第一話 予兆
カラリときつね色に揚がった鶏の唐揚げに、プラスチックの箸が伸びる。
弁当に詰め込まれた山盛りの唐揚げは、冷めてもなお歯切れよく、噛めば噛むほど甘い肉汁が溢れ出す。
間を置かずして白いご飯を頬張れば、口の中には至福の喜びが訪れる。
「ん~~っ! 美味しい!」
感極まって声を上げたのは、黒髪をポニーテールに結った快活な少女だ。
彼女は山城美鈴。ここ春日高校に通う二年の女子高生だ。今、彼女は校舎の屋上で楽しいランチタイムを過ごしている。
「またそんなに食べて……いい加減太るよ」
そんな美鈴に呆れた風に声を掛けるのは、小柄で線の細い男子高生、九条良太だ。
美鈴の弁当箱はアルマイト製の二段重ね。一つには唐揚げを含めた肉系のおかずが山盛りで、もう一つには白ご飯がみっちりと詰まっている。まるきり、運動部の男子生徒用の弁当である。
「りょーちゃん失礼だよ! ちゃんと動いてるから大丈夫だもん。それに栄養バランスもきっちり考えて作ってるんだよ!」
咥え箸で抗議しながら、美鈴はフルーツの詰まったタッパーウェアを取り出して、良太に見せつける。
確かに彩はいいが、それでも量が多すぎる。
「う、見ただけで胸焼けしてきた……」
「え~!」
幼少より胃弱の良太は、美鈴の弁当を見ただけで参ってしまう。
彼の弁当には野菜の煮物や大豆製品などのおかずしかなく、肉類はまったく入っていない。ご飯の量も少なく、まるで精進料理のようだ。
「また随分沢山作ったね」
「最近鶏肉がすっごく安いの。よかったら、りょーちゃんも食べる?」
と、美鈴がどこか緊張した面持ちで唐揚げを摘まみ上げ、良太の前へと差し出した。
「今日のは工夫したんだよ。小麦粉と片栗粉の割合を変えて、冷めてもべた付かないようにしたの」
と、少女は幼馴染の少年に楽しそうに調理工程を話す。だが、
「……折角だけど、フルーツだけ戴こうかな」
良太は申し訳なさそうに断った。美鈴も何時ものことなので、無理強いはせず唐揚げをひっこめる。すると良太も弁当箱を差し出し、
「じゃあお返し。何がいい?」
そう問いかけた。
「う~ん……高野豆腐でお願いします」
「スズは頑なに野菜食べないよね。ニキビとか大丈夫?」
「怖い事言わないで! 気にしてるんだから」
二人は青空の下、楽しく談笑しながら昼食を続ける。
そして食事が済むと、二人は横並びに座りながら他愛ない談笑を始めた。
「そういえば、朝から変なニュースで騒がしいみたい。ほら、動画が上がってる」
そう言って、良太がスマホを美鈴に差し出す。
「うわ、キモッ! 変なの見せないでよ。ご飯食べたばっかりだよ」
視聴者提供と思しき動画は手振れが酷く、悲鳴や怒号も入り混じって事態が判然としないが、それゆえに緊迫感がひしひしと伝わってくる。
場所は平凡な住宅街の道路。カメラの先には人だかりと地面に倒れる男性の姿がある。
奇妙なのは、その男性の顔に、ピンク色の何かがへばりついている事だ。
男性はピクリとも動かない。良く見れば、身体のそこかしこにピンク色の物体――鶏肉に似た何か――が張り付いている。
付近の野次馬は遠巻きに取り囲んだまま近づかない。倒れた男性の安否は不明だ。
そして次の瞬間、ピンク色の肉塊が蠕動し、男の体から飛び跳ねた。意外なほどに敏捷な動きである。
奇妙な肉塊は地面を這いずりながら野次馬へと迫り来る。撮影者も逃げ出したらしく、動画はそこで終わっている。
「……何これ。映画の宣伝?」
苦情を垂れつつも最後まで動画を見た美鈴が、ぽつりとそう呟く。
「何だろうね。一応普通のニュースサイトに乗ってるんだけど……」
と、良太も怪訝そうに答える。
奇妙な肉塊が群れをなし、人間を襲っている。普通に解釈すればそんな映像なのだが、あまりに荒唐無稽で理解が追い付かないのだ。
「あ、フェイクニュースってやつかな。最近流行りの!」
「流行らせちゃダメなんだけどねえ」
訳の分からない動画への感想を述べながら、美鈴と良太は昼休みの残りをのんびりと過ごす。午後の授業まではまだ時間がある。これからはティータイムだ。
「また柿葉茶持ってきたの?」
と、美鈴が水筒を取り出した良太にそう尋ねる。
「うん。スズにいつも貰ってるお茶だよ。僕これ好きなんだ。飲む?」
良太がカップに柿葉茶を注ぎながら答える。
「う、私はパス! 苦手なんだソレ。家族も飲まないんだけど、おばあちゃんいっぱい送ってくるから困ってて。正直、りょーちゃんの家で飲んでもらえて助かってるの」
両手を慌ただしく振りながら拒否する美鈴。
「う~ん……美味しいと思うんだけどなあ」
そんな少女に、少年は不満そうな表情で呟く。
そうして昼休みも終わりに近づいた時、屋上に設置されたスピーカーから唐突に校内放送が流れた。
「生徒の皆さん。午後の授業は中止です。至急、自分のクラスに戻ってください」
突然の校内放送。それも、教師の声は緊張に強張っている。
美鈴と良太は揃って怪訝な面持ちを浮かべると、とにかく荷物を纏めて屋上を後にした。