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神の子  作者: 香取幸助
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第1章4話:神の子

 関内のキャバクラ帰りに決断してから3日後、俺は銀座の喫茶店「ルノアール」で鳥栖弘氏と待ち合わせをしている。鳥栖氏の指定であったが、ルノアールは好きな場所だ。客の平均年齢が高いのと、遠慮なく煙草を吸える所がいい。

 テーブル席もあるのだが、俺はいつもここの特徴である低いソファの方に腰掛ける。背もたれにもたれかかるといつも眠気を催すほど気持ちがいい。平日の今日も、営業途中のサラリーマンらしき客が何人かソファにもたれて目を閉じている。

 警察を退職してから鳥栖氏と会うのは初めてだ。誤射してしまった青年への墓参りはこの10年、一度も欠かした事はない。それでも被害者の家族に会うのが忍びなく、ずるずると時が経ってしまった。まったく俺はどうしようもない奴だ。

 ベージュのコットンスーツの上着の内ポケットからくしゃくしゃになったマイルドセブンを取り出す。火力最大にした100円ライターで火を付ける。約束の時間は2時。まだ30分ある。

 背もたれに深く身を預ける。そのまま上を向いて煙草の煙を吐き出す。煙草が苦い・・・

 灰皿に煙草を押し付け、目を閉じる・・・。










 病院の処置室。


処置台に青年が横たわっている。母親が青年にすがりついて泣いている。


青年の名を呼ぶ声が室内に響く。肩を震わせ立ち尽くす父親・・。










 死亡の原因は銃創による出血性ショック死。俺の銃弾はこの20歳の青年の未来を奪ってしまった・・。

 体中から血の気が引き、立っているのがやっとだ。それでも俺は、ただ立っている事しかできなかった・・・。

「刑事さん、申し訳ないですが今日の所はお引取り下さい・・・・」

目を真っ赤にした父親がそういいながら処置室のドアを閉じる。



俺の目の前でドアが音を立てて閉まる。



















「皇さん・・、皇さん・・。大丈夫ですか・・?」

はっと、して目を開く。小柄な男性が俺の顔を覗き込んでいる。

「鳥栖です。お久しぶりです・・」

俺はガバッっと立ち上がり、頭を下げる。

「どうもご無沙汰しています!!」

鳥栖氏を待つほんの短い時間の内に眠ってしまった。そしていつもの夢・・・・・。

 鳥栖氏はとまどいの笑みを浮かべながら、俺の正面のソファに腰掛けた。

「少し早いかな、とも思ったのですが・・。よかった、皇さん来ていらして・・。」



 鳥栖氏がソファに腰掛けた後に、俺もソファに座る。さっきまでとは逆に、浅く腰掛け背筋をのばす。

 鳥栖氏は、にこやかな顔のまま

「本当にお久しぶりですね・・・。」

そういいながら注文を取りにきたウェトレスにホットコーヒーを注文する。

「ご無沙汰しています・・」

また頭を下げる・・。本当に今の俺には鳥栖氏の顔をまともに見ることができない。ただただ頭を下げることしかできない・・・。

「皇さん、頭を上げてください。あなたがそんな風では、私の方が話ができないじゃないですか・・」

「・・・・・・」

そう言われて顔を上げ、鳥栖氏を見た。

 短く切りそろえた頭髪はすっかり薄くなり、白くなっている。眼鏡の奥のまなざしもずいぶん柔らかさを増したようだ・・。当時は高校の教師をしていたが、もう退職しているのだろう。白い半そでポロシャツとコットンパンツというラフな出で立ちだ。

 それにしてもずいぶん小さくなった気がする。元々、小柄な人であったが、痩せたのか・・。

「おまたせしました。」

ウェイトレスが深々とお辞儀をしてコーヒーを運んできた。こんな今時珍しい馬鹿丁寧なサービスぶりもこの店の特徴だ。丁寧にホットコーヒーを鳥栖氏の前に置いて、

「失礼いたしました」

又、馬鹿丁寧にお辞儀をして席を離れる。

 これが丁度いい間になった。なんとなく雰囲気が和らいだ。

「お元気でらっしゃいましたか」

「え・・・ええ・、はい。貧乏なんとやらですが、何とか・・・・。」

「そうですか。それは良かった。」

そういうと鳥栖氏はコーヒーにひとくち口を付ける。

「警察を退職以降、何のご挨拶もいたしませんで、本当に何と申せばよいのか・・・・。」

鳥栖氏は大きく首を振りながら

「いやいや・・、皇さん、やめてください・・。皇さんがこの10年間、1回も欠かすこと無く一弥の命日に墓前にいらしていた事はわかっています・・。本当にありがたく思っていますよ・・。」

