9:サイルーン砦の奇跡3
ベルセスの檄が戦場を包む。
その内容に、ダスタールの胸騒ぎは大きくなっていく。
「今すぐできる限りの兵をここに集めろ!」
「はっ!」
ダスタールの指示に副長が走り出す。それとほぼ同時だっただろう。
『思う存分殺せぇ!』
その叫びに呼応するかのように、サイルーン砦が誇る城壁の各所から閃光が走った。
ゴゴゴ、という地響きのような音と共に、城壁から何かが飛び出してくる。
「なっ……」
それは幅5メートルほどの階段だった。
それも十数か所から生えており、城壁から地面までの通り道を形成している。
「馬鹿なっ!」
ダスタールが驚愕の叫びをあげたのも無理はない。
通常、人工物からは魔法は発動しない。理によってそう決まっている。つまり、例えばサイクロプスが使ったような土魔法ロックスローは、地面や壁から岩石が射出されるわけだが、人が作った壁や石畳からは出すことができないのだ。
例外は魔法陣だけだ。魔法陣であれば、陣が描かれた場所であれば人工物、自然物によらずに発動可能である。
「あの猛攻の最中に魔法陣を描いたというのか!」
そう、この4日、長梯子で砦を攻めていた敵兵の中に工作部隊が紛れ込み、少しずつ魔法陣を作成していたのだ。
当然、壁上からの攻撃も容赦なく降り注ぐため、作業は遅々として進まず、ベルセスの退屈を招くことになっていたのだ。
しかも、特殊な塗料で描かれた魔法陣は無色だ。夜の間に兵士が壁の調査をしても気付かれることがないよう偽装されていた。当然目に見えない分、魔法陣を描く工作部隊の作業も困難を極めるが、それをやってのけたのは称賛に値するだろう。
連日頭上からの一方的な攻撃に晒され、憎しみを増幅させていた魔王の軍勢が、激流のように階段を駆け上がってきた。
「押し返せ!何としても食い止めるんだ!」
ダスタールの号令が飛ぶ。城内からも次々に兵士が駆けつけてきている。だが、城壁という利がほぼ失われた今、元々の兵力の差を埋めることはできない。
壁上にいたサイルーンの兵士たちは次々と討たれ、次第に壁上はその亡骸で埋め尽くされていく。
「何たることだ……ここで、敗れるのか……」
ダスタールの足から力が抜け、膝から地面に崩れ落ちそうになる。だが、その腕を掴んでそれを止める者がいた。
「まだです!諦めちゃダメですよ!」
セリスだ。ダスタールをしっかり立たせると、セリスはそう叱咤した。
「だが、もうこれは……」
「私にやらせてください」
セリスはそういうと、持っていた杖から竜巻を起こし、階段から押し寄せてきていた魔王軍の数十人を吹き飛ばした。
ダスタールはそれを見て目を見開く。
「魔法使いか!中級魔法を即発とは、大したものだ」
「時間を稼いでください!あと、私に少しの間だけ敵を近づけないように!」
「……うむ……よし、分かった!どうせ負けるのなら最後まで足掻こうじゃないか!」
ダスタールが頷いたのを見ると、セリスは集中して魔力を練り始める。
「固まれ!このお嬢さんに指一本触れさせるな!」
この場でダスタールが兵士でもない謎の人物であるセリスの言う通りに動いたのは、まさに藁にもすがる思いだったことだろう。だが、結果としてダスタールの判断は正しかった。
押し寄せてくる敵を兵士たちが死力を振り絞って迎撃する中、セリスがゆっくりと詠唱を始めた。
『この世を満たす清浄なる水の力よ。その激流であらゆる不浄を清めん。大いなる力の激流よ。全てを飲み込み母なる海に還せ。理の代行者としてここに命ず。我に応え、大波になりて全てを押し流せ』
「ハイ・スプラッシュウェーブ!」
セリスの持つ杖が、青い光を放つ。瞬間、城壁からわずか1メートルほど先に、渓谷の横幅とほぼ同等の巨大な滝が出現した。
滝はその圧倒的な水量で階段を上ってくる敵を弾き落とし、更に地面に巨大な波を生み出す。大波は荒れ狂う激流と化し、魔王軍を飲み込み、押し流した。
「た、単独で殲滅魔法だと……あり得ん……」
ダスタールがその光景を呆然と眺めている。魔王軍はその最前線が階段から200メートル後方まで押し流されており、竜の渓谷本来の地面が顔を出していた。
しかし、セリスの発動した魔法は範囲も広く、現に渓谷の幅をすべてカバーしていたが、殲滅魔法の中では殺傷能力が低い。魔王軍も前線を押し返されはしたが、被害の数は見かけほど多くなかった。
「まだですよ!皆さんは残った敵と、城内に侵入した敵を何とかしてください!それと、引き続き私に攻撃が当たらないようにお願いします!」
セリスの本来の狙いは殲滅魔法ではない。先ほどの魔法は次の段階の為の布石だ。常時纏っている自分の周囲の結界を解くと、セリスは杖を前方に突き出した。
