金属拳に想いを馳せて
昔僕の国で大きな内戦があった。もう75年以上前もの出来事で、そこでアンドロイドが沢山実践投入された。RHM81号っていう名前の、どこからどう見ても可愛い女の子でしかない彼女もその一台で、今も僕の目の前にいる。
けれども動かない。黒く長い髪と金属繊維で作られた武装制服が風で靡くだけで、その男勝りな笑顔も、誰かと約束するかのように突き出していた拳も死んだみたいに金属の冷たさに満たされて、微動だにしない。
それもそのはず、彼女の動力は取り外されていた。そして後世にその姿が残るようにカチコチに固められて、定期的に錆止めやらなんやらの処理を施される平和の象徴のモニュメントになっているからだ。
この街には戦争記念公園があった。国会議事堂の残骸が芸術家のアート作品みたいにあって、芝生が広がる地面には時折へしゃげた鉄骨などがある。少し歩けば、使われた無人戦車などが展示されているところもある。
そんな公園の中心、何百もの花々の中心に彼女はいた。正直、似合わない。一歩踏み出す姿はそれこそ死地へ赴く軍人のような力強さがあるのだから。
「RHM、今日も掃除しにきたぞ」
僕は喋らない彼女に挨拶をして、拳を合わせる。真夏の晴天にも関わらず、金属のひんやりとした冷たさは相変わらずだし、合わせた拳の匂いをくすりと嗅ぐと錆臭い。毎日汚れないように管理しているのに。
掃除は単純だった。RHMの黒髪についてしまったゴミを丁寧に取り払い、タオルで顔やら脚を拭いていく。動力がないと少女は金属よりも固い。やっぱり、銅像でも磨いている気分だった。
それから錆止めの液を塗っていく。鼻に来る臭いに毎回頭がクラっとしてしまう。それでも僕は顔から足元までやっていって、そして動かない少女を説明する石碑に目が留まる。
『20**年8月10日。我が国でこのRHM81号の決死の電子パルス攻撃によって爆撃アンドロイド風狼二号はすべて機能を停止し、政府の崩壊をもって内戦は終結しました。正義のために拳を突き出し、一歩踏み出した姿はかのジャンヌダルクの再来とも言えるでしょう。私達ができることは彼女の英雄的行動を讃え、後世にまで歴史を刻むことです』
磨かれた大理石に刻まれたいかにも彼女のことを知った風な文章。なるほど確かに事実はある。けれど何がジャンヌダルクの再来だ。ハッキリ言って不快だった。
これを見て皆はアンドロイドなのに凄いだとか、格好いいだとか、なにかと彼女が動かなくなった事実を含めて美化したがるけど、……あんまりじゃないか。
戦争が終わったら彼女達はもういらなくて、だから歴史的な物品、平和の象徴として使うために動力を抜き取って、磨いて、腐り落ちないように永遠に立ちっぱなし。……ひどいじゃないか。
けど大抵こういうことを打ち明けると、お前は愛着が湧きすぎだの偽善者だのと嘲られる。所詮、皆にとってRHMは記念公園にある銅像でしかない。
僕は幸いお金には余裕があった。戦争で身体の大半を機械にしながらも活躍したから、生きた英雄のような扱いを受けたからだ。だから毎日この公園に行って、彼女が風化してしまわないように整備する。
RHMの時が止まったときから、僕はそれを続けた。ずっと、ずっと。ただ正直なところ、彼女への贖罪を建前に僕は居場所が欲しかっただけかもしれない。
科学の発展のおかげで老いは限りなく停止したけども、知人は皆死んだし、もう周りの人間からは異物としか思われていない。
「RHM、こうして一緒にいると本当に懐かしいな」
整備を終えた僕は、テキトーなことが刻まれた石碑に座り込んでスケッチブックと鉛筆を取り出す。どうにも絵を描くのにデジタルは好きになれなかった。あのツルツルした画面は、掴みどころがなくてあまりにも描き辛い。
彼女の快活な笑顔を横に、僕は鉛筆で殴るみたいにRHMの絵を描く。彼女が過去の遺物じゃなかったころの記憶を思い返して、顔が萎んで熱くなる。
『貴様がワタシのパートナーとなる人間ですか。随分と使えなさそうですね』
初めて出会ったとき、拳を突き出されてそんな無礼極まりない挨拶をされたっけか。僕はどう答えただろうか。
「お前は本当によかったのか?」
そうだ。彼女は答えなかった。今も、昔も。
「なんのために戦ったんだろうな」
僕とRHMは戦友だった。政府軍と戦うに当たっていくつもの任務を共にした。市街戦。ゲリラ。いくつもの死地を乗り越えた。
『死ぬな! ワタシ達は絶対に生きて平和な世界に辿り着くのですよ!』
死にそうになったときも励まされて、恥ずかしいくらい懸命に抱えられて運よく生き残ったこともあった。そして僕らはこの記念公園で英雄の化石となった。
内戦が始まった当初は政府を絶対に潰して、関係者を全員殺す覚悟だっった。それだけ皆、苦しめられていた。正義のために戦おうと思った。
けど思い返していくと、段々そんなことどうでもいいって思っていたかもしれない。アンドロイドにこんなことを想うだなんて変な話だけど、彼女のことは人だと想っているし、一緒にいるだけで楽しかったし、頼もしかった。だから内戦で死にたくなかったし、いっそ逃げたかった。
……好きだとか、愛していただとか、そんな感情があったかと自問自答すると、分からない。
けど錆止めの匂いを嗅ぐたびに、彼女の冷え切った拳に触れるたびに、鉛筆が生きていたころを描くたびに、息が詰まって胸が締め付けられた。収拾のつかない自己嫌悪に駆られる。
内戦に勝利したとき、僕はいっそ逃げ出してしまえば良かったんだ。圧政を強いた政府は潰れた。平和になった。それで終わりで良かったんだ。なのに彼らはアンドロイド達の機能停止を求めた。所詮は兵器としてしか見ていなかったんだ。
記念品として並べられた戦車みたいになれと、命令されてRHMは笑顔で了承した。僕は止めようとした。けれどもアンドロイドは危険だから。これから訪れる平和な国には必要ないと言われて黙り込んだ。
それでこの場所で別れの挨拶をした。
『相棒、短い間だったけど楽しかったと思います』
そう言われて拳を向けられた。僕はハグも、首筋に匂いを残すことだってできずに、ただ拳を合わせた。
力強くて、か弱くて、熱があった。錆止めの臭いもなかった。
そして彼女は二度と動かなかった。動力が無くなって、電気振動による動きが完全に停止し固まった金属となった。
「RHM……。絵、描けたよ」
蛇が苦手な僕をからかうRHMの絵。何も覗かないレンズに見せているうちに、そのときのことを思い出すみたいに手が震えた。
気づけば影も濃くなっている。碧瑠璃だった空は日が沈み薄紅と紺色混じりになっていた。
鉛筆の黒炭に汚れた手でもう一度拳を合わせた。鼻にツンと来る臭い、命の無い拳。この瞬間だけは音がない。それが僕の罪悪感を一瞬だけでも溶かしてくれる。
「また明日ね。RHM」
ああ、じゃあな相棒
――――そんな声が愛おしくて、僕の頬を濡れ伝う。スケッチブックに一滴落ちて、黒炭にじわりと沁みていった。
止まってしまった時間の臭い、熱、汚れ。
心臓が焼け焦げるような想いで僕は別れの挨拶をした。彼女みたいに、笑うことはできなかった。