2:ナシン村の受難
その村をまさしく農村、という雰囲気だった。オウラ王国の北西部はそのほとんどがハルメリ領であり、そのハルメリ領の更に北西部に位置する小さな村がナシン村だ。
ボルナ樹海に隣接していることと、農産物が豊富なため、比較的豊かで生きていくには不自由のない村であるといえる。
ボルナ樹海はその奥地こそ人外魔境の様相を呈しているが、浅部に関してはそれなりに人の手が入り、恩恵を与えているのだ。
さて、そんなナシン村では一つの有名な話がある。数か月に一度、ボルナ樹海の奥地から美しい女性が現れ、ナシン村で日用品などを買い、再び森の奥に消えていく、という話だ。
当初は眉唾だったらしいが、10年もの間それが繰り返されればナシン村の者にとっても当たり前の話になっている。時々この村を訪れる冒険者や騎士たちには未だに信じてもらえないようだが。
もちろん、セリス・ハーテアのことだ。その日、いつもより少し早いタイミングでセリスが森から現れ、ナシン村にやってきた。傍らに見慣れない青年を連れているのは初めてのことだ。
「セリス!元気かい?」
「うん!」
「セリス!ちゃんと食べてる?」
「大丈夫よ」
「セリス!そろそろ家の息子に嫁がないか?」
「もう!そのつもりはないってば!」
セリスの人気っぷりに、隣を歩く青年、ユーゴー・ハギリが眉をしかめた。
「なんでこんな大人気なんだ?」
「さ、さあ……」
セリスの目が泳ぐ。そこに村の道具屋の婆さんが声をかけてくる。
「セリスちゃん。あんたが来たら村長が話があるからって呼ぶように言われてるの。後で顔を出してあげてね」
「村長が?分かった。後で行ってみるね」
「いつものように加護を与えてくださいね」
「おばあちゃん!拝まないでって!」
慌ててそう言うと、セリスはその場を離れてずんずん歩き始める。だが、ユーゴーは当然誤魔化されない。
「加護、とはなんのことだ?」
「さ、さあ……」
「教えてあげよう!」
セリスが必死にユーゴーから目線をそらしていると、今度は村の青年が声をかけてきた。あまりにもすれ違う全員が声をかけてくるので、ユーゴーは鬱陶しそうにその青年を見る。
「セリスちゃんがこの村に来ると、それからしばらくの間、不思議なことに作物がよく育ったたり、近隣で魔物が出にくくなるんだ。だから皆がセリスちゃんの加護だ、って言うのさ!年寄りたちなんで拝みだす始末だよ!」
「そりゃあ驚きだな」
「ところであんたは?まさか……セリスちゃんの彼氏……」
「違います!」
青年がワナワナ震え出したところで、セリスが強く否定する。
「そうか、ならよかった!」
そういうと、青年は颯爽と去っていった。
引きつった笑顔でそれを見送っているセリスだったが、ガシッとユーゴーがその頭を掴む。
「加護ねぇ……」
「わ、私はナニモシテナイ」
ギリギリとセリスの頭、正確には頭に張られた結界から音がしてくる。ユーゴーが少しずつ力を入れているのだ。
「本当か?」
「う……」
「白状しないとノートを豚の餌にするぞ」
「わ、分かったよ!だって、この村がなくなると私が困るから!だから、帰る前にちょっと特殊な結界を張っていくの……」
「そんなことまでできるのか」
セリスが使う結界魔法には、いわゆる障壁型の結界の他に、フィールド型、つまり空間を何らかの要素で満たすような結界もある。持続時間は内容によってまちまちだ。
この村の場合、セリスは農作物の成長を促すために土の魔力が栄養素に変換されるような結界と、魔物を寄せ付けにくくなる結界を併用して張っている。どちらも効果は数日程度だが、肥えた土が急に細るわけではないため、結局その後も農作物の育ちは良い。
結界魔法はその希少さから認知度が極めて低く、こういった農村ではその存在自体を知らない者ばかりだ。加えて、そうと悟られないようにセリス自身がこっそりやっているので、誰も気づくものがいなかった、というわけだ。
結果、加護などという妙な認識になってしまっているので、それもまた面倒な話ではある。
「あんまり良い事じゃないのは分かってるけど……」
「いや、別に良いだろ」
「へ?そうなの?」
「お前はこの村があると便利。この村はお前が来ると豊かになる。ウィンウィンの関係が成り立っていて、誰にも損がない」
「うぃんうぃん?」
「両者ともに得、という意味だ」
問題としては、セリスがこの村に来なくなった場合に自活できるか、ということだが、それはユーゴーに言わせれば本人たちのやる気と危機意識の問題だ。そもそもセリスが来る前から村としてやってこれたのであれば、それほど心配はないだろう。
「だが、加護か……利用できそうだな……」
「ユーゴー、なんか悪い顔してるよ……」
「気のせいだ。ところで、村長が用があると言っていたな」
