクルリと一回転すると、両手を広げてこう言うのだ。
「皆さん! 柿葉茶を飲んでください! 鶏肉に狙われなくなります!」
この映像は、柿葉茶に人体に残留したプリザーブXのデトックス効果があると判明した際、良太と美鈴が自衛隊と協力して撮影したものだ。
――三年前。工場から脱出した二人は、無事に自衛隊の駐屯所へと辿り着いた。
そこで基地司令に事件の概要、すなわち鶏肉を動かす粘菌の存在と、プリザーブXとの関係性、そして柿葉茶を飲んだことの影響を事細かに説明した。
すぐさま情報は全国の警察、消防、自衛隊へと伝達され、その後のグロブの駆除、市民の避難活動に大きな貢献を果たしたのである。
特に、柿葉茶によるグロブの無害化は、人命救助に絶大な効果があった。
美鈴をモデルにした広報映像も、市民に分かりやすく効能を伝えるためのものだ。
ただ、動画が爆発的に再生されてしまったため、美鈴の顔は全国に知れ渡ってしまった。「柿葉ちゃん」などというあだ名が付けられ、三年たった今でも、時折他人にばれてしまうことがある。
「ぎゃー止めて見ないで!」
「うん。何回見ても可愛い」
唐揚げを菜箸で回しながら悲鳴を上げる美鈴に、良太は満足げな様子でうんうんと頷く。
――二人が自衛隊に保護されてから一か月ほどで、鶏肉災害は終結した。
強烈な酸を纏い、執拗に人間を追いかけ、犠牲者を糧に巨大化し、際限なく分裂を繰り返すグロブを相手に、当初は政府機関も苦戦し、災害の長期化は免れないと考えられていた。
だが、初期に無力化の手段が判明すると事態は一変。柿葉茶を市民に配布し安全を確保すると、政府機関は一斉に駆除へと乗り出したのだ。
諸外国からの支援もあり、グロブが駆逐されるまでにそう時は掛からなかった。
「……でも、本当によく助かったよ」
テレビを見ながら、ぽつりと良太が呟く。
鶏肉災害では、最終的に十万人を超える犠牲者が出た。怪我人はその数十倍。日本史上に残る激甚災害、それも人災である。
幸いにして二人は早期に保護され、美鈴の両親も無事であった。
だが、彼らが通っていた春日高校では、多数の学生が犠牲になった。災害終結後には別の学校と統合になったほどだ。
一つ間違えれば、自分たちも命を落としていたかもしれない。
良太と美鈴は犠牲者たちを悼み、己の生に感謝する。
「……うん。あ、唐揚げできたよ! 熱いうちに食べよ?」
しんみりした空気を入れ替えるように、美鈴が明るくそう告げる。
良太はテレビを消すと、食器の配膳を手伝う。
程なくして、座卓には山盛りの唐揚げと炊き立てのご飯、それに味噌汁とレタスサラダが並んだ。
「「いただきます」」
そうして食事を始めた二人。
揚げたての唐揚げを頬張れば、さっくりとした歯ごたえの後に、火傷しそうなほどの肉汁がたっぷりと溢れ出す。
肉は味わい深く、柔らかくも弾力が凄い。噛めば噛むほどに旨味が溢れてくる。
「おばあちゃんから送ってもらったお肉なの。美味しいでしょ? 地鶏だよ」
と、美鈴が自慢げに話す。
鶏肉災害以後、日本の、いや世界の食糧事情は大きく変わった。
食鳥業界が壊滅的なダメージを受けたのは当然だが、全ての食べ物に対して、国際規模での見直し運動が起こったのだ。
不法な薬剤の使用による災害は、どんな食材でも起こり得る。
安全な食べ物を、安定して供給するにはどうすればいいか。地球全ての人間が、この問題に真正面から向き直ったのだ。
結果として食料品はやや高騰したが、却って食文化は広がりを見せている。
生産者から消費者までが、食べることを意識するようになったのだ。
「……やっぱり、人の味覚って変わるんだね。唐揚げ、すごく美味しいよ」
食事を勧めながら、良太が感慨深げにそう呟く。
三年が経ち、良太も随分と大人らしい体格になった。
その為か、以前は苦手だった油ものや肉類もある程度なら食べられるようになり、その味わいには虜になった。
「そうだねぇ……私だって、お野菜結構食べるようになったし」
そして美鈴も、疎遠にしていた野菜を積極的に食べるようになった。肉類が好きなのは相変わらずだが、今では野菜料理にも凝っている。
「これって嬉しい事だよね。色んな食べ物が楽しめるようになるんだもん」
と、美鈴が笑顔で言う。
味覚が広がれば、世界が広がる。世の中には様々な食べ物があり、それを育んできた文化があるのだ。
「美味しかった。御馳走様」
「はい。お粗末様でした」
そうして食事を終えた良太と美鈴は、仲良く後片付けをすると、並んで居間に座ってテレビのザッピングを始めた。喫しているのは、もちろん柿葉茶である。
報道特番も終わり、バラエティ番組が流れる時間帯だ。
昨今のグルメブームを受け、お笑い芸人がリポーターとなって色々と目新しい料理を紹介している。
賑々しく紹介されているのは、都内に新しくできたケーキ屋だ。
「あ~これ絶対美味しいやつだ! 明日お休みだし食べに行こっか?」
宝石のように輝くケーキを見て、美鈴が思わず声を上げる。
そんな彼女を愛おしげに眺めながら、
「この間は行列が長すぎて引き返したよね」
と、良太が苦笑する。すると、
「う~ん。ここも絶対混むよねぇ……じゃあ、明日は何が食べたい?」
美鈴は花が咲き誇るような笑顔でそう問うた。
食べる喜びは、生きる喜びに。生きる喜びは、愛する喜びに。
今日も、明日も、その先も、彼らは物を食べ続けていく。
全ての命と、それに携わった人々に、感謝と喜びを捧げながら。
チキン・オブ・ザ・デッド 完
お付き合いいただき有難うございました。
またお目にかかることができれば幸いです。