「本当にそれくらいしか今の私にできる事は・・」

鳥栖氏は笑顔を見せ、店の外の景色に目を移す。

「ああ・・、そう言えば・・」



「そう言えば・・、皇さん、ホームページはご自分で・・?」

一瞬、何の事かと思ったが、俺の事務所のホームページの事とわかった。

「あ、ああ・・、いえ。ちょっと知り合いに詳しいのがいまして・・。」

これとアドセンス広告で、俺一人何とかやっていける位の仕事の依頼が来る。

「結構、格好よく映ってましたよ・・」

ホームページには俺の写真も掲載している。そうしないと信用性が高まらない。

「いや・・。ありがとうございます。」

 鳥栖氏は相変わらず、神経の細やかな人だ。本来、彼に憎悪されても当然の俺だ。こんな俺にも気を使ってくれる。こんな風に会話をはずませる為の気遣いに労をいとわない。

 それでもメールで相談したい事がある、と言っていたのを切り出さないのは、何か理由でもあるのだろうか・。

「あの・・、鳥栖さん。メールいただいた件ですが・・」

そう言うと、(ああ・・)という顔をしながら額に手を当て

「いや失礼しました・・。こう言ってはあれですが、とても久しぶりに皇さんとお会いしたものですから・・。何かこう・・昂ぶってしまいましてね。いや、そうでした。失礼、失礼・・。」

そう言って笑う。

「実は、皇さんにご相談したい事というのは息子の事でして・・」

「息子さん・・?と、申しますと・・?」

「いや、無論、一弥の事でなく、今日はその弟の方でして。」

 そうだ、鳥栖家には一弥と、もう一人年の離れた男の子がいた。通夜の席で、両親の横にちょこんと座っていた一弥の弟。10歳年上の兄を本当に慕っていた・・。声を押し殺して、涙を袖で拭きながら泣いている姿が参列者のいっそうの涙を誘った・・。

 俺はあんな小さな子供の心にまで一生消えない傷を与えてしまったのだ。



 あれから10年・・。

「弟の力弥の方も、今年で二十歳になりまして。ちょうど、あの時の一弥と同い年になりました。」

そう、力弥、力弥くんだ・・。

「その力弥ですが、やはり一弥の影響もあるんでしょうか。今年に入ってから急に宗教に入れ込み始めまして・・・。」

そう言って少し言葉を区切った。

「宗教・・・ですか・・?」

 兄の鳥栖一弥は、幼少の頃から不思議な能力を持つ少年であったそうだ。

行方不明者のニュースを見ていると急にその所在や生死を言い当てたり、隣や知り合いの老人が明日亡くなる、と言い出したり・・・。こんな事は日常茶飯事だった。

 しかしながら、この頃はまだご近所の”少し変わった子”程度の存在でしかなかった。成長するにつれ一弥の異能ぶりは際立っていき、末期がん男性の癌細胞を消し去るに至って評判は一変した。

「不治の病を治す奇跡の子供がいる」

 噂は近隣に瞬く間に広まった。一弥が中学に上がる頃には、重い病を抱える人々が続々と訪れてくるようになった。そして一弥は、どんな病でも完治させた。

 噂は噂を呼び、地域のテレビ局や地方新聞などでも「奇跡の子」「神の子」と一弥を取り上げるようになり、もはや一弥の下には彼一人で処理できる以上の人々が詰め掛けるようになってしまった。ついには保健所が、無免許の医療行為をしている疑いがある、と鳥栖家に立ち入り検査まで行う始末。

