二十二戒:記憶の軌跡(2)
教会の扉から待ちの入り口までの距離を、さらに南に同じ距離だけ伸ばした場所に、世界的物語小説フトゥールムの最終話に登場する丘が存在する。
観光地であり、夕陽を見る名所である。それ以外は何も無い。
待ち合わせ場所なんてものでもないし、陽が暮れるころは街から遠く灯りは届かないため、人はだんだんと薄れていく時間。僕はここに来た。
理由は一つ。先ほどあげた人気の無さを考慮しての、あえての待ち合わせである。
相手は先日、僕の体に憑依した賢者ゼル。ある日突然、耳に常備している通信機に問いかけてきたのだ。
陽が暮れてきて、半分ほど姿を消し、あと少しすれば真っ暗になるだろうその時、また、ゼルさんから通信が届く。
『やぁやぁやぁ、来てくれたんだね、嬉しいよ』
振り返るものの誰もいない、探しちゃいけないのかと、その場で声を発することにする。
「お久しぶりです。その節はどうも……」
『最近ようやくここに引っ越してきてね、だいぶ生活が安定してきたんで、君に良いこと教えようと思ってね』
ゆっくりと、僕は歩みを進めて木々の間を覗いて彼を探す。
だが、何処にもいないのだ。魔法での話なわけで、確かにここに存在しなくてもいいのだ。或いは、高度な魔法で、存在自体を消しているか、想像はいくらでもできる。
『君、過去に色々とあったんだね』
「何か知ってるんですか? ゼルさん自身は僕に何か関係が? 」
『俺は直接関係無い、でも、大きく見れば関係があるかもね』
その言葉はどこか恐怖があり、僕の過去にそんな深い何かがあるのかと思うと、怖気で背中が寒い。
『とりあえず、姿は見せられないから、魔法で見せるよ』
「あの、まだ聞きたいことが……」
その後のことは覚えていない、目の前が暗くなり、強制的に見るものが決定され、押し付けられる。
少女の背中、龍の鱗、オーパーツ、誘拐、実験体、眼鏡の男と一人の狂った男がこちらを見ている。黒い世界、酷い虚無感と虚脱感、寂寥と嫉妬、怒りと悲しみ。苦しい。
僕の心の中、僕の記憶の中に酷く刻まれた。次の日僕は、その場に倒れているところを、観光客に助けられたのだ。
酷い吐き気のため、体の中にあるものを全部吐き出し、目からは涙が、全身が痺れ、痙攣が止まらなかった。
「やっと捕まえた。やっと見つけた」
「おっと、斬りかかるなよ、前みたいにさ」
陽のすっかり暮れた丘の上、一人の男が一人の男に話しかける。
「で、何の用だい? 」
大小で言うなれば、小さな背の男が質問を投げかける。
大きな背で、恰幅の良い男は、遠くを見つめるような、期待を抱かない目で言った。
「彼女は、今どうしてる? 」
「自分で見に行きなよ、アンタだって病気治ったんだろ? 」
大きな男は苦しそうな表情で、小さな男はそれを酌んで、小さく“すまない”と呟く。
その後、特に語らいもせずに、数分が経った。その時、大きな男が口を開く。
「で、彼女は? 」
「彼女と、彼女の生き残った部下が、こっちに向かってる。君を探しに来てるよ」
「そうか、だったら俺はしばらく表に出ないよ」
「俺にどうしろと? 君は生きてていいんだよ、存在してもいいんだよ」
大きな男は押し黙ってしまい、小さな男も別段話が無く、空白の時間が流れた。
大きな男は、改めて別れを告げるのを止め、何も言わずにその場を立ち去ろうとした。その時、小さな男が声を上げる。
「こいつ、よろしくな」
地に倒れるラルを指差し、小さな男は大きな男に声を投げる。
「彼女のことはすまないと思っている。でも、こいつのことは、よろしく頼む。クラウス」
「あぁ、もう気にしてない。彼女も許してる。じゃぁなゼル」
大きな男は陣を展開させ、一瞬のうちに、その場から姿を消した。
それを小さな男は、悲しそうな目で見送ると、自分自身もそれに倣う様に姿を消した。
ただ一人、その場にラルだけが取り残され、悲しみは寒空にかき消された。
思い出と、さっきまでの重たい空気や空虚なお喋りは、茫漠な時間が飲み込んでいき、ラルの耳にすら残っていなかった。
そこにまた、ラルの謎が増えたことを知るものなど、ここで話していた二人以外、知ることは無いだろう。