「うん、また何か素材の依頼かな」
ナシン村を訪れた際にセリスが村長に呼ばれることはないわけではない。大抵の場合、ボルナ樹海での素材の調達依頼だったりする。代わりにお金をくれるので、セリスも小遣い稼ぎとしていつも引き受けている。
二人はこのナシン村に旅の準備を整えるために寄ったに過ぎず、それほど長居するつもりもなかった。宿に一泊して、翌日には出発するつもりだったので、ひとまず村長の要件を確認しておくことにした。
村の中心部にある他より大きな建物が村長の家だ。ドアをノックすると、村長の奥さんと思われる恰幅の良い女性が二人を招き入れた。
「ああ、セリスさん!よくぞ来てくださった!」
村長はまさに『村長』という風貌で、豊かな髭を生やし、背筋の伸びた初老の男性だ。だが、その顔には焦りや困惑といえるようなものが浮かんでいる。セリスを見ると心なしか安心したような表情をした。
「村長さん、ご無沙汰しています。あの……なにかあったんですか?」
セリスも村長の様子に気付き、挨拶もそこそこにそう尋ねた。
「ええ……ああ、まずはおかけください。おーい!お茶!」
村長が奥にいるのであろう奥さんにそう声をかける。それを聞いて何故かユーゴーが吹き出したが、セリスは見なかったことにした。
しばらくすると、奥さんがお茶と簡単なお茶菓子を出してくれて、そこでようやく村長が本題を切り出した。
「実は、この近辺でオークが出ましてな……」
「オークですか。被害が出ているんですか?」
「ええ、先日行商に出た村の者が街道沿いで襲われ、命からがら戻ってきました」
「それは領主様やギルドに報告をしないとですね!あ、それで私に伝令を?」
「いえ、それが……そのオークども、普通のオークとは違うのです……」
オークは一定数の集団で行動する魔物で、荷馬車や村を襲うことがある。被害が出た場合は領主が騎士を派遣したり、被害にあった村がギルドに討伐依頼を出したりする。集団でいるために一定の人員が必要になるが、知能が低いので討伐隊が出れば比較的すぐに討伐されるのだ。
そのため、村長もオークの被害が出た直後、近隣の町に伝令を走らせたそうだ。しかし、不運にもその伝令もまたオークに襲われ、目的を果たせなかった。
その後も二度、伝令を遣わせるものの、その度にオークが出て、まるで伝令を阻止するように道を阻まれてしまうのだ。
さすがに三度も続けば、オークたちが意図してそうしているのではないか、という疑念が起こる。しかし、通常ならオークはそこまで知能がなく、あえて何の荷ももっていない伝令を襲うようなことはしないはずだった。
「それだけではないのです。先日、この村の近くまでオークがやってきて、周囲を調べるような動きをしていた、という目撃証言もありましてな……」
「オークが村を襲わず、ただ下調べ、ですか……確かに普通では考えられないですね」
セリスも話を聞いて眉をしかめる。
「ええ……もし調べに来ていたのであれば、村を襲おうと計画しているのかもしれません。混乱を抑えるために村の者には公表していないんですが、村に来る商人も襲われているのか、ここ数日途絶えておりましてな……さすがに村の者たちも不審に思っているようです」
ナシン村は幸い、セリスの結界のおかげもあって食物は豊かだが、それでもこの規模の村では外からくる商人の存在は生活に欠かせない。毎日くるわけではないが、数日に一度はやってくるはずの商人が来ない、ともなれば不便が出てくるだろう。
「それに、大変不甲斐ない話なんですが、三度目の伝令は私の息子が発ちましてな……未だに戻ってきていないのです……」
「それは……オークたちを振り切って伝令に向かったのではないんですか?」
「いえ、息子が乗っていた馬の残骸が街道に打ち捨ててありました……」
村長はますます悲痛な面持ちになる。セリスも気の毒そうな表情になって目を伏せる。
「実は、お願いというのは他でもない。近々村の男衆でオークの討伐に打って出ようと考えているんです。どうか、それにお力添えをいただけないだろうか……!」
領主からもギルドからも討伐隊が出ないのであれば、自分たちだけで何とかするしかない。それが村長の下した決断だ。
だが、兵士やハンターではない村の男たちだけでは戦力として不安があり、犠牲も大きくなることは安易に想像がつく。そこに、魔物が跋扈する樹海で暮らす謎の魔法使いが現れれば、助けを請おうとするのは自然な考えだと言える。
セリスは生来のお人好しだ。このお願いを断るという選択肢はない。だが、ユーゴーが何というか。そう不安になり、さっきから黙っているユーゴーに視線を投げる。
「もちろん引き受けましょう!我らにお任せください!」
ユーゴーが爽やかな笑顔でそう言い切った。