 もっとも一弥は全くの無報酬で、行っている事と言えば、せいぜい患部に手を当てる事程度であったから、とても医療行為と言えるものでなく、疑いは簡単に晴れたのだが・・。

「一弥は自分の時間を割いて、病に苦しむ人達に応対していました・・・。」

鳥栖氏は視線を下に落としながら話した。

「やりたい事がいっぱいある年頃に、自ら進んで病気に苦しむ人達に対応していました・・。わが子ながら・・・本当に・・・頭が下がる思いでした・・・。」

目を真っ赤にして声を絞りだした・・・。一弥の、この“治療”は亡くなる直前まで続いていた。俺に撃たれたのも“治療”した元患者の家に訪問した帰りだったらしい。

 俺は、本物の「神の子」を殺してしまったのだ・・・。



「そんな一弥を力弥は幼いときから見てきました。力弥が宗教に興味をもつのも当然の流れなのかもしれません・・」

話は再び力弥の件となった。力弥には一弥の様な特殊な能力はなかったようだ。一度、一弥の墓前に訪れた際、成長した力弥の姿を遠目に見た事がある。

 父親に似て華奢な体型であった一弥は、その異能と引き換えにかなり病弱であった。それはまるでこの世の“穢れ”をわが身に取り込むように様々な病に悩まされていた。

 そんな一弥を不憫に思っていた父の弘氏が(力強く、健康に育ってほしい)と付けた名前が力弥であった。しかしながら、力弥もやはり一弥に似た、華奢で色白な青年であった。

「これが弟の力弥です。」

鳥栖弘氏は上着のポケットから1枚の写真を取り出して、テーブルの上に置いた。

「失礼します」

そう言って写真を手に取る。見覚えのある家屋の前で撮影されている。日付を見ると(2007.8.1)とある。ほぼ1年前だ。

 この家は力弥の自宅である。俺は何度もここを謝罪の為に訪れている。白いコンクリート製の箱型の一軒家。

 俺の記憶よりも庭先の樹木はずいぶん成長して緑が生い茂っている。俺の記憶よりもコンクリートの汚れが目立っている。そんな中に無表情にカメラの方に視線を向けている青年の上半身・・。力弥だ。

(だが・・これは・・?)

 その俺の表情をみて、鳥栖氏が話す。

「そっくりでしょう。小さな時はそうでもなかったのですが、成長するにつれてどんどん一弥に似てきました。それは19歳の時ですが、瓜二つと言ってもいい・・」

「本当に・・立派になられて。」

そういいながら俺は写真をテーブルの上に戻す。

「性格的にもどこか似たところがありまして・・。こう、何と言うか、自分の事よりも他人を優先するような・・、一弥の様な能力は全く無いのですが・・」

「そうでしたか・・。性格まで・・。」

「ええ・・」

そう言いながら、鳥栖氏は笑顔を、すっと真顔に戻して

「ところで、すめらぎさん・・・・」

上体をぐっと俺の方に傾けながら言う。話題が本題に入るようだ・・・。



「はい。」

俺も上体をぐっと前傾させて聞き入る。

「最初にお話しましたが、力弥は今、ある宗教に“はまって”います。今年の春頃からですから3ヶ月くらいでしょうか。いや私が気がつかなかっただけで実際はもっとなのかもしれませんが・・。」

「“はまっている”・・ですか?」

「そうです。力也は自分の生活のすべての時間を、その宗教に捧げていました。・・・・そして1ヶ月前、自室に書置きを残して行方をくらませてしまったのです。」

「どんな書き置きを・・?」

「“zero(ゼロに行く”と・・・。」

「ゼロ・・・。」

(はじめて聞く名前だ)

「まだ新しい・・・、新興宗教です。」

「勿論、警察には・・?」

「ええ、届出をしました。しかし、本人が書置きを残して本人の意思で家を出ている事、力也が成人である事・・・。やはり事件性は皆無ですから・・・」

「そうでしょうね。」

 勿論、警察は届出に対してはその場では真摯に対応する。しかしながら、この件では警察は動かない。元警察官として、そう思う。

「私は力弥がもう帰ってこないのではないか、と思うのです。いや、これは全くの私の勘でしかないのですが・・。私にはどうしても彼に伝えなければならない事があるのです・・。私には、あまり残された時間がない・・・・」

鳥栖氏は、そう言って絶句した。

「・・・・・・・」

しばらく沈黙が続いた。

「皇さん・・・。私は末期の肺がんなのです。もってあと半年だそうです・・・・。」

俺はやはりそうだったか、と感じた。年齢から来る肉の落ち方とは明らかに異なる痩せ方だ。





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