第二話 這い寄る鶏肉
それぞれの教室に戻ってきた生徒たちは、教師の指示に従って体育館へと移動させられた。
全校生徒が集まり、人いきれがする体育館。教師たちは慌ただしく校舎へ出入りを繰り返し、しきりに小声で相談をしている。
依然として、集合させられた理由は説明されていない。
最初は何事かと神妙にしていた生徒たちも、だんだん緊張が解けてきたのかお喋りを始めた。
「どうしたんだろ? 先生たち怖い顔してる」
美鈴が不安気に良太へと話しかける。明朗快活だが、根は繊細で優しい少女である。ただ事ならぬ様子の教師たちを心配しているのだろう。
「……どこか近くで、大きな事件か事故があったのかもしれない。こういう時って、連鎖的な被害が出ないように生徒を集めるらしいよ。今、安全確認をしている最中だと思う」
と、良太は理性的に事態を分析する。そして、
「大丈夫。たぶんウチの学校は関係ないんじゃないかな。そのうち早く家に帰るようにお達しが出るよ」
美鈴を安心させるため、務めて楽観的な展望を述べる。
――だが、その後一時間以上経っても、生徒たちは解放されなかった。
最初は不平不満を述べていた生徒たちも、事態の深刻さを理解したのか大人しく座っている。
何しろトイレに行くにも教師が随行し、勝手に校外へ出ないよう見張るのだ。いったい何が起きたと言うのだろうか。
「……ねえ、外の様子って分からないかな」
「難しいと思う。先生にスマホが見つかったら取り上げられかねないし」
不安そうな美鈴に、良太が困惑したように答える。
実際問題、ここまで説明が無いのは彼にとっても不可解であった。
例えどんなに衝撃的な事件が起きたのだとしても、情報は小出しにでも開示せねば無用の混乱を招く。人間、判断材料が無い状態が最も危険なのだ。
「ひょっとして、先生たちもまだ事情が分からないのかも……」
良太がそう呟く。
考えられるとすれば、教師たちもまだ事件の概要を把握できていない可能性だ。
だが、ネット全盛の現代でそんなことがあり得るのだろうか。
答えの出ない問いかけに少年が頭を悩ませる。とその時、体育館に変化が起きた。
「あれ、誰か出てきた。お巡りさん?」
見れば、青い制服を着た警察官が、教師と共に壇上へと姿を現していた。
如何にも謹厳そうな中年の警官は、教師と小声で会話した後、手にしたマイクのスイッチを入れる。
「皆さん。私は春日市警察署の権田です。今朝から、市内に狂暴な野生動物が出たとの通報が相次ぎました。ただいま、警察と消防が合同で駆除に当たっています。申し訳ありませんが、安全が確認されるまで皆さんには校内で待機をお願いします」
と、生徒に向けて説明する。
受け取り方は様々だ。それなら仕方がないと納得する者もいれば、早く帰らせろと愚痴を並べる者も出てくる。だが、
「死傷者が多数出ているとの情報もあります。外は大変危険です。皆さん。先生方の指示をちゃんと聞き、勝手な行動は慎んでください」
権藤は峻厳な面持ちで言葉を続ける。
死者が出たとの説明に、騒いでいた生徒たちも流石に息を呑んだ。
そして、権藤の後に続いて校長が説明を行う。
曰く、保護者には順次連絡しているとの事。
安全のために警官が何名か学校に駐屯する事。
駆除が長引けば生徒を学校に泊まらせる可能性もある事。
また、広域指定避難場所として学校を開放するかもしれないとの事。
「……そんな事件が起きてたんだ。お父さんとお母さん大丈夫かな?」
校長の長話を聞いているうちに、生徒たちも徐々に落ち着きを取り戻していった。
美鈴は胸に蟠る不安を払しょくするかのように、気楽な調子で良太に話しかける。
「でも学校に泊まるってなったら、ご飯とかお風呂どうするんだろうね。警察の人が持ってきてくれるのかな。あ、それとも防災用の非常食とか? あのパックに入ったご飯、一度食べてみたかったんだ」
「…………」
だが、少年は渋面を浮かべて黙りこくっている。そして、
「何の動物が出たかも教えてくれないなんて、いくらなんでもおかしいよ。……ひょっとして、思った以上に危険な状況なのかも」
と、美鈴にだけ聞こえるように語りかけた。
「え、怖い事言わないでよ。でも、お巡りさんも居るんだし、学校が安全なのは間違いないでしょ?」
「うん。それはまあ、そうだけど……」
縋るように美鈴が尋ねる。良太としても確証の有る話ではないため、言葉を濁さざるを得ない。
やがて校長の話が済むと、生徒たちは一先ず自分の教室で待機することになった。勿論外には出られないが、校舎の中なら多少はうろついてもいいらしい。
二時間近く拘束された生徒たちは当然大喜びだ。クラス単位で体育館から退出するのを、今か今かと待ちわびている。
――そして良太と美鈴のクラスが校舎へと戻る時、異変は起きた。
「う、うわあぁぁああっ!」
喉の奥から迸るような絶叫。
校舎への渡り廊下を歩いていた良太たちは、怪異の正体をつぶさに目の当たりにすることになった。
「な、なに、あれ……」
恐怖に後ずさりしながら、美鈴が呻く。
彼らの視線の先。グラウンドの隅で、奇妙な人型が踊っている。
所々見える青い服に、帽子を被った姿は警官らしい。
警官の体にはピンク色をした肉片のような物体が複数張り付いている。
悲鳴を発していた警官が倒れた。のみならず、地面を転げまわっている。肉片を引き剥がそうとしているのだ。
だが、肉片は一向に警官から離れない。
そのうちに、悲鳴は途絶え、倒れ伏した男は動かなくなった。
「うそ……え?」
生徒たちは皆、忘我の面持ちで目の前の光景を凝視する。
けれど、彼らに呆けていられる時間は無かった。
「何か来る!」
良太が鋭く叫ぶ。
見れば、校舎の外縁部から次々にピンク色の肉片が現れ、イモムシのような蠕動運動でグラウンドを横断しようとしている。
大人が歩くほどの速度だ。百を超えた肉片が、次々に体育館へと殺到する。
近付くにつれ、物体の輪郭がはっきりと見えてきた。
――それはまさしく、鶏肉であった。
日頃よく目にする腿肉や胸肉、手羽などといった部位が、意思を持っているかのように動いているではないか。
ともすれば、コメディー映画のような滑稽な情景。だが、それだけに異常さが際立つ。
アレは、人間に害を為す存在だ。
そう確信した良太は、思わず美鈴の手を掴んでいた。
「逃げるよスズ!」
返答を待たずに良太は走り出した。
あの恐ろしい鶏肉から逃れるために、大切な少女を護るために、少年は息を切らせて走り続けた。