『防壁の力よ。来たれ』
先ほどと違い、白い強烈な閃光が渓谷を照らす。光に生み出されたかのように、前方にほぼ透明の結界が発生する。
それも、渓谷の横幅をすべて埋め尽くし、高さもサイルーンの城壁に匹敵するような、余りにも巨大な結界だ。
「これは、まさか……結界魔法!?君は……ハーテア殿は一体……」
ダスタールはもはや何か高貴なものを見る様に、目を細めてセリスを見ている。
「残った敵を倒したら、結界越しに攻撃を!右の岩壁の四角い突起がありますよね。あの高さの結界を張っています。弓と魔法で放物線を描くようにしないと、こちらの攻撃も弾いてしまいますよ!」
セリスが示した高さはおよそ20メートルほどだ。サイルーンの城壁が30メートルほどなので、10メートルほど低い。よく見ないと見えないが、魔王軍が作り出した階段の始点の少し奥にその結界が張られている。
結界は『既に何かが存在しているところ』には展開できない。そのため、セリスは水魔法で魔王軍の前線を押し戻したのだ。
「分かった!しかし、これほどの結界。どれぐらい持つ?10分、いや、20分か?」
ダスタールがはっと気づいたように目下の問題点を指摘した。
「う~ん……たぶん3時間ぐらいは」
「さんっ……」
ダスタールが絶句する。本来ならば先ほどの殲滅魔法で魔力が枯渇してもおかしくない状況で、なおかつこの規模の結果を展開しているのだ。
それにも関わらず、こちらの体勢を立て直し、攻めに転じ、かつ敵に十分な打撃を与えられるだけの時間が稼げるというのだから、驚かないわけがなかった。
だが、いくらでたらめなセリスと言えど、これほどの結界を生み出し、かつ維持するには相当な集中力を必要とする。自分を守る結界すらも解除して、この障壁の維持にのみ魔力と集中力を費やしている状況だ。
ほどなく魔王軍も体勢を立て直し、再度の突撃を仕掛けてくる。だが、その侵攻はセリスの結界によって阻まれてしまう。実質、せっかく攻略した城壁がもう一つ現れてしまったわけだ。
しかも、梯子をかけて登ったところで、その先は城壁の上ではなく、高さ20メートルの空間だ。落ちても助かる強者もいるだろうが、大半はそれだけで死ぬか、大ダメージを負う。
結界を破ろうと物理攻撃や魔法攻撃を繰り返しているが、今のところ全く効果がなさそうだ。実のところ、ダメージは蓄積されており、一定値を越えれば破壊できるのだが、セリスの提示した時間はそれを踏まえても3時間、ということである。
よって、魔王軍の攻撃も弓か、放射状に飛ぶ魔法ぐらいしかない。唯一の勝機と言えば、術者であるセリスをそのどちらかで仕留めることだろう。
「守備兵!誰か残ってないか!」
セリス自身も、またダスタールもそれは十分に承知している。他の何をおいても、今はセリスを守らなければならない。
「はい!私が!」
先ほどセリスを連行しようとしていた兵士が盾を構えた。他にも数名、大きな盾を持った兵士がセリスを取り囲んだ。
実はこの守備隊の兵士こそが、後にセリスがナシン村で再会するマッキナーなのだが、この時二人の間には会話はなかった。
しかし、見習い騎士のマッキナー少年は、アイドルを見るようなキラキラした目でセリスのことを見つめている。そして「命に代えてもこの人を守る」と決意を固めるのであった。
≪10分ほど前≫
「わははは!文字通り冷や水を浴びせられたのぉ!」
ずぶ濡れになりながら、ベルセスは愉快そうに笑っていた。
セリスの放ったハイ・スプラッシュウェーブはだいぶ威力を減退させてはいたものの、ベルセスのいる場所まで届いていたのだ。
「笑ってる場合ですか!」
同じくずぶ濡れのダンテが叫んでいる。
「しっかし、妙ですね。あの乱戦でどうやって殲滅魔法を……魔法を唱えている集団なんていなかったように思うんですがね」
「いや、あれは単独じゃろう。魔力に混じり気を感じなかったわい」
「はぁ?そんなことできる奴がいますかね」
「アークロヒテやナハト辺りなら造作もないじゃろうが」
「いや、魔王を比較に出されても……」
ダンテが肩をすくめてそうぼやく。ベルセスはなおも愉快そうにしている。
「とんでもない隠し玉を持っておったのぉ。ほれ、見ろ」
ベルセスが矛の切っ先で前方を指した。そこには、セリスが続けざまに展開した結界が出現していた。
「なんですかありゃあ?」
「結界魔法じゃな」
「けっか……何者ですか!?まさか……」
「いや、あの娘っ子は死んだと聞いたぞ。別人じゃろう」
魔王軍が結界に突撃しているが、破れる気配はない。ベルセスはその光景を目を細めて見ていたが、やがて「ふん」と鼻を鳴らした。
「潮時じゃな」




