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神の子  作者: 香取幸助
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序章:発端

 主はパンを取り、賛美の祈りを唱えられ、それを割いて弟子達に与えて

「食べなさい、これはわたしの体である」

又杯を取り、彼らに渡して

「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流すわたしの契約の血である」

と仰せられ、パンとぶどう酒をお与えになりました。





〜マタイによる福音書










 青年は清清すがすがしい気持ちであった。


 一糸纏まとわぬ姿である。


青年は筆や刷毛を使わない。赤い塗料を両手にたっぷり付けて壁に赤い塗料をすいすい塗ってゆく。青年は赤い色が大好きだ。

今日の赤はひときわ鮮やかだ。きっと質の良い塗料なのだろう。

ベートーヴェンの第9が大音量で流れている。これも青年の好きな音楽だ。特に壁に赤色を塗る時はいつも聞いている。好きな音楽を聴きながら好きな赤色を塗る。わくわくするほど楽しい。

 ようやく壁の一つを塗り終わった。

(やはり今日の赤はとてもきれいだ。質がよいんだね。)

(でも塗らなきゃいけない壁は3つも残っている。まだまだこれからだ。)

 手に持った赤い“りんご”をひとくちかじりながら、赤く塗り終えた壁を眺める。“りんご”からは赤い果汁がぽたぽた床に零れ落ちる。所々が凝固し始めて、赤黒く変色しているが、今日はいつもより厚めに塗ったせいだろう、ぬらぬらとした輝きはいつもより美しい。


 時計を見るとまだ夜中の2時だ。夜は長い。朝までには全部好きな赤に塗れるだろう。青年は(さあ、やるぞ)という感じで、手に持った“りんご”の残りを一気に口に含んだ。頬を大きくふくらませて(しゃくしゃく)と咀嚼しながら、これから塗る壁を眺めていたが、思い立ったように“それ”の中に両手を突っ込み手に赤い塗料をたっぷりと塗りつけた。


 “それ”はりんごと同じ赤い色をしていた。(なぜならりんごは元々“それ”の一部であったのだから・・)時々、“ぴくっ・ぴくっ”と痙攣のような動きをした。ちょうど真ん中あたりにぽっかりと大きな穴が開いており、青年はそこに手を突っ込んで塗料を手につけていた。大きな穴に手を突っ込むと、“それ”の上の方の小さな穴が閉じたり開いたりしながら“ぎいっ”とか“ごぎぎ”っていう変な音を出した。そして痙攣みたいな動きがいっそう大きくなる。


(まだ生きているんだね)


ベートーヴェンの第9が大音量で流れる一室。


青年は新しい壁にとりかかった。









 朝の11時30分を過ぎていた。

渋谷円山町のホテル「シャレード」のベテラン従業員、塚田みち子は軽く舌打ちをして電話を取り、部屋番号のボタンを押した。呼び出し音は鳴っているが一向に取る様子がない。さっきと同じだ。

(いやねえ)

電話を切ると、リネン室の内線ボタンを押した。若い男の声で答える。

「あ、中野君、悪いわねぇ。ちょっと401号室のお客なんだけどさぁ、見に行ってほしいのよ。ほら、もうチェックアウト時間過ぎてるし・・・・」

そう言って小声で続ける

「・・・最近、物騒な事件も多いし・・」

それを聞いて中野はぞっとした。

「いやだなぁ、もう・・。やめてくださいよ。俺まだここでのバイト2週間ですよ。もぅ・・・気味悪りぃなぁ〜」

「あはは、ごめんごめん、冗談だわよ。たぶん昨日激しすぎて熟睡しちゃってるんだと思うけど、良くあるのよ。まあ、これも経験だと思って・・・ね。」

「ふぁ〜い・・。わっかりましたぁ〜」

 中野はふてくされた様な声で答えて電話を切った。自分の息子くらいの若者のそんな声に、塚田は思わず吹いてしまった。

(あぁ〜面倒くせぇ〜なぁ〜)

 最初の内はラブホテルのバイトなんて興味深々だった。ひょっとしたらスケベなオーナーが部屋に隠しカメラを付けていて、隠し部屋みたいな所には全室の中を写したモニターがズラッとあって・・・・。なんて妄想していたが、とんでもない・・。

 中野の主な仕事は客室の清掃、いろんな体液で汚れたベットのシーツを交換したり、排水溝に体毛がいっぱい詰まった風呂場をきれいにしたり、精液でべとべとになったティッシュがいっぱい詰まったゴミ箱をきれいにしたりする。特に客が帰った直後のあの独特の部屋のニオイは強烈であった。バイトをはじめたばかりの頃は何度も戻しそうになった。

 401号室は4階の一番奥の部屋だ。部屋の前に立ってチャイムを鳴らす。応答がない。再度鳴らしてみても応答がやはり無い。中野はマスターキーを取り出し鍵穴に差し込んだ。

「失礼します・・・」

ドアから遠慮気味に顔だけ覗かせる。と、同時に強烈なニオイが中野の鼻腔を襲った。




 思わずドアを閉めて廊下に戻った。強烈なニオイだ。今まで色んなニオイを嗅いできたがここまでのは初めてだ。生臭さと、何かが錆びた様な臭いと、色んなものが混ざった様な・・・。それは今まで嗅いできたどのニオイとも似ていなかった。

 中野は思い切り深呼吸をして再度ドアを開けた。

部屋の中は真っ暗であった。クラシック音楽が大音量で流れている。年末によく聞くヤツだ。確かベートーベン・・・?

 中野はすさまじいニオイに“えずき”ながらライトのスイッチをつけた。

「ひゃっ!!!!!」


部屋は真っ赤であった。


(確かこの部屋の壁はベージュだったはずじゃ・・。)

壁に目を近づける。むっとするニオイがより強烈になる。その赤は血であった。血が四方の壁一面にびっしりと塗られているのだ。血液に含まれる脂肪分がライトを受けてぬらぬらと輝いている。部屋中が血で真っ赤に彩られている。

 息がどんどん荒くなっている。実はさっきから気が付いていた。さっきから目の端の方で捕らえていた。

部屋の真ん中のベットの上。

 中野は今にも吐きそうに空えずきをしながら、ゆっくりと視線を移す。

“それ”が視線の真ん中に入った途端、中野は茶色い吐寫物としゃぶつを床に落とした。

“それ”は真っ赤であった。

まるでカエルの解剖のように腹部を大きく裂かれ広げられ、内臓が露出している。その所々がまるで独立した生き物の様に、びくっびくっと小さく痙攣している。


“それ”は間違いなく人間の死体であった。


「・・・・・・!!!!」


中野は転げだすように部屋から飛び出した。




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