第十話 生存者
長身痩躯で無精髭を浮かべたその男は、小崎友則と名乗った。
「いや、本当にもう駄目かと思ったよ。助かった」
無事に美鈴と合流することができた良太たちは、群がる鶏肉を撒いて衣料品店へと戻ってきた。
お互いの無事を確かめた良太と美鈴は、次いで小崎の怪我の具合を調べるも、シートベルトで痛めた右肩以外に怪我はなかった。早期に救出できたのが幸いしたようだ。
天窓から明かりのさしこむ店舗内で、三人が話し合う。
「車に乗っていらっしゃいましたが、小崎さんはどちらからいらしたんですか?」
と、良太が問うた。
二人の自己紹介は簡単に済ませたが、件の男性のことはまだ何も聞けていない。
移動していたなら、何がしかの思惑があったのだろう。ひょっとすれば、良太たちが知らない情報を持っているかもしれない。
「ああ、矢田市の方からだ」
「っ!」
小崎にそう答えられ、良太と美鈴の表情が変わる。
矢田市はここ春日市の隣町だ。近年特に開発が進み、人口も多い都会である。
「あ、あの! 街の様子はどうだったんですか!?」
前のめりになって尋ねるのは美鈴だ。矢田市には彼女の両親の勤め先がある。
「酷い有様だった。こっちの方がまだ随分マシだ。あっちはグロブの数も大きさも桁違いでな。最初は野球場に避難したんだが、警察も消防も直ぐにやられちまった」
小崎は忌々しげにそう語る。
「…………」
話を聞く美鈴は顔面蒼白だ。良太は少女を気遣わしげに見遣りながらも、ともかく話を続ける。
「グロブっていうのは、あの肉塊のことですか?」
「ん? ああ。誰が言いだしたかってのは知らないが、矢田じゃそれで定着してたんだ。まあ、もう鶏肉って感じでもないしな」
「大きさに違いがあるっていうのは、どういう意味ですか? 僕らもさっき、妙に大きな個体を見たんですけど……」
未だに正体の掴めない肉塊について少しでも情報を集めるべく、良太は質問を続ける。
「ああ、グロブは成長しやがるんだ。人間を溶かして取り込んで、デカくなる。おまけにある程度の大きさになると、分裂して数を増やすらしい」
「な……」
すると、返ってきたのは衝撃的な話であった。
「矢田は人が多いからな。餌もさぞかし豊富だっただろうよ。連中どんどん数を増やして、昨日の晩には避難所になだれ込んできやがった」
隣町の惨状を耳にして、良太と美鈴は凍りつく。
別けても良太が受けた衝撃は凄まじかった。鶏肉――グロブの新たな性質を知ったことで、自分が立てた籠城策が破綻したことを悟ったのだ。
衣料品店に立て籠もり、救助を待つと言う方針は、飽く迄人間がグロブを駆逐できるという前提条件に立脚している。
危険極まりないとはいえ、所詮は鶏肉。大きさは精々数百グラムで、数にも限りがある。時間は掛かれども駆逐できるだろうと考えていたのだ。
しかし、このグロブなる怪物は、捕食した人間の重量分だけ巨大化し、果てには無制限に分裂すると言う。
これでは時間が経つごとに人間が不利になる一方だ。諸外国から支援を受けられたとしても、果たして完全に駆逐することができるのか。
「その……小崎さんは、矢田市の状況が悪くなったからこちらに来たんですか?」
絶望的な状況に眩暈すら感じながらも、良太は小崎に質問を続ける。
「ん。まあ、そーだな……少しはマシだろうと思ったが、そんなに甘い話もないか」
どこか奥歯に物が挟まったように小崎が答える。そして彼は、
「そんな事より九条君。君、よくあのグロブの大群に近づけたな」
と、逆に良太に話しかけてきた。
彼を救助した時のことについて話しているのだろう。
「ええ。なぜか僕はグロブに狙われないんです。スズが群れを引きつけてくれて、その間に車に近づいたんです」
そう答えると、小崎は顎に手を当て、思案する素振りを見せた。
「なあ九条君。君、ひょっとしてベジタリアンだったりするか?」
暫し沈黙を挟み、男が神妙な面持ちでそう尋ねてきた。
「……いえ、違います。ただ、肉類は殆ど食べませんね」
降って湧いた質問に戸惑いながらも、良太は誠実に答える。すると、
「じゃあ、最後に鶏肉を食べたのは何時だったか、思い出せるか?」
小崎が重ねて問う。
「あの、いったい何の話ですか。りょーちゃんがどうしたって言うんです?」
口を差し挟んだのは美鈴だ。奇妙な問いかけに不信感を露わにしている。
「……去年のクリスマスが最後の筈です。たぶん、九か月以上は食べてません」
ただ、小崎の問いかけに意図を感じ取った良太は、記憶を丁寧に遡ってそう答える。
加工食品に含まれていれば分からないが、明確に鶏肉そのものを口にしたのは、スズに勧められたクリスマスのフライドチキンが最後だ。
「そう、か……」
「僕が狙われないことと、何か関係があるんですね?」
再び黙考する小崎に、良太が確信を持って問いかけた。
彼の質問は、明らかに推論あってのものだ。
グロブの生態に繋がる情報なら、無視することはできない。
「……」
だが、小崎は口を閉ざしたまま答えない。
この状況下で情報を出し惜しみする理由が分からず、良太が困惑する。すると、
「お願いします。何か知ってることがあるなら、私たちにも教えてくれませんか?」
ぺこりと頭を下げてそう頼んだのは美鈴だ。
「僕からもお願いします。どんな情報でも助けになるんです」
と、良太も揃って頭を下げる。
「…………」
流石に命の恩人の頼みを無碍にするのは憚られたのだろう。
「……怒らないで聞いてくれよ。俺だって被害者なんだ」
小崎はそう前置きをすると、
「俺は橘花食品の食鳥処理場に務めてた。――鶏肉が動き出した原因に、心当たりがある」
訥々と、事の発端を語り始めた。




