表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/20

第十五話 凶刃

 薄暗い室内に、振り抜かれた包丁が鈍い光芒を描く。

 小崎が突如として、手にした肉切り包丁で良太を斬りつけたのだ。


「う――」


 首筋目がけて迫る刃を、良太は反射的に腕を上げて防ごうとした。


「ッ……」


 凄まじい衝撃が腕と身体に走り、少年はバランスを崩して後方に転倒する。

 左腕が痺れて感覚が無い。見れば、レインウェアから鮮血がしたたり落ちている。


「う、痛ぁ……」


 傷口を確かめると、途端に灼熱感と激痛が良太を襲う。訳の分からないまま小崎に襲われたことで、頭は酷く混乱していた。だが、


「クソ! 大人しくしろ!」


 少年は苦痛に泣き叫ぶことさえ許されない。

 先の攻撃で仕損じた小崎が、再び襲い掛かってきたからだ。


「うわああぁぁぁっ!」


 刃物を振りかざし凄まじい形相で迫る男に、良太は腕の痛みも忘れて逃げ出す。

 颯、と空を裂く音。

 小崎の振るった二撃目が、背中のリュックサックを切り裂いた。


「――なん、なんで!?」


 パニックに陥りながらも懸命に逃げる良太。

 小崎は明確な殺意のもと、その背中を追いかける。


「くっ……」


 物が散乱した床を踏み越え、事務所のドアを体当たりするように開ける。

 そしてそのまま廊下を疾走し、事務棟の外を目指す。


 後ろにはぴったりと小崎がくっついてきている。

 良太はあまり運動が得意ではない。成人男性の脚力から逃げ切るのは不可能だ。


 それでも少年は懸命に走り続け、事務棟の正面扉から外へ出た。

 途端に、少年の瞳が驚愕に見開かれる。


「グロブ! そんな――」


 フェンスを乗り越え、焼き溶かし、或いは隙間から身をねじ込んだのだろう。

 施設の敷地内には、ピンク色の肉塊が多数這いずり回っていた。


「待て!」


 背後から小崎の怒声が聞こえる。

 少年は躊躇なくグロブ目がけて走り出した。

 グロブは良太を狙わない。追跡を躱すのに格好の盾になる。だが、


「な――!?」


 こちらを無視するだろうと思われたグロブたちが、なぜか一斉に少年目がけてにじり寄ってくる。

 そこで初めて、良太は己の失策に気付いた。


「しまった! 鞄が……」


 慌ててリュックサックを降ろしてみれば、裂け目から白い粉が漏れている。

 小崎が包丁で切り付けたために、プリザーブXの保存容器が破損したのだ。


「くっ!」


 今にも飛びかからんと迫り来るグロブを前に、良太は寸でのところでリュックサックを遠方へと放り投げた。

 途端に、肉塊どもはそれを追って遠ざかっていく。

 一先ず、グロブの脅威は退けた。その安堵感が、少年に隙を作らせた。


「うわっ!」


 凄まじい衝撃が下半身を襲い、良太は抗することもできず地面に倒れた。

 見れば、小崎が少年の両脚にしがみ付いている。強烈なタックルを見舞ったのだ。


「やめろ! 離せっ!」


 大声で叫んで身を捩るが、拘束はまったく緩まない。

 それどころか、小崎は慣れた手つきで馬乗りへと移行すると、少年の顔面を強かに殴りつけた。


「うぐっ!」


 目の奥で星が瞬く。暫し良太の意識が混濁する。

 その隙に、小崎は再び肉切り包丁を取り出していた。


「な、何で……」

「悪いな」


 少年に馬乗り姿勢になったまま、小崎が包丁を振り下ろす。


「っ、抵抗するな!」


 刃が胸に突き立てられるその刹那、良太は信じがたい速度で両手を伸ばし、小崎の腕を付かんだ。

 明らかに体格で劣る良太ではあるが、火事場の馬鹿力を発揮して、ぎりぎりの所で包丁を押し留める。そして、


「く……何で、理由を教えてくださいっ!」


 命の危機に瀕しても尚、少年の口からはそんな問いが零れた。

 小崎が裏切る理由が、皆目わからない。


 薬を手に入れ、当面の安全は確保できた。物資の確保も手間取らないだろうし、上手く警察や自衛隊に渡すことができれば、事件解決の糸口にさえ繋がる。

 万事、上手くいっていたのだ。なのに何故、男は少年を殺そうとするのか。


「……お前たちは知りすぎたんだ」


 そう呟きながら、小崎はさらに力を込めて包丁を押し込む。

 良太の抵抗も虚しく、刃の切っ先がレインコートに触れる。もとより腕力で劣るうえに、左腕は怪我をしている。再び押しのけることは不可能だ。だが、


「お前、たち?」


 小崎の言葉に、良太の表情が変わった。

 小崎は良太のみならず、美鈴もその手に掛けるつもりだ。その事実が、少年の闘争心に火をつけた。


「やああぁぁっ!」


 少年は残る力を総動員して、全身を海老反りに逸らせる。包丁が胸を突くが、レインコートのお蔭で刺さりはしない。

 そして少年は体を捩ると、小崎の股間に膝をねじ込んだ。


「ぐぉ……」


 急所に痛撃を喰らい。男がよろめく。

 その隙に、良太は拘束を解いて逃げ出そうとした。だが、


「この糞ガキィ!」

「――うあ!」


 怒鳴り声と共に、小崎が力任せに肉切り包丁を振るった。

 そしてその刃は、立ち上がろうとしていた良太の腿を切り裂いた。


「ぐ……」


 途端にバランスを失い、尻餅をつく少年。


「てめえ舐めた真似してくれるじゃねえか!」


 予想外の抵抗に合い、小崎は激昂している。

 倒れた良太を引き起こし、意趣返しのつもりか包丁の柄で顔面を二度三度と殴りつけた。

 少年は鼻血を噴き出し、口元から血を垂れ流すも、両目だけは刃のような鋭さで小崎を睨みつけている。


「スズに手を出したら、殺してやる……」


 柔和な面差しからは考えられない、心の底からの殺意。


「ッ……」


 その剣幕に、小崎が一瞬たじろいだ。

 しかし、それが却って冷静さを取り戻してしまったらしい。

 男は良太に止めを刺すべく。再び包丁を握り直す。


 少年には最早、暴虐に抗うだけの体力は残されていない。

 血に染まった肉切り包丁が、少年の喉に押し当てられる。その時、


「――りょーちゃんから離れろ!!」


 少女が心の底から発した叫び声が、天地を揺るがせた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